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天下台山のトンビ岩コースと、おまけの遠見山



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平成15年4月7日(月)  メンバー 私だけ

天下台山 てんがだいやま 321.4m
遠見山 とおみやま 188.8m


2回目の天下台山

地形図「相生」を参照すること。

相生市中心部から南東にある天下台山に登ってきた。

残暑が猛烈に厳しかった去年の9月4日、熱中症なりかけでフラフラしながら、やっとのことで頂上まで登った苦い経験のある山だ。そのときは岩屋谷公園から遊歩道を登り、下りも遊歩道で下りたが、今回は「トンビ岩」を通る尾根コースで下る計画だ。

姫路から国道2号線を西進し、相生の那波野東の信号で南に曲がり、新幹線の下をくぐり住宅地の中の狭い道に入っていく。岩屋川に架かる公園橋(「子供飛び出し注意!! 岩屋谷公園駐車場」の案内がある)を渡り川の西側を行く。

9:58
すぐに岩屋谷公園駐車場に到着。20台くらいは止められる広い駐車場だ。

10:03
準備を整え登山開始。駐車場奥の石段を登り「岩屋谷公園」に入ると、「グリーンスポーツ施設案内図(天下台ハイキングコース)」がある。

分かりにくい案内図だが、隅に「天下台山を愛する会」の「<天下台山>登山道案内図」が張ってある。お勧めコースは「公園コース〜北尾根コース(全行程5km・150分)」となっている。

岩屋谷公園のハイキング案内図
もう少し分かりやすくならなかったのかな

桜がきれいに咲いている公園の中の緩やかな舗装遊歩道を行くと、水を満々と溜めた「岩屋谷池」が現れる。池の堰堤の手前に石碑が立っている。

碑の由来

岩屋池は明治末期に築造され天ケ台水系を源にして下流の公園の清流となって人々の憩いの場としてやすらぎを与え那波地区の田畑を潤しています。
以後幾多の修築及び管理の努力がなされてきましたが明治41年の築造工事においては那波野地区岩谷興三治君古池地区土井政治君が土砂崩壊により犠牲殉職されました。
今回殉職碑周辺の整備をさせていただきました。
献身された功績に感謝すると共に環境を愛し守り子々孫々迄大切にしていきたく思います。

平成6年7月吉日 有志一同

岩屋池の堰堤から西側の尾根上のトンビ岩がよく見える。ということはトンビ岩の上からの展望は素晴らしいものだろう。

10:23
岩屋池の先でアスファルト舗装の遊歩道が終わり、地道になるが広く緩やかで登山道というよりは林道のような道が始まる。

10:35
水場を過ぎ、道も幾分狭くなり、谷を西から東に横切り東側斜面に行く。藤棚の下をくぐると階段道が現れた。

非常によく整備された階段道で、崩れないように異型鉄筋で補強されているし、踏み段の土も流されてしまったところは補充されている。

天下台山の階段道
よく整備はされている

10:44
「頂上まで700m」の笠形の屋根がある休憩所付近から天下台山頂上の電波反射板やポールが見えてくる。

10:49
パイプから水が勢いよく出ている水場を過ぎると、関電の送電線巡視路の分岐が現れた。頂上北の鳥居印の「水戸大神」付近に行く道だが、私はそのまま南に進む。(ちなみに分岐方向には「ダイセル播磨線7」、南方向は「ダイセル播磨線5」となっている。

10:55
また分岐が現れた。登山道は西に方向を変えるが、分岐は南に向っていて、「ダイセル播磨線7」と「地蔵さんへ」の表示がある。

10:56
人の手が入った「六花園」を過ぎると、西に進む平坦な道となる。「頂上まで300m」だ。正面に頂上の電波反射板やポールがよく見える。

天下台山頂上東の平坦な道
もうすぐ天下台山頂上だ

11:05
最後の階段道を登ると天下台山頂上だった。登り始めてから約1時間。写真を撮りながらゆっくり登ったので、普通の人ならもっと早いだろう。

頂上南側は岩場になっていて、二等三角点・石碑・ポール・山名地名方位盤・ベンチ・ゴミ箱?、少し北には電波反射板がある。

今日は霞んでいて遠望はきかないが、方位盤には鳴門大橋の名もあり澄んでいる日には四国まで見えるのだろう。登る途中で4人ほどに出会い、私が頂上についてから2人が登ってきた。

