山行記録にもどるホームにもどる



姫路市大回り、その8(書写山、鯰尾坂参道)



スポンサード リンク




平成15年10月5日(日)  メンバー 私だけ

書写山 しょしゃざん 371m

2万5千分の1地形図「姫路北部」を参照すること。


姫路市大回り

姫路市大回り8回目。西国霊場第二十七番、書写山圓教寺に登ってきた。

姫路市と夢前町の境界は、書写山と北の清水峠の間を通っているが、植林の中に暗い道があればいい方で、道もないかもしれない。そんなところを行くよりは、近畿自然歩道を辿り書写山に登るのもいいかなと思う。

登りはロープウェイ山上駅にたどり着く「東坂参道」で、下りは書写山「奥の院」から北西の夢前町寺に下る「鯰尾坂参道」でということにした。鯰尾坂参道はネット上に全く記録が無いが、どんな道なのか楽しみだ。

書写山圓教寺を飛ばし「鯰尾坂参道」部分を見たい人はこちら


ロープウェイにしようかな

10:04
今日は妻の運転する車に送ってもらい、書写山ロープウェイの麓駅の駐車場に到着。

このロープウェイは姫路市市営で

書写山ロープウェイ

姫路市交通局 書写山ロープウェイ営業所
〒671-2201 兵庫県姫路市書写1199番地の2
TEL 9792-66-2006
FAX 0792-66-2054

複線交走式普通索道(支索1本曳索2本)
運行速度 5.0m/秒
運行回数 12回/時間(繁忙時、ピストン運転)
輸送能力 840人/時間(上り、下り共)
乗車時間 3分50秒
最大乗車人員 座席12名+立席58名+乗務員(ガイド)1名、計71名
客車仕様 車体最大長 6,000mm
 車体最大幅 2,400mm
 車体最大高 2,870mm
 車体床面積 11.74平方m
客車材質 アルミ合金
線路長 傾斜長   781.09m
 水平長   749.86m
 高低差   210.87m
支柱 1基、高さ25.0m、トラス型支柱
ロープ 支索 ロックドコイルC型(強力型)
  直径52mm、切断荷重265トン
 曳索、平衡索
  6×Fi(25)、直径26mm
料金表 普通乗車券
 片道  大人 500円  小人  250円
 往復  大人 900円  小人  450円
 団体割引
 15人以上 一般 1割引  学生団体 2割引
 100人以上 一般 2割引  学生団体 3割引
 300人以上 一般 3割引  学生団体 4割引
運行時間 発車時刻:毎時0・15・30・45分
 始発 年間を通じて AM8:30
 終発 平日
   3月 1日〜10月10日  PM 6:00
  10月11日〜 2月 末日  PM 5:00
 日・祝日
   3月 1日〜 3月31日  PM 6:00
   4月 1日〜10月10日  PM 7:00
  10月11日〜11月30日  PM 6:00
  12月 1日〜 2月 末日  PM 5:00
 ※上りは終発15分前に乗車のこと
 年中無休(ただし定期検査のため12月中旬に7日程度運休)
書写山ロープウェイ
この頃は天気がよかった

というもので、片道500円かかるが、これによりお年よりでも誰でも書写山にお参りできる様になったのだからたいしたものだ。


登りは東坂参道

私もロープウェイに乗ってしまおうかとも思ったが、「姫路市大回り」のお約束の一番を「自分の足で歩く」としたので、歩いて「東坂参道」を登ることにする。

ロープウェイ麓駅から「東坂参道」へは、山陽自動車道の高架下を西に行き、山裾を南に回りこむと行けるが、要所要所には近畿自然歩道の道標があるのでわかるだろう。

10:27
のんびりと歩き15分ほどかけ、東坂参道の入口に到着。

東坂は岩尾根のルートで真っすぐに登ることもできるが、九十九に付けられた道を行くこともできる。大正6年の参道修繕の石碑があり、昔から改修が繰り返されてきたのだろう。

岩尾根なので展望はそれなりにあり、登るにつれ姫路の町並みが眼下に広がり、家島の島々も見えてくる。書写山圓教寺の境内の入口「仁王門」を十八丁とした丁石が道端にあり、あとどれくらい登ればいいかが判るようになっている。ちなみにロープウェイ山上駅は十三丁となっている。

最初の急な岩場を過ぎると六丁付近は平坦な雑木林の中の道となる。

東坂参道六丁
道端に萩の花が咲いている

しかしまた直ぐに岩場になる。それほど急ではなく登りやすい岩場なので、九十九折れの道よりも、真っすぐに行くのが面白い。

東坂参道の岩場を登る
散歩の人もいる

11:07
参道から離れ「紫雲堂跡展望広場」に行く。南側の展望が広がっていて、今までに一度も飛んでいるところを見たことはないがパラセーリングの発進所になっている。

