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シュラインロードとアイスロードを歩く



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平成17年12月3日(土)  メンバー 私だけ

神鉄六甲口駅〜逢山峡〜シュラインロード〜前ケ辻(記念碑台往復)〜アイスロード〜六甲ケーブル下

2万5千分の1地形図「神戸主部」「有馬」を参照すること


神鉄有馬口駅から出発

今回の山行は、山と渓谷社刊登山・ハイキング案内『六甲山』の“前ケ辻からシュラインロード”と“油こぶしからアイスロード”を参考にしている。

神姫バスの通勤定期券を持っていると日・祝・土曜日は、どんなに長距離の路線に乗っても「環境(エコ)定期制度」を利用すると1乗車の料金が100円ですむ。

六甲山を取り巻く、鉄道・バスなどの公共交通機関はたくさんあるが、残念ながら我が「神姫バス」の路線は、JR三宮駅から有馬温泉行きしかないようだ。路線数の多い阪急バスも同様な制度があり、1路線だけの神姫バスより利用範囲が多い。神姫バスも六甲に新たな路線を開拓してほしいものだ。

JR三宮駅南側の三ノ宮駅前駐車場(100円/10分、20分間無料)の東側に、神姫バス・阪急バス共同運航の有馬温泉行きのバス停がある。20分ほど前に着いたのだが、すでに高齢者が10人ほど待っている。老人が多いわけは、神戸市の敬老優待乗車証は市営バス・地下鉄のみならず民営のバス路線も対象で、有馬温泉へ行く公共交通機関の内このバス路線のみが無料になるからだ。

9:00
神姫バス有馬温泉行きに乗車。座席はほぼ埋まり空席は数えるほど。もっと早い時間の便があればいいのだが、これより早いのはない。

バスは長い長い新神戸トンネルを抜け、その先は神鉄の駅ごとに停まっていく。有馬口駅前までの料金は660円。

9:38
定時より数分の遅れでバスは有馬口駅前に着いた。逢山峡・シュラインロードへは六甲登山口(神鉄六甲駅)、唐櫃団地口(神鉄唐櫃台駅)、有馬口駅前(神鉄有馬口駅)のいずれでも同じような距離だが、住宅団地内を通らずにすみそうな有馬口駅前を選択した。

駅南側の踏切を渡り道なりに進んでいく。途中の「専念寺」への案内があり、それに従って集落内を進んでいく。

専念寺
(おしゃもじ地蔵) →
有野町自治連合会 290m

9:44
専念寺への参詣道分岐点に着いた。そこにはお寺の解説板が2枚あるが、古い方は文字が薄れて読み取れない。とりあえず新しい方だけ。

専念寺 (おしゃもじ地蔵)

天正2年(1574)以前に創建され、文化4年(1807)に再建されている。建武の頃、赤松則村がこの地に滞在したといわれ、境内には則村とその子則祐の供養碑がある。また藤原初期の地蔵尊があり、おしゃもじ地蔵という名で親しまれている周辺には500本のアジサイが植えられており、「アジサイ寺」とも呼ばれる。阪神・淡路大震災により再建。

有野町自治連合会

専念寺に寄り道するが、おしゃもじ地蔵がどこにあるのか分からなかった。お寺のすぐ下にあったこれがそうなのだろうか。

おしゃもじ地蔵かな?

10:03
携帯電話基地局「関西セルラー電話株式会社 有馬口通信所」を過ぎると民家は途切れ、山腹を行く阪神高速北神戸線が目立ってくる。

山肌を縫う北神戸線

10:10
高速道路の下、奥山川に架かる「合ノ本橋」の手前で、奥山川沿いに舗装林道(六甲森林線)が左手に分かれていく。林道の入口には車止めがあり一般車は入れない。

この先(六甲森林線)
関係車両以外通行止め
神戸市建設局

「逢山峡」への案内でもあればよいのだが、通行止めの表示以外は何もない。まだ道は続いているので合ノ本橋を渡り高速の下を行く。


舗装林道で逢山峡へ

10:17
上空の高速道路は新唐櫃トンネルの中へ消えていき、私の進む道はその下でT字路に突き当たった。左は六甲森林線で、ここにも車止めがある。右は唐櫃台駅からの道に間違いないだろう。体も温まってきたので上着を脱ぎ、諸装備をバス乗車モードから登山モードに切り替える。

新唐櫃トンネル下で
六甲森林線に入る(舗装林道)

