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氷室池から広峰神社へ



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平成16年10月24日(日)  メンバー 私だけ

広峰山 ひろみねさん 310m+

2万5千分の1地形図「姫路北部」を参照すること。


水がないのに氷室池

今日もまた広峰を歩いてきた。西の氷室池から近畿自然歩道を忠実にたどり広峰神社へと抜けるごく普通のルートで、谷が一ケ所だけ台風による倒木群で塞がっていたが、それ以外は特に問題が無く歩くことが出来た。

9:08
夢前町山富にある姫路カンツリー倶楽部の北まで妻その1に送ってもらう。最近の山行は送り迎え付きで楽珍というか、増位・広峰は登山口と下山口を変えて歩くのが面白い。

夢前川左岸沿いの道から氷室池へ行く道には道標がなく、初めての人は戸惑うかもしれない。氷室池から流れ出す山富川に架かる氷室橋の南側に、入口の両側がブロック塀の狭い道が東に入っている。そこから入ると両側に有刺鉄線柵が続く変な道になる。それが氷室池に行く道だ。

氷室橋そばの草の中に夢前町の標柱が立っている。

史跡 氷室池 夢前町

姫路藩主、酒井忠学の時天保13年(1842)に夢前町玉田、姫路市安室村六か村の灌漑水源として、莫大な工事費をもって完成した大池である。
周囲は約4Km余りあり当時としては姫路藩でも屈指の大池であったが、現在は灌漑用としては利用されていない。

9:19
住宅地の裏を行くと近畿自然歩道の道標が道端に立っていて、この道で間違いないことが分かる。

(東)氷室池0.6Km (西)氷室神社0.5Km
近畿自然歩道

9:25
住宅地を抜け、コンクリートで三面張りされた氷室川の左岸を行くと車止めがある。車を3台ほど停めるスペースはあるが、ここから登り、ここに戻ってくるのも能が無いし、書写山と組み合わせて歩くのがいいかなと思う。

9:30
氷室池堰堤のすぐ下に橋が架けられていて、川向こうに石碑があるので見に行く。

氷室池堰堤
前に来たときは堰堤下に橋がなかったような気がする

氷室池

この池は氷室池といい、姫路藩安室郷内の七ケ村の農業用水を確保するため、郷内農民が総出で約5年の歳月をかけ、天保13年(1842)に完成した。
池の完成後、夢前川の水の配分をめぐって争いがおこり、大阪奉行所へ出訴した記述が残っているが、長年の間、横関以南の広大な田畑を潤し、新田開発をも促してきた。
幾多の変遷を経たこの池も、近年の耕作地の減少と堰堤の老朽化が進んだため、改修の必要にせまられていた。
この地域一帯は、明治36年に砂防指定を受けており、この度、砂防事業によって堰堤の前面改修を行ったので、完工を記念し後世にその由来を伝える。

平成8年3月吉日 兵庫県

9:36
左岸に戻り、擬木の階段を堰堤横まで登ると周囲4Kmの氷室池はなく草木が茂っているだけだ。平成13年2月発行の地形図では水をたたえた氷室池が描かれているが現実は細い流れがあるだけだ。


谷を行く

9:45
元々は氷室池湖畔の道だったのだろう広い道を行くと、左手に分岐がある。近畿自然歩道の腕付きの道標が立っているところだ。テープのマーキングがあり人工の堤の上に続いているように見えるが、人が最近通った感じはなく、これが広峰道にあった「氷室池へ」の表示に対応しているのだろうか。

(南東)吉備神社・荒神社2.4Km 広峯神社2.8Km
(北西)氷室池0.4Km
近畿自然歩道

道は渓流脇を行くようになる。ゴロゴロ石の歩きにくい道になり、渡渉地点もたくさんある。道に水が流れている部分もある。マーキング代わりなのかネクタイが所々の木に結わえ付けてある。見た感じが凄く変なマーキングだ。

ゴロゴロ石の道を行く
渓流は右側に

渡渉地点もたくさんある
流れは浅い

渓流の石を返すとサワガニが
から揚げにしたら美味しそうだな

流木も倒木もある
ここは渡渉地点でもある

10:08
何度か流れを渡り奥に入っていくと、左岸のクヌギの木が5本ほどまとめて倒れている。大雨で根元の土が緩んだのか、谷底全てを塞ぐように倒れている。右岸の倒木の上部は枝葉が邪魔をし、急斜面を巻かなければならない。左岸の倒木の根元に隙間があり何とか通過することが出来た。

倒木群が谷を塞いでいる
枝を切れば容易に通過できそうだ

10:20
渓流沿いを進んできた近畿自然歩道が左手の尾根に曲がり登っていく。渓流沿いには踏み跡が続き近畿自然歩道の道標に手書きで「独協大→」と書かれている。近畿自然歩道から別れ、さらに南へ続く踏み跡を進むと町界の峠を越して獨協大学まで行けるのだろう。もう一度ここに来たら行ってみよう。

(南東)吉備神社・荒神社1.9Km 広峯神社2.3Km
(北)氷室池0.9Km (南:手書きで)独協大
近畿自然歩道



尾根を登る

尾根の登りはいきなりの急登で、ここまでの緩やかな渓流歩きとの差が大き過ぎる。けれども周囲が全く見えない谷歩きから、高度がグングン上がり周囲の様子が見えてくるのが面白い。

いきなり急な登りになる

10:31
急な登りがようやく緩やかになってきた。それでも最初の2分の1ほどの登りが続く。風によると思われる倒木がそこかしこにあるが道に倒れてきている物はない。

緩くなったが登りが続く

10:44
ようやく登りが終わり、といっても高度差は170mほどだったが、ここからは緩やかな起伏の道が広峰神社まで続く。ただし、道の両側は雑木林が続き展望は皆無だ。近畿自然歩道の道標はあるが標柱のみで目的地までの距離が分らない。

