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姫路市大回り、その6(市川と甲山)



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平成15年9月23日(火)  メンバー 私だけ

甲山 かぶとやま 109.0m

2万5千分の1地形図「北条」、「笠原」、「前之庄」、「姫路北部」を参照すること。


姫路市大回り

姫路市大回り6回目。今回は山らしい山もない区間で、香寺町と姫路市の境界を流れる市川沿いを下り、途中にある標高109mの甲山にも登ってみた。

甲山西側に市川から取水し、姫路市・加西市・夢前町・市川町・福崎町・香寺町・太子町に給水している兵庫県企業庁の船津浄水場と姫路市水道局甲山浄水場がある。その取水口の原水の状況もつぶさに観察してきた。


船津町の正八幡神社から出発

9:13
姫路駅前から江鮒経由福崎車庫行き始発のバスに乗り、JR播但線溝口駅から市川を渡り東に300m程行ったところにある宮脇口バス停で下車する。前回に帰りのバスに乗ったバス停だ。

とりあえず、北の市川沿いにある「正八幡神社」に行ってみることにする。

正八幡神社
きれいに掃き清めてある

9:18
南から石の鳥居を二つくぐり境内に入ると、氏子の人たちが草刈をしている。予想外に広い神社で、境内もきれいに掃き清めてあり歩き回るのがためらわれるほどだ。

正八幡神社
祭神 比淘蜷_・応神天皇・神功皇后

天平17年(745)もしくは貞観18年(875)の創建とされる古社。平安期末期頃(12世紀後半)には船津郷の鎮守となり、その後、神宮寺もできたらしい。天正期(1573〜92)船津郷と的部北条郷十二か村の惣氏神に発展した。現在の社殿は明治22年(1889)に再建されたもので、それまでの社殿は西向きであった。神社には、鎌倉期の神像3体や鬼面、室町以降の棟札十数枚、江戸期の鬼面や多数の絵馬などが残されており、境内には5本の保存樹がある。また、毎年10月10日の祭礼には、6基の屋台が集まり、龍王舞(じょまいじょ)と獅子舞が奉納される。

龍王舞(じょまいじょ)
(姫路市指定重要無形民族文化財・平成2年11月27日指定)

この舞は、天孫降臨の神話で道案内をつとめた猿田彦命が悪霊を打ち払う様子を模したといわれ、矛で四方を祓い清めるので浄舞(じょまい)ともいう400年以上の伝統をもつ舞で、姫路市内では唯一のものである。

平成8年10月 姫路市教育委員会

9:29
市川に架かる中津橋の南から「ふれあいの郷 船津公園」が始まる。老人ホームや野球もできるグランド、草が茂ったテニスコートと市川の間に桜並木の遊歩道があり川岸近くを歩くことができる。

出来た時はきれいな明るい公園だったのだろうが、年月が経つうちに古色がつき侘び寂びの世界に入ろうとしている公園だ。

この付近の市川は川岸には雑草が茂り護岸を歩くことができない。もう少し整備し川に親しめるようになればいいなと思う。

船津公園散策路
春は桜がきれいだろうな

9:56
船津公園から出ると、市川から少し離れた車道を歩くことになる。川岸に向う道があり、行ってみるが岸辺には草が茂り歩くことはできない。こんなところで籔漕ぎの特訓をしても始まらないのでおとなしく車道に戻る。稲刈りの済んだ田ではカラスが落穂拾いをしている。カラスが落穂を食べるとは始めて知った。

落穂拾いをするカラス
向うの山は「畑山」

10:09
大礼橋北側の竹薮の中に鳥居が立っている。何があるんだろうと下りて見い行くと、藪の中に「昭龍」と書かれた紙と鏡が祀られたお狐様の小さな祠があった。川の神様を祀っているのだろうか。

籔の中の鳥居
歩くと色々発見がある


甲山登山

10:27
甲山近くからは川岸に近いところを歩けるが、岸辺の道というわけではない。南に甲山の丸い山容が見えるが、空が暗くなり雨が降りそうだ。

北から見た甲山
あまり高い山ではない

10:35
水道水を西岸に渡す「兵庫県企業庁 香寺水道橋」が市川に架かっている。上部を人が通れるように作られているが、残念ながら立入禁止になっている。

香寺水道橋
渡ってみたいな

10;37
船津浄水場の取水口がある。ここで初めて市川の水に触れられるようになるが、予想外に透明度は低くとてもきれいな水とはいえず、水面には極薄いが油膜もある。この水を浄化したのを毎日飲んでいるかと思うと、もっと市川をきれいにしなければならないと思わずにはいられない。

