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有乳山(姫路市豊富町)



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平成17年4月30日(土)  メンバー 私だけ

有乳山 あるちざん 210.3m

2万5千分の1地形図「笠原」を参照すること。


連日の姫路市低山巡り

昨日の姫路市打越の「伯母山」に続き、今日は姫路市豊富町の「有乳山」に登ってきた。どこにあるかというと、有名な「姫路セントラルパーク」の東側にある独立した山で標高は210.3m、北麓に播州薬師霊場第二十一番天台宗有乳山「岩屋寺」がある。

山号寺号としての有乳山は《あるちざん》と読むが、私は解説板のローマ字表記を見るまでは《あるちちやま》と読んでいた。


岩屋寺

10:14
姫路セントラルパーク北側の道を東に進むと、「西播薬師霊場 有乳山 岩屋寺 国指定重文 開運 毘沙門天王」の立派な石碑が立ち、田畑の中に岩屋寺へ通じる立派な道路がある。

石灯籠の間を抜けると左右に無料駐車場が用意されているが、まだ1台も止まっていない。振り向くと頂上に反射板のある「畑山」が北西に、北東には堤高が79mもある「神谷ダム」が見える。

岩屋寺への坂道を登っていくと、右手に最近造成された新しい墓地が、左手は庫裏がある。正面には五輪塔や石仏が集められ祀られていて、その横に解説板がある。

有乳山岩屋寺と文化財

大化元年(645)、法道仙人の開基とされる古寺で、本尊は毘沙門天(北方の守護神)、天台宗、盛時には18坊が並び立っていたといわれるが、天正5年(1577)に別所吉親に攻められ消失し、1676年源空が中興し現在に至る。
姫路城の鬼門にあたるとして、城主の厚い信仰を受けた。特に松平直矩は嗣が誕生した時、本尊から母乳を授かったとして有乳山の山号を贈ったという。

木造毘沙門天立像
(国指定重要文化財)

12世紀前半ごろ、藤原時代の作とみられ、市内に残る毘沙門天像の中では、随願寺(増位山)のものと並ぶ優秀作である。
水盤(本堂前)家型石棺の蓋石を利用したもの。
大岩(本堂前)寺名の発生地、岩の下に小祠が作られている。
その他、山内には四国八十八か所の石仏がまつられ、天保9年(1838)の石灯籠や多くの五輪塔などがある。

平成6年1月 姫路市教育委員会

岩屋寺に入ったところ

上の写真左側の路を登ると、石灯籠と石仏が祀られた祠が両側に並び、新緑と毘沙門天の赤い幟の色との対比が目に鮮やかだ。

四国八十八か所巡りがこの寺だけでできる

10:28
石仏が祀られた坂道・階段を登っていくと、赤・黄・緑・青と極彩色に塗られた毘沙門天を祀る岩屋堂が建っている。

岩屋寺岩屋堂

岩屋堂に掲げられた由来書は次のようなものだが、私には一部読み取り難い部分があり正確なものではない。最初は瑞花山だった山号が江戸時代に有乳山に変わった事と、有乳山は山の形から名付けられた訳ではない事が分かった。

