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檀特山と近くの山々



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平成15年2月26日(水)  メンバー 私だけ

朝日山 あさひやま 88m
檀特山 だんとくさん 165.1m
太子山 たいしやま 47.6m
立岡山 たつおかやま 104m


交通機関はどうしよう

姫路市と太子町の境にある山、檀特山に登ってきた。標高は165mと低いが頂上からは360度の展望が広がっていた。ただし曇っていたため見通しは悪かったが。

街中にある山なので車で行くと駐車場所に困るし、JRで行こうかどうしようかと悩みながら、WEBで調べていると檀特山の南、朝日山の公園に公共駐車場があることが分かった。

車で朝日山に行き、檀特山に登る。ついでに少し西の太子山と立岡山も登ってしまおうという、いわゆるアーバンハイキングだ。

9:36
家を出発。国道2号線を西に進み、檀特山の東の「大田」の交差点を南に曲がり、「勝原橋」で西に曲がり朝日山の南側に行く。

10:17
JR網干駅の北側に行く狭い道を進む。駅の手前で北に曲がり、朝日山の急な坂を登り公園の駐車場に到着。

緑の十景

朝日山
(姫路市制施行90周年を記念し、昭和54年4月1日制定)
朝日山には、古くから朝日の観音さんと呼ばれ親しまれている大日寺があります。
現在は、山全体が総合公園として山荘・広場・四阿・園路が整備されました。桜・ツツジ・ツバキ等の樹木も多数植栽されクヌギ・アラカシの自然林とともに緑につつまれた憩いの場として活用されています。
このかけがえのない、緑豊かな自然を市民の財産として後世に継承するため大切に守っていきましょう。

姫路市




朝日山頂上へ

10:22
用意を整え登山開始。詰めれば30台は止めれそうな駐車場には、平日なのに結構車が止まっている。

10:28
階段道を登り頂上近くの播磨西国第七番大日寺に着いた。車道は寺の横まで登ってきている。朝日山の頂上は石段を登った朝日聖天付近だと思われ、そこからは網干の町並みが広がっているのを見ることができる。天気さえよければ瀬戸内海も一望できるのだろう。

朝日山と大日寺

朝日山(標高88m)。「播磨国風土記」には、「応神天皇がこの山で大法(重大な法令)を発したので大法(だいほう)山という。斉明天皇の時(7世紀中頃)、大倭(やまと)の千代勝部(すぐりべ)らが田をひらいて住んだので、いまは勝部岡(すぐりべのおか)と呼ぶ」という意味のことが書かれている。また周辺一帯は「大家里(おおやのさと)」や「大田里」と記され、古くから開かれた地域である。
大日寺は。文化年中(645〜650年)法道仙人(ほうどうせんにん)の開基と伝える真言宗の古刹で、盛時には30余の坊舎が建ち並んでいたといわれる。また、鎌倉時代には信寂上人(法然上人の弟子)が招かれ、一時は播磨における浄土宗布教の中心になっていた。天文〜元亀(1532〜1570年)にかけて3度にわたる朝日山の合戦で寺は全焼したが、本尊の観音像だけは戦火をまぬがれたという。境内の五知如来石仏(向って右より宝生(ほうじょ)、阿閃(あしゅく)、大日、不空成就(ふくうじょうじゅ)、阿弥陀(あみだ)の五如来)は龍野城主赤松政秀の寄進と伝える。また、十三石塔(現在は十一段しかない)は室町時代の造立とみられる。

姫路市教育委員会、姫路西ライオンズクラブ

朝日山の大日寺
頂上には朝日聖天がある



次は檀特山だ どこから登ろうかな

10:36
朝日山頂上を後にして、お寺の東から下り始め東側の鞍部を北に進み下山する。

事前に入手した檀特山の登山口情報4ケ所の内、南登山口(勝原下太田入口)へ向う。檀特山南の12mの標高点がある(2万5千分の1地形図:網干を参照すること)三叉路に出る。