水道原水取水口
一度見る価値はあると思う

11:09
姫路市水道局浄水場を回り、甲山の南側から急な舗装道路を登り大きな鳥居の下に着いた。

甲八幡神社の大鳥居
遠くからも見える

甲八幡神社の歴史は古く、本日の出発地点の正八幡神社と殆んど同じ頃からあるようだ。手水鉢には「手水のつかいかた」の説明がある。

  1. まず 左手を 洗います。
  2. 次に 右手を 洗います。
  3. おわりに 左手に 水をうけて 口を そそぎます。

手水のつかい方にこのような作法があるとは。覚えておこう。

甲八幡神社

当社が鎮座する甲山は「播磨国風土記」神前の郡に記載される「冑山」に比定される。伝承では貞観元年(859)・甲山の山上に八幡宮が創建されたという。旧郷社で祭神は主神の品陀別宮と息長足比女尊・比淘蜷_の三座である。摂社として大神宮社・竈神社・稲荷神社・藤原神社・市杵島神社・天神社・豊富命社の七社がある。
平安時代末期の後白河院政の時代に北は船津町・福崎町八千草から南は砥堀にかけての地域に陰山荘という荘園が成立したと推定されており、当社はこの蔭山荘の総氏宮の位置にあったと考えられる。
関ケ原の戦いの後、姫路に入封した池田輝政は当社に社領を寄進したといわれ、幕末まで社領が継承された。輝政以後の歴代の姫路城主からも祟敬をうけ、例祭には城主から幣帛を供えて祈願があった。現在、例祭には江戸時代以来の「仁色の長持ち道中」や「金竹の獅子舞(梯子獅子)」奉納などの特色ある行事がみられる。
社殿は明治27年(1894)に焼失したが同34年に再建されたもの。遺品として鎌倉時代の製作と推定される石造鬼瓦ニ面と南北朝時代末期に大徳寺第十五世住持となった大器の筆になる「八幡宮」の扁額が伝存している。また境内には明和3年(1766)の手洗石・安永元年(1772)の灯籠・文政7年(1824)の狛犬・慶応3年(1867)の灯籠がある。

平成13年2月 姫路市教育委員会

甲八幡神社拝殿
車で上がれます

三等三角点が社殿の北にあるはずだが、そこは姫路市水道局の敷地でフェンスで囲まれていて入れない。どこかに隙間がないかと蜘蛛の巣を払いながら、時計回りにフェンス際を行くがどこからも入れない。

フェンスの東側に回ると下から石段が上がって来ている。地形図にも記載されている石段で、神社に関係があるのかなと思っていた。しかし石段はコンクリート製で甲山頂上のフェンス内の配水池を点検するためのものだった。

結局フェンスに隙間はなく、水道局の敷地を一周し社殿の北に戻ってしまった。フェンスを越えれば三角点に行けるが、ここに写真を載せることも出来ないし三角点に行くのは諦めた。

帰ってきてから点の記を見ると、やはり三角点標石は水道局フェンスの中だった。低山と見て下調べを怠ったバチが当たったようだ。

三角点はフェンスの中
どうして三角点にこだわるのだろうか

大鳥居の下で昼食をとっていると下から運動会の声援が聞こえてくる。

12:23
甲山から下山し、兵庫製紙の工場の前を通り仁豊野橋を渡る。

姫路市大回りの次回は増位・広峰山塊の東から西への横断となるが、姫路市と香寺町の境界には道がなくそこを辿った記録も見つからなかった。市町界の南「そうめん滝」のコースでは一般的で面白くない。北の須加院川南の尾根に東西に延びる送電線の巡視路を使えば面白かろうと、姫ケ台団地に入り巡視路の入口を探す。

すると巡視路の入口があるではないか。見つからなければ、そうめん滝コースからから須加院別れに出て、それから弥高山と考えていたが、巡視路が見つかったためどんなことになるやら。

姫ケ丘団地で見つけた送電線巡視路入口
23までは試しに登っってみた

始めの送電線鉄塔まで行ってみたが、小雨が降り始めたので探索も程ほどにして家路につくことにする

13:20
仁豊野バス停に到着。雨は上がったが、これにて姫路市大回り6回目は終了とする。



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