有乳山岩屋寺由来の記

仰も当山は人皇二十六代孝徳天皇の御宇大化元年冬十月法道仙人の開基にして本尊毘沙門天を安置す。
今其由来を尋ねるに仙人の名は徳道中天竺訶陀国鶏足山五道仙の唯一なり。  仙人東国度生の縁己に熟するを観て遠く曩日三韓を経て当山に来る里人に告て曰く我は是札摩陀訶国の聖者法道なり金剛摩尼の法に成熟し飛行自在の神力を得種々の神変不思議を現す我等無量歳なり常に十万国土に遊戯して八天を導化し道俗に結縁せしむ案するに今此土は大乗相応の地にして嚢に欽明帝の朝正法流入すると呈も汝等未だ其益に浴せず我此を憐み同民国を出でて親しく此地に耒り暫く当山の岩屋に止まり汝等を利せんと或時毘沙門天王顕現し給い仙人に告げて曰く我汝を待つ事已に久し是仏法擁護の毘沙門天なり。
此山は我有縁の地なり願くば汝我像を刻して此処に安置し以て恭敬供養せば国家安全にして正法活隆せん且末代衆生の祈願をして満足せしめんと仙人感涙止めあらず自ら刃を執り一刀二礼以て尊像を彫刻して泰姿す今の本尊是なり白雉元年五月孝徳天皇御悩重し勅して諸国の神社仏閣に御平癒の祈願をなさしめ又違約の力をとうし給ふと呈も更に其験なし乃ち当山の仙人を召し給ふ仙人毘沙門天王の神呪を誦して玉体を加持し給ふに未だ旬日ならずして御悩拭ふが如く平癒あらせ給ふ天皇の叡感斜ならず七堂伽藍を建立し寺領千貫を下賜せらる瑞花山岩屋寺は話に依て此時より称す其後当山は益々栄え本院衆徒十八坊を有し読経誦呪の声鳴ろうと相和し参詣の老幼市をなすの観を呈せしが天正十年五月別所山城王吉親来て伽藍寺坊村落を焼却し曩に下賜せたれし寺領をも横領す孝徳天皇の叡慮に依つて繁栄せし当山は此時遂に空しく烏有に帰し剰へ天皇の宸輸諸公郷及将軍足利義政同義植公の信書は悉く焼失す是に惟みても尚余りあり然れとも時の寺僧火中辛うじて毘沙門天王の尊像を負ひ奉りて避難せしは不幸中の幸といふべし。
慶長六年姫路城主池田輝政公の臣飾東の佳人坂太夫宗徳由緒ある当山の兵災の為め荒廃見るに堪えざるを嘆き城主に請ふ十二町四方を限りて境内とし三間四面の堂宇を建立し先の尊像を泰仰して安置す寛永二年城主本多忠政公の時当村修験僧真恵一小坊を建立し岩屋寺を復興す同十四年千寿院大阿闇梨秀山法奉加を企て承応二年所々を勧化して大破せる本堂を修繕す寛文二年比叡山行光坊第六世豪鎮和尚当山を董せしが退転以来多年無住となり殆んど廃寺に等し時に城主松平直矩公嗣久郎生る夫人宮内乳なきを患ひ百方手を尽くすと虫も効なし一夜一の将軍右手に鉾を持し左手に塔を捧げて宮内の枕頭に立つ乃ち告けて曰く我は是より丑寅に当る毘沙門天なり汝児に与ふる乳なきを患ふるや久し我之を憐み救護せんが為に来れり今より以後汝が所求をして満足せしめ且つ長く児が武運長久を守るべしと告げ給ふかと思へば是南詞の一夢なり宮内奇異の感にうたれ我乳房を見るに己に乳汁溢れ出たり歓喜措く処を知らず信心所に銘じ直矩公に告ぐ公も亦同一夢を感見す直に青木小左衛門教次をして所在を探らしむるに当山の本尊なる事を知りしかば教次を奉行に任じ方三門の本堂を改築す今の本堂是なり。
有乳山の号は直矩公に依て称せらる所特に延宝四年十二月中興大阿闇梨源空法印当山を董す甬来星移り物変りて茲に二百四十六年朽廃殆ど見に堪えずされど霊験顕著なる天王の尊厳を印し永く記録を止める為之を記す。

昭和四十六年九月  岩屋寺 住職  救月合掌
寄進者 揖保郡伊保町松原三六  松本真治
同    姫路市御国野町御着   大矢富子

10:38
岩屋堂から30段ほどの石段を登ると、名前の由来になっている岩屋がある。

岩から染み出す雫を集めた池の先に岩が覆いかぶさる岩屋がある。岩屋の下には祠があり、その横には役の行者・不動明王・毘沙門天の三体の石仏が祀られている。

岩屋


さてと、登ろうか

姫路市の山々を紹介している「まめのこずい」によれば“境内の周遊路から南へ急登する道?がある”はずだが見つからない。こうなったら国土地理院推奨?の点の記ルートをとることにする。

