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摩耶山(天狗道・旧摩耶道)



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平成17年11月5日(土)  メンバー 私だけ

新神戸駅〜市ガ原〜天狗道〜摩耶山〜天上寺
〜摩耶山史跡公園〜青谷道〜旧摩耶道〜新神戸駅

2万5千分の1地形図「神戸主部」を参照すること


新神戸駅から布引の滝

8:04
JR新神戸駅の下を北へと抜ける通路の脇に「←市ガ原3.7KM ←布引の滝0.4KM」と大きな字で案内が書かれている。今日は布引貯水池から市ケ原、六甲全山縦走路になっている天狗道を登り、夜景で有名な摩耶山掬星台を目指す。

新神戸駅から歩き始める

新神戸駅の北に出るとハイキングマップ板が立っている。六甲山にはハイキングコースが縦横無尽に張り巡らされているように見えるが、道標や地図も過剰なほど随所に設置されているので、新神戸駅から北に初めて足を踏み込む、私のような六甲山初心者でも迷う心配なく安心して歩くことが出来る。

森林浴ハイキングについて

T.森林浴とは

  1. 森林のすがすがしい香気と清浄な空気、さわやかな緑、小鳥のさえずりの中くつろいだり、心身を鍛えることが森林浴の目的です。
  2. 適度な歩行や体操により、心身をリフレッシュできる。この地形の変化を利用した森林浴歩行は、呼吸器や循環器系統のはたらきをよくするエアロビクス(有酸素)運動となる。
  3. 樹木の発するフィトンチッド(フィトンは植物、チッドは殺菌作用の意)という有機物質は殺菌力を持ち、空気を浄化し、人間に有益に働きます。
  4. フィトンチッドの一種であるテルペン類は「大気のビタミン」とも言われ、肉体疲労回復、集中力の増強に役立ちます。

U.森林浴の楽しみかた

  1. 森に入る前は少し運動して、体を慣らしておく。
  2. 歩行距離は2km、5km、10km程度が適当な距離。滞在時間は3時間以上が望ましく、ゆとりが必要。
  3. 歩行は自分のペースより、ややきつい程度が良い。
  4. 日光浴をとり入れ、明るい直射日光のあたる場所で軽く柔軟体操を行い、休憩をとる。(夏季は木もれ日程度が良い)
  5. 時にはベンチや切り株に腰をかけ、腹式呼吸を行い、瞑想にふけるのも良い。
代表的ハイキングコース(新神戸駅基点)
(1)布引の滝→新神戸駅1.0km(30分)
(2)布引の滝→徳光院→新神戸駅2.0km(1時間)
(3)布引の滝→市ケ原→新神戸駅5.0km(2時間)
(4)布引の滝→市ケ原→大熊寺→修法ケ原→外人墓地→市章山・錨山→ビーナスブリッジ→諏訪山8km(3時間)
(5)滝山城址→海の見える展望台→北野町3km(1時間)
(6)滝山城址→猿のかけ橋→新神戸駅3km(1時間)
(7)雷声寺→行者茶屋→天上寺→摩耶山5km(3時間)
森林浴コース(新神戸駅基点)
(1)布引の滝→滝山城址→二本松→大竜時→再度公園5km(2時間)
(2)布引の滝→布引貯水池→市ケ原→トエンティクロス→徳川道→杣谷→摩耶山7km(3時間)

寄贈 神戸ライオンズクラブ 昭和59年11月

上記の解説文がかかれているハイキングマップ(布引・市ケ原周辺)は見た目はきれいだが、建てられてから20年以上たっている。しかし平成3年開園の布引ハーブ園と神戸夢風船も描かれていて、修正はされているようではある。しかし、この案内図はあまり信用しないほうがよいかもしれない。

築21年のハイキングマップ

8:08
布引川にかかる「いさご橋」を渡る。橋の上では、杖などのハイキング用品を並べ、街頭販売の店を広げようとしている。橋の袂には、橋と断層の関連性を解説する案内板が立っている。

断層に沿って流れる川

橋のまん中へ行ってみましょう。この橋の下の川は、西から東へ流れています。上流は右(北)に曲がっています。なぜ流がこんなに急に変わっているのでしょうか。
下をのぞいて見ましょう。水の流れているところは少し掘り込まれています。これは大地がずれ動いてできた断層です。岩がつぶされてやわらかくなり、水にけずりとられやすいからです。
上流ではこの東西方向の断層と、雌滝を通る南北方向の断層が交わり、そこでは流れが大きく北に変わっています。

神戸市建設局公園砂防部森林整備事務所

布引の滝の源の解説もある。滝の落水は成り行きで落ちているのでなく、時間を決めて水量も制御されているのだ。まるで街中の噴水と同じではないか。まあ水が循環してないだけましか。

布引の滝への放流

神戸市水道局

野生動物に対する注意喚起の案内もある。なんとまあ看板の多いハイキング道だ。これでは、なかなか摩耶山頂上に着かないではないか。

イノシシなどの野生動物にえさを与えないようにしましょう。
ゴミは持ち帰りましょう

神戸市では「神戸市いのししの出没及びいのししの危害の防止に関する条例」を平成14年5月から施行しています。
イノシシによる生活環境や人身への被害の原因となる餌づけや生ゴミの放置などの禁止について、皆様のご理解とご協力をお願いします。