10:25
「東山小橋」の先に奥山川にかかる橋があるが、橋名板がなく正確な名前が分からない。しかし、この橋が「東山橋」に間違いないだろう。当然ながら、左からの道は「合ノ本橋」を渡る前に別れた道で、少し遠回りをしてしまった。

東山橋を渡り上流へ

神戸市の水道施設を過ぎても舗装林道の状態は変わらない。はたしてどこまでこの舗装林道は続いているのだろうか。景色が素晴しい逢山峡を、足元を気にせず撒き散らされた落葉を踏みしめながら行くのも悪くはないが、少し味気ない。この辺までで2人に追い越される。

逢山峡谷の舗装林道を行く

10:42
逢山峡一番の名所「猪ノ鼻滝」が見えてきた。今の時期なら、林道からも葉を落とした木々の枝越しに見ることができるが、急な斜面を下り滝壷近くに行くこともできるという。

猪ノ鼻滝

10:47
猪ノ鼻滝のすぐ上流にかかる「猪の鼻小橋」を渡る。紅葉はきれいだが、残念ながら橋の上からは滝は見えない。

猪の鼻小橋から下流側を見る

10:50
「柴小場堰堤」近くに「9月21日〜11月30日の土曜・日曜・休日の9時から20時までは、この先2kmは“二輪の自動車、原動機付自転車”は通行できません」標識と「この先車の通り抜けはできません」標識が立っている。昔は一般車が入れた時期があるのだろうが、今は林道入口で「車両(自転車は含まれないが、原付は車両に入る)通行止」となっていて、この2本の標識の存在理由はなくなっている。

10:51
左に地道の細い分岐道があり「仏谷逢ケ山→」の木板が下がっている。ガイドブックを見ると経験者向きルートとなっている。

10:53
舗装林道が二手に分かれている。「茶園谷分岐」で左手は「湯槽谷峠 小川谷・横谷方面」、右手は「シュラインロード」と、木板を分岐に立つアカマツに釘で打ち付けている。生きている立ち木に釘を打つとは、私には考えられない行為ではあるが、ほかに方法はなかったのだろうか。

茶園谷分岐(シュラインロードは右)


舗装林道はさらに続く

茶園谷分岐からも、さらに舗装林道は続いている。周辺の景色を眺めながら何時になく快調に飛ばす。自転車で走っても楽しそうだが、誰にも出会わない。

舗装林道 その1

舗装林道 その2 切り通し

11:03
上右の写真の切り通しを抜けると、ついに舗装は途切れたが、車が入らない林道は轍もなく平坦で歩きやすい道が続く。右手は鍋滝川が流れる長尾谷になり渓谷沿いの紅葉がきれいだ。

右手は長尾谷

11:06
鍋滝川にかかる「猪鼻橋」を渡ると道は左右に分かれている。左は「関係者以外立入禁止」の広い砂利道、右は狭くなるが簡易舗装林道だ。ここには案内が全くないが、右の簡易舗装林道が正解だ。

猪鼻橋を渡り左へ

この橋で自転車の人が追いついてきて、後姿を撮ってやろうとデジカメの電源を入れながら歩いていたが、なぜか追い越されることはなかった。引き返したのか、立入禁止の林道に入ったのか、どちらだったのだろうか。

静かな山中に浪々と響き渡る詩吟の声が聞こえてきた。残念ながらすれ違うときは止められていたが、100mも離れた頃からまた聞こえてきた。

きれいな紅葉が続く

11:17
シュラインロードへの分岐点直前の、ミヤコザザが茂った右手の法面に踏み跡があり、「小寺山 登山口」の金属板が下がり、赤ビニールテープで印も付けられている。ガイドブックとは登り口が少し違うが、これも経験者向けの道だ。


ようやくシュラインロードに着いた

11:18
シュラインロードへの分岐点に着いた。案内柱では左に入るシュラインロードで前ケ辻まで2.0km、直進の道は神鉄六甲駅まで3.2kmとなっている。ここまでに花は咲いていなかったが、ここにはノハラアザミが咲いていた。

シュラインロードへの入口

ノハラアザミ

裏六甲ドライブウェイを横切るまでは、真っ直ぐな道が伸びている。道の両側には低い石垣状のものが組まれているが、モルタルを使っているので、あまり古いものではないだろう。石鳥居が建っていて雰囲気を盛り上げるが、鳥居をくぐるとすぐに裏六甲ドライブウェイで、一気に盛り下げてくれる。

