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安富町と山崎町の境、禅師山廃寺跡



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平成16年4月18日(日)  メンバー 私だけ

禅師山 ぜんしやま 460m+

2万5千分の1地形図「安志」を参照すること。


禅師山廃寺跡

始めに断っておきますが、今回は凡太郎の山歩き「山崎安富町境:禅師山廃寺跡」の100%トレースの山行になっている。

前日になってもどの山に登るか決まらずに、とうとう今日の朝を迎えてしまった。こうなったら仕方がないのでWEBの記録から行く山を決めることにして、つい最近読んだ凡太郎さんの山崎町と安富町の境にある禅師山廃寺跡に行ってみることにする。

位置的には山崎町宇原と安富町塩野の間の送電線が分岐している地点の近くのようで、廃寺の名前から山の名前を「禅師山」としたが、本当の山名ではないことを断わっておく。


登山口はどこだ

国道29号線を北上し姫路市から安富町に入る。狭戸集落を過ぎ、次の塩野集落で左折し奥に入っていく。舗装道路から地道の林道となり、順調に林道終点に付いた。

しかし何かが違う。「凡太郎の山歩き」によれば案内板があるはずだがない。それに林道の終点の横には砂防ダムがある。

地形図を出して調べてみると北へ延びる林道に入ってしまったようだ。林道終点から作業道が続いているので、山崎町との境界を南下すれば目的地には行けそうだが山を一つ越えなければならず、ここは率直に本来の登山口に車を回すことにする。

9:37
温室・溜池・牛舎・廃タイヤ処理場の横を通り、少し道が悪い林道池ノ内線を少し行き終点の広場に到着。今度はちゃんと案内板があり正しい登山口に着いたことが確認できた。最後の廃タイヤ処理場から林道への行き方が分りにくかったので写真を載せておく。

タイヤ処理場のここから入ると林道がある
ここで行き止まりのような感じだが


お地蔵さんの峠から廃寺跡へ

9:44
登山開始。広場奥の登山口には、塩野自治会が立てた案内板と、その向かいには関西電力送電線巡視路「火の用心」標識も立っている。

健康遊歩道
お地蔵さん迄 約200m
廃寺迄(鐘かけ松) 約1000m
塩野自治会 H15年10月

案内板の奥から登山道が始まる
植林の中へ入っていく

植林の谷沿いに緩やかな幅の広い道を登っていき、左側へ方向を変えるところで地形図を見る。何かを期待し、真上を見上げると植林の中の狭い空に送電線が横切っていた。

9:51
登り始めてから7分(写真撮影の時間を含む)で地形図の217m標高点がある峠に着いた。真新しい祠に祀られお地蔵さんと丸太のベンチがある。祠には「改築平成15年5月吉日塩野自治会」と書かれている。

峠のお地蔵さん
祠脇に捨てられたペットボトルがなんだかなあ

峠と呼んだが、山崎町川戸へ下る道は植林の谷の中へ消えている。

左手の山腹の道方向には「廃寺跡 塩野自治会」と「火の用心6号」。右手の尾根には「火の用心7号」の表示がある。「廃寺跡」への案内は、この後要所要所に現れ廃寺跡へと導いてくれる。

10分ほど峠周辺を探検した後、南へ山腹に付けられた道へ進む。町界尾根にも切り開きがあり通ることが出来そうだが、登り下りもあるし楽そうな山腹の道を行くことにする。

この道は元々は関西電力送電線巡視路なのだろうが地元の方々の整備で、より歩きやすい道となっている。

植林の中を行く
よく整備されている

10:12
山腹の道は、始めは植林の中を行くが送電線鉄塔(山崎線6)に着く頃から雑木林が増え、芽生えたばかりの新緑の中を行くようになる。

送電線鉄塔の先に巡視路プラ階段が少しあり、そのほかの少し急なところにはステップが切られている。しかし少し小刻みすぎて、その上に落ち葉がかぶさり、角も丸くなり、整備した人には申し訳無いが逆効果になっているような気がする。

雑木林の中を行く
よく手入れされた道だ

10:29
山腹の道は、大きく九十九を描き尾根に登る。尾根の北側は少し藪っぽくなっているが十分通行可能のように見える。これから進む南側の尾根にはよい道が付いている。

10:35
次の送電線鉄塔(山崎線5)は道から少しだけ離れて立っている。場所は東西に延びる送電線から北へ分岐し200mほどの尾根の上だ。東の山が少し見えるだけで展望はない。

10:44
送電線分岐点の鉄塔に着いた。播磨線56の紅白大鉄塔だ。

播磨線56の分岐の様子
これを見るのも目的の一つだった

鉄塔の足に「送電線サージカウンター」と名板が付けられた鉄箱が付いている。鍵は付いていなかったので開けてみると、中にはカウンターがあり「0002」を表示している。どこにも接続してない独立した箱なのだがどういう原理でサージ(落雷)回数を計っているのだろう。

10:56
送電線巡視路が右と左に分かれている。東に行く送電線の巡視路と廃寺跡は左で、西へ行く送電線の巡視路は右だ。

10:58
林道終点から1時間以上かけて「禅師山廃寺跡」に到着。普通に歩けばこんなにかからないだろう。凡太郎の山歩きでは「434.3m三角点付近?」となっているが、「三角点のほぼ真東の町界尾根上の平坦地」がより正確な表現だろうか。

禅師山廃寺跡
植林の中で暗い

石柱が1本、木柱が2本立っている。石柱には次のように彫られている。

禅師山廃寺跡(養法寺)
天正8年豊臣秀吉の長水城攻略の際、兵火にかかり焼失したと伝えられている。
昭和59年2月建之 山崎町宇原部落
標高434m

標高434mは三角点ので、この辺りは320mほどだろう。天正8年という大昔に焼失したので今は建物の礎石と思われる石が並んでいるだけで、それ以外の物は見つけることが出来なかった。

禅師山廃寺跡の建物の礎石?
四角っぽく並んでいる

木柱2本には次のように書かれている。

禅師廃寺跡(養法寺)
昭和58年3月植林記念 宇原部落
標高434m

鐘掛松株跡
昭和14年枯れる
株直径約2.5m

65年前に枯れてしまった鐘掛松の株跡は消滅する寸前で、木柱が立っていなかったらどこにあるか分らないような状態だ。


頂上の反射板から引き返す

11:13
一段高くなっている上にも礎石らしきものがあり、その先を行くと右手に分岐がある。分岐のすぐ上は、この禅師山の最高地点(450m+)で関西電力宇原反射板がある。位置は434.3m三角点の東250mほどのピークだ。

兵庫の山 写真帳によると5年前の1999年には「南から西にかけて遮るものの無い展望が広がっていた」とあるが、今は木が伸びたのか残念ながら展望はない。

禅師山の最高標高地点
フェンスを乗り越え反射板に登れば大展望だろう

三角点方向へ行く道は見つからなかったが、さらに町界尾根を南東に行く道と、東の尾根の送電線鉄塔に行く道はある。

11:25
しかし本日は次の予定もあるので、来た道をそのまま戻ることにする。

12:15
出発地点の林道終点広場に帰着。帰りは何とか1時間以内に納めることが出来た。

今日は「健康遊歩道」を歩き楽をしたが、北の安志峠から町界尾根を忠実に辿り南の宇原坂に抜ければさらに楽しい?山歩きが楽しめるのではないかと思う。町界尾根だもの、切り開き踏み跡ぐらいはあるだろう。



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