兵庫県・神戸市

8:11
遊歩道が二手に分かれている。真っ直ぐ進む水平道と、右手に登る階段道だ。案内地図によれば水平道は雌滝へ、階段道は滝を高巻いて行くように見える。全てのハイカーは階段道を登っていくので、私も後を追う。

皆が登る階段道へ

8:11
しかし、途中から雌滝へ下る短い階段道があり、滝見物をする。雌滝はきれいな滝だが、なにか臭う。心身に良い効果があるというマイナスイオンに臭いがあったとしても、その臭いとは違うと思う。大勢のハイカーが歩いているはずだが、雌滝を見に下りて来る人はいない。一度だけ見ればよいと、みんな思っているのかな。

雌滝(布引の滝)

布引の滝

この布引の滝は、那智の滝、華厳の滝とならんで、我が国の三大神滝といわれています。それだけ昔から貴族、歌人などがよく訪れ、詩などを数多く謡んでいます。(園路沿に歌碑がありますのでご覧下さい。)
布引の滝は4つの滝(上流から雄滝、夫婦滝、鼓滝、雌滝)から成ります。

この滝は雌滝で高さ19m。
しなやかで上品な滝です。
約200m上流には高さ43mの雄滝があり雄大な姿を呈しています。

神戸市建設局中部事務所

8:22
鼓滝は遊歩道から少し離れていて、木が邪魔をしてよく見えない。狭い渓谷の中を落ちているので、滝壷まで下りていくことが出来たら、周囲の岩壁に音が反響して凄いだろうなとは思う。鼓滝の上流には植生の解説板がある。六甲山でも人の手が入らなかったところがあるようだ。

アラカシ−ホソバカナワラビ群集

正面の木と草の組み合わせを見て下さい。
高い木はアラカシ、低い木はネズミモチやアオキなどです。地面にはシダの仲間のホソバカナワラビなどが生えています。この組み合わせは日本の暖帯林(照葉樹林)を代表する一つのタイプで、人間の手の入らない自然そのままの植生です。

神戸市建設局公園砂防部森林整備事務所

8:25
次は布引の滝のメイン、雄滝だ。あれ夫婦滝はどこにあったのだろう。滝の水量は案内書の写真よりも少なそうで、もう一ひねりバルブを開けてくれたらいいのに。

雄滝(布引の滝)

六甲山の隆起と雄滝

この滝は大地のどのようなしくみでできたのでしょうか。
川の流れが増水時に運ぶ石が川底を削る働き(掃流)もありますが、六甲山の上昇による影響も考えてみましょう。
この滝の両側の山を見ると、山はここから急に高くなっているのがわかります。これは滝の上流側の山が下流側に比べて大きく上昇したためです。生田川がそのさかい目にかかってできたのがこの雄滝です。

神戸市建設局公園砂防部森林整備事務所

8:33
雄滝の左岸を回るように登っていくと「雄滝茶屋」がある。茶屋前の遊歩道の上にも屋根がかけられ薄暗く、あまりよい印象ではない。雄滝茶屋がかけた滝の解説板がある。

『布引の滝 雄滝』

この滝は、生田川の上流にあって、その源は、北の方、遠く六甲山系の『獺《かわうそ》池』から発し、途中摩耶、再度の渓流が集り、『二十渉《トエンティクロス》』の景勝となって布引貯水池に入り、さらに南に流れ、姉妹に数十米の滝となっている。
滝は雄雌の両滝に分かれ、山上にあるのを雄滝、山麓のあるのを雌滝といい、その間約200mあまり、中間に夫婦滝、鼓滝があり、雄雌両滝を総称して布引の滝という。
雄滝(高さ43m)は、厳頭から5段に折れて落下している。これは昭和10年末に発見されたもので、5段の格段に1宮づつの大甌穴があって、厳頭より、第1を滝姫宮、第2を白龍、第3を白鬚、第4を白滝、第5を五龍宮という。
流れ落ちる滝の水は、この各宮に溢れて滝壷に落下する。滝壷の面積は130坪(430平方m)余り、深さは滝下2丈(6.6m)余り、歩かはおおむね流石に埋もれて浅い砂地である。

薄暗い雄滝茶屋前の遊歩道
アイスコーヒー350
おでん  各100
甘酒300
鍋うどん500
ざるそば うどん500
ラーメン500
ところてん250
布引ラーメン500

店の外に張り出されているメニューだが、中からはなにやらお腹の虫が泣き出しそうな、よい香りが漂ってくる。まだお客さんはいないが仕込みをしているのだろうか。布引ラーメンもだが、これからの季節は鍋うどんを食べてみたい。


布引貯水池

8:39
神戸市水道局の敷地入口門の横は、「みはらし展望台」になっている。「布引みはらし登山会」の毎日登山の目的地になっているのか、東屋には登山回数の記録が張り出されている。一番多い人は15,000回で毎日登っても40年以上かかるという恐ろしい記録だ。展望台には解説板が1枚ある。

見晴らし展望台から、霞んでいる

六甲山と大阪湾の生いたち

六甲山は、50万年前ごろから急速に高くなってきた若い山です。そのころから東西方向の圧力が強まり、土地がうねるように変形しはじめました。そのうねりの山が六甲山で、谷が眼の前に広がる大阪湾です。
圧力が非常に強くなると岩石が破壊されて断層ができ、隆起と沈降の差がはますます大きく、そのたびに六甲山は高くなりました。
今あなたが立っているこの場所は、隆起側の山に入ったばかりのところです。

