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書写山圓教寺、6本の参道を歩く



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平成15年10月19日(日)  メンバー 私と妻

書写山 しょしゃざん

2万5千分の1地形図「姫路市北部」を参照すること。


書写山の参道

姫路市大回りは、雑木林の葉が落ちるまでお休みです。そのうち再開することでしょう。

姫路市北西部にある、書写山は西国霊場第二十七番札所、書写山圓教寺として有名な山だ。ほとんどの参詣者はロープウェイで登り、一部は「東坂参道」を登る。

参道はそれ以外に「鯰尾坂参道」、「刀出坂参道」、「六角坂参道」、「西坂参道」、「置塩坂参道」の、全部で6本の参道がある。

書写山の標高は350mほどで一日の内に3回、合計1000mぐらいを登り下りすれば全参道を制覇できる。制覇したからといって御利益があるわけはなく、単なる自己満足に浸れるだけだが。

「鯰尾坂参道」は先々週下り、「西坂参道」も数年前に下ったことがある。「東坂参道」何度も登り下りしている。「六角坂参道」と「置塩坂参道」の登山口は判らないが、下山口は全部分かる。

バス停や隣の登山口までの距離などを総合的に判断し、「鯰尾坂参道」、「六角坂参道」、「刀出坂参道」、「東坂参道」、「西坂参道」、「置塩坂参道」の順に登り下りすることに決めた。

先週に引き続き今回も妻が同行するが、今回は合計1000mの登りでどうなることやら。しかし、どこででも中止できるし、ロープウェイで下りることさえできるので安心だ。


1本目、鯰尾(ねんび)坂参道を登る

7:48
近所のバス停から始発の古瀬畑行き神姫バスに乗り、夢前町の新在家バス停に到着。書写山圓教寺から見て北西の方角だ。

新在家バス停からウェルマートを左に見ながら北に進むと、「勅願所 通宝山弥勒参道 兵庫県(旧字体の草書なの間違っているかもしれません)」と彫られた道標のある三叉路があり、右に入る。

300mほど進むと道端に鯰尾大谷構居跡の案内柱が立っている。ここから右に入る。

史跡 鯰尾大谷構居跡 夢前町

文明年間(1469−1487)置塩城主、赤松政則の命により、鯰尾(須賀)知方はこの地に構居を築いた。采地は菅生荘内、香山(刀出)、穴師(打越)岩崎(毛野)谷口(六角)。知方は天正八年(1580)京都舟岡山の戦に討死した。
これより約300m東、書写山鯰尾坂登山口の地蔵堂より更に300m程東の書写山麓に、高さ3mにも達する所もある石垣が長さ約60mにも及ぶ。その上の三段の平坦地が構居跡である。瓦が出土している。

鯰尾坂参道入口に向う
両側は稲刈りの終わった田んぼだ

実はここの手前で右に入り小規模な下水処理場?の横を通り参道入口近くまで行ったが、参道への正しい道ではないことが分かり、表の道まで出てこの正式?な参道入口を見つけた。

8:05
地形図の砂防提のある谷へ続く道へは入らず、途中の分岐を右に入りコンクリートの短い橋を渡り「利用せし 人数しれず 裏参道」の案内板がかかる地蔵堂に到着。参道入口は地蔵堂の裏から始まり山の中に続いている。山裾沿いに東に行く道は「鯰尾大谷構居跡」に行くものだろう。

鯰尾坂参道入口の地蔵堂
周囲は夢前町だがここは姫路市だ

先々週に下ったときは緩く感じられたが、今日はまだ足が暖まらないのか結構きつい登りだ。妻はというとスタスタと軽快に登っていき、私は取り残されてしまう。それでもハイカーを一人追い越すが、この参道で会ったのはその人一人だけだった。

雑木林の中を行く道はよく歩かれた、非常に歩きやすい道となっている。今は歩く人が少なくなってしまったが、昔は大勢の人々がこの道を歩き書写山圓教寺に参詣したのだろう。

傾斜を緩くするためか道は尾根を外し、山腹を行く。周りは雑木林や植林で展望は全くない。道は驚くほどいいのだが展望が全くないというのが、この道を歩く人が少なくなってしまった原因だろうか。

鯰尾坂参道を行く
驚くほどいい道が続く

8:43
緩やかな登りから、一旦下り坂になると道端にお地蔵さんが佇んでいる。今は暗い植林の中になっているが、どんな訳でここに祀られたのだろうか。

道端のお地蔵さん
暗い林の中に佇んでいる

8:52
道が広くなり二人並んで歩けるようになると「ねむり地蔵尊」が現れ、圓教寺もまじかだ。ねむり地蔵尊は岩に彫られたもので、少しだけ上の方を見ているようだ。

岩に彫られた「ねむり地蔵尊」
ここも暗い林の中だ

8:56
「行者堂参道」と「ねむり地蔵尊」の分岐には石の道標と石仏がある。古い道標には「右行??」、新しい道標には「左おじぞうさんへ」と彫られている。行者堂への道は荒れていて行く人もいないようだ。

