夢前町、禿の行者山
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平成16年4月24日(土) メンバー 私だけ
禿の行者山 | はげのぎょうじゃやま | 649.9m |
2万5千分の1地形図「寺前」を参照すること。
禿の行者山
この「禿の行者山」という変わった名前の山は、雪彦山に近い夢前町山之内の佐中から北東に延びる尾根の649.9m三角点の山だ。
両側が切れ落ちて鋭く尖った、まるで出刃包丁の刃のような断崖絶壁があり、昔の修験道の行者が修行を行った山だ。私もここで修行すれば違った人生を送ることが出来るような気がするが、まだ死にたくないので遠慮しておいた。
なお、この山は山であそぼっで去年、今年と2回紹介されている。それを参考に100%トレースで登ってきた。
消防車とパトカーが行く
10:11
夢前町山之内の佐中集落に到着。車は佐中から東の谷に入る林道分岐点近くの道端の空地に停める。
しかし、いつ来ても静かな集落なのに大きな音が聞こえてくる。「警鐘台」のサイレンがウーウーとけたたましく鳴り響いているのだ。近くで火事が起きたのだろうか。
すると南からウーウーカンカンと消防車が走ってくる。佐中の集落を通り過ぎ、さらに北に向って走っていく。熊部集落か山林火災か煙も見えないので分らないが、とりあえず佐中ではなさそうだ。
今日の山行は中止しなければならないかと思ったが、農作業をしている人ものんびりした様子なので、予定どうり「禿の行者山」に登ることにする。
10:25
その後、ポンプ車が1台・パトカー2台・救助工作車、消防団の軽トラポンプ車が次々と通り過ぎたあと、登山を開始する。
林道の分起点に次の案内柱が2本立っている。「僧屋敷の滝」今回は関係が無いが、ずいぶんと離れたところに案内柱を立てたものだ。
名勝 僧屋敷の滝 夢前町
佐中より、北へ2km行きそれより東の谷に1km入ると人里離れた奥地に、涸れることのない滝は修業者(修行者の誤記かと思う)にとって格好の行場となっている。(滝高さ約40m、幅1m、坪15mの円形)
古くは滝の近くに、修行小屋があって、いつも僧や行者の姿が見られたので僧屋敷とよばれ、それが滝の名になった。山之内は伯耆大山に向う近道に当たり、行者伝承が目立つ中にあって代表的な由緒地である。 (入口の鍵は自治会長宅で借りて下さい)
文化財 妙見堂石段 夢前町
ここより約150m前方に見える妙見堂の石段は大正12年(1923)4月竣成したもので、5段に区切られ、全長84m、247段ある。一番下の石段は長さ36m、111段あり最も長い。 石段を登ると、室町時代よりお祀りしたと伝えられる妙県堂のほか、阿弥陀寺、大歳神社などが建ち並び、神仏混淆時代のなごりをとどめている。
兵庫県自治振興助成施設・文化財標柱
この標柱は、兵庫県の競馬収益金を財源とする
自治振興資金の助成を受けて設置したものです。
10:32
橋を渡り、東に入る林道を行くと妙見堂石段に行く道がある。石段の両側の八重桜は満開で春爛漫の雰囲気が満ち満ちている。しかしながら今日は気温が低く風もあり少し肌寒いくらいだ。
10:37
247段ある石段もあっけなく登りきってしまい、土俵がある掃き清められた広場に着いた。左に大歳神社・右に阿弥陀寺・間の石段を登って妙見堂が並んでいる。
急な登り、展望のない尾根を行く
妙見堂の左裏手より山道が始まっている。最初はヤブっぽいがその先は左手は植林、右手は伐採後の若い植林地で南向かいの尾根がよく見える。大きな樅の木が尾根に一列に並んだ脇を登るのだが、地面は崩れやすく登りにくい。
伐採地の上は結構な急傾斜で、植生界を木々につかまりながら登っていく。(下山時は北側の植林の中に仙道を見つけることができた)
11:20
ようやく緩やかな登りとなり、テレビ共同視聴用アンテナ跡の先には「大西」と刻まれた石杭があり、標高420m+の地点だ。この辺から尾根は狭く明確になり、切り開きも少しヤブがかっているが明確なものが続いている。ただ両側は植林や雑木林で展望はほとんどない。尾根の雑木は常緑樹がほとんどで冬場でも展望はないだろう。
11:43
「川口」と刻まれた石杭のある513m標高点のあるピークに着いた。ここから一旦急な下りがあり「禿の行者山」目指しさらに登っていく。
12:06
「山であそぼっ」に登場する3m四方ほどの石垣跡に着いた。昔の行者はここに小屋掛けして修行をしていたのだろうか。
12:20
右側の展望がよくなってきて、昔の植林作業の名残のワイヤーロープを乗り越えると「禿の行者山」はもうすぐだ。
大展望の「禿の行者山」
12:24
歩き始めてから2時間、手前に手水鉢、奥に行者石仏が祀られている南側が全開の岩場に到着。行者石仏の先は両側が切り立った出刃包丁の刃のような岩壁の尾根となっている。立つのもままならないほど狭い岩壁を渡る修行を、行者はしていたのだろうか。