10:57
三叉路から東に進み、山側の道に入っていくと、よく吠える犬が出迎えてくれる。市営勝原住宅の上で「山火事予防」の絵看板を見つけた。山の中に石段も続いている。ここが南登山口(勝原下太田入口)だろうが、登山口の標識は全くない。

近くの擁壁に次のような注意書きがあった。前に登山者の駐車で問題が起こったのかもしれない。

此の住宅内の道路・通路は関係各部所の申合わせにより全面駐車禁止場所と定めています。
無断駐車・暴走行為・騒音行為・空缶のポイ捨て等の不法行為は絶対に禁止

姫路市住宅管理課 勝原住宅自動車保管場所管理組合

檀特山の各登山口には登山者用の駐車場は用意されてない。止めることが出来るところでも路肩に数台といった所だ。ここは止めようと思えば道も広くとめられない事もないが、登山者の評判を落とさないためにも、やめといた方がいいと思う。少し遠いが朝日山公園の駐車場に止めとくのがベターではないかと思う。

石段を登ると雑木の中の山道になり、「大好き!パラグライダー」と書かれた踏み段が付いている、結構急な登りだ。山の上からパラグライダーで降りることができるのだろうか。周りは住宅地ばかりで新幹線も通っているし。

11:07
檀特山頂上から南に延びる尾根に着いた。すぐ南には古墳の石室がある。道はさらに南に続いているがどこに下りるのだろう。三叉路付近は住宅が途切れることなく続いていたので、民家の庭に下りてしまうのかもしれない。ここは北に進む。

緩やかな南からの尾根道
階段道には整備されていない

11:20
緩やかな尾根道は雑木林を抜け、振り返ると南側の展望が広がっている。車を止めた朝日山が見えるが、今日は見通しが悪く瀬戸内海ははっきり見えない。

11:24
大きな岩が見えてきて、檀特山の頂上に到着。頂上には四等三角点(点名:檀特山)、展望デッキ、ベンチ・檀特山ふるさとの森案内図などがある。展望デッキにはハイカーが4人いる。

檀特山頂上展望デッキ
遠望が利かず残念だ

案内図には次のような解説文があった。

檀特山ふるさとの森案内図

山頂の巨岩伝説
岩の窪みは、応神天皇が立って四方を眺めたときの「御沓」と「御杖」の跡だという。

「播磨国風土記」奈良時代

また、聖徳太子が愛馬黒駒に乗って登り修行したので岩を「行道岡」、窪みを「黒小馬蹄跡」といい、傍らに「小馬繋松」があったという。

「法隆寺領触庄絵図」(鎌倉時代)・「峰相記」(南北朝時代)

一般には「馬蹄石」と呼ばれています。

平成12年3月 兵庫県・太子町・(社)兵庫県森と緑の公社

馬蹄石から東の京見山
聖徳太子に代わり四方を眺める制作著作権者



1回目の下山は北の東南入口

11:35
檀特山頂上を後にして、北登山口 (東南入口)に向け下山開始。”東南”は地名で、檀特山の東南ではない。

緩やかな北東に延びる尾根を行くと次のような植生説明看板があった。

コナラ−アベマキ群落

檀特山の大部分は、林の上層をアベマキやコナラが覆う落葉広葉樹林が見られます。 以前は、田んぼの肥料となる青草や、薪や柴を刈るために利用され、明るい林として維持されていましたが、今ではその利用が途絶え、このままの状態で自然に放置しておくと、うっそうとした常緑広葉樹林へと移り変わってゆくと考えられています。
ここでは、明るいコナラ林を維持し、自然観察や散策が楽しめるよう、定期的に下草刈りなどを行っています。

自然のまま放置すると常緑広葉樹林に変わり、昔からの薪炭林としての里山ではなくなってしまうので手を加え続けなければならない。自然を守るのも大変な手間がかかるようだ。