神戸市建設局公園砂防部森林整備事務所

神戸市水道局敷地の入口には、注意書きが掲示されている。遊歩道はここから水道局の敷地を行くが、こういう注意書きがあるところを見ると、とんでもないことをする人が大勢いたのだろう。

お願い

ここから上流の布引貯水池と下流の雌滝は神戸市民の大切な飲み水の取り入れ口です。きれいな水と豊かな自然を守るため貯水池・川・滝では次のことにご協力下さい。

  1. さくやフェンスの中に入らないこと。
  2. 魚釣りや水泳はあぶないうえ水をよごすので絶対に入らないこと。
  3. ゴミやあきかんなどを捨てないこと。
  4. 犬を連れて入らないこと。
  5. 貯水池内の鳥や魚にエサを与えないこと。みなさんの力で美しい水と自然をいつまでも保っていきましょう。

神戸市水道局 奥平野浄水管理事務所

水質保全のため犬の散歩はご遠慮下さい。

神戸市水道局

遊歩道は水道局の敷地へと続く

8:49
遊歩道は布引川の左岸沿いに続いている。その布引川に吊橋を装った普通の橋がかかっている。名前は「猿のかけ橋」となっている。昔は本当の猿がかけた橋があったのだろうか。この橋を渡り登っていくと「滝山城址」へ行ける、と道標が教えてくれる。地図付きの解説板も設置されている。

「猿のかけ橋」を渡ると滝山城址だ

滝山城跡

滝山城がいつ築城されたのかは、はっきりしない。最も古い記録は正慶2年(1333年)の『正慶乱離記』であり、赤松円心則正が護良親王の命旨をうけて挙兵した時のことが記されている。
このように滝山城は鎌倉期末には存在していたようで、西方の再度山城、東方の摩耶山城を両翼におき、海辺に近く大阪湾を往来する舟を監視できたこの城は戦略上ふたつとない拠点であり、南北朝の動乱期から戦国時代に至るまで、再三戦火の舞台となっている。戦国時代末期には織田信長の摂津進行に伴い、摂津守護となった荒木村重の領有するところになったが、荒木村重の謀反により、天正7年(1579年)信長の武将によって攻略され、石垣などは兵庫城築城の用材として運び去られたと言われている。
こうして滝山城は約250年の長きにわたる歴史をとじたのであった。

*ハイカーの皆様へ大切な自然を守るため

8:52
古そうな石橋を右岸へと渡ると、頭上には「神戸夢風船」の索道が横切っているが、時間が早いためまだ運行はされていない。しかし、遊歩道沿いに目の細かいフェンスが続き、景観の50%は損なっているように私には思える。

石橋で右岸へと渡る

8:53
六甲山をつくっている2種類の花崗岩が道端に並んでいる。プレートが貼られ解説板もあるのでそうと分かるが、表面についている地衣類のせいか、どう見ても同じ石にしか見えない。

布引花こう閃緑岩

六甲花こう岩

六甲山をつくっている二つの花こう岩

六甲山は、この二つの花こう岩でできています。
右うしろの二つの岩を比べて下さい。全体に黒い鉱物の多い花こう岩が布引花こう閃緑石で、白っぽい長石、ガラスのような石英、はがれやすい黒雲母と鉛筆の芯のような黒い柱状の角閃石からできています。
六甲花こう岩は角閃石が少なく、石英や長石、黒雲母のほかにピンク色のカリ長石の多いのが目立ちます。
どちらも地下でマグマがゆっくりと冷やされてできた深成岩です。

神戸市建設局公園砂防部森林整備事務所

8:57
布引ダムの堰堤が見えてきた。石造りのもので勾配の曲線が優雅なダムだ。

布引ダム

布引ダムは耐震補強工事も終わり、水を満々とたたえている。解説板や工事竣工の銘板などがたくさんある。水道の配管を模したものの飛び出ている棒を押したら、なんと大きな声の解説が始まってしまった。静かだったダムがあっという間に観光地に変わってしまった。

布引貯水池 その1

布引貯水池 その2

布引ダムの位置とその周辺

神戸市の水道は、明治33年(1900年)に給水を始めました。
この時、神戸市内に給水されたのが布引貯水池の水です。
布引ダムは日本最古の重力式コンクリートダムで、平成10年(1998年)登録有形文化財の指定を受けました。今後も安定的に給水するため、阪神・淡路大震災のあと耐震化の工事を行いました。
この貯水池の水は私たちの飲み水になります。
大切な水源を汚さないようにしましょう。

あ ら ま し
ダムの名称 五本松えん堤
ダムの目的 水道専用
所在地 中央区葺合町山郡
完成年月日 明治33年3月
設計者 佐野 藤次郎
ダムの高さ 33.3m
ダムの長さ 110.3m
貯水量 60万立方m
最大水深 30.2m

神戸市水道局

布引ダム災害復旧工事
着工 1995年9月  完工 1997年3月
神戸市長 笹屋幸俊  水道局長 藤田 徹

概 要
平成17年1月17日阪神淡路大震災により漏水量が増大し、その対策として、カーテングラウト2列を行うとともにダム全体に注入を行った。
あわせて、地震計を設置した。

