山行記録にもどるホームにもどる



菊水山・鍋蓋山・再度山



スポンサード リンク




平成17年11月19日(土)  メンバー 私だけ

神鉄鵯越駅〜菊水山〜天王吊橋〜鍋蓋山〜再度山〜神戸異人館〜新神戸駅

2万5千分の1地形図「神戸主部」を参照すること


神鉄鵯越駅から出発

高速神戸駅から乗車し、新開地で神鉄に乗り換え、4駅目の鵯越駅で降りる。料金は高速神戸から350円(JR姫路からJR神戸までは通勤定期を利用)。

8:39
六甲全山縦走路は鵯越駅南の踏切を渡りすぐに左へ下るようだが、直進し商店の間の細い道を行く。少し行くと、左に下り階段道、直進には「行き止まり」の標識がある。真っ直ぐ進むと本当に行き止まりなので(確認済み)、曲がりくねった階段を下る。

階段を下りると、イヤガ谷川沿いに極細の道を挟み民家が建ち並んでいる。集落が終わると車も通れる道幅になるが、暗い渓流沿いの谷間の道で薄暗く淋しい。全山縦走路はこの道の左手の山中を通っているのだろうか。

鵯越駅から烏原貯水池へ行く淋しい道

8:53
烏原貯水池へ下る道と、菊水山へのT字路分岐点に着いた。ここからは明確な道標が続き、それに従って進めば六甲初心者の私でも、迷いようがない。この分岐点にはお地蔵さんが祀られていて「地蔵前広場」という東屋のある休憩場になっている。

1・5車線幅の道路が烏原貯水池の南側を通って登ってきているが、この辺の山だと登った地点へ下山する人は少ないだろうから、自家用車の利用は少ない。走っていたのはタクシー1台だけで進入可能地点まで送ってもらうのだろう。なお地形図では山麓バイパスからの道もあるように見えるが、ゲートが閉まっていて一般車は降りることができない。

8:57
三日月橋を渡ると、烏原貯水池を周回する遊歩道の入口があり、案内図付きの解説板が立っている。

烏原 水と森の回遊路

烏原貯水池は、みなさんの大切な飲み水をためているところです。いつまでも気持ちよく利用していただくため下記のことを必ず守ってください。

  1. 魚釣り、水泳、たき火、犬の散歩、自転車、オートバイの乗り入れは禁止します。
  2. ゴミ、空き缶、タバコの吸いがらは必ず持ち帰ってください。
  3. コース以外の山や池には入らないでください。
  4. タバコのポイ捨ては山火事のもとですからやめてください。
  5. 緑を大切にしましょう。
  6. 係員の指示に従ってください。

  烏原村について
烏原村は明治37年、烏原貯水池築造のため水底に没した。この村の地勢は、四面連山のなかに起伏があって、中央部にやや平坦なあたりに人家が点在し、水没時の戸数は98戸、人口414人であった。この村で生産される木皮細末の線香原料粉は、品質優秀で全国から需要があったといわれている。
貯水池周囲の護岸には線香の材料づくりに使っていた石うす160個が利用されている。こららの石うすは貯水池築造の際に烏原村の人々が水没によって離村するにあたり、その足跡を残し、また、神戸市の繁栄を願って記念に残したものである。このように護岸に石うすを使った例はめずらしく、デザイン的にもユニークなものとなっている。

  烏原貯水池の概要
着工明治34年6月
完成明治38年5月
(大正4年ダムの高さを2.7mかさ上げし現在の高さとする)
ダム名立ケ原ダム
設計者佐野藤次郎
ダムの高さ33m
ダムの長さ122m
貯水量1,315,139立方m

神戸市・兵庫警察署

布引ダム(五本松堰堤)の完成が昭和33年だから、それから5年後に完成し、貯水量は布引の約2倍で、設計者は同じ人だ。残念ながら今日は菊水山へ直行するので見ることはかなわないが、そのうちに見る機会もあるだろう。

9:01
地形図を見ると、烏原川とイヤガ谷川が平面交差しているように見える。河川の平面交差とはどのようなものかと、その現場を見るのが今日の最大の目的でもありじっくり見てみた。

