駅からはじまるハイキング
觜崎の屏風岩コース
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平成15年2月14日(金) メンバー 私だけ
鶴觜山 | つるはしやま | 168m |
貴船山 | きふねやま | 261.1m |
屏風岩は見ることができない
注意: このコンテンツは西日本旅客鉄道株式会社が主催している「駅からはじまるハイキング」とは全く関係がないこと、本家の「本竜野コース 姫新線本竜野駅」とは違うことにご注意下さい。
兵庫の山々 山頂の岩石の記事「鶴觜山 天に橋が架かる風土記の山」を参考に山行し、貴船山の山名については、兵庫の山 写真帳より知った。
「觜」の字は「嘴」と表記される場合もあるが、地形図の表記の「觜」に統一した。
新宮町の東南の端にある「觜崎ノ屏風岩」(地形図「龍野」を参考)、夢前川の東岸から直立している岩壁の上に登れること、また尾根伝いに北東に行けることを知り、登ってきた。
今日は車が使えないので、JR姫新線の東觜崎駅から歩き始め「觜崎ノ屏風岩」の上、鶴觜山に登る。鶴觜山から町界尾根を北東にたどり、263.2mの三角点ピーク<点名:池ノ内>を経由し姫路市林田町と新宮町をつなぐ破線道の峠に下り立つ。
峠からさらに東に町界を尾根まで登る。尾根を南に少し行き貴船山頂上(三角点ピーク<点名:宮垣内>)へ。貴船山から峠には戻らず、北に町界尾根を進み破線道を使って新宮町側に下山、姫新線新宮駅から帰りの列車に乗ろうという計画だ。
9:37
JR姫新線東觜崎駅に降りる。姫新線は無人駅が多く、2両編成の気動車には車掌が乗っていなく運転手のみのワンマン運転だ。そんなわけか列車の中にはワンマンバスと全く同じに整理券発行器や自動両替器付運賃箱が設置してある。東觜崎駅も無人駅なので先頭車両の前のドアからしか降りることができない。
9:48
揖保川に架かる觜崎橋の東のたもとに、絵入りの次のような集合解説板がある。
県指定重要文化財 「觜崎磨崖仏]
ここから北へ100mの所に「觜崎磨崖仏」があります。磨崖仏は、舟形の光背をもつ地蔵尊で、切り立った岩壁に彫られています。この地蔵尊には「右志逆善廻向藤原□□建立文和三年十月廿四」の銘が彫られており、文和3年(1354)10月24日につくられたことがわかります。紀年銘のある石仏では県内最古のものです
なお、この磨崖仏より、北へ少し行った岩壁にも、可愛らしい地蔵尊が四体彫られています。国指定天然記念物 「觜崎の屏風岩」
屏風岩の岩脈は、鶴橋山を形成する流紋岩質凝灰岩に地下から、石英安山岩質のマグマが貫入して冷え固まってできたものです。この岩脈は硬い岩石でできており周囲の岩石よりも風化に対して強く、そのため周囲の山肌が風化されこの岩脈が露出し、さながら屏風を立てたように直立しているのです。
屏風岩の岩脈は厚さ4〜7m高さ5〜12m、またその総延長は川底から尾根まで120mあまり露出しています。岩脈の上部はY字形に二分しており山頂付近に登ってみると発達した節理の状態が良く分かります。「寝釈迦の渡し」
ここから南に50mの所が「寝釈迦の渡し」と呼ばれた美作街道の渡し場の跡です。
このあたりから、西方の山々をながめるとあたかも釈迦が頭を南に向け、横たわって見えるのでこう呼ばれました。昭和61年10月1日 新宮町教育委員会
觜崎橋の東側から川岸を行き磨崖仏を見に行く。ここには駐車スペースがあり車を止めておくことが出来る。
「觜崎磨崖仏」大きなものではなく、ほぼ等身大といったところか。周りに四角の穴が6個あけられていて昔は屋根がかけられていたのかもしれない。解説文にある文字は確認できなかった。
集合解説版とは少し表現の違う、新しい解説板があった。銘文の表記がかなり違う。
県指定文化財 觜崎磨崖仏
指定年月日 昭和44年3月25日
所有者・管理者 新宮町揖保川東岸の鶴觜山岸壁に彫られたこの磨崖仏は、舟形光背(ふながたこうはい)をもつ等身大の地蔵(じぞう)立像である。地蔵尊は、蓮華(れんげ)座の上に立ち、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)をもつ。船形光背の向って右側には大きな梵字(ぼんじ)があり、その下に「右志趣者相当藤原□□廻之忌辰也藤原 文和三年(1354)十月廿四日……」の銘があり紀年銘のある磨崖仏として県下最古のものである。この磨崖仏は俗に「いぼ神さん」「いぼ取り地蔵」として古来信仰されており、対岸には拝殿がある。
なお、この磨崖仏より上流へ約15mの岸壁にも4体の地蔵立像が彫られている。平成2年11月 兵庫県教育委員会
9:55
觜崎橋の東詰めの信号まで戻り、古宮天満神社の石段を登る。神社境内から揖保川側の岩に登り、北に進む。
10:01
姫新線のトンネルを過ぎたあたりで、墓地の中に入ってしまった。お墓の中を通り過ぎると尾根には踏み跡があり、楽に登ることができる。西側には龍野市の鶏籠山から新宮町の祗園岳が揖保川をはさみ広がっている。
10:13
踏み跡は岩尾根に変わった。
10:15
行く手にかなり急な岩盤が現れた。小春日和の中汗をかきながら登って行くと、川側の草むらがガサガサしている。鳥かなと思っているとタヌキが出てきた。タヌキと目が合ってしまった。向こうも驚いたようで、体が固まってしまったがすぐに引き返し草むらの中に姿を消した。
10:25
急な岩場を登り終えると、「天然記念物 屏… 昭和6年10月 文部省」の銘がある折れた石柱が転がっている。行く手には屏風岩の頭頂部が立ちはだかっている。
10:32
左に巻くと揖保川に落ちてしまうので、右側に巻き屏風岩頭頂部の上に到着。水準点標石があり、ここが鶴觜山の頂上だ。
川辺から見たのとは少し違う「寝釈迦」が西側に広がり、南には瀬戸内海の島も見える。
川側の岩盤の端には節理があり、割れ目が走っている。近寄るのが怖いので真下の揖保川は見ることができなかった。というわけで屏風岩には登ったが屏風岩を見ることはできなかった。