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二回目の苫編・鬢櫛山縦走



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平成17年1月2日(日)  メンバー 私だけ

山崎山 やまさきやま 86m
苫編山 とまみやま 165.8m
籾取山 or 鬢櫛山 もみとりやま or びんぐしやま 200.3m
つるが峰 or 鬢櫛山 つるがみね or びんぐしやま 186m

2万5千分の1地形図「姫路北」「姫路南」を参照すること。


北の山には雪が

前年末に結構まとまった雪が降ったので、北の山々へはあまり行きたくない。雪の上を歩くの好きだが、雪解け水の冷たいのが木の枝から落ちてくるのがうっとおしい。

姫路市内夢前川の東側に苫編山から鬢櫛山へと縦走を楽しめる山々が連なっている。3年前の4月に登ったが、その時の記憶は忘却の彼方へすっかり消え去っているので結構楽しめるのではないかと思う。

またその3年の間には、この山域が紹介された「はりま歴史の山 ハイキング」(横山晴朗著、神戸新聞総合出版センター刊)というガイド本も発行されている。ガイド本では北から南へと縦走しているが、今回は3年前と同じに南からの縦走ピクニックにする。


縦走路の出発点は南の山崎山

JR姫路駅から一つ西の英賀保駅の改札を出て、越線橋を渡り駅の北側に出る。西へと車道を進み、大きな丸い貯水槽のある丘(山崎山89m)の西側に回りこむ。姫路市水道局山崎浄水場と山崎山に挟まれた行き止まりの道に入っていく。

山崎山南麓の墓地の中を登ってもよいが、こちら側だとキッチリ整備された擬木コンクリ舗装の階段道が造られていて、より山登りらしい雰囲気の中で苫編山・鬢櫛山ピクニックを始めることが出来る。

苫編山・鬢櫛山縦走路登山口

9:04
登山口には「山火事防止」の丸看板があるだけで、特に表示・案内類はない。階段道を登り始めると遮るもののない西側には、夢前川の穏やかな流れの向うに白毛山が見えてくる。

9:13
階段道は丘の上にある貯水槽の間際まで続く。写真を撮っているうちに、いつの間にか私の後にドカジャンを着た手ぶらな人が現れ、その人は貯水槽を囲むフェンスの鍵を開け中に入っていった。この階段道は貯水槽点検路を主な用途として作られたもののようだ。

山崎山から白毛山を見る

貯水槽の南を巻いて階段道が造られているが、その先は普通の山道となる。

9:21
山崎山の最高標高地点付近は雑木と笹が茂り展望はない。道端の笹の中に小振りの石碑が立っている。表「城之台」、裏「昭和57年8月建之 竹柏俳句会」と刻まれているが、この山に城があったのだろうか、それとも昭和57年当時は姫路城がよく見えたのだろうか。姫路城との間には165.8m三角点から南東に下る尾根が邪魔をしているような気もするし、山城があったと考える方がロマンがある。

笹薮の中の「城之台」石碑

バイパスを疾走する自動車の騒音、時折聞こえてくる電車の音、麓から聞こえてくる犬の鳴き声などさえなければ、両側を雑木の籔に囲まれ、姫路の町中の山を歩いていることなど忘れさせるほど雰囲気のある道が続く。

雑木林の中に明確な道が続く


反射板が邪魔な苫編山

9:40
緩やかに下り、登り返すと送電線鉄塔が現れ、縦走路はその脇を行く。

お 願 い

この送電線はJRの送電線です。
この送電線は77,000ボルトの強い電気が流れています。
この送電線に接近して家を建てるとき、または送電線に接近して作業をするときは下記にご連絡下さい

西日本旅客鉄道株式会社 姫路電車区 電話 0792-25-3480
夜間休日の場合 大阪電力指令 電話 06-6376-6177

この送電線鉄塔のネームプレートは「JR英賀保14 昭33.3」となっていて、それ以外に「関係者以外の出入りを禁ず」「防犯装置作動中」のプレートも付いている。鉄塔はアングル製の1回線の耐張鉄塔だ。「防犯装置」はどう見ても付いていないようだ。