  1. 本体補強グラウトとカーテングラウト
    位置 ダム軸より1.0mと2.0m @ライン〜Aライン
    ボーリング φ46(一般孔)〜φ66(パイロット孔)208本 延長7,812m
    グラウト 高炉セメントB種 243t
  2. 本体補強グラウト
    位置 ダム軸より2.6m〜ダム尻まで2.0m格子状
    ボーリング φ46(一般孔)〜φ66(パイロット孔)255本 延長3,674m
    グラウト 高炉セメントB種 312t
  3. 地震計の設置 堤体底面基盤部に地震計の設置 1基
  4. その他 1968年の管廊内部からの放射状排水路(閉塞)を再度ボーリング整備 本数21本

布引ダム耐震補強工事
着工 2001年3月  完工 2005年3月
神戸市長 矢田立郎  水道局長 石井真澄

概 要
平成17年1月17日阪神淡路大震災により漏水量が増大し、その対策として、グラウト工事を行ったが、さらに、堤体の恒久的補強対策として、堤体上流側に補強コンクリートを増築し、耐震補強工事を行った。あわせて、ダム湖に堆積した土砂を撤去し、貯水機能の回復を図った。

  1. 補強コンクリート 3,300立方m H15.11〜H16.6(8ケ月)
  2. カーテングラウト 補強コンクリートフーチングよりφ46〜φ66 86本 延長1,545m 高炉セメントB種 42t
  3. 景観への配慮 止水コンクリート部 表面天然石材張り 934平方m
  4. 台船係留設備の整備 右岸堤体に付属設置
  5. 堆積土砂の撤去 200,000立法m (約市役所1号館  1杯分) (搬出先:ポートアイランド 105,000立方m・震災復興記念公園 30,000立方m・布施畑環境センター 65,000立方m
  6. 管理橋の補修・補強 5支間 長さ50m 橋脚補強ならびに石張り
  7. 水辺環境の整備 サンクチュアリー2箇所 野鳥観察所の設置
  8. 堤頂左岸周辺整備 広場・ダム名石碑の設置
  9. 仮設工 資機材搬入用工事用トンネルの設置 NATM 断面85.1×H4.8m 長さ320m
  10. その他 平成10年に文化庁より登録有形文化財に指定されている。

ダム湖百選
布引貯水池

平成17年3月
財団法人 ダム水源地環境整備センター

登録有形文化財
第28-0036号
この建造物は貴重な国民的財産です
文化庁

9:05
布引貯水池の左岸側に続く遊歩道を行くと、また断層の解説板がある。今は布引断層のま上にいるようだ。

布引断層

貯水池のフェンスまでさがって前の崖をよく見て下さい。岩石がたてに深く掘りこまれていますね。これが断層です。断層は大地がずれ動いたとき、岩石が押しつぶされてできた裂け目です。何度もくり返され、岩石は粘土化してしまいました。
ところで、この断層はどちらの方向に続いているかわかりますか。反対の方向を向いてみましょう。池の向こうに谷が見えますね。水の侵食に弱い断層が削られてできた谷です。もし、あなたが崖の断層と谷を結ぶ線上に立つならば、この布引断層のま上にいるわけです。

神戸市建設局公園砂防部森林整備事務所



茶屋3軒を過ぎ天狗道へ

9:19
「神戸市水道局 布引貯水場 (裏門)」を出たら、車道と合流する。ここまでは車でも来ることは出来るが、駐車出来そうなスペースはない。3枚ほどの案内・警告板が立っている。

これより登山道につき
車両は進入できません
この先行き止まり回転場所なし
葺合警察署
神戸市

のじぎく兵庫国体 山岳競技について

平成18年にのじぎくひょうご国体が開催されます。
山岳競技(縦走)は布引中学校〜(六甲十走路)〜摩耶山頂間で行います。
平成18年5月27日(土)にリハーサル競技会を行い、
平成18年10月1日(日)と2日(月)に本大会を実施します。
競技開催に際しては安全確保に努めてまいりますので、ハイカーの皆様方のご理解とご協力のほどをお願いいたします。

練習される選手のみなさんへ
このコースは神戸市民にとって憩いのハイキング道です。ハイカーの皆さんの安全を優先し、マナーを守って練習しましょう。

にじぎく兵庫国体 神戸市実行委員会

立入禁止
この付近はカジカの保護区域です。みだりに立入ったり、とったりしてはいけません。

神戸市環境局

9:21
この辺が市ケ原の入口で、茶屋が連続している。最初は「紅葉茶屋」で、予約しておくと「すきやき」も食べられる。外では熊のぬいぐるみが日向ぼっこしながら店番をしている。

紅葉茶屋

紅葉茶屋の看板娘ならぬ「看板熊」
鍋うどん\700
おでん\100
おにぎり\250
チャーハン\600
天津飯\600
ブタマン\200
ぜんざい\500
すきやき予約承ります
2人前より(三田牛)\2,500〜
コーヒー 紅茶\300
トースト\150
モーニングセット
コーヒー、紅茶、野菜ジュース
どれか1つ+トーストと玉子\450
手作りケーキ(プレーン)\200
具だくさんの かす汁\400

9:24
次は「あけぼの茶屋」だ。暑い盛りに、どて焼きを肴に冷たい生ビールをグイグイと飲んだら、もうこの先に進もうなんていう気はなくなりそうだ。あけぼの茶屋の棟続きに「神戸投輪連盟本部・布引投輪クラブ」がある。戸窓は閉まっていて、中の様子をうかがうことは出来ない。

