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姫路市超低山巡り



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平成16年9月11日(土)  メンバー 私だけ+山岳救助隊員(妻その1)

名古山 なごやま 42.3m
子鞠山 こまりやま 40m+
面白山 おもしろやま 38.2m
冑山 かぶとやま 30m
手柄山 てがらやま 49.3m

2万5千分の1地形図「姫路北部」、「姫路南部」を参照すること。


まずは名古山から

国宝・世界遺産「姫路城」の西約2Km、頂上に不思議な塔があり全山が霊苑となっている山が名古山だ。兵庫の山々 山頂の岩石によればその丘陵全体を指して栗林山といい、3つのピークを西から名古山・小鞠山・御前山というそうだ。

地形図には「名古山霊苑」という施設名のみ記載されていて、山名は載っていない。42.3mの四等三角点(点名:市墓地)が名古山を南北に貫く道路のすぐ脇にある。

9:26
北側の東辻井1丁目から名古山に登り始める。ピークまでの比高は30mたらず、墓地の間の舗装道路を登っていくので、登山をしている気分には全く浸れない。

街路樹にイチョウが植えてあるが、先日の台風による塩害のためか南側の葉がほとんど落ちて、残っているのも変色している。

9:33
「陸軍墓地」の北側の南北に長い広場の北端付近に三角点標石があるはずだが、そこには祭壇と石灯篭が2基あるだけで三角点は見当たらない。

周辺を調べるが何もなく、最後に祭壇の右側を探すと「大切にしましょう三角点」の標柱が植え込みの際に刺さっている。そして三角点標石は、なんとそのツツジの植え込みの中に頭だけ出して埋め込まれている。

今まで見てきた三角点標石は、周りがどんな籔でも標石周りだけは切り開かれているのが普通だった。しかしここでその常識は通用しないようだ。

祭壇の右手植え込みの中に
この祭壇は遥拝所なのだろうが
書写山の方を向いているようだ

三角点(点名:市墓地)がある
こんな三角点標石見たことがない


小鞠山へ

三角点がある名古山から、尾根続きの小鞠山に行くことにする。小鞠山山頂は「世界遺産姫路城十景」の一つに選ばれた景勝地だ。

9:40
三角点が隠されている広場のすぐ北側には「陸軍墓地」がある。

陸軍墓地

この墓地は、明治元年の戊辰の役以来、西南の役、日清・日露の戦役、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、第二次世界大戦等において戦没された英霊および自衛隊公務殉職者の御霊十一万一千五百余柱が鎮まる聖域です。
どうぞご参拝下さい。
今日の平和は、現在の私達だけで築き得たものではなく、過去の多くの尊い礎となられた方々のお陰であることを忘れず、敬弔感謝の誠を捧げましょう。

陸軍墓地の敷地北端に「外人兵士の墓」が3基並んでいる。

外人兵士の墓
総収容者数400人ほどの内6人が病死

外人兵士の墓

第一次世界大戦の青島戦で日本軍の捕虜となり、本市や青野ヶ原廠舎に抑留中、病気のため陸軍病院に入院、不幸病歿した6兵士のうち、3名は他の捕虜たちに抱かれて帰国、残った下記3兵士の遺骨は引取人無きためここにまつってその霊をなぐさむもの。

海軍二等水兵 ヨハン・ヴィッター
(大正5年5月25日歿、ハンガリー国ホルト・マロス州出身)
海軍二等水兵 テオフィル・ゴモルカ
(大正5年6月17日歿、オーストリア国カリシヤ州出身)
海軍一等水兵 エロチ・アントン
(大正8年9月9日歿、イタリー国イストリエン州ビジノ・チエビチ出身)

9:45
道路の右手の「仏舎利塔」に寄ってみる。

仏舎利塔

仏舎利塔縦覧案内

この名古山霊園の中央にそびえる連立式建物は「仏舎利塔」であります。
塔内には人類永遠の平和を祈念してインドの故ネール首相から贈られた仏舎利(釈尊の分骨)を納めた金色の厨子が安置されております。ドームの上部には鳳凰と雲中観音の優美な壁画を仰ぐことができて中間部には釈迦三尊を正面にして十大弟子の立像と釈迦一代記をあらわした壁画がつらなり下層部には聖徳太子を中心に歴史上著名な六人の高僧の座像と日光月光両菩薩の立像を安置し尊厳にして佳麗を極めています。
建築造形美術の粋を尽くしたこの仏舎利塔は貴重な文化財としてまた観光資源として脚光を浴びております。

