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姫路市大回り、その3(高山)



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平成15年9月14(日)  メンバー 私だけ

高山 たかやま 298.3m

2万5千分の1地形図「加古川」、「笠原」を参照すること。


姫路市大回り

姫路市大回りも第3回目を迎え、本日は姫路市と加古川市の境界に位置する「高山」という名の低山に登ってきた。インターネットで調べると平成13年大晦日山行の「山と自転車」、「山であそぼっ」の記録しかない。

東の大藤山との間の峠から途中まで送電線巡視路を使い、その後は古い踏み跡を辿り高山頂上に達し、さらに猛烈な籔を漕いでさらに西に進んだという猛烈な記録があるだけだ。

猛烈な籔は困るし、ピストンでは面白くないので、南の桶居山近くから見えた送電線巡視路を最初だけ使うことにした。県道65号線と送電線2本が交わるところから北に破線道が延びその先は溜池になっている。

その破線道の途中から西側の尾根に送電線巡視路が登っているのが見え、送電線鉄塔までは延びているのを確認できた。その後は高い方へ、高い方へと登れば高山頂上に達するはずだ。

結果として高山頂上に達することができたが、はっきり言って登山に適した経路ではなかった。酷い籔が待ち構えていた。


夕陽ケ丘バス停から出発

7:43
姫路駅前から夕陽ケ丘行きの始発のバスに乗り、終点の夕陽ケ丘に到着。乗客は私ともう一人だけで終点まで行ったのは私だけだ。天気は快晴今日も暑い一日となりそうだ。

8:12
1週間前に桶居山の西の谷から下山した農業倉庫?前を通る。1週間前は稲穂が風に揺れていたが、今は刈り入れが済み刈り株が残るのみだ。

8:14
その先、道路北側に入口に鎖が張ってある荒れた道が北に延びている。これが山中にある溜池に登る破線道だ。

30mほど入ると、大き目の「火の用心」標識があり「姫一火力線39」と書かれている。

送電線巡視路に入る
ここまでは順調

送電線巡視路に付き物のプラ階段を登り尾根に出る。非常にいい道で右下には溜池が見え周囲は緑の山々に囲まれている。上を見ると2系統の送電線が空を横切っている。

送電線鉄塔までもう少しだ
これが高山頂上まで続けばな

8:37
「姫一火力線三九」送電線鉄塔に到着。西を見ると姫路市街が、姫路城も小さく見える。残念ながら巡視路はこの鉄塔までで、ここから上は完全な籔になっている。

39鉄塔から姫路市街を見る
天気はいいし、見晴らしもいい


劇籔に突入

ここから高山頂上までは傾斜も比較的緩いし、合流する尾根は何本かあるが高い方に登っていけばいいので、籔に突入することにする。

いきなりの雑木籔の先は、シダ籔が続く。籔の薄い部分には踏み跡もあり、過去にここを通った人たちがいるように見える。しかし、テープ類は全くない。

非常に濃い籔を抜け歩きやすいところに出るとほっとするが、またその先にはそれ以上の籔が待ち構えている。尾根筋には潅木と雑木とシダの籔で、それを迂回しようと尾根を外すと急傾斜の上、背丈が頭ぐらいまであるシダ籔、その中にはイバラも隠されている。何とか尾根中央まで戻ろうとするが行き場を失うことしばしば。

籔の少しでも薄いところを探し試行錯誤しながら籔の中を進んでいく。今回はこういう籔を予想して刃渡り165mmの鉈を持ってきたが、体にまとわり付くイバラやつる性の植物を切るのに非常に役に立った。ただかなり重い(鞘込みで600gほど)のが欠点だ。

セルフタイマーの10秒ではカメラから離れることが困難だったため、籔の中では写真を撮ることもできなかった。

10:12
籔を漕ぐこと1時間半、尾根が東に向きを変え、ようやく普通の雑木だけの籔になった。鉄塔からここまでの約800m、分速10m以下。どうにか高山頂上までたどり着けそうだ。

10:48
雑木籔を登って行くと木に赤テープが巻いてあるのを発見。どうやら姫路市と加古川市の境界尾根に達したようだ。しっかりした踏み跡が現れ境界石も現れた。

10:55
高山頂上に到着。頂上には登ってきた道以外には踏み後はなさそうだ。周囲を雑木に囲まれ展望はない。近くの木に航空測量用の対空標識が縛りつけあり、「九十士の会(加古川:山歩きの会」のプレートが1枚だけ下がっている。

籔に囲まれた高山頂上
ちょっとがっかり


下山も大変

11:24
高山頂上を後にし下山開始。下山は境界尾根を東に進み、途中の260mほどのピークから南に送電線鉄塔を目指すことにする。

しかし下山中にデジカメががないことに気が付いた。1時間ほど探して諦めようとしたとき見つかったのだが、なくした事に気が付いた場所のすぐ近くに落ちていた。

12:46
鞍部手前から目標とする送電線鉄塔から西の谷に下る巡視路が見える。鉄塔まで行ければ下山できそうだ。境界尾根の道は頂上近くでははっきりとした道になっていたが、下るにしたがって不鮮明になり雑木籔も現れた。それでも地面が全く見えないシダ籔よりもはるかに歩きやすい。