JR英賀保14送電線鉄塔脇を行く

9:56
バイパスのトンネルを過ぎた81m標高点付近か、南の「富士見ヶ丘登山口」からのそれなりの道が合流してきた。ここには公設っぽい案内板が2枚ある。初めは支柱に取り付けられていたのだろうが、今は案内板が木の枝の上に置かれている。

至 山崎登山口900M

至 富士見ヶ丘登山口700M

年が明けて1月になったというのに、きれいに紅葉している木々もあれば、返り咲きしているモチツツジの花もある。冬というよりは秋のような景色だ。

返り咲きのモチツツジ

10:15
前方に165.8m三角点にある電波反射板が見えてきて、広々とした岩場に着いた。「はりま歴史の山 ハイキング」にも出てくるビューポイントだ。西には一等三角点のある城山が、南西には播磨灘に浮かぶ家島の島々が見える。


苫編山南側の岩場

10:25
電波反射板のある「苫編山」に着いた。2年前には新しかったベニ ヤ板の山名板は、表面がはがれマジックで書かれた文字も薄れている。三等三角点標石(点名:苫編)は、反射板に頂上の一等地を取られてしまったためか、少し外れて踏み跡の脇にある。

立入禁止

この反射板は 電気通信業務用重要通信施設です。
立入ったり、投石して損傷すると電波法により 罰せられますのでご注意下さい。

日本テレコム株式会社

日本テレコムは元JR系(今はソフトバンク系)の会社なので、この電波反射板は鉄道無線の一端を担っていたのだろうか。ひょっとすると今はYahoo!BBの中継をしていたりして。なお反射板には、なんでも記録する播州野歩記にも記載したくないような落書きが白スプレーでされている。

片仮名3文字伏字  アルファベット3文字伏字
片仮名3文字伏字  そこわだめよ
ASAMI MASAHIRO  あがほのあさみ様じゃ
あかまつ様  あがほのくらはしじゃ

閑話休題、この電波反射板から道は二つに分かれている。反射板の左側を行くと鬢櫛山へと続く縦走路だが、右側を回ると地形図にも破線道で記載されているが四ッ池か苫編の集落(未確認)へと下りてしまう。北にはこれから歩く山々が広がり、左右を見ないようにすれば姫路市内を歩いているとはとても思えないような景色だ。

縦走路北側の山々


時期外れな紅葉と変な送電線鉄塔

苫編山の北側はかなり急で、大晦日からの雪も一部残っている。滑らないよう注意して下る。

10:45
下りきった鞍部は「伯母ケ谷峠」で、西側の蒲田三丁目からは車も登れそうな道だが、東側の苫編字伯母ケ谷からは笹が茂り道を隠している。「伯母ケ谷」の読みは「おばけがたに」で、お化けが出てくる谷なのだろうか。

伯母ケ谷峠から北側の斜面は、見事な色の紅葉となっている。南向き斜面の栄養状態のよい木々の葉が台風でほとんどの葉が散り、そのあと芽生えた元気のいい若葉が、このところの寒さでいっせいに色づいたのだろうか。

苫編山の北側ピークの紅葉

紅葉その1(サクラ)

紅葉その2(アベマキ?)

10:59
140m程のピークは十字路になっている。但しロータリー状になっていて、そのピークを巡る循環道から四方に道が延びている。

東に下る道には「姫商」の案内板が下がり、東側の130m程のピークへと明確な道が延びているのが見える。西側にもかなり明確な踏み跡があるがどこに下りるのかは知らない。

ピークから少しだけ北に行くと、頭が尖った石柱が立っている。表側「陸軍省所轄」、裏側「第ニ一号」。昔この山は軍用地だったのだろう。この先にも数本立っているのを見つけた。

陸軍省所轄の石柱

11:07
「ここでちょうど半分 1000m 23分」という古い案内が道端にある。2000mで46分かかるハイキング道が昔は設定されていて、その中間地点なのだろう。ほぼ平坦な道が続いている。