11:38
分岐に着いた。直進「川島入口」、右「東南入口」の案内板がある。「南東入口」に進む。

11:40
分岐から下りていくとプラ階段が現れた。関電の送電線巡視路の物とは少し違うが、近くに送電線もないはずだし不思議だなと思いながら行くと、送電線鉄塔が現れた。

JR西日本の送電線鉄塔だ。「檀特P3昭和46年3月」プレートが付いているが、不思議なことに送電線が張っていない。鉄塔だけなので地形図にも記載されていない。昔は送電線があったのだろうか。

また植生説明看板があった。

アカマツ−モチツツジ群集

山腹斜面上部から尾根部にかけては、アカマツの優占する森林でおおわれていたはずですが、近年のマツクイムシの被害によってアカマツが枯れ、その下層にあった広葉樹が成長したり、ヤブ状になった林が広く見られます。
計画地では、アカマツ林と呼べるような林は、稜線上の母岩が露出した一部の立地のみに限られます。この林では、アカマツ、ガンピ、コシダなどが特徴的に見られます。

東南入口への下り
昔からの道のようだ

11:50
ベンチがある展望所を通り、「檀特山登山道」の木柱のあるところに着いた。ここから下は普通車では底が着くような道が続いている。

11:53
東南入口に下山。場所は地形図(網干)の檀特トンネルの「檀」の字の左下付近だ。

ここにも「檀特山ふるさとの森案内図」が看板がある。頂上のものとは解説文が違う。

檀特山ふるさとの森案内図

太子町檀特山は、古くから歴史があり、地域に親しまれている山です。「ふるさとの森」では、ヒサカキなどの常緑樹をきって明るい林をつくりだしています。山頂など眺望の良い場所が多く、周辺の景観や明るい林の自然を楽しみながら登山ができます。また、多くの史跡があり、地域の歴史が学べる場所でもあります。
各入口から山頂まで30分程度でつきます。
おとしよりやこどもが気軽に利用できるよう山すそに沿った道があります。

【”ひょうご豊かな森づくり構想”に基づく里山整備事業】
この地区は地域のみなさま方のご協力をもとに景観や多様な動植物を保全し、健康や森林学習の場として活用するため、県内の林地開発をした方々の協力金により、森林の整備や歩道の整備などを行っています。

平成12年3月 兵庫県・太子町・(社)兵庫県森と緑の公社

ここにも「檀特山登山口」の木柱がある。案内標識もあり「山頂 0.7km、狐塚 0.7km、矢田部入口」となっている。ここからも下りてきた経路以外の道で直接檀特山頂上に行けるし、矢田部入口に行きそこから頂上に行く道が案内図に出ている。頂上から見て西から北の間にはたくさんの道が付けられている。

「檀特山への車両進入禁止 東南自治会」の看板があり、上には車ではいけないようだが、ここには車を1台止められるスペースはある。



次は東の「川島入口」から檀特山に登るぞ。

檀特山の北側の山裾を回り東の新幹線トンネルの入口を目指し歩くが、道路の舗装工事をしていて少し遠回りをさせられた。

12:26
トンネルの少し北、森工業所の右から道が山に入っていて、道の入口の向かいに「檀特山ふるさとの森 入口」の案内標識が立っている。

川島入口の標識
森工業所の北から入る

12:29
車も登れる道を行くと分岐に出た。南に直進すると新幹線トンネルの上を過ぎ、町界付近で行き止まりになっている。尾根に向けて切り開きがあるので登れないことは無いが、今日は止めておく。

12:35
道を戻り、山に入る道を行くと「檀特山ふるさとの森 案内図」がある。尾根に登り頂上を目指す道と、中腹を南に進み「削治岩」を経由して尾根に登る道が記載されている。「削治岩」経由で登ることにするが、案内図の道の色が灰色で書かれていて、他のはこげ茶色と違うのが少し気になる。