あけぼの茶屋
おしながき
 
手作り おにぎり弁当
(おかず三品付)
 400円
 
名物 どて焼100円
 
 お食事
きつねうどん500円
わかめうどん500円
カレーライス600円
洋風オムピラフ600円
 
 喫茶
田舎風ぜんざい500円
手作りあんみつ400円
コーヒー250円
紅茶(ミルク・レモン)250円
ゆずティー300円
各種アイスはプラス50円
オレンジジュース
(産地直送100%)
 250円
 
あけぼの茶屋
冷た〜い! 生ビール 始めました
 
 生ビール
グラスビール100円
ハーフグラス300円
中ジョッキ550円
おにぎり
うめ・こんぶ・しめじしぐれ
1個 130円
カップラーメン全品 150円

左手の渓谷が広い河原になっている。そこが市ケ原なのだろう。再度山へ行くのだろうか、河原を歩いている人たちがいる。よし、次回はここから再度山へ登ってみよう。

9:29
最後の茶屋は「桜茶屋」だが、飲み物と乾き物の販売だけで、食事はとれないようだ。中でおばちゃんが一人ぽつねんと店番をしている。

桜茶屋

9:33
茶屋の先もまだ遊歩道が続き、なぜか青地に「女の子の手を引く帽子を被ったおじさん」の歩行者専用道路の交通標識がある。補助標識は「指定車・許可車・軽車両を除く 日曜・休日 9-16」となっていて、月曜から土曜は車の乗り入れ可能で、一番奥には緊急車両用だが方向転換地も用意されている。

9:34
生田川流域図と砂防ダムの機能を解説したものが立っている。しかしながら役所というところは、こういう解説板の類を立てるのが大好きなようだが、読む人などいるわけはなく、周囲の景観を害するだけで無用のものだと思っている人も多いのではないだろうか。

新市ケ原砂防堰堤(ダム)

六甲山系は、武庫川右岸の山麓から六甲山、摩耶山、再度山などの山並みを連ねて、東西に約30km、南北に10kmの地域で、大部分は花崗岩で形成されているが風化が進んで崩壊しやすい状況となっている。
昭和13年7月5日に発生した阪神大水害は、神戸市、芦屋市、西宮市の市街地一帯を土石流で埋めた。
六甲山系の直轄砂防事業は、この阪神大水害を契機に着手された。
その後、昭和36年、昭和42年と、約30年間に3度の土石流による大災害が発生しており、特に昭和42年の災害では、この市ケ原で大規模な土砂崩壊によって、民家を押し流し、21名の尊い人命と財産が失われている。

また生田川の流域では、直轄工事の着手以来、市ケ原堰堤(昭和13年10月着工)をはじめ、24基のダムが現在までに完成しているが、下流の保全対象区域を守るためにはまだ十分でなく、砂防施設の整備が急がれる。

新市ケ原砂防ダムは、昭和59年1月に着工し5ケ年間の歳月と、工費約9億円を要して完成したもので、住吉川の五助堰堤と並びm高さ30mの大きなダムで、下流の市街及び布引貯水池への土砂流失を防止し、地域の安全のために大きな役割を果たしている。
六甲山系直轄砂防50周年の記念事業として平成元年2月(昭和63年度)に完成した。

国土交通省六甲砂防工事事務所

9:36
車止めの杭が立ち、ようやく遊歩道が終わった。新神戸駅を出発してからすでに1時間半(ガイドブックによると、休憩なしの標準的な歩行時間は1時間10分となっている)、長い長い遊歩道歩きだった。

天狗道を覗き込む


天狗道で登る摩耶山

天狗道に一歩足を踏み込むと、いきなりの山道になった。道の脇にはノギクが咲き乱れている。ヨメナなのだろうか、ノギクの種類を見わけるのは私には無理のようだ。

天狗道の入口近く

道の両側にはノギクが、ヨメナかな?

予想よりも大分多いハイカーが次々と追い越していく。中には六甲全山縦走の練習をしているのかランニングパンツ姿で走り抜ける人もいる。登山道はそれほど急ではないが、上り坂が続く。

天狗道 その1

天狗道 その2

9:56
「市が原・ツェンティクロス・地蔵谷方面は、新道をご利用下さい。」と書かれた古めの案内があるピークに着いた。今登ってきた道が新道で、左手から合流してきた狭いが明確な道が古道なのだろう。

10:03
道標の立つ、布引ハーブ園への分岐に着いた。迷いようのない道を歩くと、地形図を見るのが面倒くさくなり、今どの辺を歩いているのかさっぱりわからない。近くにハイキングコース案内図が設置されているが、北が右を向いていて余計頭の中が混乱してきたが、この先が「稲妻坂」だとわかった。

ハーブ園分岐から急坂を下ると「稲妻坂」が始まる。もしかすると、下りを含めて全体が「稲妻坂」なのかも知れない。手を使わないといけないような急登はないが、荒れた坂道が続く。途中で作業用の索道が横切っている。

稲妻坂を登る

10:30
稲妻坂を登り終えると、右手から「学校林道」が合流してくる。ここにも案内図があるが、北が右上を向いている。どうして北を真上にしないのだろうか。摩耶山まであと約2.3kmとあるが、どれくらい時間がかかるのだろう。