神鉄鵯越駅の下を通り西から流れてくるイヤガ谷川は、なぜか河川トンネルを通過し、平面交差手前で一部を烏原貯水池へと分流している。平面交差部では大水時は堰を越え貯水池側へ流れそうだが、水量の少ないときは烏原川分も含めて河川トンネルで東へ烏原貯水池を迂回し、新湊川となり海に注いでしまう。古そうな施設だがどうしてこのような複雑な手間のかかる仕組みにしているのだろう。調べてみる必要がある。

烏原川の不思議な河川施設

9:07
山麓バイパスが上空を交差する手前で、左手から山道が合流してきた。道標によるとその道が六甲全山縦走路だという。

9:17
道幅が広くなった下水処理場の先でT字路に突き当たる。

ハイカーの皆さんへ
六甲縦走路のルート変更について

石井ダム建設にともなう工事のため、しばらくの期間、六甲縦走路のルートを変更することになりました。
ご迷惑をかけることになりますが、ご協力をお願いします。

兵庫県神戸土木事務所 ダム課

もとのルートを知らないので、どれくらい迷惑なのかわからないが、菊水山は右方向で、左手の山麓バイパス方向は工事車両専用でフェンスで完全閉鎖されていて人も入れない。

9:20
その先の烏原川にかかる工事用の橋は一般車は渡れず、タクシーで来るとしてもここまでだ。ここには案内板が4枚ほどある。

お客様 各位

菊水山駅は平成17年3月26日より営業休止いたしました。

神戸電鉄株式会社

石井ダム建設事業のお知らせ

平素は、石井ダム建設事業へのご協力を賜り厚くお礼申し上げます。
石井ダムは、ダム本体が完成し試験湛水を行っていますが、平成17年6月までに水位を下げ洪水に備えます。
(試験湛水:安全を確認するために、試験的に水を貯めること)
引き続いてダム貯水池周辺の整備工事を行い、皆様に石井ダムを憩いの場として利用していただけるようにんします。ご迷惑をおかけしますが、引き続きご協力をお願いします。

兵庫県神戸県民局 神戸土木事務所 ダム課

車両進入禁止
歩行者の方は横の歩道をお進みください

この道路は石井ダム工事車両専用道路のため、一般車両(原付及び自転車を含む)は通行できません。もし入って事故にあわれても一切責任は負いかねますのでご了承下さい。

兵庫県神戸県民局 神戸土木事務所 ダム建設工事安全協議会

大自然へのゲート 石井ダム

  石井ダムをつくる 2つの目的

 石井ダムは洪水を防ぎます(洪水調整)
石井ダムの下流の新湊川沿川では、昭和13年と昭和42年などに大雨による大災害を何度も受けています。このような大害が起きないように、すでに完成している天王ダムと共に新湊川の洪水を防ぎ、神戸の町を守ります。

 貯水池を有効に利用します(レクリエーション施設整備)
石井ダムの貯水池では、洪水のないときに人々が楽しみ、いこい場として利用できるよう烏原川の自然と調和したレクリエーション施設の整備を行います。

  石井ダムの概要(あらまし)
ダムの位置新湊川の上流
烏原川につくります
ダムの形式重力式コンクリートダム
(コンクリートでつくります)
ダムの規模高さ 66m
長さ 183m
貯水池の大きさ貯水容量 2,000,000立方m
(洪水のときにダムにたまる水の量のことです
貯水池の広さ 約11ヘクタール
(洪水のとき水のたまる広さです)

兵庫県では、新湊川総合開発事業の一環として天王谷川に完成した天王ダムに引き続き、烏原川に石井ダムの建設を進め“災害に強い郷土づくり”を推進しています。

兵庫県神戸県民局 神戸土木事務所

車はここまでしか入れない

9:32
工事用の橋をもう一橋渡ると、舗装道路から遊歩道に変わる。石井ダム直下にかかる橋を左岸へと渡るとようやく山道らしくなり、ここが実質的な菊水山への登山口になる。鵯越駅から歩き始めてほぼ1時間、遠い遠い登山口にようやく辿りついた。