名古山霊苑管理事務所

縦覧料を200円を払うと仏舎利塔に入れる。誰もいない塔内に入ると外からは想像もつかない絢爛たる仏教世界が広がっていて唖然とさせられる。呆然としていると、静かな塔内に響き渡る案内放送が突然始まり二度ビックリ。「名古山霊苑協会 仏舎利塔」のホームぺージにその案内放送音声があるので、一度聞いて慣れてから仏舎利塔に入ったほうが精神衛生上よいと思う。

9:47
仏舎利塔南の駐車場脇に姫路市「緑の十景」の案内板が立っている。

緑の十景 名古山
(姫路市制90周年を記念し 昭和54年4月1日制定

名古山は、山頂に壮大な仏舎利塔郡がそびえる、東洋的異国情緒があふれる明るい墓地公園です。
中央の道路沿いには、イチョウ並木がつづき、山全域にクロマツ・サクラ・ヒドラツツジ・トベラなど1万本の樹木が植栽され、都市部の代表的な緑として人々の心をなぐさめてくれます。
このかけがえのない緑豊な自然を市民の財産として後世に継承するため大切に守っていきましょう。

姫路市

姫路市 緑の十景は、まめのこずいによれば次の十箇所が制定されている。

なお、「緑の十景」制定はわずか25年前のことなのに、姫路市のホームページでは一言も言及されていないのが淋しい。姫路市役所は健忘症なのだろうか、それとも思い出したくないことなのだろうか。

9:49
大きな地球儀のある噴水広場となっている鞍部を過ぎると、右手に不思議な塔がそびえ正面には中央に流れのある階段がある。

9:52
階段を登ったところが小鞠山(名古山霊苑高台)の頂上で、姫路少年刑務所の先、男山と景福寺に挟まれ姫路城を望むことが出来る。

小鞠山頂上
男の人が一人折りたたみ椅子に座りボーットしていた

姫路城
お城右側のとんがり山は桶居山

世界遺産姫路城十景

姫路城は平成5年(1993年)12月に世界遺産として登録されました。これを記念して姫路城ビューポイントを公募し、その結果をもとにして、「世界遺産姫路城十景」を決定しました。姫路城が最も美しく見える10ヵ所です。

名古山

ここからは、眼前に広がる市街地越しに西方からの姫路城の美しさを見ることが出来ます。

姫路市

うーん、今は姫路で十景といえば「世界遺産姫路城十景」のことなのか。

10:09
小鞠山から階段を下ると、横手にある不思議な塔がどうにも気になり寄ってみる事にする。草むらを抜けると石段が塔の開口部へ向って延び「須弥山」の案内石が立っている。チベット仏教の聖地「須弥山(しゅみせん)」を模したもののようだ。

塔の中には何があるのかと石段を登って行くと、「苦行中の釈迦像」と題した仏像が祀られている。釈迦像としては定番のようだが、苦行中の骨と皮のやせ細った像で、幼い子どもを連れてきていきなり見せたら泣き叫ぶこと間違いなしの不気味さで、昭和41年に開かれた「姫路大博覧会」の時に作られたようだ。

苦行中の釈迦像
これを夜中に見たら怖い


面白山へ

名古山から南西すぐ、「西友 ザ・モール姫路店」の東側に姫路測候所の観測塔が目立つ山がある。甕丘(みかおか)・神子岡山(みこおかやま)とも呼ばれる。この山には三角点も標高点もない。

10:30
名古山を下り、面白山の西側から車道を登り頂上に着いた。頂上には今は「姫路特別地域観測所」となった「姫路測候所」と「姫路市立面白山児童センター」の建物がある。地域気象観測所は普通アメダスと呼ばれるもので、特別地域観測所とは従来有人の測候所が無人化されたもので、今はアメダスの構成要素の一つに過ぎない。

面白山はザ・モール姫路店の4階から頂上にある駐車場まで橋が架かっていてエスカレーター又はエレベーターでも登山可能な非常に稀な山でもある。今は駐車場だけになってしまったが以前は遊具が置かれていた。(モール駐車場から姫路特別地域観測所・面白山児童センターに行くには一旦下山しなければならない。)

