山行記録にもどるホームにもどる



姫路市大回り、その14(愛宕山から追分峠)



スポンサード リンク




平成15年12月28日(日)  メンバー 私だけ

愛宕山 あたごやま 167.8m

2万5千分の1地形図「龍野」を参照すること。


姫路市大回り

前回までで「姫路市大回り」は觜崎ノ屏風岩、揖保川の岸まで達した。觜崎ノ屏風岩は新宮町にあるが、大回りなのでなんら問題はない、と思う。

屏風岩からは、東に向きを変え、山域の80%くらいは龍野市に入る167.8m三等三角点ピーク・愛宕山に登り、次に国道29号線追分峠の北に位置する228.6m四等三角点ピークに登ろうと思う。

愛宕山は頂上近くに神社があるので簡単に登れるだろうが、追分峠北の山には果たして道があるのだろうか。


寝釈迦の渡しから愛宕山へ

9:47
妻に送ってもらい、觜崎ノ屏風岩の南、揖保川に架かる觜崎橋東詰まで車で送ってもらう。天気はよく西側の亀山から的場山、鶏籠山がよく見え、北に見える山は雪をかぶり白くなっている。

觜崎橋の南の「寝釈迦の渡し」跡を見に行く。道端に石碑が立っていて東面は「寝釈迦のわたし」、北面は「右 千本 みまさかみち」、西面は「スグ上いぼがみさん 宿村」、南面は「ひだり たつの むろつみち」と彫られている。石柱脇には石板が埋められ、次のような文が彫られている。

寝釈迦の渡し

川下の山並が寝釈迦姿であるからの名。ここ觜崎は因幡街道別名駈落(かけおち)街道筋の宿場町で、この渡し場で、旅人は道中の平安を祈り、西に向う駈落者は身の不孝を詫びて、共に釈迦の姿に手を合わせたという。また後醍醐天皇御西下の道でもあった。

寝釈迦の渡し跡
揖保川の向うは的場山

愛宕山の登山口を目指して県道を東へテクテクと歩いていく。歩道がなくダンプカーがスグ脇をスピードも落とさずに走り抜けて行き、帽子を飛ばされた。あぶない、あぶない。

「揖保乃糸資料館 そうめんの里」を過ぎ、愛宕山の南西の神岡町北横内集落への道に入る。頂上近くの神社に日の丸の旗が上がっているのが見え、落ち葉を燃やしているのか煙も上がっている。

10:18
民家の北側を行く道の入口に「愛宕神社改修記念」の石碑と「愛宕神社遊歩道入口40m」の道標がある。こんなにも簡単に見つかる登山口も珍らしいし、おまけに神社まで遊歩道が登っているようだ。

愛宕山遊歩道入口へ
まだ新しい道標だ

10:20
動物除けの柵の扉があり「愛宕山遊歩道入口」と書かれた磨いた丸太が立っている。神社の清掃を終えた人たちが5人ほど下りてきた。

10:21
遊歩道を少し登ると東屋が建っているが、休憩所にしては麓に近すぎる。神社の拝殿の構造に似ていて、遊歩道がなかったときはここから参拝したのだろうか。

頂上近くの愛宕神社まで雑木林の中に遊歩道が続いている。いわゆるブル道だが、どこかで昔の参道と交差していないかと思いながら登ったが、それらしいところがない。もしかすると昔の参道はそのまま残っているのだろうか。

愛宕山遊歩道
幅の広い遊歩道だ

10:33
遊歩道は石の鳥居をくぐり登っていく。鳥居の前に古い鳥居の土台と、愛宕神社の石の扁額が落ちて割れている。

10:35
「頂上まで100m」の道標があり、頂上への道は神社の玉垣横を緩く登っていく。

拝殿のない神社の本殿の中には「愛宕山元日登山記念1月1日」と「門松の絵」の板がある。元日登山登頂写真撮影用のだ。今年の元日は天気が悪かったが、来年はどうだろうか。