石井ダム直下の橋を渡る


菊水山に登るぞ

登山道は神鉄菊水山随道の入口上へ

9:43
神鉄のトンネル入口上を過ぎて緩やかな道を登って行くと、「菊水山 あと900m 兵庫登山会」の表示がある休憩所に着いた。ベンチが置かれ、前の花畑では地元の人か、3人の方々が手入れをしている。

菊水山頂上まで900m地点

ここまでは緩やかだったのに、休憩所の案内板裏から、ひっくり返りそうな急な階段道が始まる。もう少しジグザグに緩くできなかったのか、恐ろしく急な階段だ。必死に階段を登りながら横を見ると「菊水ゴルフ場」の緩やかな芝生が広がっていて、その落差の大きさに唖然とする。

いきなりの急な階段道

急な階段道は、雰囲気の良い普通の階段道になる。写真を撮っていると、どこから現われたのかハイカーが次々と私を追い抜いていく。

緩やかな階段道

以外に登りやすいプラ階段

これだけ写真を撮っていたら抜かされるのは当たり前だが、人気の山らしくハイカーが予想外に多い。花はほとんどなく、アキノキリンソウが少し咲いていたくらいだ。上右写真の手摺付きプラ階段は過剰整備かと思うが、中空の踏み段は足に優しく段差も適度で登りやすい。

こんな道や

岩場の道を登る

10:20
階段の途中に展望台風踊り場があり、そこから4分も登ると菊水山の頂上だ。広々とした頂上には、458.3m三等三角点標石(点名:下谷上)・今年の7月に完成した展望台を兼ねた兵庫県土木事務所の無線中継所・NTTの菊水無線中継所・「菊水山」石碑、そして東屋やベンチが置かれている。

アンテナ鉄塔下の展望台

展望台近くに咲いていたノジギク

大勢のハイカーが憩う菊水山頂上

新しいアンテナ鉄塔と山名碑

空気は結構澄んでいて、大阪湾の向こうに関西国際空港、淡路島の先には四国も見えている。これだけの展望が得られる日はあまりないのではないかと思う。


次は鍋蓋山だが、その前に城ケ越を下る

10:39
菊水山の次は鍋蓋山だ。西側の鉄塔敷地沿いのフェンスに「菊水山登山会・菊水山Gパトロール」の名が入った愛山標語板が、その数10枚以上括りつけられている。やっていることに文句のつけようはないのだが、ちょっと方向性に問題があるような気がする。こんなことを書くとまた苦言のメールが来たりして。

菊水山頂上の標語板

フェンス沿いを北に進むと、登山道は無線中継所点検道路をかすめ、よく整備された階段道を下っていく。なお、点検道路の入口は間違いなく、一般車は進入禁止になっていることだろう。

菊水山からの下り

10:44
「菊水山周遊路・鈴蘭台方面」への分岐点を過ぎても、緩やかな道が続く。これだけ緩やかな道が続くと、天王谷川に下る城ケ越はさぞや急なことだろう。

緩やかな道や

こんな階段道を下る

10:55
明るくなった尾根を少し登り返すと、眼前に町並みが広がる。標高350mほどの山中に開かれた中里町2丁目だ。標高が高く夏でも涼しいかなと思ったが、盆地状なので熱気がたまってより一層暑かったりして。

少し登り返すと

左手に町並みが広がる

ここから天王谷川にかかる吊橋まで一気に150mほど下るが、下った分はまた登り返さなければならない。長さ500mほどの橋に架け替えてくれたら楽になるのだが、かなわぬ希望だろう。スリッピーな荒れた階段道を慎重に下っていくが、下ることに集中しすぎて写真を撮るのを忘れてしまった。

11:05
鉄階段を下ると、地形図にも描かれている大きな砂防ダムからのコンクリート溝にかかる短い木橋を渡る。水がたまる「長坂堰堤」を過ぎると天王吊橋はすぐだ。

暗かったら気味が悪いところだろう

11:12
中間点の天王吊橋に着いた。吊橋の下には天王谷川沿いに有馬街道が通っているが、下の道へは懸垂降下でもしなければ、下りることは出来そうもない。昭和53年に吊橋が架かるまでは、交通量の多い有馬街道をハイカーが横断していたのだろうが、横断歩道はあったのだろうか。

