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NHK道で関西電力山崎実験センターへ



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平成15年6月9日(月)  メンバー 私だけ

山崎実験センター正面ゲート やまさきじっけんせんたーしょうめんげーと 500mくらい

2万5千分の1、地形図「山崎」を参照すること。



宮山から見えた道

山崎町の宮山(長水山の東にある標高646.0mの山)に登ったとき、揖保川の左岸の木ノ谷から294.3mの三角点がある尾根に道が付いているのが見えた。

その道で「関西電力山崎実験センター」に登り、下山はセンターの北にあるであろう送電線巡視路から下りようかなという計画を立てた。実験センターの周囲を回る道があれば何とかなると思うが、どうなるだろうか。



登山路はNHK道

10:37
国道29号線で山崎の市街を抜け、揖保川に架かる井ケ瀬橋を渡った先の「ドライブインながさわ山崎店」前の姫路方面行きの広い路側帯に車を止める。

10:43
準備を整え登山開始。今日も暑くなりそうだが、飲料水は1リットルで足りるだろうか。心配だ。

10:47
29号線を南に250mほど戻り、がけ(岩)印南の破線道の曲がり角に、「火の用心NHK」の道標を発見。急傾斜の山に真っすぐに電柱の列が登っている。電線の下は切り開かれているが、傾斜は急でその上荒れていて、登るのはきつそうだ。

NHK道の入口
溝に木を渡してる

11:00
電柱の下の道というか、荒れた切り開きを登って行くと、右下から山道が登ってきた。山道は電線の下を横切り左手の尾根に行くようだ。ということは、この山道の登り口は国道から破線道をかなり行ったところにあるのだろう。

11:02
電線下の切り開きから山道に乗り換え、尾根に行くとテラスがあり展望が広がっていた。

揖保川上流方向
鮎はいるのかな

足元の岩には「A2」と赤字で書かれている。それから不思議なことに女性の下着が落ちている。絹100%のサイズはLL、かなり大きめだ。どんな訳でここに脱いで置いていったのだろうか。

山道は尾根を直登はせず、雑木の中を九十九に登っていくので結構楽に登れる。後を振り向くと揖保川や宮山が見え楽しく登っていけるが、かなり暑くなってきた。

雑木の中を登る
道ははっきりしている

11:27
電線の下の切り開きに合流した。あと少し登れば三角点に着くだろう。道は荒れ滑りやすく登りにくくなる。

11:35
テレビ送信用アンテナが見えてきて、平らなところに着いた。294.3m四等三角点<点名:木谷>、「NHK山崎杉ケ瀬テレビ中継放送所」のアンテナ柱があり、展望が広がっている。

294.3m三角点
黒尾山の鉄塔が見える

揖保川を挟み、山崎の宮山、水剣山の電波反射板、黒尾山頂上の廃鉄塔などが見える。

テレビ中継機器には積算電力計が付いている。関西電力の検針員が毎月ここまで登ってくる姿を想像したが、よく見ると「配電線搬送方式遠隔検針付」と表示してある。検針員の方はここまで登る必要はないようだ。

11:44
山道は更に奥に続いていて、「NHK」の標識が入口に付けられている。

11:51
少し登ると今度は、NHKテレビ受信用のパラボラアンテナが現れた。アンテナの向いている方向の木が茂り、電波が弱められている。風の吹く日などはこの辺のテレビの映りは悪くなっていないかと心配になるほどだ。



NHK道からただの切り開きへ

NHK道はここで終点となり、ここから上は雑木林の中の切り開きだけだ。ここから引き返そうかなとも思ったが、もう少し登れば関電の巡視路が現れるかも知れないと思い、さらに進むことにした。

12:05
急な足場の悪い雑木林の中を木につかまりながら登って行くと、やっと緩やかになってきた。標高400m付近と思われる。

切り開きに踏み跡も現れ、境界石や杭、目印のテープも現れた。

12:20
山崎町と一宮町の境界に到着。左手(北)の下に送電線鉄塔が見え、そこへ道が下りている。町界には歩きやすそうな道が付けられているので、このまま東に進むことにする。

町界の道
倒木が少しあるが歩きやすい

12:25
左手から道が現れ、町界とほんの少しだけ一緒になり、また左に離れていった。おそらく送電線巡視路だろうが、町界も結構歩きやすいのでそのまま進む。

右手は雑木林、左手は雑木林と植林が交互に現れる、緩やかな上り下りを行くと、また急坂が現れた。坂が現れると踏み跡が不鮮明になるが、とりあえず高いほうに登れば間違いないし、テープ類も大分増えてきて、迷ううことはないだろう。

12:47
大岩を巻き、急坂を登って行くと太いマツがある分岐地点に着いた。標高470mほどの512.0m三角点の200mほど手前の地点で、登ってきた方向にははっきりした踏み跡はないが、テープは分岐地点から見えるところに付けられている。

