姫路市大回り、その1(日笠山)
スポンサード リンク
平成15年8月31日(日) メンバー 私だけ
日笠山 | ひがさやま | 62.2m |
2万5千分の1地形図「加古川」を参照すること。
姫路市大回り
8月も終わろうとしているのに、まだまだ暑さが続き山行へのモチベーションが低下したままで、どこに行くかも定まらない。そこで自動的に登る山が決まるような目標はないかと考えてみた。
徹夜で寝ながら考えたら、姫路市の外周を市界に沿って回るという大計画を思いついた。
これまでに誰か実行し完歩した人はいるのだろうか。いや必ずいるはずだ。それなら実行可能なはずだ。というかなりいい加減な三段論法も頭に浮かんできた。
回る向きは反時計回り、出発地点を姫路市と高砂市の間を流れる天川の河口の突堤とすることに決定。
天川河口の突堤
11:26
山陽電車、大塩駅から歩き始める。改札口近くに「大塩周辺ハイキングマップ」があり、今日登る予定の日笠山も載っている。
駅から南に姫路シーサイドゴルフ場方向に向かい天川河口の突堤を目指す。
12:03
突堤の先端に到着。13人ほどの釣り人がいて、一人が小ぶりな蛸を釣り上げていた。今は蛸の時期なのだろうか。茹でたら美味しそうだ。突堤先端には青燈が立っている。
![]() | |
産業廃棄物の積替え・保管場所、下水処理場(大的析水苑)、姫路シーサイドゴルフ場を左手に見ながら天川のコンクリート護岸を北上する。天川の高砂市側はプレジャーボートの係留場になっているが、姫路市側には1隻も泊められていない。
天川が少し東に向きを変えるところに大きな水門があり、そこはプレジャーボートの保管場(播磨マリーナ)になっている。大きいのから小さいのまでたくさんの船が陸に上げられ並べられている。1隻ほしいが保管料だけでも高いのだろうな。
![]() | |
日笠山へ
12:40
山陽電車の踏み切りを渡り国道250号線に出る。踏み切りから東に数十m行くと市界になり、真北に登ることが出来れば日笠山の頂上なのだが、登れそうなところはない。
地形図の日笠山西側の破線道を探しに国道から住宅地の中の道に入る。破線道の手前、アパートの横の路地の先に「大塩ハイキングコース」の立派な道標があり擬木の階段道が山中に延びている。ただし草が思いっきり茂り、道を完全に隠しているが何とか登れそうな雰囲気だ。破線道よりも市界に近いのでここから登ることにする。
![]() | |
草が茂り道が全く見えないが、私ならここに道を付けるだろうなと思うところを行くと、足元に擬木の階段がある。
![]() | |
12:52
途中から道を見失うが、上に携帯の基地局のアンテナ塔が見えてきた。草原の中を適当に登って行くと、無事狭い車道に出ることが出来た。
車道を登って行くと携帯の基地局が二つ並んであり(株式会社ツーカーホン関西 姫路大塩ベースステーションとauKDDI大塩基地局)その横から破線道に相当する遊歩道が上って来ている。草も茂っていない極普通の遊歩道で、車道に合流する手前には東屋も作られている。
12:59
道端に公衆トイレがある。周りは夏草が茂っているがペーパーも完備され、手洗いの水道も使える、きれいに清掃されたものだ。その横に日笠山の解説板がある。難解で古典と歴史のかなりの知識を持っていないと理解は出来ない解説分だ。(文中の○二つは読み取れませんでした)
日笠山(沿革)
(一)、日笠山貝塚
日笠山の東山麓に位置する貝塚で調査時には40m×10mの範囲に貝塚が広がっていた。1963年より三次にわたる発掘調査が実施され縄文時代の前期と晩期にかけ、およそ4000年の間に形成された貝塚であることが判明した。貝塚から縄文土器、石器類と共にイノシシ、ニホンジカなどの獣骨、その他魚骨、貝類が発掘された。第一次調査では晩期に属する屈葬の人骨一体が検出された。(この出土遺物は市教育センターで保管展示されている)(ニ)、舎人媛御陵(日笠山一号墳)
昔から舎人媛御陵と云い伝えられ墓標も建てられていました。日本書紀推古11年の条に※「舎人姫王○於赤石仍葬干赤石檜笠岡上」との記載があります。このことから故亀田次郎(曽根町出身国文学者)が「舎人姫檜笠岡御墓考」で詳細に謹逑されています。墳丘が工事等により削られているため、規模は明確ではありませんが、竪穴式石室を持つ前方後円墳であります。(三)、萬葉集、第七巻○旅の項の中に
印南野 往過奴良之天傅 檜笠浦波立見(四)、菅公伝説
道真西遷の途次、日笠山に登られ「我に罪なくば栄よ」と小松を引いて植えられたのが初代の曽根の松だと云い伝えられています。その際にお座りになった腰掛岩があったと今に伝わっています。(五)、夫婦岩
