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娘その1と行く『伊勢・岩屋の森』の山開き



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平成17年5月8日(日)  メンバー 私と娘その1と130人ほど

伊勢山西の岩場 いせやまにしのいわば 310m+

2万5千分の1地形図「龍野」を参照すること。


一月前の平成17年4月10日

先月の4月9日に緑台から伊勢山へと登っている。そのとき、西の岩場から麓を見ると、なにか工事をしていて大きな看板も立っているのが見える。

疑問を解消するため、次の日に訪ねてみた。西麓に「伊勢・岩屋の森」というのががほぼ出来上がり、休日なのに作業をされていた上伊勢森林組合長から5月8日にオープニングイベントを開くので、ぜひ来てくださいと頼まれた。

伊勢 岩屋の森

この森は、古くから家畜のエサとなる草や薪、山菜などの採取場所として利用される里山でした。また、子供たちがかけまわる遊び場としても、伊勢の人々に親しまれてきました。
しかし、生活のスタイルの変化や電気等の普及により、人々はこの森から離れていってしまいました。
そのため伊勢岩屋《いせいわや》の森では、人々が森と再び関わりを持てるきっかけとなるように散策路をつくり森の手入れにとりかかりました。
この森には、眺めの良い神坐の窟《しんざのいわや》や空木《うとろぎ》城跡、たくさんの生き物の住むコナラ林、風が気持ちよい尾根沿いの散策路など、森の楽しみがたくさんあります。
いろいろ楽しむことができるこの森は、私たちの宝でもあります。この森を訪れたことをきっかけとして、森づくりを始めてみませんか?思わぬ宝を見つけるためにも。

(姫路市林田町上伊勢字岩谷)


たきび、たばこの吸殻やごみの投げ捨てはやめましょう 木や草花は大切にしましょう。

【「新ひょうごの森づくり」に基づく里山林再生事業】
伊勢 岩屋の森では地域の皆さんのご協力のもと、森林整備や歩道の開設などを行いました。環境学習や健康増進など、訪れる皆さん各自のスタイルでこの森との関わり合いを深めていってください。

平成17年3月
兵庫県・姫路市・(社)兵庫森と緑の公社

伊勢 岩屋の森案内図


平成17年5月8日、「伊勢・岩屋の森」山開き

国道29号線を北へ進み、下伊勢の信号機付三叉路を右に県道に入る。通交量の少ない、狭くなったり広くなったりする道を北へ3kmほど進むと、西へ県道519菅生澗林田線が分岐する。519への分岐からすぐ北に斜め右に入る狭い道がある。

案内の人が二人立ち、道の両側には「全国育樹祭2005ひょうご」の幟が立ち並ぶ。まるでお祭りのようだ。「伊勢・岩屋の森」の案内板があったかどうかは気がつかなかったが、いずれ公設の案内が各所に設置されることだろう。

9:20
ガタガタ道を少し行くと車が10台ほど止められそうなスペースがあり、私の車を入れたら満車になってしまった。

あずまやのある広場にはテントが数張り張られ、大勢の人が集まっている。ほとんどが地元の人たちのようで、姫路里山クラブ21の7、8名のほかに地区以外からの参加者はほとんどいないようだ。

大きななべや、餅つきの臼が用意され、次第に人数が増え100人を越している。

たくさんの人が集まり

挨拶があり


散策会の始まり

9:50
上伊勢生産森林組合長さんと西播磨県民局の方の短い挨拶の後、みんなで「神座の窟」・「伊勢山西峰」・「空木城跡」を巡る散策会がスタート。幼児からお年寄りまで(中学生から上の参加者が非常に少ないような感じがしたが)皆さん楽しそうだ。ついてきた娘その1も楽しそうにしている。

散策会が始まる

前々回の「上笹古墳まほろばの森」と同様に、ここ「伊勢・岩屋の森」でも全ての分岐点に公設の道標が立っている。ここからの道標表記は「これから進む方向」・「ここに来た方向」・「その他の方向」の順に記載していて、実際の方向指示板の表示順とは違う。また東西南北の表示は実際の道の方向ではなく案内図から読み取ったものだ。

(東)神座の窟 0.85km
(西)県道護持・下伊勢線 0.45km
(北東)空木城跡 0.95km

9:55
雑木林に入ると左への分岐がある。

(東)神座の窟 0.7km
(西)入口広場 0.15km
(北)空木城跡 1.05km

9:56
少し登ると左手に、大きな岩の下に低く石垣を積んだ一角があり、解説板が置かれている。昔は神座の窟の遥拝所でもあったのだろか。

石仏

ここの巨岩の周辺には、石仏がいくつか奉られています。岩場の神座の窟《かみざのいわや》にもあります。
また、ここには石碑が1基転がっていました。「八丁」とかかれています。
このように数字が書かれた石碑が、この森のほかのところにもあるといわれています。