手水鉢や小さな多宝塔が3個あり、少し登ると小さなお宮がある。「スズメバチ・マムシに注意!」の看板があるが、今の時期なら大丈夫だろう。

よく整備された登山道
西側と東側の道がよく整備されている

12:44
分岐に着いた。標識は「左 削治岩 0.4km、右 山頂 0.6km」となっている。どちらもよく整備された階段道の登山道だ。左の削治岩方向に進む。

12:45
「この先、すずめバチの巣があり!通行禁止 平成12年10月28日」の表示があるが古いし季節外れだし、進むことにする。

12:52
よく整備された道か忽然と姿を消し、行く手には明確な踏み跡が現れた。手前で道が二つに分かれていて直進したのが間違いだったのかもしれない。踏み跡もあるし進むことにする。

遊歩道は踏み跡になった
この先はさらに悪くなる

12:55
大きな岩が上に現れた。もしかすると「削治岩」なのかもしれないが、よく分からない。籔っぽくなってきた踏み跡をたどっていくと、それなりにいい道に合流した。やっぱり道を間違えていたようだが、遊歩道の整備された檀特山でもヤブを楽しめるとは思ってもなかったのでラッキーだった。

13:06
尾根道に着いた。尾根を少し下ると、送電線のない鉄塔(プレート無し)があり、そこの標識は「川島入口」と「山頂 0.3km」となっている。

13:12
頂上に向い、川島入口と東南入口の分岐に着いた。ここから頂上までは一度歩いた道だ。

13:14
本日2回目の檀特山頂上に到着。今度は誰もいない。遅くなった昼食を食べ終えると散歩の人が二人登ってきた。

展望デッキの下の登山ノート入れの横に次のような案内があった。

檀特会行事の連絡方法

檀特会は いつでも誰でも 参加できる会であることをモットーに幅広く門戸を開き 多くの皆様に ハイキング等に参加して戴き一期一会を大切にして 楽しく歩くことを目的としていますので皆様の参加を待っています。

各行事ごとに頂上に案内を張り出しますが、メールでも配信を希望される方は なんでも帳に メールアドレスを書く欄を作っていますので 名前とアドレスを記入していただければ 行事が決定次第連絡します(パソコンか携帯電話かの区別をお願いします)

メールでも参加受付しますので 下記のアドレスまで申し込みください

  *******@***.*******.ne.jp

電話で連絡を希望される方は 電話番号を書いてください

  参加受付  ****-**-**** **

檀特会 ホームページ

  http://www5e.biglobe.ne.jp/~dantoku/

檀特会

実は、檀特山の登山口情報は檀特会のホームページ管理者からいただいたものです。



2回目の下山は「矢田部入口」へ

13:37
2回目の檀特山頂上を後にし、矢田部入口に向け下山開始。分岐は4ケ所ほどあるが標識が完備されているので迷うことはないと思う。

浅い谷底の「健脚コース」を行く。「ゆったりコース」は尾根を行くようだ。どちらにしても完璧に整備された道だ。

矢田部入口への階段道
西側は完璧に整備されているようだ

13:48
矢田部入口に着いた。矢田部自治会の案内看板がある。

檀特山の名跡と伝説

山頂標高165m
巨岩は、応神天皇が四方望覧した岩といわれている。
聖徳太子が山頂へ行動した時の駒つなぎ松があった。
岩のくぼみは、その時の駒のひずめ跡。
鹿清光寺蔵の「矢田部八景」と題した軸によれば、鹿がたくさん棲息していた。
壇特山の合戦応仁の乱で、山名軍と赤松軍(細川方)の戦い。
天文元年(1532年)斑鳩寺と朝日山大日寺の領地争いの戦い。
感動岩徳道上人の偉業鴻恩に感じ、自然に動いたという奇瑞をたたえ、名付けられた。
狐塚千年坊という古狐が、村人に害を加えていた。徳道上人の徳力で感動岩の下敷きになり死んでいたのを村人が哀れみ葬った。
鴻之巣徳道上人の誕生を予告するため、生誕の前夜来、鴻の鶴が巣を作っていた。
篭り塚徳道上人が若年の頃、専心修業した跡。内部は、八畳ほどある。
六地蔵全国各地の葬場に見られる六地蔵は、徳道上人が発願創紀した。
天神さん菅原神社 菅原道真を祭る。
荒神さん建速神社 須佐ノ男命を祭る。
トロッコ道炭焼きが行われていた頃の運搬道。
ほーてんと田植えが終われば、雨乞いと豊作を祈り、鐘や太鼓を打ちならし登山した。

