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夢前町立船野から大河内町高朝田へ



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平成16年4月11日(日)  メンバー 私だけ

名前のない峠 なまえのないとうげ 590m+

2万5千分の1地形図「寺前」(平成14年9月発行以降)を参照すること。


「たちょうの」から「たかちょうた」へ

夢前町立船野(たちょうの)から「亀ケ壺」の滝へ向う林道河原谷線が始まっている。1時間ほど歩くと、その林道から北に分岐し590m+の峠を越えて大河内町高朝田(たかちょうた)へと通じている破線道がある。

「たちょうの」と「たかちょうた」、語感がどこか似ているのが不思議だ。それを結ぶ破線道を今は通う人もいないが、半世紀前には渓流沿いに道路が通じ荷馬車が行きかっていたのだ。


河原口から出発

今日は夢前町から大川内町に抜ける計画なので車は使えない。そこで姫路駅前発の雪彦山行きの神姫バスに乗ることにした。このバスには何度か乗ったことがあるが登山客が乗っているのを始めて見た。それも4人もだ。

9:00
亀ケ壺に行く林道の起点となる「河原口」バス停で下車。林道への曲がり角には兵庫登山会の案内板が電柱に結わえてある。

亀ケ壺  自然は、みんなの財産です。マナーを守って旅するあなたに、感謝します。

亀ケ壺まで直線距離で4kmと少し、目的地の大河内町高朝田までなら7km。破線道の状態も分からず、果たして歩き通せるのだろうか。

河原川沿いにある「平野鮎狩りセンター」の入口脇に亀ケ壺までの案内図がある。鮎狩りセンターのおじさんと話込んでしまい、つい案内図の写真を撮るのを忘れてしまった。地形図の拡大図と所要時間が書かれていたような気がする。

その先には林道河原谷線の起点標柱が立っていて、着工が昭和13年で幅員3.6m延長8,777mと表示してある。延長距離が少し長すぎるような気がする。

9:15
鮎狩り場は砂防ダムで終わっている。そこには車止めゲートがあるが、これまでに閉まっているのを見たことがない。普通車でも普通に走れる林道が奥に続いていて、道の脇には電柱も建ち並んでいる。

植林の中を行く林道
ここを歩くのは2度目だ

9:46
どこかの企業の保養所なのか、広い敷地に建物とバーベキュー場が優雅に建っている。何度かここを通ったが一度も利用者がいるのを見たことがない。

その先は別荘地になっている。真新しい別荘が並び、いま建築中の物もある。地形図の建物印が4つほどあるところだ。地形図ではここから東側の谷に破線道が延びているが、どこから分岐しているのかいまだに確認できない。

10:01
別荘地北の砂防ダムに着いた。地形図では上流側は池になっているが実際には石がゴロゴロしているだけだ。車はここまでなら乗り入れることができる。

10:11
砂防ダム北の西側の谷は、防火帯なのか木がなく590mピークまで見通すことができる。ここから西側の尾根に登るのも面白そうだ。

10:16
破線道分岐手前の橋に着いた。この手前で林道の溝に丸太を渡していいるところがあった。ここまで車を入れるのは無謀だろう。

ここで河原川は左右に分かれ、左側には地形図にも印がついているが小さな滝がある。ここにも兵庫登山会の案内板があり、滝の名前は「芦谷ノ滝」となっている。しかし、案内板の滝の名前はわざと消したかのように見える。これから入る北に行く谷を「芦谷」というのだろうか。

芦谷ノ滝?
前に来た時は案内板はなかった

破線道の分岐点には、かなり不気味な林業小屋の廃屋があり、公設の案内「亀が壺の滝へ(約50分)」が立っていて、兵庫登山会の案内板もあり左は芦谷ノ滝となっている。これも滝名を隠すようにテープが張られ、その後テープがはがされている。この「芦谷ノ滝」の名前の出所に問題でもあったのだろうか。

兵庫登山会の案内板
芦谷の名前を使いたいが、間違いなのかな

10:24
いよいよ、ここからが初体験のルートだ。地形図によると、橋を渡るとその先に砂防ダムがあり、上流は枯れ川となっている。砂防ダムまでは道があるだろうがその奥がどうなっているか心配だ。


