行者堂がある八代山(姫路市)
スポンサード リンク
平成16年2月29日(日) メンバー 私だけ
八代山 | やしろやま | 88m |
2万5千分の1地形図「姫路北部」を参照すること。
午後から天気が回復
昨晩から降り続いた雨も午前中には止み、昼過ぎからは晴れ間も見えてきた。そこで散歩代わりに近所の八代山に登ってみた。2週続きの小ネタになってしまうが、天気のせいにしておこう。
姫路城からほぼ真北、八丈岩山の東にある88m標高点の山で、地形図には山名は記載されていない。頂上の卍印まで破線道が南側から延び、送電線が斜めに横断している。
ゼンリンの電子地図帳を呼びだして見ると、頂上の建物は行者堂となっている。
八代大歳神社
13:59
八代宮前町の大歳神社に着いた。神社前には「八代交番」があり、車を止めるスペースもある。神社の由来書が掲示されている。
八代大歳神社(由来)
祭神 大年神(素盛鳴尊の御子) 大山咋神(大年神の御子別名山末之主神)
八代は、このおふた神の使いの仙鶴のくわえた五穀の種子を作り、この神を祀ることで、五穀豊穣、家運隆昌、福寿長久、地域平穏なこと千代千代なるべしとのお告げにより八代の地名を得たといわれています。
むかし、北八代に大歳社があり、南八代にも短羽矢明神と大歳社がありました。江戸時代(元禄のころ)から八代山へ別々に、移されたきましたが、明治のころ一つに合祀されました。
短羽矢明神は神功皇后が麻生山から射られた白羽の矢を納めてまつっていました。矢城村の名はそれから得たともいわれ、ともに八代地名のゆかりの神となっています。
姫路城主、松平直矩も、とくに、この大歳社をうやまわれ、社前に大鳥居を献進されました。一般士民も、また、学芸や武道の上達を願い、仙鶴にあやかる長命、農耕山林の守り神として、うやまってきました。
今では一願成就の神として、受験合格・学業・スポーツの上達や長命・家運の隆昌・農林業の繁栄を祈願するなど、お参りする人がふえています。
![]() | |
石段の前の鳥居横に次のような解説板が立っている。築324年になる由緒ある石鳥居のようだ。
石鳥居
姫路城主 松平直矩寄進
延宝8年(1680)のもの。南矢代には大歳大明神(穀物の神)と短羽矢大明神(神功皇后が麻生山から射た白羽の矢をまつるという)があったが、江戸初期に合祀されたようだ。
城主直矩(なおのり)は鳥居を建て武運長久と豊作を祈ったと思われる。平成4年1月 姫路市教育委員会 姫路市文化財保護協会
14:10
八代山行者堂への道は神社の東側から始まっていて、入口は丸太で階段状に整備されている。道幅は広く、地形図通りに緩い道が登っている。道横には電柱が並び行者堂に電気を送っているようだ。
![]() | |
八代山行者堂
14:18
石の祠に入った観音像が二つと、「新西国三十三所霊場 建設記念」の石碑が建っている。石碑には昭和12年と彫られている。
その上には屋根を掛けられた礼拝施設、廃屋状態のトタン屋根の小屋、比較的新しそう木造瓦葺の「八代山行者堂」がある。周囲の踏み跡に沿って草むらの中に石祠に入った石仏が並んでいる。
頂上には岩が露出していてその周辺にもたくさんの石仏が祀られている。井戸からの給水設備の名残もあり近年までは人がいて修行をしていた雰囲気があるが、今は面倒を見る人がいなくなったのか、草が茂り荒果てている。
石仏には明治21年と彫られているものがあり、昔々は賑わっていたのかもしれない。
![]() | |
![]() | |
頂上から東に行くと送電線鉄塔が立っている。「総社線5」でそのまた東には赤っぽい大岩があり、そこからは麻生山・仁寿山・南山・石積山・庄山・桶居山・増位山・広峰山などの姫路市東部の山々を見渡すことができる。標高は低いがここから市川までは平地が広がっているのでまずまずの展望だ。
![]() | |
下山は送電線沿いの道
14:43
東側からも道が送電線に沿って下っているが、西側にも道が続いているのでそちらに行くことにする。平坦な道を行くとすぐに送電線鉄塔「総社線4」があり、その先は緩いくだりとなる。送電線の真下を行く真っすぐな道だ。
![]() | |
14:54
下山。場所は梅ケ谷町の「八代芝崎(児童)公園」の向かい側で、登山口脇にはカーブミラーが立っている。入口脇には「行者堂」への道標石があるが笹薮に隠れ、通りからは見ることができない。
八代山・行者堂に関する情報はWEBには全く見出すことができない。どうやら今回の山行(散歩)で、石仏のパラダイスというか、新しい姫路の廃墟・心霊ポイントを発見したようだ。真っ暗な時に登ったら結構怖いものがあり、真夏の肝試しにちょうどいいかもしれない。
スポンサード リンク