シュラインロードへの道

石鳥居をくぐると裏六甲ドライブウェイだ

11:26
車道を避けての六甲縦走・横断は不可能?なようで、このシュラインロード歩きも例に漏れず、裏六甲ドライブウェイを横切らなくてはならない。横断歩道・信号はないが交通量は少なく危険性は感じられなかった。

裏六甲ドライブウェイを渡る

「シュラインロード」「※私有地につきハイキングコースからはずれて入らないこと」の表示から始まる丸太階段道を登ると、最初の石仏の祠が道の側に祀られている。西国三十三観音霊場を模した石仏33体+番外3体=合計36体の石仏が祀られているという。

道脇に祀られている石仏

シュラインロードでは最後まで誰にも会うこともなく、聞こえてくるのは自分が落葉を踏みしめる音だけの静かな石仏巡りができた。

シュラインロード その1

シュラインロード その2

シュラインロード その3

シュラインロード その4

フラッシュを焚くと石仏に陰影がなくなり、変に白っぽくなってしまうので、そのたびに三脚を立てて撮影するので時間がかかってしまう。

シュラインロードの石仏 その1

シュラインロードの石仏 その2

シュラインロードの石仏 その3

シュラインロードの石仏 その4

シュラインロードの石仏 その5

シュラインロードの石仏 その6

シュラインロードの石仏 その7

シュラインロードの石仏 その8

シュラインロードの石仏 その9

シュラインロードの石仏 その10

シュラインロードの石仏 その11

シュラインロードの石仏 その12

12:03
東側が開け、六甲の山々が見える地点から数分登ると、行者堂に着いた。しかし、途中にあった四等三角点標石(点名:行者の東)は事前調査不足のため、確認できなかった。

行者堂の休憩小屋

ブリキ波板の風通しの良い休憩小屋の奥に石仏が4体(前鬼と後鬼を従えた役行者と不動明王)が、祠の中に詰め込まれている。いくらなんでもこれでは詰め込みすぎで、もしかすると祠は、昔はこれ一つではなかったと思う。

行者堂の祠

祠に詰め込まれた石仏4体

シュラインロード後半は別荘地だ

12:15
行者堂からは平坦な道になり、「ここは灘区六甲山町」の標柱から2分も行くと、シュラインロードは別荘地の間を行く舗装道路になってしまった。

12:16
西側のミヤコザザの茂る中へ踏み跡が続き、赤ビニールテープのマーキングも付けられている。赤く塗られた木札によれば「地獄谷東尾根」へのルートのようだ。

12:25
登山開始時刻が遅く時間も押してきたので、歩行昼食を開始する。コンビニおにぎり2個とカレーパンを食べながら歩いて行くと、今度も右手に分岐道がある。ガイドブックにも記載されている「ダイヤモンドポイント」へ行く、自然歩道にも指定されている「ノースロード」だ。道標が3本たち、ハイキングコース案内図つきの解説板もある。

瀬戸内海国立公園・六甲山ハイキングコース案内図

  六甲山と居留外国人
六甲山には、数多くのハイキング道があるが、それは、古くから表六甲と裏六甲を結ぶ交易路いわゆる六甲越えに由来するものや、地元住民が山仕事に入る必要から踏み分けられてできた道、そして明治から大正にかけて神戸の居留外国人によって拓かれた道など、その由来は様々である。
シュラインロード、アイスロード、アゴニー坂、シェール道など現在普通に使われている山道の名前には外国人によって命名されたと思われるものが数多くある。

  地獄谷
地獄谷の名前は、一般的な谷の景観から付けられたと思われるが、六甲山系で地獄という名前を持つ谷は、鍋蓋山、ロックガーデン、大月地獄谷と、この地獄谷があり、一般的には大月地獄谷とこの地獄谷がよく知られている。
なお両者は、表六甲と裏六甲にあるため、大月地獄谷は表地獄谷、この地獄谷は裏地獄谷と呼ばれることが多い。

12:30
今度は左手に分岐があり、東の「記念碑台」へ行く自然歩道だ。舗装道路には別荘と企業の山荘がぼちぼちと建っているが、その間には石仏が祀られた祠もあり、このまま「前ケ辻」へ行くことにする。

シュラインロードの南側は別荘地の間を行く

12:36
前ケ辻に出る直前の左手に赤い鳥居があり、「六甲阪神稲荷 阪神電鉄六甲山開発記念碑」の案内がある。今歩いてきた道の東側に石畳の参道が延びている。阪神ファンではないが、せっかくここまで登ってきたのでお参りに行く。稲荷までの100m近い緩やかな石畳の道の途中に、「六甲山開発 記念之碑 阪神電気鉄道株式会社(裏面:明治43年阪神電鉄はこの地に六甲山開発事業の第一歩を印した 取締役社長 野田誠三 1971建立)」がある。ここが阪神電鉄にとっての記念碑台なのだろう。