石仏

10:00
植林を少し登るとまた解説板がある。植物や植生の解説版なら他の森にもあるが、この森のは趣向が少し変わっていて、ここのはトンボだ。

カトリヤンマ

カトリヤンマは、蚊をつかまえて食べることからこの名前がついたといわれています。
丘陵地から低山地の木陰の多い池沼や水田の溝や川に生息しています。
成虫は、日中には雑木林の中などにかくれていますが、夕方になると現れて、活発に活動します。

10:01
ベンチが置かれた雑木林にまた分岐がある。道標の「神座の窟」は近づいてくるが、「空木城跡」は離れたり近づいたりするだけだ。植林はこの森の開設に合わせて間伐されたようで、暗かっただろう谷も明るくなっている。

(南東)神座の窟 0.6km
(北西)入口広場 0.25km
(北東)空木城跡 1.0km

植林の谷を登る

10:12
雑木林の斜面に付けられたジグザグ道を登る。雑木林の下草が刈られ、木も大方伐られているので見通しがよく、見上げると右に行く人や、左に行く人が右往左往する有様が面白い。

九十九に雑木林を登る

10:14
道端に解説板が置かれている。今度は何かな。

森の石ころ(礫《れき》)

この付近には、礫が多く分布しています。
この森の土は、流紋岩という岩からできたもので、土の表面の礫が特徴です。
山頂付近の岩の風化が進むと、岩のかたまりが小さくなりながら転がり、ふもとに向かって堆積します。
岩が風化する時間を想像すると気が遠くなりますね。

石ころさえ解説してしまうとは、私も見習わなくては。


もうすぐ神座の窟だ

10:16
ジグザグ道が終わり、見上げるような岩壁がそそり立っている。伊勢山西峰の中央部あたりか、ここからは神座の窟は見えない。この岩壁を攀じ登った人がいるようで、ザイルが残置してある。

西峰の岩場下に出た

10:19
岩場の下を北へ進むと、神座の窟と空木城跡への道に分かれる。

(南東)神座の窟 0.1km
(南)入口広場 0.75km
(北西)空木城跡 0.5km

ここまでの整備された道とは打って変わって、神座の窟方向は劇登りのトラロープは張ってあるが、以前のままの山道。おまけに1本の木が道を道連れに倒れていて道が途切れている箇所がある。

そこへ老若男女の団体が登るので大渋滞が発生。しかし登り始めてから、ここまでで30分しかかかってなく、伊勢山も手軽に登れるようになったものだ。

神座の窟下で渋滞待ち

10:27
ようやく神座の窟に着いた。中は足元が悪く、端によると下まで滑り落ちそうで怖い。石仏が三体祀られているが、ゆっくりと拝むことなどできなさそうで、早々に上の岩場に向かう。

神座の窟からの眺め

岩場に行く途中に「注意」板が岩にボルト止めで固定されている。気軽に登ることができる山になってしまったので、こんなのが必要になってしまったのだろう。

注 意!
岩場に登る皆様へ

この岩場は、自然の状態を保つために柵をもうけておりません。
岩場の上では、岩がぬれているときは滑りやすく、また、強風のときはバランスを崩しやすいなど注意が必要です。
安全には十分心がけてください。

岩場の裏側にも同じ「注意」板があり、その横には解説板が置かれている。

岩場

この岩場は神座の窟《しんざのいわや》があり、山のふもとから目立つだけでなく、めずらしい植物の生育場所としても特徴があります。
岩場には、イブキシモツケやイワヒバ、シノブなど、この森を特徴づける植物が生育しています。

混雑している岩場はあきらめ、少し南側で休憩する。そうこうするうち岩場が空いてきたので、娘その1に岩場に行ってもらい記念撮影。

岩場に立つ娘その1


空木城跡へ

10:44
次は空木城跡だが、激坂は下りるときも大渋滞。もしここで100人の団体と100人の団体が出会ったら大変なことになるな、なんて思いながら下りる順番を待つ。

下るのも大変だ

分岐点からはほぼ平坦な道が続き、左手の「伊勢・岩屋の森」側は雑木が間引かれ、下草も刈られ見通しがよくなっている。ただ左右の違いがはなはだしく不自然さが目立つが、1年もたてば落ち着いてくるだろう。

空木城跡への道を行く娘その1

モチツツジ

サルトリイバラの実

10:58
空木城跡の手前の鞍部に分岐がある。城跡を南に巻いて下り、結局は合流する道で、何のために通したのだろうか。

(西)空木城跡 0.1km
(東)神座の窟 0.5km
(南東)入口広場 0.85km

11:01
一登りして空木城跡に着いた。山城研究家(木内氏だったのかも)が城跡の解説をしている。城跡の解説板もある。平坦な城跡にはモチツツジの花がそこかしこに咲き彩を添えている。