巨大な三角点標石、いったい何等なのだろうか
冗談の好きな人もいるものだ
運び上げるのは重かったろうに

天下台山頂上、南から西の展望
相生湾も霞んでいる



水戸大神からトンビ岩へ

11:15
天下台山頂上を後にして、頂上から南に西を巻く遊歩道を下山する。

11:25
天が台山頂上西側のピークにある東屋に行くが、周囲を木に囲まれ展望は西方向しかない。少しがっかりした。

遊歩道から東屋への分岐にトイレがあった。余り利用者がいないのか結構きれいだった。しかし最終処理はどうやっているのだろうか。誰かが運び下ろしているのかな。

11:36
東部墓園入口からの道に出合った。墓園からの道もよく整備された階段道になっている。ここの分岐にもトイレがある。

11:40
広い階段道を登って行くと、水戸大神の赤い鳥居が左手に見える。水戸大神の社は張り出した大岩の下にあり、その周りを小屋掛けしている。

囲い小屋の中に鎮座する水戸大神の社
おこられそうだが、泊まることもできそうだ

11:48
遊歩道に戻り少し登ると北側に分岐があり「北尾根コース」の表示があり、透明ケースの中に地図もある。岩屋谷公園にあったものと同じだ。

少し上の遊歩道の階段を、黙々と補修している方がいた。天下台山が好きな人なのだろう。

11:55
北尾根コースに入ると初めは岩場の登りで、ダイセル播磨線4の鉄塔に出る。

12:00
鉄塔から北は雑木の中で展望は無いが、送電線巡視路になっている道を行くと左側に分岐が現れた。はっきりした道ではないが「1999年12月25日開通」の表示があり、東部墓園に下りる公設道の途中に出るようだ。

12:05
また分岐があった。直進はダイセル播磨線3の表示がありいい道が続いているが、北尾根コースは右に曲がるシダが茂った道だ。

送電線巡視路

巡視路の先の踏み分け道

春先なのにシダが茂り始めている。これから暑くなると、さらにひどくなるだろうが踏み跡はしっかりしているし、テープ類もかなりあるので何とかなるとは思う。

12:14
道が二つに分かれている。特に表示はない。左手に行くと「烏帽子岩」に行けることが帰ってから分かったが、右に行ってしまった。

12:16
「三段岩 20m」の表示のある分岐についた。分岐を行くと三段岩の上に出た。

麓の相生の市街がよく見え、新幹線が時たま走り抜けていく。統一地方選の街宣車の声が流れてくる。北には的場山・鶏籠山・大蔵山が見える。ここで昼食にする。

12:45
三段岩からトンビ岩に向う。雑木とシダの道を抜け展望の尾根道となり、行く手のトンビ岩がよく見えるようになる。クチバシに相当する岩の半分は空中に飛び出している。

トンビ岩
半分は出ている

13:00
三段岩から下った後、登り返すとトンビ岩に着いた。トンビ岩の周囲にはツツジが鮮やかなピンク色に咲きとてもきれいだ。

トンビ岩の上に乗ると展望は抜群だが、半分から先は下が無いことが分かっているので端に行くのが非常に怖い。恐る恐る先端から下を覗き込んでみた。

トンビ岩の覘き
岩が揺れているような心もちがした

13:09
トンビ岩の北には送電線鉄塔相生支線15があり、再び送電線巡視路になる。

13:20
麓の墓地に下りついた。岩屋谷公園駐車場の西隣は墓地になっていて、その一番北にある「村木家代々之墓」の左手の石段が登山口になる。特に表示はない。



おまけの遠見山

13:23
駐車場に戻る。まだ時間も早いし、天下台山の西、相生湾に面した遠見山(標高188.8mで地形図には名前が載っていない)に行ってみることにする。破線道が頂上まで何本も登っているし、頂上からの展望も良いのではないか感じた。

13:54
登山口、駐車場所を探しながら車を走らせるが、相生湾沿いには見当たらない。遠見山トンネルを南から北に抜けると、トンネルを抜けた西側に何やら駐車場がある。そこに入ってみると遠見山へ登山口だった。