しばらくは平坦な道が続き、これなら摩耶山まで30分ぐらいかと思ったが、そうは甘くなかった。いきなり両手を使わなければ登れないような岩場が、連続して現われた。

こんな道が続き安心していると

いきなり岩場が現われる

11:00
どこから運んできたのか、太い丸太の方位盤がある展望カ所が、登山道脇の大岩を回り込むとあった。南側の神戸の町は霞んでいてあまりよく見えないのが残念だが、一休みする。もう一度、大気の澄んだ時に来てみたいところだ。

登山道近くの展望所

11:07
左手から、道標には「地蔵谷を経てアドベンチャールートを経て黒岩尾根」と書かれた道と合流してきた。この合流してきた道は「地蔵谷」か「アドベンチャールート」か「黒岩尾根」のどれなのだろうか。はたまたその3ルートへ行く道なのだろうか。今もっているガイドブックの地図をどんなに睨みつけてもわからない。詳細な道の名前わかる地図を入手しなければならない。

11:15
岩場の登りを抜けると、緩やかな石の階段道が現われた。頂上までもう少しだろう。

緩い石段の道を行く


摩耶山頂上の風景

11:20
石段の道は、緩い丸太階段になり、その先はほぼ水平道となり、アンテナ鉄塔が立ち並ぶ摩耶山の頂上に着いた。今日は土曜日なのに、無線装置の点検日なのか、数ケ所の無線施設では緊急用自家発電機を運転したり鉄塔のアンテナを点検していて、大勢の作業服の人が行き来し、ガードマンまでいる。これでは楽しみにしていたアンテナ鉄塔の身元調査が出来そうもない。また次に登ったときにしよう。

11:26
アンテナ塔が途切れた先に、右手の高みへ登る道があり、登っていくと一番高いところに「天狗岩」が祀られている。巨大な大岩を予想していたが、少し拍子抜けしてしまった。けれども、この岩が天狗道の名前の由来らしい。

天狗岩

天狗岩

奥の院の北山の山頂にあるこの天狗岩という巨石は、広さ八畳ともいわれ、伝説によると摩耶山の僧が山中に出没する天狗を封じ込めたところだという。
行者岩とも称され、今日でも修験道者が信仰の対象とているが、古い山岳信仰の岩坐(神が降臨するといわれる巨岩)だったのであろう。
この岩の名も、その北方から布引市ケ原に至る山道、天狗道の名も、ともにそこで修行する山伏の姿を見た山麓の農民が山伏たちを天狗と思って名づけた呼び名であろう。

11:34
サンテレビのアンテナ塔の東側、摩耶ロープウェー星の駅がある広場、「掬星台」に到着した。天狗道登り口から約2時間(ガイドブックによると、休憩なしの標準的な歩行時間は1時間30分となっている)。大勢の人に追い越されて、寄り道したり沢山の写真を撮ったにしてはマアマアのタイムだと自己満足。

掬星台からも霞んでいて、神戸の町があまりよく見えない。もう一度来なくては。あと1000万ドルの夜景も見てみたいものだ。

掬星台からの大展望??

近くのアンテナ塔はよく見える

掬星台(きくせいだい)

「掬」は「手ですくう」の意味で、先人が満天の星空があまりにも近いので、手が届きそうだ、手ですくえそうだと言った事に由来します。
このモニュメントは、幸せを運ぶ流れ星を手で掬い取るイメージを表しています。
この次は是非、満天の星空と素晴しい夜景をお楽しみ下さい。天空に散りばめられた星空の中で、流れ星を幸せといっしょに、両手で掬い取って見てはいかがでしょうか。
春はヤマザクラ、初夏のミツバツツジ、アジサイ、秋の紅葉と四季を通じて自然と親しむことが出来ます。

2001年3月 神戸市森林整備事務所

まるで手で星を掬うかのように、眼下の光粒を掬えそうな1000万ドルの夜景。日本三大夜景と称され、日本夜景遺産にも選定された日本を代表する夜景のひとつです。大阪湾が大地の輪郭を浮かび上がらせ、大阪、神戸市街地の明かりが迫るダイナミックな景観。時とともに移ろいゆく空の色、大気に揺らめく街の灯、船舶や飛行機の描き出す光模様は人々の心を捉えてやみません。

一日の半分が夜ならば、人生の半分も夜。その夜ごとに生まれる夜景には、美しさだけではなく、癒しの世界へ導く効果があります。夕日に染まる大阪湾や埠頭に輝くオレンジ光は心身に高揚感や充実感を与え、日没後に訪れる紺や藍色の夜景はリラックス感をもたらします。時間帯や眺める対象によって多々の色彩が楽しめる掬星台からの夜景。その素晴しき恩恵を存分に感じとってください。

夜景評論家 丸々もとお

摩耶★きらきら小径

ここ摩耶山上からの夜景は日本三大夜景のひとつといわれます。
この広場「掬星台」は、その美しい夜景を星になぞらえ「星が掬える」というところから名づけられました。
摩耶山には、名刹 天上寺があり、お釈迦様の生母摩耶夫人をまつる女人守護のお寺として知られています。そして毎年8月8日から9日に日が変わる刻限に、この寺の観音様に向けて「災いを取り除き、幸せを呼ぶ星が」が天空から降り注ぐと言い伝えられています。
「摩耶☆きらきら小路」は、この星にゆかりの深い「掬星台」に天空に横たわる天の川を地上に再現したものです。しあわせへの思いを込めて「摩耶★きらきら小径」を渡れば、必ずその願いが天空に届くことでしょう。そして眼下にひろがる星空(夜景)をお楽しみ下さい。

