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感状山・東山(高巌)、真夏の彷徨



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平成15年8月3日(日)  メンバー 私だけ

感状山 かんじょうさん 305m
東山(高巌) ひがしやま(たかいわ) 280m程

2万5千分の1地形図「ニ木」を参照すること。


するもんじゃない真夏の里山歩き

どの山に登ろうかなとネットサーフィンをしていると、Mountain & Cyclingに「スリルと展望の岩場その2 高巖山」という山行記録を見つけた。相生市の感状山に登ると東側に見え、尾根筋に続く巨大な岩場が印象的な山だ。

感状山に登った後日、どこから高巌山に登ろうかと研究していると、兵庫の山々 山頂の岩石に山行記録が発表され、とんび岩通信にも記録があることが分かった。出鼻をくじかれた感じで少し期間を置いてから登ろうと思い「必ず登る山リスト」に加えるにとどまっていた。

しかし、今回のMountain & Cyclingの記録には『この山域のHPは、「播州野歩記」「兵庫の山」「山頂の岩石」「とんび岩通信」で紹介されています。』という一文がある。感状山の記録は出しているが高巌山のことには全く触れていない。これはまずい。至急に高巌山に登り山行記録を発表しなければと思い、今回登ってきた。

登山経路は、Mountain & Cyclingの記録の最後に出てくるお勧めルートの逆回り『感状山、北への縦走路、きんちゃく岩、巡視路で東に下り、能下から峠に、大岩ピークに登り、磐座神社に下山』にした。

しかし真夏の暑さと近年の著しい記憶力の減衰との相乗効果により、登山経路の記憶が薄れ一部は消滅し、かなり悲惨な山行となってしまった。


感状山は南の八柱神社から

前回、感状山に登ったときは、西側の「羅漢の里」から遊歩道の階段を尾根まで登ったので、今回は感状山から南に延びる尾根の端にある「八柱神社」から登ることにした。

8:03
播磨科学公園都市から県道44号線を南下し三濃山トンネルを抜け矢野町に入ると「感状山城跡」の案内標識がある。そこを西に入り表示に従って「八柱神社」に到着。

八柱神社の手前に公民館(公衆トイレもあります)があり、その先の小橋を渡り神社境内まで車を入れることが出来る。

石垣の上の八柱神社
境内の西側はは木陰になる

八柱神社 御表示

鎮座地 相生市矢野町瓜生字羅漢口東山571−7番地
祭神 国挟槌命他七柱神故エ八柱神社ト称ス、(男神五柱、女神3柱)以前ハ若一八王子神社、又、八王子神社ト云ヘリ、
由緒傅云フ神代ニ天津神ノ天降リ給ヒシ所、又、国津神ノ住ミ給ヒシ旧蹟ト、サレバ瓜生ハ化生ノ訛音ト見ラルカ、往昔王子山ニ在リ中途村内ニ移シ幾年月ヲ経、社殿破損明治三十年十月ニ再ビ王子山ノ現地ヘ遷宮奉斉又明治四十一年三月各字ニ在リシ荒神社十二ノ境内二社ニ合祀鎮座ス、昭和二十七年八月宗教法人と為る。

昭和二十二年十月宮司小林久之助謹記

8:11
石段の上の神社にお参りし登山開始。登山道は神社石垣の下の右手より始まっていて、よく歩かれている道が感状山に続く尾根の東側中腹の雑木林の中に付けられている。

尾根に登る踏み跡もあるが、緩やかな中腹の道を行けば自然と尾根に着くことが出来る。気温は28度程でさほど暑くはない。

尾根の中腹を行く道
雑木林の中を行く

8:27
中腹の道は尾根道と合流した。尾根道も同様によく整備された道で気持ちよく登ることが出来る。羅漢の里からの階段遊歩道よりも百倍はいいと思う。長かった梅雨が開け耳が痛くなるほどにセミが鳴いている。

快適な尾根道
今日はほとんどが雑木林の中の道だ

8:38
羅漢の里からの階段道とすれ違う。案内標識によると階段道を行くと「物見岩」から感状山城跡へ、尾根道をそのまま行けば尾根の東側にある「大手門跡」から城跡に行けるようだ。今回はまだ行ったことがない大手門を経由して城跡に行こうと思う。

8:46
大手門跡に着いたが崩れかけた石垣と井戸の跡があるだけで少しがっかりした。しかし尾根に近いところなのに人が二人ほどゆったり浸かれるぐらいの広さの井戸跡には水が溜まっている。感状山が造られた700年ほど前から水をたたえてきたのだろうか。