夢前ハイウェイ

予想どうり砂防ダムまでは倒木があったものの比較的しっかりした道が続いていて、また予想どうり砂防ダムから先は石がゴロゴロした河原があるだけだ。

しかし予想外の物もあった。広い河原の左岸に、前後は崩壊しているが石積の護岸がありその上は幅が3m以上もある道路になっている。

道路跡はどこかで川を渡り渓谷の右岸沿いに延びている。道跡には木が生えていて通りにくいが、河原を歩くよりは少しましのようだ。

10:42
道路跡は右に曲がり、川に面して途切れている。向かいの川岸にも石積があり昔はここに長さ10m程の橋が架かっていたことが分かる。木の橋だったのだろうか痕跡も残さず消えうせている。幸い水量も少なく飛び石伝いに靴を濡らすことなく左岸に渡ることができた。

橋跡その1(赤線は橋の想像図)
どんな橋がかかっていたのだろうか

しかし、こんな山奥の渓流に石積の護岸を築き、橋を架けて道路を通すには莫大な費用を要したことだろう。しかもこの先には590m+の急な峠が待ち構えている。このままの規模でこの道路を大河内町まで通すのは不可能だ。何のための道路なのだろうか。まさか薪炭を運び出すために造られたわけではないだろう。

私は、この道路跡を「夢前ハイウェイ」と呼びたい。

10:58
左岸側の比較的状態のよい道路跡を行く。それもわずかの間で行く手には木が茂り、その先の道路は流されているようだ。


幅3m以上はありそうな道路跡
どこかの公園の遊歩道のようだ

11;11
左岸にあった道路跡は消え、いつの間にか右岸側に移っている。渓流を渡り右岸の道路跡へ上がるも、またしても道路跡は目に見えない橋を渡り左岸に移ってしまう。

渓流の水量も少なく河原を歩いていけるが、可能な限り道路跡を行こうと思うので石積護岸から下りたり上ったりで結構時間がかかる。

橋跡その2(赤線は橋の想像図)
木の橋が架かっていたのかな

橋跡その2の先には一輪の鉄パイプ製運搬車が放置されている。丸太を運ぶのに使ったものなのか、いずれにしても橋が流される前のものだろう。

中流域は川の流れも緩やかで谷も広いので、道路跡は比較的よく残っている。植林も道路跡を避けて植えられているが、中には真ん中に植えられた50年は経っていそうなスギもある。

11:38
551mピークの真西、谷が左右に分かれる地点に着いたようだ。見通しが悪く現在位置の把握が困難だが、地形図とコンパスと感を信じ左に行くことにする。

道路跡が現れなかったら間違いなので引き返せばよいので気は楽だ。しかし誰もいないが、それでいて昔の人の気配が濃厚に漂い、私でさえ一人では歩きたくない不気味さがある渓谷だ。


鉱山跡から峠へ

幸いにも道路跡がまた現れ、その先には炭焼窯跡もある。護岸の石積みよりも炭焼窯の石積みの方がへたくそだ。おそらく護岸は専門の職人の手により積まれたものだろう。

11:58
谷が狭くなり道路跡はまったくない。桟橋のように柱を建ててその上に道路を通したのだろうか。河原を行くことにする。

渓谷は狭くなり倒木も行く手を塞ぐ
今のところヒルはいなそうだ

12:10
右岸から急斜面を7、8m登ったところに穴が開いている。登ってみると、自然の洞くつではなく鉱山跡のいわゆる間歩だ。坑道には水が10cmほど溜まり中は真っ暗だ。風が通っていないので出口のあるトンネルではなさそうだ。位置ははっきり分からないが605mピークの東ではないかと思う。

真っ暗な間歩
中に入ったら面白かったかな

間歩は立って歩けそうな高さがあり、奥はだいぶ深そうだ。この坑口しか確認していないが、おそらく周辺には多数の坑道があるのだろう。数分先には小屋掛けをしただろう石積みの平坦地もあり、この一帯が鉱山になっていたのだろう。

これで「夢前ハイウェイ」存在の謎が解けた。この道路は鉱山を維持するために通されたものだ。WEBで調べてもこの地に鉱山があったという記録はまったくなかったが、おそらく金山で、かなりの収益も上がったのだろう。今でも河原をさらえば砂金が出るかもしれない。