神戸市森林整備事務所

事前知識が少なすぎて、この「摩耶★きらきら小径」が何なのか理解できなかったが、蓄光石で星座や天の川をかたどった幅3〜6m、約40mの遊歩道で、作られて早々、蓄光石をほじくり出して持って帰るのがはやったそうだ。もう一度摩耶山に登ったら、よく見てみよう。

12:15
いつものコンビニおにぎり2コとサンドイッチのお昼ごはんを食べてから、掬星台から10分ほど車道を北に歩き天上寺の表門に着いた。裏口から入る手もあるが、寺社仏閣は表から入るに限る。しかし、いきなり急な石段が現われた。

天上寺の表参道の石段を登る

石段を登りきり、左に入ると「摩耶夫人堂」(平成14年再建)、その奥には「金堂」(昭和60年落慶)が建ち並ぶ。金堂の前は「天空の大舞台」(平成17年8月8日落成)という名の展望台になっている。空気が澄んでいたら本当の展望が得られただろうが、今日はもうひとつだ。

開創は大化2年と今から1400年以上も前で歴史の古い寺だが、昭和51年に全伽藍が焼け落ちてしまい、この地で再建したため、どの堂宇も新しい。掬星台には大勢の人がいたが、ここには数えるほどしかいない。

天上寺の金堂

金堂前「天空の大舞台」からの展望

12:43
摩耶山の三角点はどこにあるかとガイドブックを開いてみると、最初に行った天狗岩の裏にあるとある。天上寺から天狗岩まで引き返し、裏を探ると三等三角点標石(点名:摩耶山)を見つけることが出来た。

天狗岩裏の三角点標石

しかし摩耶山の頂上はどこなのだろうか。この698.6m三角点、西側すぐの702m標高点、はたまた掬星台なのだろうか。この三角点付近には、頂上に付きものの登頂記念プレートが1枚もなく頂上ではなさそうだ。摩耶山で物理的に一番高いのはアンテナ鉄塔の先端だが、そこを頂上と呼ばないのは知っている。だが、そこが最高の展望台には間違いはないだろう。

下山は旧天上寺跡がある「摩耶山史跡公園」から「青谷道」・「旧摩耶道」を経て出発地の新神戸駅に戻ることにする。


下山は摩耶山史跡公園から青谷道

12:47
天狗岩からも史跡公園へ下れるが、一旦車道まで出て石灯籠の横から始まる石段を下ることにする。下り口脇には案内図付きの解説板が立っている。

摩耶山史跡公園への下り口

摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)

標高589.6mの摩耶山の山麓に千三百有余年の歴史と伝統をもつ天上寺の跡地を史跡公園として整備しました。
伽藍跡を中心とした全長1500mに及ぶ公園内は、深山の趣きを保つ樹林の中、静かで荘厳な雰囲気を漂わせています。

昭和62年 神戸市

石段が続くが、摩耶山頂上側からは裏参道になり、元々きっちりとしたものではなかっただろうし、伽藍が炎上してから30年がたちかなり荒れている。

石段の道の左側に沿って、黒い太さ20cm程のパイプが延々と続いている。見た感じは中に電線が通っているように見えるが、パイプの中には何が通っているのだろう。

旧天上寺跡へ下る石段の道

12:58
10分も下ると旧天上寺跡の平地に出た。基壇だけで建物は何も残っていない。遠い昔にこんな山の中に大伽藍をどうやって建てたのだろう。材木も付近の山から調達できたわけでもないだろうし、大変な労力と費用と時間をかけて建てられたのだろう。

旧天上寺本堂跡

旧天上寺跡からの展望

摩耶山史跡公園(旧天上時跡)

六甲山地は、東は宝塚方面から、西は須磨の鉢伏山まで大阪湾岸に平行して東西に約50km続いています。このうち、灘のすぐ北に高くそびえる摩耶山(689.6m)は、古来山岳信仰の場であり、真言密教の伝来後は、そこに仏教寺院が建てられました。これがトウ《“りっしんべん”に刀》利天上寺です。
長い歴史の中では、地震、台風、火災などしばしば災害にあいましたが、その都度再興され観音霊場や安産祈願の寺として信仰されてきました。表参道である上野道のほか、兵庫方面の人々は布引の東から山に入り天上寺に参りました。杣谷からの摩耶東谷や青谷道もこの寺に参る山道でした。
昭和51年1月30日、天上寺は炎上、主要建造物を焼失した。今回の復興計画では、寺は、開創の地と伝えられる元摩耶(これより北へ約700m)へ移転することになりました。
神戸市では、旧境内地を自然あふれる市民の憩いの場とし、歴史伝説を有する史跡のイメージを残すため、史跡公園として整備を行っています。