帰ってからネットで調べると遠見山の情報が沢山あった。行き当たり場当たりの行動はよくないなと思った。

駐車場は2段になっていて合計20台近く止められ、きれいなトイレ、案内図がある。氷ノ山の親水公園駐車場よりも立派な、山の規模にそぐわない設備だ。

駐車場の先の遠見山入口
このアスファルト道路は700m先まで続く
なんの意味があるのだろう

14:01
きれいなトイレの先を左に曲がり、階段道の遊歩道を登る。擬木の階段道だが踏み段も舗装してある。こんな立派な遊歩道は見たことがない。

14:15
東側の遊歩道を登り遠見山頂上に着いた。頂上は公園化され、東屋もある。四等三角点(点名:遠見山)があり、周りをきれいに石で取り囲まれている。こんなにも大事にされている三角点標石も珍しいだろう。

遠見山頂上の展望広場
ここまでしなくても

遠見山

遠見山は、昭和初期の造船不況時代。相生信用組合が町民に仕事を与えるという目的で、全山40町歩の開墾と山頂に遥拝所を建築し、将来は梅林と遊園地にするという「遠見山梅林」計画を立て整備され、この梅林が、戦時・戦後を通じて食料の補給に大きな役割を果たした。しかし、惜しいことに昭和20年失火による2回の火災で、梅林の大半が焼失し、今は見るかげもなく、荒れはてしまっている。
昭和9年、当地に建築された遠見山遥拝所は、老朽化により非常に危険な状態になっていたため、平成13年度の遠見山公園整備事業により撤去され、展望広場として整備された。

平成14年3月 相生市

遠見山頂上は展望広場と名付けられているだけあって、展望は抜群だ。相生の市街地や相生湾を一望できる。


遠見山頂上から相生湾と相生市街の展望

14:30
遠見山頂上展望広場を後にし、登ってきたのとは反対側の西側から下山する。

14:34
西側の遊歩道は眺めがよく、石川島播磨重工業相生工場などがよく見える。しかし新造船を造っている様子はない。途中に、昔の相生湾での漁の解説板があった。

横山の魚見「ととみ」(岩の台の魚見、色見「いろみ」)

往古より相生湾は約4km余り深い入り江で波静かにしてボラ・コノシロ等の魚の宝庫であった。
回遊する魚群を色見する為「金ケ崎鷹羽」、「竜山(遠見山)」、「日ノ浦鷲の巣飯盛山」、「磯際山」、「五葉ノ松山」、「横山(通称・岩ノ台)」に設けられた高所での魚見場所が有った。(現在地の南東斜面に岩ノ台の魚見岩がある。)
黒く変化する海面の色を見て、ほら貝をブーツと吹き手旗で合図したと言う。
一方、海上では手舟に4〜5人乗り、沖合い色見を行った。
待機する直網(男網)と逆網(女網)の2隻のもやい(網合)は両方の色見の指示にしたがって旋回しつつ行動し、沖合い色見の男衆はヤンダー(はんてん)を左右に振り魚群を追いこんだ。また、別の手舟の男衆は投石や海面の叩き込みを行い見事なチームワークの作業であったという。
元禄年間赤穂藩家老大石良雄は私領地相生湾での勇壮なる鯔漁検分の為来遊されたと言われ、天保期には鯔座が組織され、多くの漁獲をほこり冬季の地場産業であった。
明治初期より入札で、網元が運営し、鯔座株主に配当、余剰は全戸に均一配布する美徳な行為がなされた。しかし、昭和20年以降出漁はなくなった。
「大石さんの鯔千両」の伝承が伝えられており、地域活性化に多大の貢献をした。
尚、横山の名称は昭和7年に耕地整理施工許可をうけて「遠見山」と称するようになった。

相生市

14:50
2車線幅の管理用道路を700m歩き入口の駐車場に戻る。地元の方々が散歩に利用しているようだが、遠見山頂上まで登る人は少ないようだ。

完全舗装された階段遊歩道、意味もなく広い管理用道路、公園化された頂上といい、あまり情緒は感じられないが、相生市の第一級の展望台なのは間違いはない。一度は登ってみる価値のある山だ。



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