平成17年1月23日(日) メンバー 私だけ
?? | ???? | 20mくらい |
2万5千分の1地形図「姫路南部」を参照すること。
姫路市役所ホームページ内を、統計情報/統計要覧/平成15年版(2003年)/土地・気象/主要な河川と辿ると、姫路市内の主要河川一覧のエクセルファイルに達する。そのファイルの中に「姫路市の主要な山岳」の一覧も隠されていて、少し面倒な操作をしないと見ることが出来ない。
《ファイル/名前を付けて保存》でエクセルファイルとして保存し、そのファイルをエクセルで開き《書式/シート/再表示/シートF》とすると「主要な山岳及び河川」のシートが現れる。かなりめんどくさい操作だ。
その姫路市内63座の名称・位置・標高の一覧の中に「海山・白浜・37.1m」がある。この資料以外に「海山」に関するものはウェブ内で見つけることが出来なかった。
地形図「姫路南部」の白浜町宇佐崎南一丁目の八家川河口の西側に、頂上に神社印のある20m+の小山がある。それ以外に白浜町で該当しそうな地形はなく、その小山が「海山」ではないかと目星を付けて現地に行ってみた。
14:48
八家川河口の海山と思われる小山の北側にある駐車スペースに着いた。比高はどう見ても20mほどしかなく、道路の標高の3mを足しても30mにならない。
標高からすると御旅山南側にある30m+の丘が該当しそうな気もする。しかし、この小山の頂上に祀られている「蛭子神社」の由来記によれば、塩田開発のためそれまで島であったものが陸続きになったとあり、山名と一致するような気もするがかなりあやしくなってきた。
蛭子《ひるこ》神社(恵美酒《えびす》さん)由来記
- 祭神は伊諾尊《いざなぎのみこと》の第三子夷子《えびす》三郎(蛭子《ひるこ》神)
- 天平宝字《てんぴょうほうじ》7年(西暦763年)蛭子の神小島山上に鎮座
- 当時この小島は海の中にあった 現在の八家川は当時棲神《やか》川(神のすむ川)と称す
- 参道入口右側の碑文は蛭子神社山上奉遷《ほうせん》記念新塩浜開発由来碑でそれによると寛文《かんもん》8年(1668年)沖新浜は宇佐崎住民により開発に成功しその結果小島は陸続きとなる
- この事業は大変な難事業で幾度か失敗を重ねたが蛭子の神が鎮座する小島を盾として築堤し始めて新浜を築く事が出来た これは蛭子の神の御加護の賜と益々宇佐崎住民の厚い信仰の対称となる
- 寛保3年(1743年)蛭子神社山頂へ斎遷(移築)
- 昭和25年(1950年)頃木造社殿荒廃し遂に山上に礎石狛犬燈籠の断片など石造物を残すのみとなる
- 昭和59年(1984年)現在の社殿を再建
- 平成元年(1989年)燈籠を奉献
平成元年12月吉日
宇佐崎自治会
区長 濱田長蔵
「日の丸冷蔵株式会社」が寄進した石鳥居から石段を登って行く。その段数は100段近いが、1段を20cmとして20m。段数を数えながら登り、確信してしまった。ここは海山じゃない、低すぎる。
14:56
頂上には「蛭子神社」の社が祀られている。海側には、なぜか普通の白いガードレールが柵がわりに設けられていて、参詣者のためにベンチも置かれている。
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頂上の蛭子神社 |
境内からの眺め |
蛭子神社から南側の海へは2本の切り開きがある。どちら岩場になるが海岸まで下りることが出来る。その間には幅10mにも満たないが自然の海岸が残り、砂浜さえある。打ち寄せられたゴミさえ気にしなければプライベートビーチのように使えそうだ。
この小山の南東側には「姫ニ火力線 一〇」送電線鉄塔が立っていて、土台の足2本は海の中になっている。送電線鉄塔なのに近くの電柱から電線を引き込んでいて、おそらく航空障害灯の電源にしているのだろう。
この小山と八家川との間は空地になっていて、野良猫が住みついている。どの猫もころころと太っているが、あまり愛想は良くない。
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