昭和62年 神戸市

旧天上寺の建造物郡

青谷道と出合った上野道は、まもなく天上寺山門(仁王門)にたどりつく。江戸時代後期に建てられたこの仁王門くぐると、最上段の本堂まで長い石段の参道が続き、途中、左手に蓮華院、右手に王蔵院、大乗院という塔頭(本寺の境内にある小寺)があった。
石段を上りきると、境内の中心部の平地となり、多くの伽藍(寺院または寺院の建造物を意味する語)が並んでいたが昭和51年1月30日の火災でおしくも焼失してしまった。
ここには、左手前から阿弥陀堂、多宝塔が並び、これらの正面に本堂があった。
さらに、本堂背後には三社権現、その奥に奥之院があった。

鐘楼約4.5m四方の鐘つき堂
摩耶夫人堂釈迦の母である摩耶夫人を本尊とするお堂
護摩堂阿弥陀仏の像を本尊として祀るお堂
多宝塔虚空蔵菩薩を本尊とする二重の塔
本堂本堂は約13.0m四方の荘厳なお堂 正面には本尊である十一面観音像が安置してあった
三社権現日山権現、熊野権現、愛宕権現の三社を祀ったお堂

摩耶山史跡公園 神戸市

摩耶山史跡公園はあまり手入れされていないようで、草は茂り解説板も倒れ、一枚は上下逆さまになっている。ここからの展望は結構よさそうだが、今日は相変わらず霞んでいる。

伽藍跡から下は、きれいだが急な石段が始まる。この急な石段が続く道では摩耶山に登りたくないが、それでも登ってくる人に時々出会う。ケーブルカーで登ってきたのだろうか。ケーブルカーと言えば「虹の駅」周辺は、過去には天上寺参詣の拠点となり賑わった時期があるようだが、今はロープウェイへの連絡地となり、展望台と廃墟の聖地「摩耶観光ホテル」を残すのみらしい。今日は通らないが、何時の日か訪れてみたいところだ。

緩やかになった石段を下る

13:09
旧天上寺跡で唯一残った山門「仁王門」ををくぐる。仁王さんはどこかにお出かけのようで 山門の中は空っぽだ。

旧天上寺仁王門

摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)

摩耶山の植生
摩耶史跡公園(旧天上時跡)のあたり一帯の国有林は、六甲山中でも再度山大竜寺境内と並んでもっとも人工の加わっていない地域で、シイ、アカガシなどの大木に被われた暖帯林で、林内にはアセビ、ツバキ、アオキ、カクレミノなどの常緑性の低木とマメヅタやコケ類のほかクモランやムギランの着生蘭もみられる。
なお、スギは境内林として植林されたものと思われる。

昭和62年 神戸市

仁王門をくぐると道は右へ回り、直進が「青谷道」、左へ石段を下るのが「上野道」となる。ここからは行者茶屋跡を目指し青谷道へ入る。

仁王門の下で上野道と青谷道に分かれる
直進が青谷道、左折が上野道

かなり痛んでいるが、石段の道が続きこの青谷道も天上寺への参道だったことがわかる。

石段が続く青谷道を下る

13:38
登山道に渡された「山火事注意 神戸営林署」の垂れ幕をくぐり、数分下るとると谷にかかる木橋を渡る。すぐ下の建物は、手摺に塗られた水色のペンキが印象的な「不動瀧御禊場 大日大聖不動明王」の修行場だ。

木橋を渡ると行者茶屋跡も近い


行者茶屋跡からは旧摩耶道で新神戸駅まで戻る

13:41
ベンチのある行者茶屋跡で一休み。飲み物の自販機があるが、すでに活動を停止してから長い年月がたっているようだが、ここまでは電気が来ているのだろう。

ここで青谷道を離れ「旧摩耶道」に入るのだが、道の入口は畑の間のフェンスに挟まれた狭い通路になっている。こんなところから入るのが本当に「旧摩耶道」なのかと思うが、それ以外に入口はなさそうだ。

旧摩耶道の入口は
正面のフェンス間の狭い通路だ

畑を過ぎると、暗い廃屋もあり多少不気味だが、すぐに普通の山道になる。一カ所浅い谷を渡る部分で道が崩れてしまったのか、擬木階段の迂回路が整備されている。それ以外は昔からの道のようだ。

旧摩耶道は、山の中腹を行くほぼ水平な道で、道自体は谷に向けて幾分傾斜が付いた傾いた道になっている。左の谷側に一歩でも踏み外したら50から100mは滑落できそうだ。途中に青谷道への連絡路が2本ある。

旧摩耶道 その1

旧摩耶道 その2

14:07
学校林道との出合いに着いた。布引ハーブ園が描かれていない古めの案内図があり、ここから南に下る道はなぜか削られて消されている。

学校林道との出合い

学校林道出合いから下の旧摩耶道も、同じような道が続く。しかし、今度は右側が深い谷になり、狭い道から足を踏み外し滑落したら、急斜面を地の底まで落ちそうな気がする。

同じような道が続くが、谷が右側になる

14:33
梢越しに町並みが見えてきて、「金毘羅山 雷声寺」の一番奥、不動明王が祀られている広場に下り立った。

雷声寺の奥、不動明王像の脇に下山

汗臭い服を着替え、石段が断続する雷声寺への参道を下り、布引中学校と熊内八幡宮の間の道を過ぎると、出発地点の新神戸駅はもうすぐだ。

14:53
新神戸駅着。摩耶山頂から約2時間、ガイドブックの休憩なしの標準タイムも2時間、私でも下るのは結構早いんだ。



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