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笹山の女明神・男明神



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平成15年3月30日(日)  メンバー 私だけ

笹山 ささやま 154m


笹山解明計画

地形図「龍野」を参照すること。

龍野市の東部、太子町に接するところに、笹山がある。太子龍野バイパスの一番西のトンネル、福田トンネルの北に老人ホームがあり、北側を取り囲む山が笹山だ。

「龍野市笹山見晴らしの森」として、遊歩道などが整備されている。しかし笹山自体は地形図に山名さえ記載されていない、ごく普通の里山だ。だが、「女明神」・「男明神」と呼ばれる奇岩がある。

手元の道路地図には162.0m三角点ピークの西側の150mほどのピークに「笹山」と記載され標高は154mとなっている。

龍野市笹山見晴らしの森案内図より
右半分が重要だ

龍野市笹山見晴らしの森案内図

このあたりの山は、笹が多く生えていることから「笹山」と呼ばれています。山すそには竹林、山腹にはコナラやアベマキの落葉広葉樹林、尾根には以前アカマツが多く生えていた雑木林がみられます。
尾根の中腹には、女明神や男明神といわれる露出した大きな岩があり、そこから龍野市や太子町、そして遠く播磨灘まで一望できます。また、西側の小高い丘には、20万人余りの生命を失った沖縄戦を忍ぶ沖縄慰霊塔があります。

たきび、たばこの吸殻やごみの投げ捨てに注意し、樹木を大切にしましょう。

【”ひょうご豊かな森づくり構想”に基づく里山林整備事業】
この地区は地域のみなさん方のご協力のもと、景観や多様な動植物を保全し、保健や森林学習の場に活用するため、県内の林地開発をした方々の協力金により、森林の整備や歩道の開設などを行っています。

平成8年3月

兵庫県・龍野市・(社)兵庫県森と緑の公社


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笹山の西部を散策

太子龍野バイパスの福田で下りて、北に回りこむと「西はりまリハビリテーションセンター」がある。センターの駐車場に止めるのもなんなので、駐車場所を捜すと「谷口池」の西にスペースがあり、そこに止める。

11:02
用意を整え登山開始。駐車場所のすぐ北、谷口池のほとりに「女明神 0,5km」の方向指示板を発見。登山口はあっけなく分かったが、総合案内板がないので全容がつかめない。

そんなことも言ってしょうがないので、よく整備された遊歩道を登っていく。

11:06
送電線鉄塔「姫路鵤線36」の下を通り登っていく。

よく整備された遊歩道
これぞ遊歩道といった雰囲気

11:14
分岐に出た。方向指示板は北は「女明神 0,2km」、西は「展望舎 0.4km」、南(来た道)は「県道へ 0.5km」となっている。

展望舎(正面に的場山が見える)その他に寄り道をしたが、詳細は省略し解説文のみ記載する。

「建速神社」、「総合案内板」、「山口義信氏足跡の碑」、「展望舎」、「植生解説板」、「沖縄慰霊塔」、「笹山開拓祈念碑」などがあった。

山口義信氏足跡

氏は行政と取組むに当たっては機構の刷新合理化に企業感覚を取り入れ行政の効率化を市会県会通算32年を通じ政治信念として叫んできた 尚事業遂行に当たっては戦後の混迷期は地元産原料の食品加工を計画着手を見るも其の後ははげしい日本経済の進展に対応するには業者の団結業界の組織の確立を痛感し県下唯一の協同組合商業組合を設立しこと困難に遭遇するたび明日への飛躍の機会ととらえ取組んできた戦中戦後50年のあゆみ

昭和61年4月吉日

以下略

マダケ−モウソウチク群落

このあたりの山すそには、モウソウチクやマダケの竹林が多いのが特徴です。もともと竹は中国から持ち込まれ、日本の各地に植えられたものです。このあたりの竹林は長い間放置されていたために雑木林まで竹が侵入し、竹林面積が拡大しています。このまま放っておくと、さらに拡大していくと考えられます。
この場所では、竹林がこれ以上拡大しないようにしながら、老齢となった竹を切っていき、よいタケノコがとれるモウソウチク林を育てる区域を設けました。
竹林の密度は、竹の平均直径10cmの場合で、60〜70本/100平方mを目標にしています。よいタケノコをとるには肥料を与えることも大切です。

(平成7年度里山整備事業)


コナラ−アベマキ群集

乾いた尾根にはアカマツが生えるのですが、比較的、水や土壌条件に恵まれた山の中腹部では、林の上層にアベマキやコナラが一面を覆い、その下の層にヤマモモ、ヤマハゼ、ヤマザクラなどがまじる落葉紅葉樹林がみられます。このタイプの林には、ヤマモモ、キズタ、クチナシなどが特徴的に見られますので、植物社会学ではコナラ−アベマキ群集とよんでいます。
以前は、薪をとるために利用され、このような林が維持されていましたが、このままの状態で自然に放置しておくと、ヤマモモ林との常緑広葉樹林へ、移り変わっていくと考えられます。