矢田部自治会

ここにも「檀特山ふるさとの森 案内図」がある。

ここが檀特山のメイン登山口のようで、檀特山西側の大通り新幹線の南にあるパチンコ屋ターザンの駐車場の間の道を東にずーっと入っていくと矢田部入口がある。入って少しの所の神社の石段の下に「檀特山登山道矢田部入口」の木柱が立っている。道の脇に車を止めることは可能だが登山者用の駐車場はない。



次は太子山47.6mだ

新幹線の高架の下を西に行き、立岡山の手前から北に曲がり、太子山に行く。

14:16
太子山頂上に到着。麓から舗装道路が頂上まで上がっていて、頂上は太子山公園になっている。

中腹に老人福祉センターつくも荘がありそこまでは車で上がれるし、止めることも出来る。頂上の公園には聖徳太子の像があり、北西の端に四等三角点(点名:立岡山)がある。三角点の名前は付近の地名などから取るがなぜ太子山にしなかったのだろう。

太子山頂上の聖徳太子像
台座の文字は私には読めません


次は立岡山だ、大きな配水池がある山だ

14:37
太子山から南に行き、新幹線と学校の間の道を行く。車は神社の手前までしか入れない。

14:42
新幹線トンネルの入口真上にある天満宮でしばし休憩後、頂上を目指し出発する。水道の中継ポンプ所の先に次のような案内看板があった。この山の上にも700年前には山城があったようだ。

石蜘蛛城跡

立岡山にある中世の城跡。
鎌倉後期の弘安2年(1279)従五位島津左衛門大夫忠行が下揖保荘(今の龍野市揖保町〜揖保川町東部辺り)と布施郷(今の龍野市揖西町南西部辺り)の地頭に任命され、一時この山頂に城を築いたとされる。(『島津系図』より)

太子町教育委員会 贈 太子ライオンズクラブ

14:52
舗装道路を登り立岡山頂上に到着。容量7,000立方メートルの巨大な太子町の南配水池が頂上に鎮座している。配水池南側には祠があり石仏が3体祀られていて、その横にも観音様?が祀られている。

配水池の周りには石垣状になっていて1週できるる。網干の町並みや檀特山がよく見えなかなかの展望だ。天気さえよければ瀬戸内海までも見えるだろう。ここにもJRの送電線のない鉄塔がある。

立岡山からの展望
天気が悪くか霞んでいるのが残念だ



朝日山に戻るぞ

15:11
舗装道路を下りるしかないなと思っていたが、祠のところの南から小道が下りていて、そこから下山することにする。

余り急ではない雑木の中の道で、地元の方の散歩道になっているのかよく踏まれている。

立岡山から南の道
歩きやすい道だ

15:19
竹林の中を過ぎると、下についた。立岡山の南側に広めの駐車場があり、その24番の駐車スペースの脇の擁壁の上が入口なのでが、非常に分かりにくいと思う。

15:50
立岡山を下りてから30分歩き、朝日山中腹の駐車場に戻る。

15:54
車を出し家路につく。

16:26
家に帰着。総走行距離30km。

天気がよければ檀特山頂上から鳴門大橋が見えるそうだが、今日は瀬戸内海も見えなかった。少し残念だった。



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