紫雲堂跡展望広場より南を見る
雲が広がってきた

紫雲堂跡

創建は不明。東坂上の休堂として、参詣者の湯茶の接待所としても長く愛されてきたお堂であった。昭和30年代半ば老朽化したので、建物を取りたたんだ。
その建物は元和9年(1623)に再建されたものと伝えられる。その由来は、建保3年(966)御開山性空上人が九州背振山より東上の折、紫雲がたなびく「素盞の杣(すさのそま)」に稀にみる霊性を感じ、終生の道場として入山、寺を開基された。その紫色の雲がたなびいていたのがこのあたりと伝えられ、阿弥陀如来を安置し紫雲堂が建てられた。

紫雲堂跡の北に石仏が11体一列に並べられ祀られている。このロープウェイやこの付近を整備した時に集められたのかなとも思う。

11:22
ロープウェイ山上駅横の展望台に着いた。登り初めから55分かかったが、普通に歩けば30分、走って15分で登ることができる。展望台からは東側の眺望が広がり広峰の山々がまじかに見える。

11:33
参道を西に進むと志納所があり寄付金(300円)を取られる。史跡保存のために使うそうで、有人志納所はここだけ。他の参道は無人で志納箱がおいてあるだけ。人目もないし寄付金を払わずに通れるが、このページの読者にはそんな人はいないだろう。

志納所横には大型の四輪駆動マイクロバス?が待機している。摩尼殿近くまでの送迎用で1時間に3往復している。説明を読まなかったがおそらく有料なのだろう。以前は馬車が運行していた記憶があるがその代替なのだろう。

自由に鳴らせる「慈悲の鐘」の右手へと続く、緩やかになった東坂を行く。両側には観音像が並び雰囲気を盛り上げている。

仁王門手前の東坂参道
素通りする人が多いな


やっと圓教寺の境内に

11:50
仁王門に着いた。ここが東坂参道の終点で十八丁となる。ここからが圓教寺の境内になる。仁王門は大きなものではないが兵庫県指定文化財となっている。

仁王門
意外と小さな門だ

仁王門

兵庫県指定文化財(昭和43年3月29日指定)
江戸期

圓教寺の正門。東坂の終点にあたり、ここより中は聖域とされる。門は、両側に仁王像を安置し、中央が通路となっており、日本の伝統的な門の形を受け継いだ「三間一戸の八脚門」である。天井には前後に二つの棟をつくり、外の屋根と合わせて「三つ棟造り」となっている。

仁王門をくぐり、「壽量院」への石段も過ぎると左手に「圓教寺会館」の門が現れる。ここは姫路市内の小学校4年生が1泊2日の林間学校するところだ。娘たちに聞き取り調査を行ったところ、昼間は境内の中をスタンプラリー、夜は肝試しなどを行い楽しかったそうだ。

摩尼殿の手前に南に下る道があり「六角坂参道」の道標がある。まだ歩いたことがない道だ。

12:02
摩尼殿前に着いた。紅葉の時期になると一段と美しくなるが、参詣客も多くなる。今時分の方が静かでいいかも知れない。ただ摩尼殿は火災のため、昭和初期に再建されたものだ。

摩尼殿
清水の舞台の小型版にも見える

西国二十七番観音霊場

摩尼殿(如意輪堂)

本尊 六臂如意輪観世音菩薩

元禄元年(970)創建。昔この地に桜の木があり、天人が舞い降り「稽首生木如意輪…」と言葉を唱えて礼拝しているのを見て、性空上人がその生木に如意輪観世音を刻まれた。これが本尊となり、安置する本堂をその上に築いた。そのため岩山によりかかった掛造りとなった。大正末に失火のため全焼し、昭和8年に再建されたのが現在の堂である。
西国二十七番の札所としてふさわしく香華が絶えない。重要文化財四天王も併せ祀られている。



書写山の一番高い所

摩尼殿への石段を登りそのまま進むと、「白山権現」への自然探勝路の入口がある。白山権現の裏手がこの書写山の中での最高標高地点だ。木の根が絡んだ道を登って行く。

白山権現への道
やっと山登りらしくなってきた

15:22
白山権現裏の371mピークに着いた。周囲は杉の木に囲まれ展望はない。前に来た時は神戸ツキワ登山会の山名板があるのみだったが、今はそれ以外に4枚ほど登頂記念のプレートが下がっている。

書写山最高地点近くの「白山権現」
なぜピークに建てなかったのかな

白山権現

大講堂、摩尼殿についで性空上人が第三の吉所としたところで、上人はここで六根清浄の行をつんで心眼を開いたとされる。それにちなんで1月18日の修正会(oに追い会式)では、主役の赤鬼、青鬼が、先ずこの白山権現に来て神域をまわりながら四隅でたいまつの明かりを振りかざす。
この地には、性空上人入山以前より祠があった。それは素盞鳴尊(すさのおのみこと)をまつる堂であった。これは神の時代素盞鳴尊が、この地で一宿されたと伝える。故にこの山を「素盞の杣(すさのそま)」と呼んだ。書写山の名は、これに由来するといわれる。