時間に余裕がなく、おまけに予想外の事態で、渓流から離れて周囲を調べることも思いつかなかった。周囲を探検すれば面白いものが必ず見つかると思う。

12:35
当然ながら鉱山跡から先には道路跡はなかった。15分ほど行くと水の流れはなくなり、谷が三方に分かれている。地形図とコンパスと感によると目的の峠は正面の谷の先のはずだ。

行くか戻るか
そろそろポイントオブノーリターンが近づいてきた

12:50
さらに15分ほど進むと炭焼窯跡が二つある地点に着いた。ここから先は尾根まで急斜面が続いている。道はなさそうで、そろそろ進むか戻るか決めないといけない時間が近づいてきた。遅くなった昼食をとりながらどうするか判断することにした。

13:09
口をモグモグさせながら熟慮を重ねた結果、峠越えで大川内町に抜けることに決定。あと峠までのは標高差は100mほどで何とかなるだろう。峠からは地形図で見る限り猛烈な急勾配でおそらく道も消えているだろう。それでも下りだから転げ落ちないように注意すれば何とかなるかなと思う。

峠に向け登り始めると、恐ろしいほどの急勾配地に入ってしまった。それでもしっかりした潅木が生えていて、幹につかまりながら何とか登っていく。足元の岩が崩れカランカランといいながら落ちていくが単独なので落とし放題だ。

13:37
急勾配を登ること約30分、ようやく峠に到着した。ドンピシャの尾根の最低鞍部に着いたが、峠とはいい難い狭い尾根に過ぎなかった。また尾根には明確な切り開きが両方へと続いている。

破線道は到着地点の少し北側を通っていて、両側に道の痕跡が残っているが今は通る人はいないようだ。そこには休憩用にか自然石のベンチがあるのみで峠につきもののお地蔵さんはなかった。

峠の石のベンチ
最初は祭壇かなと思った


激下りとヒカゲツツジ

13:50
大河内町側の破線道は10mも下ると行方知れずになってしまい、ただの雑木の激斜面に出てしまった。転げ落ちないよう慎重に木につかまりながら、左手の尾根に見える方向に移動していく。

植林と雑木林の境になっている尾根にどうにかたどり着くと、明確な踏み跡があり一安心。これで足元に見えている麓まで行けるだろう。

14:20
急な尾根の踏み跡を慎重に下っていくと、白っぽいツツジの花が咲いている。ヒカゲツツジの木が10本ほどあり清楚な花が満開に咲いている。
満開のヒカゲツツジ
正に日陰に咲くツツジだ

14:41
尾根から下ること50分ほどで、最後は植林の中の杣道をたどり谷に下り立つことが出来た。破線道からはだいぶ離れているようで、渓流沿いの歩きにくい植林の中を東へ進む。

14:54
「水源かん養保安林」の標識がある道らしきものにたどり着き、実線道の終点の広場に着いた。倒木さえなければここまで車を入れることができるが、広場の入口は倒木に塞がれている。

15:04
林道の両側に木々が疎らに生えた平地が広がっている。平成5年10月発行の地形図に記載されている「温室・畜舎」のところだが、古い地形図でも役立つことが分かった。

15:13
夢前町立船野から歩き始めて6時間、ようやく小田原川右岸の集落まで到着した。農機具を整備しているおじさんがいたので話しかけてみると、峠には特に名前はなく、下ってきた谷の名前は「下山谷」というそうだ。40年くらい前までは柴を刈りに登り、峠の石のベンチで休憩したそうだ。

16:07
小田原川沿いに3kmほどの車道歩きでJR播但線寺前駅に到着。運良く発車間際の電車に乗ることが出来た。

今回の山行後半の峠越えはかなり無謀な試みで、迷うこともなく、ほぼ計画通りに越えられたのは運が良かったからだろう。あまり勧められないコースではあるが、予想外の道路跡・橋跡・鉱山跡など見所満載の面白い渓谷歩きが出来た。

ヒルに関しては亀ケ壺への渓谷を含め、今までに一匹も見たことがない。



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