(平成7年度里山整備事業)


沖縄慰霊塔

太平洋戦争の天王山といわれる沖縄が本土防衛の防波堤となり三ケ月に亘る凄絶な死斗によって遂に終戦に導く動機となり現在日本の平和と自由と繁栄をもたらした偉大な功績を永遠にたたえんがため遺族代表が「ひめゆりの塔」を初め十二ケ所の霊地を巡拝し幾多の血を吸った遺品遺石を蒐集しこれを「みたま」として沖縄戦没二十二万の霊を弔い感謝の意を表すシンボルとしてこの塔を建立する。

昭和39年10月建之

笹山開拓記念

笹山開拓ノ事タル地元民多年ノ宿願タリ松本孝二氏笹山開拓農業共同組合長トシテ終始一貫献身努力専念遂ニ全山拂下開拓ニ成功ス郷黨茲ニ記念ノ碑建テ欣ヒト共ニ不朽ニ傳フ

農林大臣 森幸太郎




女明神

11:52
37分の寄り道の後、11:04の分岐に戻る。

11:54
送電線の西側の尾根を登り、「女明神」に着いた。地形図の標高100m線付近の岩印のところだ。

10m程の直立した大岩で、上の方が桃のような形というか、かなり微妙な形をしている。遊歩道は上面がほぼ平らな女明神の大岩の上に通じている。

大岩の上からは背後の山以外遮る物がなく、南側の太子町や姫路市、揖保川町、御津町の山々を見渡すことが出来る。今日は霞んでいるが、澄んでいれば御津山脈の鞍部から家島も見えるという。

女明神(上から)
下から見るとただの岩だが

女明神より南の展望
霞んでいて残念だ

女明神の上で昼食にする。風も弱く暖かい。

12:25
女明神を後にして、「西はりまリハビリテーションセンター」をはさみ反対側の尾根にある男明神を目指し、北に尾根を登り始める。

遊歩道は150mほどのピークの下から東に曲がり、162.0m三角点ピークの少し北側で東側の尾根に乗る。

尾根ではツツジの花が咲き始めていた。また遊歩道の右横に「鬼の足跡」と名前が付けられた、岩の窪みがあった。指の跡もはっきり残った足跡の大きさからすると、身の丈5mほどの巨大な鬼のがいたのだろう。

ツツジが咲き始めた
もう春だ

巨大な「鬼の足跡」
昔は本当に鬼がいたのだろうか

遊歩道の周囲の林は下草を刈るなど手入れがなされ、昔の里山はこんな風だったんだろうなと感じられる。「龍野市笹山見晴らしの森」として整備されてからも継続的に手入れされているのだろう。けれども遊歩道から離れた、西側の150m程のピークは雑木の中で笹が茂り展望は無かった。

手入れの行き届いた遊歩道と周囲の林



男明神へ

12:51
東側の162.0m四等三角点ピーク(点名:松尾)は特に展望も無いところだった。近くにひっくり返った植生解説板が転がっていた。

アカマツ−モチツツジ群集

このあたりの尾根筋の乾いた土地には、アカマツの林があり、田んぼに入れる肥料としての木灰や青草をとったり、たきつけとなる柴を刈るために利用されていました。このような林を里山といいます。しかし、今ではその利用も途絶え、近年のマツ枯れによってアカマツがほとんど枯れ、その下層にあった落葉広葉樹林が成長して一面を覆ったり、ヤブ状になった林も広くみられます。
これらの林には、現在の外観の違いにかかわらず、ネズ、コバノミツバツツジ、ネジキ、モチツツジなどが特徴的にみられますので、このようなタイプの雑木林を、植物学会ではアカマツ−モチツツジ群集とよんでいます。

(平成7年度里山整備事業)

12:57
東側の尾根の「男明神」に着いた。「女明神」と同じような標高地点だ。尾根から少し盛り上がりその下は垂直に切れ落ちている。岩石の色はかなり黒く「女明神」のものとは違うように見える。

どの辺が「男明神」なのかよく分からないが、見る方向あるいは想像力によってそう見えるのかもしれない。この岩も上に登ると南側の展望が「女明神」同様広がっていた。

男明神
どこが男なのかな

13:16
男明神から7分ほどで、「西はりまリハビリテーションセンター」奥東側に下山。ここには「龍野笹山見晴らしの森」の総合案内板があった。ここから登り始めるほうが、初めに全体の概要が分かりいいかもしれない。

13:24
谷口池の西の駐車地点まで戻り、帰途に着く。

「女明神」・「男明神」両岩ともしめ縄があり、付近に祠があるような宗教的雰囲気を予想していたが、そんなかけらもないあっさりとしたところだった。遊歩道が整備され展望も抜群で誰にでも登れるとてもいいところだ。



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