日笠山の北方字北山にニ箇の巨岩があり、夫婦岩と呼ばれています。古墳とか、古代信仰の巨岩だある等、諸説があります。この付近では、弥生時代の遺物も採集されており、古くから開けていた場所であったと考えられます。(六)、黒岩磨崖仏(市指定文化財)
黒岩と呼ばれる磨崖仏なので、黒岩十三仏とも云われています。長方形二段に分れ、上段五仏、下段八仏を浮彫されています。永世2年(1574年)の年号が刻まれているところから、室町中期の作であることが判ります。又、時光寺の開山、時光上人がこの黒岩で、百日座禅を組み、海中から阿弥陀如来像を得た、喜ばれた上人が名号を称念しながらこの仏を刻まれたとも伝えらえています。傍に住吉の社を置けりと「巡筧図會」に記されています。(七)、日笠山を詠
堀川百首
天つたふ時雨に袖もぬれにけり
ひかさのうらをさしてきつれど
日笠夕照
日笠雲収風力輕 晴潮涵影晩潮平
夕陽雖好未明罪 唯表丹心一片誠
曽根小唄
一、曽根は東に大塩は西に、中をつなぐは日笠山 野口雨情
一、ぼたん桜の花さへ咲いて、春の日永は日笠山 野口雨情
日笠山の風光明媚は広く知れわたり。古代から多くの文人、歌人が集った。最近も野路菊の咲く頃、俳句の吟行が多く持たれています。(八)、桜の名所
日笠山のぼたん桜は有名であり、夜おそくまで観客が絶えなかった。戦時中開墾されて多くが芋畑となり一時さびれたが30年前曽根商工会が行った桜の苗木を植えろ運動の展開により日笠山の桜名所が復活した。高砂市 高砂市観光協会
13:01
標高62.2m日笠山頂上に到着。頂上には四等三角点(点名:日笠山)があり、遊具のある児童公園となっている。車道は頂上まで続いていて、公園内に小型ダンプが止まっている。運転手はドアを開け放しお昼寝中だ。気温は32度ほどで、風は弱く蒸し暑く、薮蚊が飛んでいる。
頂上にある腰掛岩は柵に囲まれ、木に囲まれおまけに夏草が思いっきり茂りよく見えない。近くにあるベンチで遅めの昼食をとる。
![]() | |
腰掛岩
菅公西遷の途次当地に立寄られこの岩にお休みになって四方を眺め「我に罪なくば栄よ」と小松を植えられた。それが曽根天満宮の霊松、曽根の松であると伝えられている。万葉集には、
印南野は往き過ぎぬらし天つたう
日笠の浦に波立てり見ゆ
と歌われ往時海は入江をつくり美しい景観をみせていた。高砂市 高砂市観光協会
日笠山頂上の周囲は木が茂り展望はよくない。昔は入江が山裾まで入り込んで素晴らしい景色だったのだろう。
![]() | |
日笠山縦走路
13:40
頂上から北に延びる山道があり、「全山縦走ハイキングコース 高砂市」の道標がある。ここから日笠山を縦走、一旦下界に下り、北の高御位山を縦走するのが高砂市の全山縦走なのだろうか。
入口付近は夏草が茂り地面を隠しているが、その先は竹林や雑木林に挟まれたよく歩かれている道が続いている。少々薮蚊が多いがブヨに比べたらかわいいものだ。
![]() | |
13:48
北山(大塩駅前のハイキングマップより)の夫婦岩に着いた。林の中の草地に大岩が二つ鎮座している。予想していたよりも二つの岩は離れていて、ちょっと意外だった。昔はここからの展望も良かったのか「夫婦岩より市内展望」と題した朽ち果てた展望図が地面に転がっている。今は林に囲まれ展望はない。
![]() | |
夫婦岩のある北山までは比較的緩やかだったが、ここからは結構起伏があり険しい道が続く。次ぎの92mピークは大北山(これも大塩駅のハイキングマップより)で時々樹間から周りの景色が垣間見られるぐらいで、眺めはよくない。
14:03
大北山からの急坂を下り馬坂峠に着いた。南からの道は舗装してあり北側は地道になっていて、軽自動車ならば峠越えを出来そうだ。峠の西側には手摺付きの階段道があり道標もある。西は「牛谷まで20分」東は「日笠山まで25分」南北は「大塩方面、牛谷方面」となっている。
![]() | |
ここまでの道と比べ、西側の道は両側の草が刈られよく整備されている。峠からの登りは「つりがね坂」と名付けられている。坂を登りきると手作りのベンチのある休憩所となっている。この先もたくさんの休憩所があり展望の良いところも多く、北の高御位山山系がよく見える。
送電線鉄塔(飾磨港加古川線三七)の横を過ぎると「竹林坂」、次は「花門坂」。「あざみ峠」を越え「出合峠ベンチ」の休憩場。この休憩所からは南から西方向の展望が広がっている。瀬戸内海や麻生富士が空気が澄んでいればよく見えるだろう。残念ながら今日は大分霞んでいる。