偶然にも今回のコースのほぼ中間地点だ

11:13
山陽新幹線の「西庄トンネル」の真上に立つ送電線鉄塔に着いた。「西庄 P6 昭和46年3月 JR西日本」とプレートが付いていて、山陽新幹線開通と同じ年月だ。

この鉄塔には送電線が4本張られている。送電線は常識的には3本が組になっているのが当たり前で、4本というのはありえない。(写真の最上段の2線は架空地線で送電線ではない)

電線が4本の奇妙な送電線
  1. 単相式交流(電線2本)2回線
  2. 三相4線式交流(電線4本)1回線
  3. 三相3線式交流(電線3本)1回線+予備の電線1本

私が思いついたのは上の三つだが、この中に正解があるのだろうか。太子町の檀特山にもJRの送電線鉄塔(なぜか送電線は張られていない)があったのを思い出し写真を見直したら、同じ鉄塔構造で送電線を4本までしか張れないことが判明した。世の中には沢山の送電線鉄塔関連のサイトがあるが送電線が4本のものは紹介されていないようだ。

実はこの鉄塔には「上り」「下り」というプレートも付いていて、山陽新幹線の上りと下りの架線へ送電する単相式交流25,000ボルトの2回線送電線が妥当なところだろう。ここで鉄塔の真下をくぐり東へ向きを変える。

11:23
送電線の真下を歩いて行き、157m標高点にある次の送電線鉄塔「西庄 P5」に着いた。ここも道は鉄塔の真下を通っていて二方向に別れている。

<鉄塔に貼られた黄色テープにマジック書きで、かすれている>
(東方向)姫商北側、循環器病院
(西方向)姫商南側、水上ゴルフ、蒲田、とまみ、英賀保、山崎

<木板にくっきりと墨書>
(北方向)循環器病院

縦走路は、ここで「墨書の木板」が示す北方向に転じるが、東の方へ少し行くと眺めがよいところがあった。

「西庄 P5」東の展望所


籾取山?鬢櫛山?

P5鉄塔から北に進み、東側に兵庫県立姫路循環器病センターや姫路城がよく見えるポイントを過ぎると、ここの下りも結構急だ。そこに親切な人がジグザグと斜めに新たに道を付けているので、こんなところに分岐があったかいなと確かめに行くと、元の道に戻ってしまい一瞬不思議に思ってしまった。

11:43
循環器病センター西の鞍部も十字路になっているが、東側の病院側から登ってくる人は少ないのかあまり道らしくない。西側の蒲田からははっきりとした道が来ている。

送電線鉄塔と電波反射板がある200.3m三角点ピークへの登りは緩やかで、少しササが茂り道を隠しがちだが紛らわしい分岐もない。

次のピークが見えてきた

12:02
電波反射板に着いた。南側から縦走してくれば迷うことは無い。しかし北からだと、電波反射板の南から麓のJR変電所へ向け広い道が下りているので迷い込まないように注意が必要だ。縦走路は反射板から南東方向で青タフロープの目印が下がっている。

電波反射板の南側は要注意

電波反射板には所属を示すようなものが一切なく、自衛隊か警察関係のものだろう。反射板の横に「西日本新姫路線 四 昭和46年6月 関西電力株式会社」の2回線耐張送電線鉄塔が立っている。

12:13
鉄塔から一段上に200.3m四等三角点標石(点名:籾取)がある。ここには「籾取山200.3M」の山名板が下がっているが、ここを「鬢櫛山」とする資料もあり、さらに北の186m標高点ピークを「鬢櫛山」としているものもある。

姫路市役所ホームページ内の姫路市統計情報にある姫路市内の主要な山岳一覧(なぜか検索のHTMLバージョンのキャッシュでしか見ることができない)では、このピークを鬢櫛山としている。