11:01
岩屋寺入口西側の墓地へ行くと一段目の隅に尾根へ登ると思われる踏み跡がある。点の記ルートとも一致するのでここから登ってみる。

墓地隅の登山口

ほぼ南北方向の尾根に乗るまでは明確な道だが、最後の急登は砂が浮いていて登るのにもズルズル滑り、下りる時はどうしようかなと思いながらも何とか登りきった。

尾根まで登る道ははっきりしている

11:07
尾根に登ると、姫路セントラルパークの観覧車が見えジェットコースターが疾走する音も聞こえてきた。ゴールデンウィークの二日目とあって沢山の人が来ているだろう。連休で天気もいいのに、お客さんが少なかったら二度目の倒産だ。

道がはっきりしていたのは尾根へ乗るまでだ。尾根には落ち葉が積もった古い道跡があるだけで倒木も少なからずあり分かりにくい部分もある。とりあえず登りは高いほうへと進めばよいので何とかなるが、ほぼ南北方向の支尾根から、ほぼ東西方向の主尾根に乗る付近の道の荒廃がひどく下るときは要注意だ。

明確な道跡を登り

不明確な道跡を辿る

支尾根から主尾根に乗るポイントは、この折れた枝が目印になるなと確認したが、下を見てもどこを登ってきたのか分からない。ぼちぼちのの登りが、頂上が近づくとそれなりの登りになり、落ち葉が厚く積もった道跡を汗をかきながら登る。

11:37
登り始めてから36分で有乳山の頂上に到着。共同受信用のテレビアンテナが立ち、四等三角点標石(点名:岩屋)がある。ここまでにマーキング類は皆無だったが、文字が薄れた「有乳山210.3M」の山名板がある。

登ってきた方向は道があるとは思えないほど、枝葉が密に茂っている。他に道があるかは分からなかったが、北西方向の尾根へ乗るのは難しいだろう。ここまで展望はほとんどなかったが、頂上南側が開けていて、姫路セントラルパークから笠松山辺りまでが見える。予想外のよい展望だが霞んでいるのが残念だ。

有乳山頂上のモチツツジ

笠松山方向を見る

頂上には植えられたものかミツバツツジが沢山あるが、残念ながら花期は過ぎてしまっている。心地よい風がふく中で昼食をとる。


下山は姫路セントラルパーク廻り

12:09
下山は登ってきた道をピストンだ、と思っていたが実際にはあまりうまくいかない。

主尾根から支尾根に下りるポイントははっきり分かったが、どこを下りたらよいのかさっぱり分からない。主尾根にも薄いが道跡らしきものが下っているように見える(最近、木々の隙間が、道に見えてしまう病にかかっているような気がする)。支尾根から下るズルズル道を通りたくないのもあり、支尾根探索を早々にあきらめ、そのまま主尾根を下ることにする。

竹林だ

12:35
東西に延びる尾根から古い道跡は北側の谷へ下っているように見える。その道跡を辿ると竹林に出た。夏から秋はやぶ蚊がすごいだろうが今はまだ1匹もいない。竹の切り株の水溜りを覗き込んでもボウフラもいない。蚊はどうやって冬を越すのだろう。

12:44
明確になった道が出たところは姫路セントラルパークの東側の道、うるさく吠える番犬がいる資材置き場の北側だ。セントラルパークの大観覧車が近くに見える。

姫路セントラルパーク東側の道に出た

13:03
車道をぐるりと回り岩屋寺の駐車場まで戻る。今日はもう一山の予定だったが、暑さと、予想外のルートハンティングに体力・気力を消耗しこのまま帰宅することとする。



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