大手門跡近くの「井戸跡」
大手門の側に井戸があるのは少しおかしい気もするが

9:01
大手門跡から平らな曲輪跡の尾根に登り、さらに岩場の道を登ると感状山の頂上に着いた。時間が早いせいか誰もいない。

夏の日差しはきつく木陰で一休みする。頂上からは東山(高巌のある山を東山と呼ぶようだ)が見えるが逆光なので岩場があまりはっきり見えず迫力に少々欠ける。

感状山頂上の城跡
真平らになっている


彷徨その1

9:17
感状山頂上を後にし、339.3m三角点ピークを目指し北に続く尾根に入る。最初は少し急な下りでその後は緩やかな登りとなる。感状山までの良い道とは違い、足元のシダが道まではみ出ている。歩きにくいことは無いが周りは雑木の林で見通しは効かない。

感状山北のシダ道
シダが少しうるさい

9:40
「火の用心」の関電巡視路表示が立っている分岐についた。左は西播線55、右に行くと54だ。54の鉄塔の先の尾根の先端には玉子の形にそっくりな「キンチャク岩」があるという。

9:46
キンチャク岩に行く前に三角点標石を探しに分岐を左に行くと、三角点標石は見つからずに下りになり、西播線55に出てしまった。

気温は30度を超し日差しも強く、頭がぼんやりしてきたのだろう。「鉄塔の先のシダの尾根にはキンチャク岩がある」という言葉が頭に浮かんできた。手前の分岐地点では、右の54の先にキンチャク岩があると正しい判断を下していたのにどうしたことだろうか、尾根でもないただの斜面のシダを掻き分け下り始めてしまった。

あるわけもないキンチャク岩を探して胸までのシダと雑木の激籔を泳いでいると、どうしたわけか木に赤紐が結わえてある。その先の木にも赤紐があり、これを行けばいいんだと思いさらに突き進む。

しかし行く手に突破が困難なシダ雑木籔が現れてそれ以上進めなくなってしまった。どうしようかなと地形図を出してぼんやりと見ていると、突然分かってしまった。「間違えた」と。

鉄塔まで登り返そうかなと少し思ったが、右手方向の籔が薄くなっている。その方向に進めば339.3m三角点から北東方向の谷筋に出会うだろうと考えた。

10:16
急斜面を木々につかまりながら南方向に水平に進んでいくと、無事谷筋に出ることが出来た。30分ほどの籔の中の彷徨だったが長く感じた。谷には薄いが踏み跡もありこれで下界に下りることが出来るだろう。

10:29
結構急な足場の悪い谷を下りていくと次第に緩やかになり、植林の中に入っていく。すると暗い植林の中にお墓が3基並んでいる。大正2年の銘が入った古いもので近年お参りに来た様子は全くない忘れ去られたお墓のようだ。

10:39
古いお墓からさらに下りると西からの谷と合流し(合流地点には石垣の雛壇があり墓石は無いがここも昔はお墓だったのだろう)やっと県道まで下りることが出来た。

県道のカーブ9の地点で、東の能下集落の北入口のすぐ近くだ。


東山の高巌へ

10:53
しばらく県道脇の墓地横で休憩し、能下の集落へ向う。県道の道端には信楽焼きのタヌキの焼物があり「みちしるべ 狸塚」と命名されている。どうもこのタヌキに化かされたようだ。

11:00
能下集落南の破線道を行くと八幡神社がありその前から峠に行く登り道が始まっている。神社前に少しスペースがあるので車を止めることも出来るだろう。

能下の八幡神社
本日2番目の神社

車も登れそうな峠道を行くと西側の山にキンチャク岩が見えてきた。正に玉子そのものの形をしているおかしな岩だ。岩のでこぼこがまるで笑っているように見え「悔しかったらまたおいで」と言っているようだ。

11:12
広い道は給水施設までで、その上からは狭くなるが、いい道が続き峠に到着。北に向うはっきりした道があり、そこには「火の用心」の標識もある。しかし南の高巌側は低いが切り通しになっていて明確な道はない。

峠道が下りになるところまで進むと、右手に薄い踏み跡が雑木林の中に続いている。「そうかこれか」と思い入っていくと、確かに踏み跡は続いていてゴミも落ちているのだが、道の両側から雑木の枝が出ていてうるさい。

しばらく行くとまわりの様子が見え、西側近くに尾根が見える。感状山の尾根とは違うことは一目瞭然で、本当なら今頃歩いていなければならない尾根だということが一瞬にして分かってしまった。峠まで引き返すことにした。