天王吊橋

吊橋の下には天王谷川と有馬街道が


鍋蓋山への急登と緩登

天王吊橋を渡ると高度差100m程の急登が待っている。常緑樹が茂る薄暗い登りで、菊水山への明るい尾根道の登りに比べると、展望もなく気分が滅入ってくる嫌いなタイプの登りだ。引き返すわけにも行かないし、黙々と息を切らせて登る。

天王吊橋からの登り

登山道は緩やかになるかなと見せかけて、また急になったり。アングル製環境調和茶色塗耐張2回線送電線鉄塔「神戸有馬道西線 一五」を過ぎてもまだ緩くならない。

11:32
大きな岩が立ち並び、両手を使いながら登りきるとようやくなだらかな道になり、鋼管製灰色塗耐張6回線送電線鉄塔「神戸東線 八」の下をくぐる。街中の送電線鉄塔はフェンスに囲まれて近づくことも出来ないが、山中のものは真下に入れるし撫でさすることも出来る。その目的のため山登りをする送電線鉄塔愛好家も少なからずいることだろう。なおこの鉄塔の継ぎ手のボルトナットには、いじり止めが無く、レンチがあれば簡単に外すことが出来る。

ここから始まる岩場を越えれば緩くなる

鍋蓋山頂上近くは緩々だ

11:48
鍋蓋山頂上に到着。486.1m四等三角点標石(点名:鍋蓋山)があり、六甲の山としては珍しく登頂記念プレートが4枚も吊られている。

  1. 山名:なべぶたやま 標高:486.5m 三重.津.山ねずみ
  2. 峰遊会 平成17.4.18
  3. 平成17.5.30 宮川 岡田
  4. 鍋蓋山 標高486.5m 兵庫登山会

最後の登頂記念プレートはアカマツの幹にビニールテープでとめられている。柔らかそうなビニールテープでも幹に食い込みはじめていて、前3枚は細い針金で枝に縛り付けられている。

鍋蓋山の頂上は2段の削平地になっているが山城跡ではなさそうだ。南側の展望が開けていてベンチも置かれ15人ほどの人々が休憩・食事をしている。私もここで昼食(コンビニのサンドイッチとおにぎり2コ)をとることにする。

ここからも大阪湾が見渡せ、関西国際空港の連絡橋(延長3,750m)や高石市の大阪ガスのガスタンク(直径86m、高さ53m)も見え、いくら見ていてもあきが来ない。

鍋蓋山の頂上から


本日三番目の再度山へ

12:14
次の目的地、再度山を目指し更に全山縦走路を東へと進む。分岐道が何度も現われるが全て無視して「大竜寺」方向へ進む。しかし、なぜか道標には「再度山」の文字が出てこない。

こんな水平道や

緩やかな階段道が続く

12:34
北側の「修法ケ原」から、登山道でも遊歩道でもなく、未舗装道路といった感じの道が合流してくると、全山縦走路も道路になってしまう。その分岐点の角にモチツツジの花が、一輪だけ戻り咲きしている。写真を撮っていると、緑色の小さな蜘蛛が花の裏から現われてじっとして動かない。蜜を吸いに来る虫を狙っているのだろうか。

モチツツジの戻り咲き

なんという蜘蛛なのだろう

便利な世の中になったものだ。ウェブで調べたら「ワカバグモ」という名前だと分かってしまった。しかし世の中には、色々なものに興味を持つ人がいるものだといつも感心してしまう。

大竜寺への道路

大竜寺大師堂

12:45
車も走れそうな広い道から、大竜寺本殿すぐ下への脇道へ入ったので、山門をくぐらずに大師堂の前に出てしまった。敷地の右端近くの階段脇に「大師霊水あり 奥の院大師道入口 再度山頂・弘法作亀の岩 ここより徒歩5分」の目立つ表示があるが、どこから入るのかわからず階段を下りてみたり戻ってみたり。結局、5分ほどかけて敷地右端の庫裏の横から入ればよいことがわかった。