9:04
石垣のある分岐を右に進むと「志納金寄付のお願い」と書かれた無人の志納金所がある。ロープウェイを降りたところにある有人の志納金所以外は金額が明記されていなので志のみ入れて通る。

出たところは圓教寺「奥の院」のお堂の石垣の下で「鯰尾坂 夢前町寺(約3km)」の指導標が立っている。すぐ南側は「刀出坂参道(近畿自然歩道)」の下山口になっている。その間には古い石の道標があり「右行者? 左刀出坂」となっている。


2本目、六角坂参道を下る

9:21
まだ人気のない奥の院を後にし三つの堂を抜け摩尼殿下まで行くと、ロープウェイに乗ってきた人たちなのか数人の参詣客が来ている。

9:22
摩尼殿下の「はづき茶屋」横の石橋を渡るとロープウェイに行く坂道の右に「六角坂参道」の指導標が立っている。

六角坂参道は始め薄暗い植林の中の谷道を下りていく。道はかなり荒れていて、要所要所にはトラロープが張られてはいるが、細い鉄棒にくくられているものもあり支えには使えない。

薄暗い「六角坂参道」の下り始め
よくある谷道の雰囲気だ

薄暗い道端の岩の上に石が積んである。ここは三途の川かと勘違いしそうだ。途中3回ほど渡渉するが水量も少なく問題はない。

道端の木に黄色のビニールテープが巻かれていて数字が書かれている。参道整備の目印だろうと思うが最後の番号は「48」だった。初めから分かっていればどれくらい下りたのか分かったのだが、後の祭りだ。

3回ほど渡渉する
水量は少ない

9:59
コケの生えた古そうな砂防堤を右手に見ると「六角坂参道」も終わりに近く、地形図の六角集落から北東に延びる破線道に出る。この参道では誰にもあわなかった。

10:03
農場と果樹園?の横の鉄板を敷いた道を行くと道端に「六角坂石造笠塔婆」が建っている。

六角坂石造笠塔婆
書写山は文化財の宝庫だ

六角坂石造笠塔婆

姫路市指定文化財

全長約2m、市内の同時代の笠塔婆遺品としては、最大のものである。宝珠は後補のものであるが、塔身の形状や笠の曲線など室町時代前期の特徴をよくあらわしている。正面には、阿弥陀の種子(キリーク)を刻んでいる。

姫路市教育委員会

10:05
大年神社との分岐点には古い石の道標と歌碑が建っている。道標には「右志よしや」と刻まれ、歌碑には「赤松義村」の「菅の生ふ 里の谷口 きてみれば 紅葉散り敷く さと鹿の声」という歌が刻まれている。

大年神社分岐からすぐの六角坂参道の出口は、菅生川を六角集落の北に渡る「六角北橋」からの道と破線道の交差点になる。地形図だとT字路になっているが、実際は六角北橋からの道は延びていて十字路になっている。

六角坂参道の出口
入口に表示はない


3本目、刀出坂参道を登る

六角北橋を渡り県道に出て北に進む。次は刀出栄立町からの刀出坂参道だ。

菅生川に架かる樫谷橋を渡ると近畿自然歩道の指導標がある。書写山まで2.4kmだ。最初の右に入る道の角には「刀出の固寧倉」の解説板があり、その下に「山陽自然歩道」の指導標もある。

刀出の固寧倉(こねそう)

固寧倉は、姫路藩主酒井忠道が文化6年(1809)に設けた備荒貯穀用の倉庫で、固寧倉の名称は書経の「民は惟れ邦の本、本固ければ邦寧し」中から固寧の二字が選ばれた。扁額の揮毫は林(木へんに聖で「てい」)宇のもの。
刀出の固寧倉は、天保11年(1840)正月に建築を願出、2月16日に許可され、11月に完成し、天保12年に扁額が与えられた。切妻造り平入りの土蔵で長5.4m、横3.6m、軒97.5cmとなっている。

姫路市文化財保護協会

固寧倉がどこにあるか分からないまま、角を曲がり西に進むと今度は「刀出古墳」がある。

刀出古墳

円墳で片袖の羨道のある横穴式石室古墳。玄室の幅は約1.5m、長さ約7.9m。
封土上に天満神社が建てられている。神社の石段の南の石垣の中に玄室の入口がのぞいている。