11:30
峠に引き返し「火の用心」標識のところで南に上がってみると、いい道が南に続いていた。切り開きも広く下草もない雑木林の中の快適な道だ。

峠から高巌に向う山道
ここもいい道だ

11:50
東山の稜線上にある一番北の岩塔、高巌に着いた。北から見るとそれほどの岩に見えないが、よじ登り岩上に出ると見事な展望が広がっている。ザックを下に置いてきたので、一旦下りて高巌にもたれかかりながら昼食を取る。

12:47
のんびりと休憩を取った後、さらに南に向け出発する。高巌は東に巻くことができる。南側の平たい岩場から見た高巌は絶対登れないように見える。


南から見た高巌
すごい岩場に見える

13:06
高巌の南からは少し道が悪くなり左右から飛び出している枝が気になる。しばらく行くと278.1m三角点標石(点名:東山)に着いた。三角点の南に行くと絶壁になっていて非常に高度感のあるポイントだ。

278.1m三角点のすぐ南の絶壁
あと30cm先まで足が出ない

三角点から少し北に戻り絶壁を東に巻き、さらに南に尾根を進む。足元にシダが茂っているが明白な踏み跡があり、そんなに歩きにくいことはない。

南東に続く尾根道
情緒のある道だ

13:47
尾根が西から南に向きを変えると、およそ標高250mほどの岩場の上に出た。天狗岳の頂上で、下から見ると巨大な岩なのだが上からは全容が見えずそれほどではない。気温は32度を超し疲れもあるし、あまり端まで行きたくないので記念撮影もしなかった。

天狗岳頂上から南の展望
すごい高度感がある


彷徨その2

ここからの下山路だが、ネットの山行記録を思い出そうとするが、まるっきり思い出せない。暑さと疲れと加齢との複雑な神秘的な相互作用により記憶が消えてしまったのだろうか。せめて地形図に赤線でも引いておけばよかったと深く後悔する。

天狗岳ピークから少し北に戻り、西側の非常に急な斜面へ偵察に行くと驚いたことに踏み跡があり、九十九に道が付けられた跡がくっきりと残っている。九十九の獣道など見たことがないので、これで麓まで下りることが出来るだろう。

昔はいい道だったのだろうが今は痕跡だけになり、木々につかまりながら下りていく。時々枯れた幹をつかみ危うく滑り落ちそうになるが、かろうじて踏み止まること数度。

途中極めて急傾斜になり木にぶら下がるように下りていく。本当にこのまま下りられるのだろうか思うが、道の痕跡は続いている。

14:29
ようやく麓まで下りることが出来たが獣よけの網と石垣が行く手を塞いでいる。石垣の低いところを探して越すと、今度は猛烈な竹薮の中に入ってしまった。

14:33
竹薮をようやく抜けると今度は獣よけの電撃柵と網が行く手にある。電撃柵はまたげるほどの低さだが、網が近くに張ってあり絡まりながらもようやく通過する。その先は農道で水田が広がっていた。

14:37
農道を行くと下山の目的地だった磐座神社が見えてきた。神社で汗をぬぐい休憩するが、水が一滴も残ってなく軽い脱水症状になっているような感じだ。

磐座神社のコヤスノキ叢林(相生市矢野町森)

兵庫県指定天然記念物(昭和58年3月)

このコヤスノキは、トベラ科の常緑低木です。葉は長いだ円形で光沢があり、小枝の先に集まってついています。5月ごろ新枝の先に淡黄色の花をつけ、秋には直径1cmばかりの球形の果実をつけます。
コヤスノキは、中国地方中部、岡山県東部と西播地方に限って分布し、相生市では、磐座神社・瓜生羅漢渓など、谷沿いの照葉樹林内に、チトセカズラとともに広く生育しています。
中でも、この磐座神社の杜のコヤスノキは、みごとに群生している珍しいものです。

相生市教育委員会

磐座神社
本日3番目の神社だ

15:03
磐座神社を後にし出発地点の八柱神社に帰らなくてはいけないのだが、途中の県道には飲み物の自販機はない。

15:25
フラフラになりながら、ようやく八柱神社に帰還。神社の手前にある公民館の外の流しで頭から水を浴び、がぶがぶと水を飲みようやく人ごごちつけた。

この前登った富士山よりも、関西の真夏の里山歩きのほうが17倍ほどしんどいと思う。真夏の里山歩きは早朝登山に限ると思い知った山行だった。



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