奥の院へ登る石段の脇には、石仏が祀られた祠が続き、四国八十八ケ所霊場巡りを神戸で出来てしまう、有り難いところだ。

大竜寺奥の院へ

修復作業中の奥の院

12:55
奥の院までは5分もかからない。今日の奥の院は残念ながら修復作業中で、ブルーシートがかかるは、境内はほじくり返してるはで、参詣することも出来ない。奥の院の右側から再度山頂への道があり、これはすぐにわかった。

再度山頂へ登る

途中にあった大岩

奥の院までは石段の道で登りやすかったが、再度山頂へは極めて険しい踏み跡が続き、両手両足を使って登っていく。「大師霊水」も「弘法作亀の岩」も分からなかったが、凡字?が彫られた大岩があり「大杉大天狗」と呼ばれるもののようだ。

13:03
再度山頂に到着。一人だけ途中で追い越していった人が休憩中で、すぐに西側の尾根の踏み跡に入っていった。

頂上には神戸市道路公社基準点bQ標識と、腐りかけた標柱と、古く文字が読み取れない登頂記念プレート1枚があるだけで、木々に囲まれた平らな(山城跡という)山頂からは展望はほとんどない。

再度山から南を見る


北野町の異人館へ

木造菩薩立像 一体

(国指定重要文化財)
指定年月日 昭和4年4月6日

再度山の中腹にある本寺は、山号を再度山といい真言宗の寺です。寺伝によると、神護景雲2年(768)に称徳天皇の勅をうけ寺塔建立の霊地を求めて当地の山中まで来られた和気清麻呂公が、この地に伽藍を建立し寺名を「大竜寺」と名付けたと言われています。
また、弘法大師が入唐のとき、登山して求法を祈り、帰朝ののち再び登山したので、「再度山」の名が起こったといわれています。
本堂の中には、本寺の御本尊である菩薩が祀られています。この仏像は奈良朝の造像と考えられる神戸市内最古の仏像です。像高180.4cmの本像は徹底した一木造で、頭頂から台座の蓮華座までを一木から彫り出しています。図髪・顔面・上半身の皮膚部分等には漆が盛り上げられ、表現を和らげています。一方、像の奥行きは比較的薄く、古い感覚を伝えています。部分的には地塗りの白土を、背面と脇下にはわずかに朱の色彩を残しています。

平成5年3月 神戸市教育委員会

毎日登山壱萬回塔の石彫り

山門下広場へ下りる

再度山から大竜寺へ下り、山門をくぐると石段の途中に「毎日登山壱萬回塔」が立っている。はめ込まれているハイカーのおじさんが味わい深く面白い。ザックを背負いシングルストック(ピッケルかな)を右手に持つ毎日登山らしからぬ重装備のおじさん像だ。

広場では、多くの人がくつろいでいる。ここから東へ全山縦走路を辿ると市ケ原へと下ることが出来るが、今日は南の神戸北野町の異人館街へと下ることにする。実は兵庫に住んで20年以上経つが、まだ一度も異人館を見たことが無いのだ。

13:31
案内図を真剣に見て、これから下る道を確認し、二本松道を善助茶屋跡方向へと進む。

13:33
すぐに善助茶屋跡に着く。茶屋があっただろう広場には「毎日登山発祥の地 善助茶屋跡」の石碑があるだけだ。極めて大人数の団体が、皆何かに追われているように足早に通り過ぎていく。50人以上を見送った後、団体の中に入って歩き出す。しかし普段のペースとは雲泥の差のスピードで、体はついて行けるのだが、気持ちはとてもついて行けそうもない。