12:32
自然探勝路を西に進むと大きな木造の建物がコの字型に並ぶところに出る。「大講堂」、「食堂(じきどう)」「常行堂」の三堂で千年ほど前の室町時代に建てられ、三堂とも国の重要文化財に指定されている。

重要文化財「大講堂」
摩尼殿までで帰る歩とも多い

重要文化財を見ながらベンチで昼食をとる。宮本武蔵と関係の深かった姫路城藩主本多家の墓地「本多廟」が特別公開されている。NHKの大河ドラマ「宮本武蔵」が成功していたらもう少しは参詣客が増えていただろう。

13:02
大講堂のさらに奥に「奥の院」があり、「開山堂」などのお堂がある。

書写山圓教寺「奥の院」
実はさらに奥にもお堂はある


下山は鯰尾(ねんび)坂参道だ

下山路に使う「鯰尾坂参道」は奥の院の建物の南側の石垣から始まっていて、「鯰尾坂(ねんびさか)夢前町寺(約3km)」の道標がある。「刀出坂参道」は、そのすぐ下から始まり「近畿自然歩道」の道標がある。その間には文字が薄れた石の道標が立っている。

始めは広い道で右側には石垣が点在している。その昔には僧坊がたくさん建ち並んでいたのだろう。

13:19
轍の残る広い道に出た。道は東西に延びていて、まず絶対に違うだろう東に行ってみる。

13:24
土塀と古い家が現れ、道はさらに東に延びている。引き返すことにする。

13:32
西に進むと今度は道標と石仏のある分岐点に着いた。右の「行者堂参道」は薄い道が、左の「ねむり地蔵尊スグソコ」へは広い道が続いている。鯰尾坂はどちらかなと道標を見ると左手に手書きの薄い字で「鯰尾坂」と書いてある。ここは左だ。

13:34
「ねむり地蔵尊」に着いた。スグソコだった。岩に地蔵尊が彫られている、磨崖仏ならぬ磨崖地蔵だ。普通の石仏なら自信作だけを出荷?できるが、ここで彫ったこの地蔵の作者は作品の出来栄えをどう思ったのだろうか。昔は大勢の参詣者が前を通ったことだろうが、今は誰も通らない植林の中になってしまい淋しそうに見える。

鯰尾坂の「ねむり地蔵尊」
本当は暗い

「地蔵尊」拡大
眠っているのかな

この道は今はほとんど通る人もいないようだが、昔は大勢の人たちが歩いたのだろう。踏み固められた道は今でもしっかりとしている。傾斜も非常に緩く作られていて、段差もないし階段もない。

買い物用の自転車でも下りは100%乗れそうだ。ただ前半は平坦な暗い植林の中の道、後半は緩い下りの少し明るいが周囲があまり見えない植林の中を行く。展望が全くないのが弱点だが、それ以外は非常に状態のいい忘れ去られた参道だ。

前半の暗い「鯰尾坂」
道はいい

後半の少し明るい「鯰尾坂」
シダが多くなる

車の走る音が聞こえ下界が近づいてきたが、参道は尾根を右にうろうろ左にうろうろとして高度がなかなか下がらない。九十九折れ以上の曲がり方で傾斜は最後まで非常に緩く作られている。

14:20
奥の院から下り始め、約1時間麓にお堂が見えてきて、その裏側に下りついた。お堂は地蔵堂で「利用せし人 数しれず 裏参道」と道案内の板が下げられている。

鯰尾坂参道の入口の地蔵堂
杖が横に置いてある

この地蔵堂の位置は書写山から349.9m三角点ピーク(下山中に三角点は確認できなかった)、252m標高点を通り北東に延びる尾根の終点。まだ姫路市内の、細い川(コンクリートで三方を囲まれ水の流れはなかった)の側、地形図の「新在家」の文字の右横だ。

地蔵堂の前は草むらになり、その先の川に橋が架かっている。その橋を渡るのが参道の表口だと今は思うが、地蔵堂から川に沿って下流に向う踏み跡がある。そこを行き住宅地の中の道を行くと48m標高点のある橋の南、「新在家バス停」に着いた。橋を渡ると西側にウェルマートがある。

バス停の時刻表を見ると10分前に出たところだった。次のバスまで45分ほどあるので、次の行程の登山口を探しに行く。

どうにか登山口らしきものを見つけることができ、バス停に戻り姫路駅前行きの神姫バスに乗る。

書写山には、今回使った「東坂参道」、「鯰尾坂参道」以外に「置塩坂参道」、「西坂参道」、「六角坂参道」、「刀出坂参道」の四つがある。

近畿自然歩道の「刀出坂参道」と自動車も登れる「西坂参道」以外はどのような状態なのだろうか。また一日で全部の参道を歩くことが出来るのだろうか。播州野歩記の目標がまた一つ出来てしまったようだ。



スポンサード リンク



山行記録にもどるホームにもどる本ページのトップ