モチツツジが咲く空木城跡

空木《うとろぎ》城跡(標高273m)

空木城は、別名「赤松遠見の城」とも呼ばれています。つくられたのは1394〜1428年頃だそうです。
城の最頂部やその周囲には削平地が、また東側の尾根を下ると大きな堀切や、土塁を築いた横堀が見られるようです。
この城跡からは、塚本向山構(夢前町塚本)、窪山城(姫路市林田町林田)、城山城(新宮町下野田・馬立)、梶山城(揖保川町市場)の4つの城跡が見えるそうです。

[城郭研究家 木内内則氏の資料等を一部改変して作成]

周囲の木々に、登頂記念プレートや山城跡の私設解説板が数枚下がっているので、紹介しておく。

  1. 空木城跡 2004.1.21(他の文字は薄れていて見えないが九十士・山歩会のもの)
  2. 空木城跡 登頂記念
    姫路広畑 川元彦三 H16年2月24日
    何時の世も 夢の空しき 萩の花 つち未智彦
  3. 空木城
  4. 空木城跡270m H.16.12.12(日) 長谷川博(加古郡)
  5. 空木《うとろぎ》城跡
    空木城は東西60間、南北40間の基礎が残っており城跡東側直下は大きな堀切がされ堅固な守りであった。最後の城主原田大炊助は置塩城(夢前町)の城主赤松則房の旗下であり、則房は1580年西国侵攻を狙う秀吉の姫路城修造に協力し置塩城を解体して柱等を提供した。その時期に同じくこの空木城も命運を共にしたといわれている。
    山の草木を大切にしましょう 姫j歴史山の会

ご馳走が待っている入口広場へ

11:12
空木城跡の西端から激急な階段道が下っている。大部分の人は空木城跡東の鞍部に引き返し緩い道を下るようだ。

空木城跡西端から急な階段道を下る

11:15
鞍部からの緩やかな道と合流し、一緒に下山する人が増えてきた。

(南西)入口広場 0.6km
(北西)空木城跡(健脚向けルート) 0.15km
(東)空木城跡(標準ルート) 0.35km

11:16
解説板がまたあった。解説板は、これが最後になるが結局、植生を紹介したものは1枚もなかった。

アオゲラ

アオゲラは、淡路島を除く兵庫県下各地で見られる種です。山地、山麓、丘陵帯などの巨木のある森に住み、長距離の移動をすることは少ない鳥です。
この森の北側の尾根や斜面にある、ヤマザクラで、巣穴が確認されています。
ピョーピョーという鳴き声が聞こえてきませんか?

11:18
また分岐がある。下で一緒になるが急階段の健脚コースと九十九折れの標準コースに分かれる。

(西)入口広場(健脚向けルート) 0.4km
(北)空木城跡 0.45km
(東)入口広場(標準ルート) 0.5km

11:21
急な階段の先は水平道となり、標準ルートが合流してくる。

(南東)入口広場 0.25km
(北西)空木城跡(健脚向けルート) 0.4km
(北東)空木城跡(標準ルート) 0.7km

すぐまた分岐がある。登りに使ったルートへのトラバース道だ。ここから上は風起《かざこし》の道、下はトラバース道を含め縁《よすが》の道と名前が付けられている。

(南)入口広場 0.25km
(北)空木城跡 0.7km
(東)神座の窟 0.9km

緩やかな「縁の道」で入口広場へ下る

11:25
また分岐がある。これも登りに使った道へのトラバース道のようだ。散歩程度には入口広場からこの道か、もう一段上のトラバース道を周回するのが良いだろうが、この森までやってくるのが大変だ。

(南西)入口広場 0.05km
(北)空木城跡 0.9km
(東)神座の窟 0.9km

公設の道標

11:27
入口広場に戻る。分岐はたくさんあったが、結局一番外側を回ってきてしまった。空木城跡から神座の窟へと今回と逆に回るなら、段差30cmほどの急階段が続く健脚コースよりは、ジグザグと登っていく標準コースを選択した方がいいと思う。1周がゆっくり回って1時間半ほどなので、物足りない人は逆周りにもう1周などはどんなもんだろうか。

入口広場に戻る

私たちが登っている間に、トン汁・焼きそば・筍ご飯・お餅・焼肉などたくさんの心のこもった手作りのご馳走が出来上がっていた。娘ともども、お腹いっぱい頂きました。上伊勢の皆々様ご馳走様でした。

入口広場での大盤振る舞い

神座の窟が上に見える入口広場

12:20
たらふく食べて帰途に着く。



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