13:04
260mほどのピーク手前の斜面で昼食をとる。

昼食後、南に下るのだからピークまで登らなくても巻いて行けばいいんじゃないかと思い、実行するが逆に猛烈な籔に突入することとなり余計に時間が掛かってしまった。

どうにかこうにか鉄塔へに尾根にのるが、ここも雑木籔がかなり酷い。しかし、赤テープが時々現れ元気付けられる。


送電線巡視路に再会

13:55
鉄塔まで1分のところで、巡視路に出会う。これで下界に下りられることが確定しほっとする。しかし下りてきた踏み跡は薄くここからは登りたくないと思う。

13:56
「姫一火力線42」に着いた。鉄塔からは展望が開けていて下りてきた高山が見えるが、もう二度と登ることはないと確信した。明日登ろうかと思う法華山一乗寺の西北にあるアンテナ塔のある山がよく見える。

過去の記録では、この鉄塔に東の尾根から来たようだが踏み跡も確認できなかったので、確実な西の谷に下る巡視路を使うことにする。

42から北東方向
もう下界に下りたのも同じだ

14:20
長い休憩後、下山を再開。ここまでの道が最悪だったので、巡視路がアスファルト舗装の道に思えるくらいだ。


下山地点は登山口の東の溜池

14:47
溜池の堰堤まで下山する。県道を走る車の音も聞こえてくるなか、靴や背中に入ったゴミを落とす。

15:05
県道の出口にはフェンスがあり車は入れないが、逆にそこがいい駐車場所になりそうだ。フェンスの横にコンクリートブロック製の祠がありお地蔵様が祀られている。横に解説板がある。

腹切り地蔵

この石地蔵は、竜山石に彫ったもので、(製作年代は不明)胴体があたかも切腹したように割れています。
腹切りの名の由来について地元に二つに話が伝えられていますが、二つの話とも、天正8年(1580年)の三木城落城にまつわるもので三木城にかかわる一人の武士がこの地で切腹して果てたのだというのである。
村の人がそのあとに、石の地蔵を建てて武士の菩提を弔ったが不思議なことに、この地蔵さんがいつの間にか腹部のあたりから二つに割れてしまったのです。
この地蔵さんは、どんな願いでも一つだけはかなえてくださるといわれている。
前に並んでいる小さな石仏は願いのかなった人がお礼のために寄進したものである。

昭和62年3月 加古川市教育委員会

腹切り地蔵
涎掛けでお腹は見えない

お腹は涎掛けに隠され見えない。お地蔵さんの祠の横には小さな池があり、夜遅かったら不気味な雰囲気の場所だ。


帰りは東の峠へ

ここから、今日の出発地の夕陽ケ丘のバス停に戻ってしまっては、姫路市大回りが続かないので東の大藤山との間の峠を越えて山陽自動車道まで出て本日の姫路市大回りを終了することにする。

15:36
峠南側の溜池に着いた。比較的いい道が峠に延びている。

15:53
峠には火の用心の巡視路標識があり、ここから「姫一42」に行けるようだ。ここに下りてきたら大分時間を節約できただろう。峠からは姫一42以外の鉄塔にも行けるようで標識がかなり錯綜している。手に入るならば関電の送電線鉄塔と巡視路の地図が欲しいと最近痛切に思うようになってきた。

地形図によれば峠からは飾東町大釜にほとんど真っすぐに破線道が続いているが、私の見た限りでは途中に分岐がないのに東側斜面を登って行く。どうやら古道が消えて、関電巡視路だけが残ったようだ。

それを確かめるため、谷筋にあるであろう古道を探しに再び籔に突入してしまった。今度は雑木と笹とイバラの籔で高山のと比べても勝るとも劣らないすさまじいものだった。

16:57
30分ほど籔と格闘し小川の西側に踏み跡を発見した。踏み跡は溜め池の手前で太い道と合流している。合流した太い道の南側は壊れかけた木橋を渡るとなんと籔の中に消えている。どうやら北からの破線道は溜池まででその先は廃道になったようだ。

17:09
二つ並んだ南側の「南谷上池」の堰堤に着き、再び靴や背中に入ったゴミを払う。溜池からは舗装道路が始まり少し行くとセンターラインの入った2車線の道となった。稲刈り後のコンバインが道路をゆっくり走っている。

18:01
飾東町大釜新集落の西の「大釜口」のバス停にようやくたどり着いた。長い一日だった。

本日の結論は高山に登るのだったら、籔が弱まる冬場に東の峠か南の入口に腹切り地蔵のある溜池から登るのがいいと思うが、あまり高山は登山に適した山ではないことは確かだ。



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