姫路市文化財保護協会

刀出古墳の羨道をのぞく
狭い羨道だ

10:32
住宅地の北端の急坂を登りきり、自然歩道の指導標に従い南に曲がり進むと近畿自然歩道の入口がある。地形図では坂を登りきる手前から破線道が始まっているが(実際にもその破線道は存在する)、正式な近畿自然歩道の入口はこちらのようだ。

刀出坂参道(近畿自然歩道)登り口
3番目の参道だ

入口には圓教寺まで1.6kmの表示がある。

近畿自然歩道 西の比叡、書写山圓教寺参詣のみち

書写山

書写山は「西の比叡」と呼ばれ、平安時代の康保3年(966年)、瑞雲に導かれた性空上人により開かれました。上人の徳をしたって山に訪ねる天皇や法王、貴族も多く、その後も善男善女の参詣や多くの僧の修行の場として栄えました。圓教寺は、比叡山を手本とした歴史があり、建物の配置や名称等、似かよったものとなっています。

圓教寺

天台宗三大道場の一つで、西国三十三霊場では、第27番札所にあたり、その静けさと自然の美しさ、歴史の漂いが、祈りの山として独特の雰囲気を醸しだしています。境内には、三つの堂(大講堂、食堂、常行堂)、金剛堂、摩尼殿、仁王門、開山堂、和泉式部の歌塚等、国、県指定の重要文化財が多くみられます。

書写山の花ごよみ

書写山一帯は、西播磨丘陵県立自然公園に指定されており、姫路市で最も高く標高が371mあり、スギ、アカマツ、野鳥が多く見られ、自然豊かな地域となっています。書写山を歩きますと、四季折々の花々を見ることができます。春には、サクラ、ヤマツツジ、ヤマアジサイを、夏には、リョウブ、ムクゲを、秋には、ハギ、タカオカエデ等が咲き乱れ楽しませてくれます。

環境庁・兵庫県

「姫路市で最も高く標高が371mあり」というのは正しくないと思う。安富町と姫路市の境界にある葛城山(不動山)の方が高いと思う。

参道は地形図の破線道と合流し、谷を登っていく。地形図ではかなり急な感じがするが、比較的緩やかな道が続く。しかし雑木林の中の暗い道だ。

10:46
昔の参道の名残か石段の道がある。谷道のためか道の傷みははげしく石段の下部は流されているが、その昔はよく整備された道が圓教寺まで続いていたのだろう。

刀出坂参道の石段の道
道はかなり荒れている

岩に踏み段を切った道や、石畳の道、谷側に石垣が組まれた道、時々現れる石仏や古い道標など、昔の参道の面影をそこかしこに残す刀出坂参道は暗い谷を登っていく。所々に近畿自然歩道の植生や自然に関する教育的解説板が立っている。けれども白い解説板が暗い森の中に浮かび上がり雰囲気を少々壊しているような感じがする。

暗い刀出坂参道
普通の登山道よりもい

六角坂参道と同じく、道端の木に黄色のビニールテープが巻かれて、数字が書かれている。一番上が「33/33」となっていて、あとどれぐらい登ればいいのか分かるようになっている。道は荒れてはいるが、普通の登山道などよりは歩きやすいと思う。

11:16
圓教寺奥の院近くの無人志納所に着いた。この参道でも誰にも会わなかった。


4本目、東坂参道を下る

次ぎの東坂参道を下るため、1回目と同じに奥の院、三つの堂、摩尼殿下から、仁王門に行く。

11:33
東坂参道は仁王門から始まり、麓まで続いている。仁王門には十八丁の丁石が建っていて、下るほど数字は小さくなっていく。

ロープウェイ山上駅へとのんびり歩く参詣客の間を早足に追い抜いていく。あと3回登り下りをしなくてはならないので、参道脇に並ぶ観音像をゆっくり見ることもできない。

11:41
有人志納所を通過。ここから入ると300円の志納金を払うことができる。志納所の横には4輪駆動のマイクロバスが待機している。

特別志納金について

一人につき1,000円の志納されますと
 1・拝観志納金
 1・食堂宝物館入館料
 1・マイクロバス往復乗車できます。
ここから西国二十七番札所摩尼殿納経所まで約1km、徒歩約20分です。少し上り坂となっております。