善助茶屋跡の石碑

じつは石碑の裏側に由来書があったのだが、石碑裏に回ることを失念してしまった。自分では思っていなくても、だいぶ疲れていたようだ。

二本松道はこんなんや

こんな道を行く

この道は二本松道といいます

明治の末から大正、昭和の始めにかけて北野町からハンター坂、二本松茶屋、二本松を通り善助茶屋に通じたこの道は、毎日登山ルートの一つとして賑わいました。その名を二本松道といいます。この近くに塚本長堯ひきいる神戸徒歩会KWSが開発した登山道(塚本道)が交差し、猩々池に通じていましたが、昭和10年頃ドライブウェーの工事で寸断され消滅しました。この上に当時の記念碑(塚本由来石)が残っています。
一部で塚本道といわれていますが、大きな誤りです。

再度山登山連合会

ということは、風見鶏の館を目指している私は、「二本松道」をこれから忠実にトレースすることになる。

13:52
再度ドライブウェーを下に見ながら歩いてきた「二本松道」が、ドライブウェーを横断する「二本松」に着いた。案内図を見ると、ここからは「二本松林道」も分岐していていて、車道を渡った先では「堂徳山」から「市章山」への道と、「城山」から新神戸に下る道が分岐している。しかし、なぜか北野町の異人館街へ下る道は描かれていないが、城山への道に入ればいいのは大竜寺にあった案内図で確認済みなので、なんら問題は無い。

二本松で再度ドライブウェーを横切る

13:58
車道を渡り階段を登ると、すぐに分岐がある。「イカリ山〜スワ山へ」と「城山コース布引へ」で、ここまで緑色のリボンをザックに付けた集団登山者にまぎれて歩いてきたが、彼ら彼女らは市章山へと進み、ここから先は静かな山歩きを楽しめそうだ。

14:00
少し進むとまた分岐がある。左は「城山」、右は「北野町」で当然右に進む。今までの雑踏の中を歩いてきたのが嘘のように、誰にも会わない。紅葉と光が織り成す風景がとてもきれいで思わず写真を撮ってしまう。

モデルがよいと紅葉もより引き立つ

14:03
展望図とベンチのある展望所(木が伸びて今は全く展望がない)からは急な階段道が始まっている。平均して下っていればよいのだが、緩い道と急な道の落差がはげしいのが、この辺り山の特徴なのだろうか。

展望所?から階段道が始まる

落葉が積もる階段道

誰も通らない階段道は手入れされることもなく、踏み段部に砂礫が斜めにたまり、一歩一歩を滑らないように慎重に下らなければならない。階段道なのにえらく緊張を強いられる。

14:24
立ち木をそのままにして、山肌がボルトで固定されている。覆い布の下はどんな風になっているのだろうか、どんな風にしてボルトを締めた(あるいは杭を打っているのかも)のか興味がある。

初めて見る工法だ

14:34
ハンター谷(天神谷)の左岸を下り、砂防ダムが見えてくるともうすぐ北野町だ。谷の最後には土砂溜めが造られているが、その下からは民家が立ち並んでいて、もし土石流が発生してら本当にここで止まるのだろうか。

土砂溜めの横に下りる

ハンター坂

神戸市は、昭和49年(1974年)に集中豪雨の際に発生する土砂流失や流木をくい止め、市街地を災害からまもるために、ここに土砂貯留容量、3,000立方mの堰堤を築いた。
かって、この地には、1843年にイギリス生まれ、1867年に神戸に来て、貿易商のかたわら造船業をおこした、E.H.ハンター氏の邸宅があった。この異人館は、昭和36年(1961年)に解体され王子公園に移築されて重要文化財として保存される。
E.H.ハンター氏は、この屋敷の横から再度山への登山道を開いたといわれ、これが毎日登山の発祥ルートであると言われている。「ハンター坂」と呼ばれたこの登山道も、昭和20年代にはじまった砂防工事等で通れなくなり、今は緑の自然林がよみがえりつつある。

昭和59年 神戸市

静かな山から異人館街に入ると、大勢の観光客が狭い道を右往左往し、歩くのもままならない。初めて見る異人館をゆっくり見物する気分になれず、早々に新神戸駅へと進む。山歩きと異人館巡りの両立は私には無理のようだ。

風見鶏の館



スポンサード リンク



山行記録にもどるホームにもどる本ページのトップ