最初は雑木林の中の明るい道を行くので気分がよいが、1Kmほどもほぼ平坦な、景色も変化がなく飽きてくる。

広峰神社までこんな道や

こんな道が続く

11:15
北の奥須加院へと続く道(広峰道)と合流する。踏み跡は奥須加院への方が広く、どちらが本道か迷ううが近畿自然歩道の道標があり間違うことはない。

(南)吉備神社・荒神社0.5Km 広峯神社0.9Km
(北西)氷室池2.3Km
近畿自然歩道

(北西)氷室池から山富へ
(北)空港予定地から奥須賀院(ママ、奥須加院を間違えている)へ

(北)そうめん滝→

下二つは私製道標だが、字を間違えているし、ここから北に進むと「そうめん滝」は普通のハイカーを惑わせるのにしか役に立たないだろう。


広峰山頂上と広峰神社

広峰神社に向う道の送電線鉄塔15へのプラ階段が北に分岐するところでは道にひび割れがあり、畑が作られているところでは突風が吹きぬけたのかヒノキが地上1.5m程のところで折れていたり、御師屋敷跡近くの石垣が崩れていたりと台風の被害がそこかしこに残っている。

11:25
「吉備神社 荒神社」の案内があり階段道を登って行くと、石段の先に社が2棟あり広峰山の頂上となる。さすがに神域なので登頂記念プレートを付ける輩はいないようだ。

広峰山頂上、左が吉備神社、右が荒神社
手前のコンクリートは水道施設

学神 吉備眞備公略記

吉備公は岡山の下級官吏の子として生れ勉学に励み15歳で大学寮に入り6・7年を経て省試験に合格官位を授けられ留学生として遣唐使船の人となり入唐。資性温厚にして挙措進退すべて礼に適った立派な文化人で学者で右大臣まで昇進したのは菅原道真公と吉備公の二人だけである。菅公は大宰府に流され吉備公も九州に左遷され一時代憂目をみました。この二人は同じ様な境遇で学識人格共に立派な人であります。現代でも学業に励み進学を志す人々に厚く尊敬され学業成就の神として祀られています。
又公は留学中に陰陽並に十三道を学び、その他中国刺しゅう技術を習得され日本に伝えはじめて針をもって帰られました。現在も使わなくなった針に感謝をこめ尚上手になるよう祈願をこめて吉備公を祀る神社にお返しする針供養の風習がありますが当地方では当社を元宮といわれています。

11:41
広峰神社の休憩所で昼食をとる。これでこの5週間、休みのたびに広峰神社に来たことになる。しかしその間に台風が何度も来たのに、広峰に登る日はいつもいい天気で不思議な巡り合わせだ。


北平野へ下山、滝二つ

12:22
近畿自然歩道は東の随願寺からそうめん滝へ続くが、広峰神社から南に北平野の天満神社へと下ることにする。この下山路の様子は「そうめん滝から奥須加院へ」の最後で記述している。

下山中の出合った「キチョウ」
珍しくもなんともない普通の蝶々

12:48
北平野天満神社の西に下山。

12:52
大池の西側に「行者堂」があり、その角に「左 修験道場 不動の瀧」と刻まれた石柱が立っている。

12:55
滝マニアでもある私は、誘い込まれるように行者堂脇の道を入って行くと、トタン壁の小屋があり

←妙見の滝 あと500m
不動の滝 すぐそこ→

の案内板があり、最初にすぐそこの不動の滝へ行ってみる。

12:57
不動の滝と堂や祠・鳥居・石碑・不動明王像・役行者像が狭い一画に凝縮され言葉に表しがたい雰囲気を醸し出している。

滝壺の中の石円盤に乗り、上の石樋から落ちてくる滝水を受け修行するシステムになっている。しかし、大雨で土砂が流れ込み、石樋は詰まり滝壺の流出口も詰まり、一面水びたしになっている。滝自体は人の手で石を組んで造られたもののように見える。
不動の滝
人造の滝かな

13:22
大池から北西方向の谷筋に、妙見の滝まで道が付けられている。山陽自動車道のトンネルの上を過ぎた辺りの渓流に橋が架かり、その先に「妙見滝道場」がある。宿泊も出来そうな建物や拝礼施設、祠と一番奥に妙見の滝があり不動明王が滝奥に祀られている。ここは自然の滝のようだ。

妙見の滝

滝の奥に不動明王が

ビニールホースや塩ビパイプが滝の落ち口から下がり、また周囲の建物や祠も滝の雰囲気を損なっているように私の目には見えるが、この滝の経歴からするといたしかたないのだろう。

妙見の滝の由来

昭和40年10月、当山復興の祖、岩見明山法尼が夢のお告げによって来山され、ガケ崩れで埋まっていた谷川の土砂を発掘されたところ、椿の群生する谷間にコンコンと湧き出る泉と古来から鎮座されていた妙見大菩薩の御石像と大岩よりなる滝が現れ、その神力と霊水の効力は極めて高く、あらゆる難病や難問を解決され、多くの人々に開運のよろこびと輝く未来への希望を与えられています。

WEBには滝愛好家による滝サイトは数々あれど、何故かこの「妙見の滝」と「不動の滝」はまだ誰も紹介していない。なぜなのだろう。

妻その1に迎えに来てもらい(何故か妙見の滝への谷筋からは携帯が繋がった。これも妙見大菩薩の霊験か)帰宅する。



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