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蛤山ハイキングコース



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平成15年11月9日(日)  メンバー 私だけ

振袖山(蛤山) ふりそでやま(はまぐりやま) 125.5m

2万5千分の1地形図「姫路市北部」を参照すること。


雨の日曜日

朝からの雨で予定していた山行がなくなってしまった。先週の連休から2週連続の雨降りだ。

午後からようやく雨が上がってきた。空は厚い雲に覆われ薄暗いが、近所の姫路城から西に3キロほどの振袖山(蛤山)に登ってみることにした。

標高は125.5mと山とはいえないぐらい低いが、ハイキングコースが整備された結構眺めのいい山だ。

14:02
振袖山(蛤山)の南東にある「高岳神社」に着いた。

高岳神社の入口
鳥居はこの手前にある

神社の由緒が刻まれた石板がある。

式内 旧県社 高岳神社由緒碑

祭神
應神天皇 仲哀天皇 祟道天皇 事代主命 猿田彦神
住吉大神 伊豫親王 藤原夫人 宇賀魂命 市杵島姫命 水分神

御由緒
当社は延喜式内の社にして国内神名帳大神二十四社の内八所明神の一なる当国第五の宮にして旧安室郷の総氏神なり。
時の武将世々の国司領主の尊崇厚く延暦元年坂上田村麿呂幣帛を奉り寛元年中鎌倉幕府執権北条経時佐貫十郎を遣して祈雨祭を行い天文元年赤松政則本殿を修復して草上の地五町を献じ寛永十八年姫路城主松平下総守神供料を寄附し以降累代の城主之を安堵とす。
さて初め当社は新在家八疊岩山に祀られしを天長三年九月九日に此蛤山に奉遷す。
此所は和名抄に草上郷とある所にして後安室郷となれり。
境内には巨大なる岩石多く殊に社殿の背後にそびゆるもの最も怪奇なり。
昔土地の人此岩上にて蛤を拾い福徳長寿の幸を得しかば名付けて蛤岩と称す。
当社の宝物に蛤の化石今に伝わり明治七年二月郷社に列し昭和七年県社に昇格す。

この由来書を読む前は、山の形が蛤に似ているのかな、蛤形の岩があるのかなと思っていたが、蛤の化石が山の名の由来とは思わなかった。

神社の石段を登って行くと南向きの岩の斜面に社殿があり、その背後に岩座がそびえている。これが蛤岩だろう。まわりを玉垣に囲まれ岩座の頂には登れないが、奇怪な様相の大岩だ。

玉垣に囲まれた蛤岩
登りたかったがあきらめた

高岳神社は、蛤岩をご神体としている?面白い神社で、神社マニアなら一見の価値があるのではないかと思う。西側から高岳神社に登る車道があり、車を止めるスペースもある。

14:22
高岳神社を後にし、北に延びる急な舗装道路を登って行くと、終点に「高岳神社、御旅所」がある。急坂の上の御旅所とはえらいところに作ったものだ。御旅所の右横に「蛤山ハイキングコース」の名板がさがり、自然木の杖も用意してある。

御旅所の北の土が露出した斜面を登って行くと、南に苫編山塊が広がり、その手前には船越山が住宅地の中に浮かぶ小島のように見える。

南側の苫編山塊
もう1回登りたい山だ

14:37
車の音さえ聞こえなければどこの山奥の道かと勘違いしそうな、雑木林の中の道を登って行くと、「休憩所」への道標がある分岐に出た。

14:39
左へ擬木の階段道を登り「西播線3」の送電線鉄塔、関西電力のマイクロウェーブ反射板を過ぎると東屋のある展望所となっている。東屋の近くには三等三角点標石(点名:蛤山)がある。

蛤山の三等三角点標石
大分磨耗している

山道はさらに南に延びて下っているが、ここから北に引き返し最初の分岐を北に行くことにする。

14:50
三角点ピークから北の鞍部に下り、少し登ると東に下る道がある。小さな山なのによく整備されたハイキングコースがたくさんある。

北側の南北に長いピークの東側は切れ落ちていて、鋼線を網に組んだもので覆われている。

北側ピークの東側の治山事業の網
網伝いに下りられないかな

14:57
道端に丸い岩が現れると尾根道も終わりで、登山道は西側の急斜面を下っていく。擬木の階段道と岩場が交互に現れ、濡れた岩場は滑りそうで怖い。

15:11
送電線鉄塔(西播線4)の下をくぐるとハイキングコースも終盤で、「安室神社」の裏手に下り立った。

安室神社裏でハイキングコースは終わる
神社は建て直されたばかりだ

のんびり歩いて1時間ほどの散歩のような山歩きだったが展望もよく、蛤山の名前の由来もわかったしそれなりに楽しかった。安室神社で次ぎの休みが晴れるようお祈りして山行を終えた。



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