「はりま歴史の山 ハイキング」と「播磨 山の地名を歩く」(播磨地名研究会・編 神戸新聞総合出版センター刊)では、北の186m標高点ピークを鬢櫛山としている。

という訳で、ここを「籾取山の山名板が下がる、姫路市役所公式ホームページの隠しページでは鬢櫛山となっているが、北の186m標高点を鬢櫛山とする資料もある、200.3m四等三角点標石(点名:籾取)があるピーク」と呼ぶことにしようかと考えている。

このピークは周囲を雑木に囲まれ全開の展望は無いが、木々の隙間からそれなりに周囲を見ることが出来る。

三角点の近くに三つに折れた小振りな石碑がある。「明治33年4月11日 伏見宮貞愛親王殿下採蕨之跡」と刻まれている。(ふしみのみや さだなるしんのう 1858年伏見宮邦家親王の十三男として生まれ、1923年2月4日薨去 元帥陸軍大将)明治33年というと西暦1900年、41、2歳ごろここで蕨(ワラビ)を摘んだ記念碑だ。

ワラビ摘み記念碑

ここでコンビニおにぎり3個の昼食をとる。食後、大鳴門橋が見えないかと目を凝らすが、見えそうで見えない。明石海峡大橋は、臨海工業地帯の煙突群にまぎれて判別しにくいが薄っすらとは見えている。

風景を見ていると、北から来た夫婦のハイカーが休みもせずに足早に通過していってしまった。何をそんなに急いでいるのだろうか。

夢前川に架かる橋梁を走り抜ける新幹線700系


つるが峰?鬢櫛山?

12:43
縦走を再開する。186m標高点ピークへも展望のよい岩場が続き、数度にもわたる写真撮影のためなかなか先に進むことが出来ない。190mほどのピークでは、おちゃんが無線通信(ハム愛好者とハイキング愛好者ではどちらが平均年齢が高いのだろうか)に励んでいる。この付近でも単独おっちゃんのハイカーに出会った。

展望地が続く

北の方角に雪を被り白くなっている山がある。黒尾山は明確に分り、その西に三室山・後山・那岐山が見えたような気がする。

13:04
186m標高点ピークに着いた。山名板が下がっているが、薄れていてはっきりと読めない。薄れた文字を見つめていると、黒文字と赤文字が重なっていていることに気がついた。黒文字は「つるが峰」、赤文字は「びんぐし山」と読めそうだ。という訳でこのピークを「つるが峰または鬢櫛山かも知れない186m標高点ピーク」と名付ける。

あと小さな木札が2枚あり「びんぐし山186M」「西へ上蒲田公園」と書かれていて、東の姫路市立琴丘高校へ下る道以外に、北へと下る道もある。

186m標高点ピーク

13:14
東へ下り「西日本新姫路線 三」送電線鉄塔に着いた。

186m標高点ピークから東の鉄塔へ

標高は低くなるが展望の岩場が続き、下山するのが惜しくなってきた。琴丘高校の裏に岩山が見え登っていく人影が見える。

姫路の市街が広がる

琴丘高校裏の岩山

13:26
下っていくとT字路に突き当たった。「火の用心 西日本新姫路 2←→3」が立っていて、下りて来たほうは3、西が2となっている。

13:28
東に下っていくと「JR英賀保 2」、その下には茶色に塗られた「西播磨支線 二」送電線鉄塔が立っていて、このまま下りて行くと琴丘高校敷地へと入ってしまう。手前の道に人為的に木を積んで「この先には入らないで欲しいな」という意思表示かと思われるものもあったので、引き返すことにする。

13:40
T字路分岐を西に下ると「JR英賀保 1」が立っていて、その下には「西播磨支線 一」、「西日本新姫路線 二」が立っている。この辺は送電線鉄塔が林立し、見える範囲だけでも20本以上が数えられた。

13:50
道の最後は鉄製の階段になっていて、「JR姫新線播磨高岡駅」南の変電所印に下り立った。

最後は鉄階段を下りる

のんびりと歩いてきたので5時間近くかかったが、コースタイムとしては「はりま歴史の山 ハイキング」の2時間半は妥当な数字だろう。



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