本殿には注連飾りがかけられ、大鈴(綱を揺すり鳴らすもの)が取替えられ、お神酒と鏡餅も奉納され境内は草が刈られ、正月の準備は万端だ。

頂上手前の愛宕神社
小さな神社だ

神社から東側の展望が広がる
ゴルフ場が見える

10:40
後から登ってきた小学生の女の子二人に追い越され、愛宕山頂上に到着。三等三角点標石(点名:愛宕山)と「頂上・標高167.8m」の標柱がある。南側の木々が伐られ展望が広がっている。

頂上には瓦のかけらが落ちている。昔は頂上にも何か建物があったのだろう。

愛宕山頂上
標高は低いが眺めはいい

愛宕神社まで戻り、真東に見える次ぎに登る山を眺めていると、また小学生の女の子達が登ってきた。さっきの二人に友達の二人が増え四人になって登ってきた。

11:17
愛宕神社から下山を開始する。

11:33
下山終了。あっけない山登りだった。


次ぎは向山?

また舗装道路を歩き東に進み、林田川に架かる橋を渡る。

228.6mの三角点のある山の西の中腹には、地形図によれば神社があるようだが近づいていっても神社は見えないし参道も見えない。

12:11
とり合えず山の北側に行ってみる。鉄骨工場の先、右手の砕石場への道を入ると鳥居と大きな石灯籠そして山に登っていく石段が見える。山の北側になるので暗く薄気味悪い雰囲気が漂っているが、これが山腹の神社への入口だろうか。

岩国神社の石段
雰囲気はある

鳥居をくぐり苔むした石段を登って行くと、正面に神社改築の石碑があり右手から山道、いや参道が始まっている。これで中腹にある神社までは行けそうだ。

岩國神社への参道
ここも雑木の参道だ

12:25
最後はジグザグに参道を登り神社に着いた。鳥居の扁額には「岩貴岩國大明神社」とあり、神社は石垣の上にある。

石垣の上の岩國神社
変わった雰囲気の神社だ

拝殿の中に岩國神社の由来書が掲示してある。

岩國神社の由来について

  1. 合祀(ごうし)場所:林田町林谷字向(むかい)山945−3

  2. 御神体
    1).本殿
    (1).倉稲魂神…五穀の神
    (2).艸薙剣神…水の神
    (3).綿津見神…海の神
    総称して岩國大神という
    岩國明神…俗称「明神さん」という
    *五穀…米・麦・粟・ばら・ひえ(五種の主要穀物。米・麦・あわ・きび・豆。穀物の総称。麻やひえを数える事もあり、諸説は一定しない。)
    *戦前、水稲の生育期に雨が降らないと村人が「雨を下され、オテント、雨のしずくはないかいな」と言いながら参拝したのは草薙剣神へであった。(雨乞いの神でもある)
    2).境外末社
    (1).知立神社…本殿の南(広場の東端)にあり、「チリンさん」と呼んでいる。
    (2).農業祖神社…本殿下の鳥居の南にあり、米、その他田畑の作物の豊穣を祈願する。

  3. 追記
    1).岩國神社は五穀、水、海の神を合祀しており、これらの神殿などが作られた年月日は記録に残っていないが、大正12年(1923)に本殿が改修され、戦後(1950年頃)にも屋根の葺き替え等、一部改修された。なお、知立・農業祖神社(2つの御堂)は双方とも祭神は岩國大神である。
    2).この岩國神社は祝田神社(にしのみや)の境外神社となっている。
    3).春季例祭は、戦前・戦後は4月15日に行っており、本殿南の広場で浪曲等が催され集落挙げて弁当持参で参加し賑やかに午後の一時を過ごした。(現在は、4/15前後の日曜日である)
    (4).
    ここの岩國神社(林谷)以外の、祝田神社(末社)は次ぎのとおり
    (1).八幡神社(上伊勢)(2).白髭神社(大堤)
    (3).須浜神社(中構の西池)(4).建部神社(林田)
    (5).稲荷神社(新町)(6).荒神社(中構)
    (7).荒神社(下構) *荒神社は、普通「荒神さん」と呼んでいる。