分岐を上から見たところ
ここの分岐は難しい

ここの分岐は非常に分かりにくいが、太いマツの木の根元の平たい石が目印になる。下りるときなら左に行くと町界、右に行くと送電線鉄塔から巡視路に出る。

12:53
分岐地点から少し行くと、高いアンテナ塔が立っていて、「NTT DoCoMo NTT関西移動通信株式会社 宍粟一宮無線中継所」だ。

12:56
その先の少し高いところに、512.0m四等三角点<点名:杉ケ瀬>があるが、周りを木に囲まれ展望はなく、隣のアンテナ塔が見えるだけだ。

13:00
隣のアンテナ塔に着いた。ここは「株式会社ツーカーホン関西 宍粟一宮ベースステーション」と「J−PHON 宍粟一宮局」の共同施設になっている。

13:03
舗装道路に出た。道を少し行くと北側に路肩にスペースがあり車を止めることが出来そうだ。そこには「火の用心82」の巡視路道標があり、下に鉄塔が見える。



本日の終了点

道が北に曲がるところにゲートがあり、ここから「関西電力山崎実験センター」の敷地になる。予想以上に実験センターの敷地は広いようだ。

ゲート手前に

お願い

ここから先は研究施設がありますので、ご用のない方は入場をご遠慮願います。

関西電力山崎実験センター

左側門柱に

ご用の方はインターホンにて山崎実験センター管理棟までご連絡下さい。
(9:00〜17:30以外の時間は不在です。)
夜間連絡先:西播番変電所 0791−29−0759)
構内巡視中で不在の場合があります。しばらくして連絡して下さい。

自動ゲートに

お願い

WEBの「母栖ノ滝」に行く記事では、中まで車で入り守衛さんに断れば問題なく滝には行けるようだ。しかし、「敷地内の送電線巡視路を通らせて」というのは相手にされないないだろうし、不審者扱いされるのがおちかなと思い計画変更し、ここから引き返すことに決定。

道端でお昼ご飯を食べ、写真を撮る。


山崎実験センター正面ゲートから
正面の鉄塔は実験用です



下山は送電線巡視路

13:40
舗装道路から送電線巡視路に下りて「播磨西線82」鉄塔に着いた。巨大な鉄塔だ。展望はいいのだが目の前の鉄塔が邪魔している。それでも水剣山から黒尾山、一宮の市街がよく見える。


82鉄塔から
遠くは霞んでいる

13:53
鉄塔の敷地が広大なため、下に行く巡視路が見つからず、あきらめて舗装道路で下りようと鉄塔の入口まで登るとそこから下に行く巡視路が始まっていた。

巡視路は登ってきた尾根の北側中腹に付けられている。雑木林と植林中が交互に現れ、緩い下りの歩きやすい道になっている。植林の中はではかなり薄暗く、展望も無くつまらない道だ。小さな谷にはしっかりした鉄橋が架けられている。

植林の中の巡視路
運ぶのは重かっただろうな

14:09
ドコモの基地局西の分かりにくい分岐に登る尾根に付いた。下には鉄塔が見えている。

巡視路は鉄塔の手前で分岐し、鉄塔は行って来いになっている。巡視路を歩いている時は周りが見えずつまらないが、鉄塔に出ると大展望が広がっている。しかし、全部北向きの同じ景色であまり面白くない。実験センター方向を見るとたくさんの鉄塔が立っているのが見える。

14:28
登ってきたときの町界尾根と合流した。今度は巡視路をそのまま進む。

14:31
本日3番目の鉄塔に着いた。「播磨西線80」の紅白大鉄塔だ。

巡視路は町界尾根を行くが、尾根の傾斜が巡視路の基準を少し超えているようで、九十九になっている。歩く距離がほとんど倍になるような感じで、見えているところに行くのに、わざわざ逆方向に進み折り返すようになっている。

14:50
本日最後の鉄塔「播磨西線79」に着いた。北側の急傾斜の植林の斜面を50mも下れば国道に出るが、ここから下る道がなかなか見つからない。

緩やかな尾根をそのまま行くか、北の斜面を無理やり下るか思案していると、南側の谷に一番近い鉄塔の足付近から薄っすらと道が谷に下りているのを見つけた。

15:01
暗い谷に下りて行くと、小さな溜池が二つある。その先には獣よけの波トタンのフェンスがあり、扉を開け通過する。



巡視路の出口はお墓の奥

巡視路道標がありその先はお墓の横を通る。木ノ谷集落の中にある美国神社の鳥居の所に出た。神社は国道のすぐ横にある。

巡視路は矢印方向に入る
駐車スペースあり

送電線からかなり離れているし、何も情報が無かったら、この送電線巡視路の出入口を発見することはまず不可能だろう。

鳥居の左にお墓があり、その横に石碑が置かれている。

生野義擧 美玉三平 中島太郎兵衛 殉節地

兵庫県宍粟郡山崎町木谷段の上

文久3年平野臣生野に勤皇の兵を擧くるや美玉三平中島太郎兵衛及仝人弟黒田与一郎の3名は一早く烈士に互して之に参画国事に奔走せしも利あらずして追われ今の宍粟郡一宮町の町界近き杤原に出て更に千町福知生栖等を経て南下、此の地即ち木ノ谷字段の上までのがれ大楠(今は枯死してなし)の根方に於て美玉中島両名は力尽きて倒る。時に文久3年10月14日弟与一郎はとらわれの身となり後京都の獄舎に於て牢死す。時に慶応2年10月9日なり。
明治21年9月美玉三平を仝24年9月中島太郎兵衛黒田与一郎をそれぞれ靖国神社に合祀仰せ出されその後美玉三平中島太郎兵衛に対し従四位黒田与一郎に対し正五位を贈らる。
今同所山神社に三氏の霊を併せ祀り年々の祭祀(4月第2日曜日)をなす。別社名を美国神社と言うのも国に殉じた美徳を称える為である。
元治元年正月黒田与一郎が木ノ谷を回顧して詠める。

もののふの名はいつまでも木の谷の そのかんばしき楠の木のもと

前宮司大谷信也撰文書

15:18
ドライブインの前の駐車場所に戻り、本日の山行は終了。

車で登れば10分もかからないだろうが、歩いて登ったら2時間15分もかかってしまった。こんなところを登る人などまず考えられないが、何かの参考にはなるのではないかと思いここに記録を残す。



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