姫路特別地域観測所の観測塔
横にある展望台からの眺めはどうなのだろうか

姫路特別地域気象観測所

敷地内立入禁止

この敷地内の施設は、私達の郷土を気象災害から守るための大切な気象観測施設です。
設備に触れたり、いたずらすることは、観測に大きな支障を及ぼしますので、この敷地内に入らないようにして下さい。

なお、いたずらや設備を壊したりすると気象業務法によって罰せられますので十分ご注意下さい。

神戸海洋気象台
神戸市中央区脇浜海岸通1-4-3
電話078-222-8915(夜間)
078-222-8901

姫路測候所の無人化と今後の気象観測資料の照会等について

姫路測候所
平成15年2月28日

気象庁の業務につきましては、日頃から特別なご理解とご支援を賜り、厚く感謝申し上げます。
さて、この度、姫路測候所は、近年の観測技術及び通信技術の発達等を踏まえ、平成15年3月1日をもって、機械化により無人の「姫路特別地域気象観測所」として運用することといたしました。
同観測所では、新型の観測機器等により観測業務を継続いたします。また、気象実況および気象情報の照会等につきましては、神戸海洋気象台が対応いたしますので、下記のとおりにお問い合わせいただきますようお願い申し上げます。

電話照会の方法及び対応窓口
神戸海洋気象台の対応窓口は次のとおりになっていますので、必要な場合は神戸海洋気象台へ電話をお願いいたします。

問い合わせ内容窓口
天気予報
現在の気象観測資料
観測予報課
電話番号 078--222-8915
気象証明・鑑定
過去の気象観測資料
業務課
(平日8時30分〜17時)
電話番号 078-222-8907

なお、これまでの姫路測候所電話番号(0792-93-2274)にダイヤルされますと自動的に神戸海洋気象台観測予報課に転送され、職員が直接電話で対応します。


冑山へ

JR姫路駅の西に、北を新幹線の高架、南を姫新線に挟まれた標高36mの冑山がある。

面白山から南に行き新幹線高架と三菱電機工場の間の道を東に行くと冑山の北麓をかすめるが、北側には登山道はないようだ。斜面を適当に登ればすぐに頂上まで登れるだろうが正式な登山道を探しさらに東へ進む。

11:09
道路南側には町工場が続き冑山から離れてしまう。ようやく南に入る狭い道があり、そこを入ると「冑山神社」の扁額が架かる石鳥居があり冑山への入口を見つけることが出来た。

11:12
駐車場と町工場の間の参道を行くと、地蔵堂・社と冑山神社へと登る石段に囲まれ参拝者用の駐車場所がある。

11:14
2分もかからずに石段を登るとそこは冑山頂上の冑山神社だった。冑山には標石のない36mの標高点がある。

冑山頂上の冑山神社

冑山神社縁起

祭神 春日大神 天照皇大神 八幡大神
脇宮 松永稲荷大神
献詠歌 武士の冑の山に来て見れば 手柄の山に弓張の月

由緒
天和2年壬戌2月12日本多中努大輔政武当城賜同6月11日入元禄14年辛己城の裏鬼門に当る冑山に神社を建立城守護神として同9月14日遷宮代々城主尊信す天保13年3月26日の大火に焼失再建昭和20年7月3日第二次世界大戦の空襲により全焼す昭和22年衛神殿建立昭和31年9月拝殿建立昭和41年9月近代的建築を取入再建

献詠歌にあるように南を見ると次の目的地の手柄山が近くに見える。

しかしここである問題が表面化してきた。履きなれない靴のため靴擦れが発生し、両足のかかとに水泡が出来てしまったのだ。家を出発してからすぐにやばいなとは感じたが、これ程になるとは思いもよらなかった。水泡に当らないように靴のかかとに詰め物をしてみたが、今度は親指の爪が当りまずいことになる。結局は靴が小さすぎるのが原因だが、果たして山行を最後までこなすことが出来るだろうか。