11:45
ロープウェイ山上駅にて小休止後下山開始。

東坂参道は南向きの岩尾根を下りていく。他の参道と違い明るく展望が良く、淡路島から明石海峡大橋まで見える。眺めの良い岩場で昼食をとり20分後下山を再開する。

展望の良い東坂参道
夏は暑いぞ

岩場を真っすぐに下りることもできるが、九十九な道も造られている。それなりの人数のハイカーが登り下りしているが、11月の紅葉の時期になると大勢の人が来るだろう。

12:28
昼食時間を除くと20分ほどで地形図の破線道の分岐地点に着いた。ここから西に行き、女人堂のある如意輪寺の中を通り南のバス道に出る。

如意輪寺の女人堂
書写山は女人禁制だった時期がある


5本目、西坂参道を登る

バス道を西に進み東洋大付属姫路高校の前を過ぎ、西坂口バス停の手前で北に入る。

12:52
道を少し間違え観音寺保育園の中を通り抜け、西坂参道の入口に到着。

西坂参道は6本の参道のうち唯一車で登ることができるが、一般車は入れないようにチェーン式の自動ゲートが入口にある。

西坂参道の自動ゲート
一般車進入禁止

寺域の環境保全、参詣者の安全確保のため、一般車両(自動車・バイク・スポーツサイクル等)の侵入を全面的に禁止します。
侵入時の事故については一切関知しません。

書写山圓教寺・書写山史跡保存会


御参詣登山のみなさまへ

最近、単車・ジープ等が深夜にも登山し境内を走行することがあり、この防止の為やむを得ずこのような柵を設置しました。
歩行登山の方々に、大変ご迷惑をかけ誠に申しわけありませんが、御了承下さいますよう、お願い致します。

書写山圓教寺

この参道にも丁石があるが東坂参道とは違い、十八丁から始まり上に行くほど小さな数字になる。東坂参道を登り西坂参道を下ることを想定してあるのだろうか。少し不思議な丁石だ。

道幅は広く急坂は舗装してあり、緩やかなところは地道だがタイヤにより踏み固められている。はっきり言って6本の参道のうち一番つまらないが、書写山圓教寺にとって最も重要な参道であるのは明らかだ。

13:16
文殊堂跡に着いた。再建された建物の前のベンチで一休みする。堂の側には30以上の多宝塔や石仏が集められ並んでいる。参道を拡幅する時に移動されたものかもしれない。

西坂参道の文殊堂跡
再建されたお堂だ

文殊堂跡

康保3年(966)紫雲のたなびくのを瑞兆と感じた性空上人は、この西坂を登ってこられたとされる。この時この場所で白髪の老人に逢われ、この山の由来を聞かれた。実はこの老人は、文殊菩薩の化身であったという。
昭和62年(1987)10月に焼失した。

13:35
急な坂道も終わり、道端の石仏を愛でながらのんびりと登って行くと、無人志納所に着いた。この参道では二人の参詣者と2台の車に会った。


6本目、最後の置塩坂参道を下る

13:42
本日3回目の摩尼殿下に着いた。思ったよりも早いペースなので14時まで休憩することにする。1日に3回も書写山に登るなど周りにいる参詣者には思いもよらないものだろうが、当の本人たちも何でこんなことをやっているのか半ばあきれているのが本心だ。

14:02
摩尼殿東のマイクロバス乗り場の奥から「置塩坂参道」は始まっている。ここにも無人志納所がある。

置塩坂参道、下山口
入口の雰囲気ははっきりいて悪い

入口は暗く、最後の参道なのに印象は非常に悪い。すぐに分岐があり、古い道標がある。上のほうに石仏のレリーフが彫ってあり「左たんごみち」と刻まれている。今までに見たことがない変わった道標石だ。

レリーフ付き道標の上部
こんな道標、見たことがない

少し登ってから下り始めるのだが、北向きの非常に暗い雑木林の中を九十九に下りていく。写真を撮っても真っ暗で一人だったら怖いような道だ。

この参道も石仏が多く、平らな岩には多宝塔が彫られている。道の状態は非常に良く誰かが手入れをしているのだろうか。

東側斜面に出て明るくなってきた
道は歩きやすい

14:22
東から南の眺望が広がっている地点に着いた。山陽自動車道の先に姫路の市街が広がり瀬戸内海も見える。東坂以外では唯一の展望地だがさらにおまけがついている。

後を見ると岩に石仏が彫られているのだ。暗い山道を下りてきて、今日の山行ももうすぐ終わりかと思っているときに出会ったので、少し感動した。

置塩坂参道の石仏
さすが書写山、普通の山とは違う

クローズアップ
文殊菩薩かな

14:46
最後は暗い林の中を抜け、古い砂防提の横を通り夢前川沿いのバス道に出た。

場所は書写吹の集落の中、姫路行きのバス停から10mほど南、「書写吹 書写山登口」の表示がある。この道は車で何度も通っているが気がつかなかった。この参道でも誰にも出会わなかった。

30分ほど待ち姫路駅前行きの神姫バスに乗る。次ぎの書写ゴルフ場バス停からハイカーの団体が20人ほど乗ってきたのにはびっくりした。広峰山から下りてきたようだ。

6本の参道を全部を歩いてみると、それぞれの参道の違いが分かり面白くなってきた。普通に歩いても1日で回ることができ、自然と歴史に親しめる楽しいハイキングコースでもある。



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