    ◎神社での参拝のしかた(二礼・二拍・一礼)
       *手を洗う(心身を清めて参拝する)
    1. 神殿に向って2回礼をする
    2. 2回拍手(かしわで)を打つ
    3. 1礼する

    *【参拝】さんぱい:神社・御稜・寺におまいりすること。
    *【参詣】さんけい:一般的には寺におまいりすること。
    *神社、日本固有の自然宗教である。神道の神を祭る所を神社という。

    林谷自治会

神社の所在地の字名は「向山」となっている。もしかするとこの山の名前も「向山」なのだろうか。

神社の南側は広場になっていて、日当りもよく明るい。ここで昼食をとることにするが、その前に東のピークへの切り開きがあるか尾根に偵察に行く。幸いにも雑木の尾根には明確な切り開きがあることが確認できた。

12:45
昼食を終え出発する。雑木の尾根には明確な切り開きがあるが、かなり前のもののようで雑木の枝が切り開きを覆い隠そうとしている。

12:57
尾根の傾斜は緩くしばらく歩くと岩場に出た。国道29号線からも見えるが、この雑木の尾根筋には所々に岩場があり展望がよい。標高が低いので大展望というわけにはいかないが。

岩場の尾根を行く
展望もいい

13:19
三角点ピークの西、210mほどのピークも巨大な岩座となっている。

13:33
228.6m四等三角点(点名:河原垣内)ピークは籔のなかで、風向きのせいか麓の養鶏場の香りが漂ってくる。その香りは南に方向を転じてからもしばらく付きまとっていた。

三角点ピークは籔の中
展望なし

三角点ピークから先にも切り開きはあるにはある。10年前なら歩きやすかっただろうが、今は雑木や下草が茂り不明確なところもある。点の記によると三角点ピーク東の鞍部から南に谷筋を下るような経路が示されているが、とんでもなく急でとても下りられそうにない。

不明確になったが切り開きは町界尾根沿いにさらに続いているので、それをたどり追分峠に下りることにする。

13:47
三角点ピークの東側ピークは一部植林になっている。その下に小さな発泡スチロールの箱が落ちている。

「山であそぼっ」に写真が出ていたので一目でラジオゾンデと分ったが、かなり古いもののようで外装には表示は何も残っていない。分解するとプリント基板に「MEISEI」と表示されていて、WEBで調べてみると「RS2−91型レーウィンゾンデ」というもののようだ。

分解したラジオゾンデ
かなり古そうだ

13:59
追分峠の北190mほどのピークに着いた。町界石杭があり上面の方向表示も地図どうりに北から東になっている。

最後のピークへの踏み跡を行く
冬しか歩けないだろうな


追分峠に下り立つ

最後のピークからの南向きの斜面は、雑木とシダが茂りまくりジャングルになっている。切り開きや踏み跡は全く確認できない。地面はシダに隠されているため、足を下ろしても予想したところで地面につかず足を踏み外しそうになる。雑木籔もきつく木の間に体をこじ入れなければならない状態が続く。

車のエンジン音が響いてきて、峠は右手の方にあることが分った。最後は竹薮になったが倒れているものが多く進行を妨げる。

14:35
最後のピークから予想外の時間をかけようやく国道29号線追分峠の切り通しの上に着いた。切り通しは何とか下りられそうな様子なので、服の中に入ったゴミを払い身支度を整え休憩後、颯爽と国道に下り立つことにする。

14:50
国道29号線に下りた。車を運転している人は変なところから人が出てきて驚いたことだと思う。

追分峠のお地蔵さん
由緒あるお地蔵さんのようだ

15:00
追分峠から東に国道を下り「伊勢」のバス停に着く寸前、後からクラクションを鳴らす車がいる。振り返ると姫路駅行きの神姫バスだった。優しい運転手さんは私が走ってバス停に着くまで待っていてくれた。1時間に1本しかないので非常に助かった。



スポンサード リンク



山行記録にもどるホームにもどる本ページのトップ