11:30
冑山を後にする。


手柄山へ

姫新線、山陽本線の踏切を渡り、姫路文化センターから市立手柄体育館の跡地に出来た手柄山第一立体駐車場の南に水族館へ直登する道を発見。

11:51
途中から階段になるも水族館前を抜け手柄山中央公園に登ることが出来た。ここにも姫路大博覧会の遺構が残っている。

手柄山の頂上の城跡?
どうせなら姫路城の天守閣でも再現すればよかったのに

痛い足をかばいながらのろのろと「緑の十景」と「世界遺産姫路城十景」の表示板を探すがどちらも見つからない。

探すものを三等三角点標石(点名:手柄山)に切り替える。地形図では高塔の北側になっているが、ここには塔の類似品がたくさんあり、三角点もどこにあるのか分らない。

手柄山遺跡 姫路市西延末字手柄山

手柄山は「播磨国風土記」餝磨郡伊和里の条にある「手刈丘」に相当し、古くからこの付近に人々が居住していたらしい。かつて北丘〜南丘にかけて、弥生時代から古墳時代の遺跡が多く存在したが、中央公園の建築工事によって大半が破壊されえた。多くの出土品の中で、南北両丘の古墳から各々出土したといわれる内行花文鏡はとくに貴重な遺物である。
周辺部では船場川の自然堤防上に小山遺跡・橋詰遺跡などの遺跡が確認されている。

姫路市教育委員会

太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔
巨人が現れ剣を手柄山から引き抜き、暴れまわるのはいつのことだろうか

太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔

この塔は先の大戦で空爆の犠牲になられた方々の慰霊に資するため、全国からの浄財により1956年(昭和31年)10月26日に建立されました。
現在は109都市(東京都を含む)が加盟する財団法人太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会が維持管理を行っています。
中央の塔身部は刀が地中に埋められた形で「もう戦争はしない」ということを表現しており、側柱には建築にかかわった全国戦災都市連盟(113都市加盟)の被災記録などが刻まれています。
竣工以来、毎年10月26日に塔前においてこの浄域に眠る加盟都市50万9700余柱の犠牲者を追悼する平和祈念式典を挙行しています。

12:15
地形図の高塔は、この慰霊塔のこととようやく気づき北側に回ってみる。タイルで作られた大きな方位盤の南端に60cm角のマンホールがあり、その蓋には

三等三角点

この下には地図を作る為の基準となる三角点が埋設されています。
尚、この地点の標高は49m15cmです。

と記載されている。このクラスの蓋になると重さは40Kgほどあり一般の人が開けようとしても開くものではない。しかし私のようなマンホール蓋開けのプロにかかると簡単に開いてしまう。

この山行記録を見て、私も開けてみようなどとは間違っても思わないこと。指を挟んで痛い目にあうならまだしも、指先がなくなると生きて行くのが少し辛くなる。

マンホールの中の三等三角点標石は茶色くなっていて花崗岩の質感は全くなかった。名古山は植え込みの中にあるし、ここはマンホールの中だし、姫路の三角点は一風変わっている。

初公開、手柄山三等三角点標石
鍵も掛けていない、開けて見るのは合法でしょう

12:24
そろそろ次ぎに行こうかと思ったが、周辺を探索すると銅像が北端に立っているのを見つけた。戦後20年間姫路市町を勤めた石見元秀氏のものだ。

姫路市名誉市民石見元秀之像
文化勲章受賞 芸術院会員 北村西望作

姫路市名誉市民 勳三等 石見元秀氏は 明治33年姫路市飾西に生まる
その天性 英明にして果断 孝心篤く節義を重んず
若くして家を興し人を導き 事業を大に 愛郷の心また盛んなり
昭和21年衆望を担い 戦災焦土化した姫路市の市長に就任 爾来20有余年その職にあり 遠大な構想のもと独創的なる都市復興を実行し 大手前通りの建設 手柄中央公園の開設 名古山霊苑の創始 全国戦歿者慰霊塔の建立等 大姫路の雄図を確立せり
ここに 遺徳を追慕敬仰する市民各々その浄財を持ち寄り 記念碑を ここ手柄山に建立し 同氏不滅の業績を讃え これを後世に伝承す。

昭和56年5月 建立

発起人
姫路市長 吉田豊信
姫路市議会議長 井上由信
姫路商工会議所会頭 竹田二朗

姫路市名誉市民石見元秀之像
右手に帽子、左手に持ているのはモノレールの延伸計画図面か

靴擦れの具合はさらに悪化し歩くのが困難になってきた。最後の目的地は手柄山の西にある金亀山だが、山行の中断を決意し私設山岳救助隊に救助要請する。幸いにも手柄山は頂上まで車道が登ってきているので麓まで下山する必要もない。

12:58
無事、山岳救助隊員(妻その1)と落ち合うことが出来た。帰る途中、将軍橋北の日の丸軒ラーメンにて生ビールとネギトロ醤油ラーメンを食す。ここ数年外でラーメンを食べたことはなく、他の店との比較は出来ないがまずまずの味だった。



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