阪神電鉄の六甲山開発記念之碑

12:39
100mほども奥に入ると、ようやく正一位六甲阪神稲荷大神の小さな御社が祀られている。この稲荷も阪神電鉄と関係があるのだろうが、不思議なことに何でも分かるウェブで調べても1件もヒットしない。

六甲阪神稲荷


記念碑台へ寄り道

12:44
稲荷参詣道からシュラインロードに戻り20歩ほど進むと、「レストラン六甲の丘」がある前ケ辻で、別荘地からとうとう観光地に出てしまった。横断歩道を渡った、道の向こう側がアイスロードの下り口になっている。

前ケ辻に出た

車道を東へ記念碑台へと進むと、六甲山ホテル六甲山郵便局、六甲山上交番やレストランが立ち並んでいる。ハイカーも少なからずいるが、皆さん東を目指してセカセカと早足で歩いている。私の目には六甲全山縦走という魔物にとりつかれた亡者の群れに見えて仕方がない。まあ、そんなこと言っている私も、何か変なものに取り付かれているのは間違いない。

六甲山ホテル

12:56
枕木みたいな階段を登り「記念碑台」に到着。記念碑台の名前の由来たる明治45年に建てられた「六甲開祖之碑」は破壊され今はない。その代わり、昭和30年に建てられた質素な記念碑がある。

質素な飾り気のない記念碑

碑を建てることば

六甲山は古くからの名山であるが今日のように多くの人々が親しみ楽しむことができるようになったのは英人グルーム氏はじめ多くの先覚者たちに負うところが多いこうしたいとぐちが開かれてからでももはや半世紀以上を経たそれを記念しまた将来のこの山がさらに多くの人々の楽しめるものになることを念願してここに碑を建てた
  昭和30年7月

記念碑の奥に、大阪湾の方を見つめている「アーサー・ヘスケス・グルーム氏之像」がある。平成5年に設置されたもので、まだ真新しい。

グルーム氏の像

標石「101」の複製品

−日本を愛し、神戸を愛し、六甲山を愛し通した人−

氏は、1846年イギリスのセモアーで生まれ、グラバー照会の派遣社員として、1868年神戸港開港の年に来日、貿易商として独立後、多くの事業を手がけるかたわら、登山、狩猟などを楽しむうちに六甲山に魅せられ、六甲山初の住宅101を建てました。これが六甲山の避暑地としての始まりです。
当時、荒廃の極みにあった六甲山に私財を投じて道をつくり、植林を行い、砂防に努めました。さらに、1903年には山上に日本で初めてのゴルフ場(神戸ゴルフ倶楽部)を開設するなど六甲山の開祖と呼ばれています。
大変な親日家で日本人の宮崎直を妻に迎え遺骨は婦人の宮崎家の墓に収められています。(没1918.1.9)
以上のような氏の功績を称えて「アーバンリゾートフェア神戸'93「六甲山グルーム祭」を挙行するに当たり感謝の意を込めて企業有志の基金によって本像を建立したものである。

平成5年4月吉日 六甲山グルーム祭実行委員会

標石「101」の由来

「101」の由来は、1895年に、はじめて六甲山の開発を手がけた英国人の貿易商A.H.グルーム氏が六甲山上の三国池湖畔に建てた別荘の敷地内に置いた標石で、当時神戸の居留地で氏の商館が101番地であったことから、クラブの仲間が「101」と呼んだことにはじまるそうです。
この標石が現存する三国池の周辺はまだ自然の素朴な景観が当時の模様を残しており、ハイキングコースのダイヤモンドポイントの近くにあって一息入れるには格好の環境です。
グルーム氏を記念して造ったこの記念碑台に、六甲山100周年を迎えるにあたって、三国池湖畔に現存する「101」標石を複製し、グルーム氏の胸像と一緒に設置することにより、「六甲山をこよなく愛し、親しむ心」をグルーム氏と智に大切にしたいと願っています。

記念碑台の一段高いところに建つ「県立六甲山自然保護センター」は残念ながら12月1日から冬季閉館で、来年の4月1日にならいと開かない。白いのがパラパラと舞い、風が吹きすさぶ記念碑台でくつろぐハイカーはだれもいない。


急なアイスロードを下る

13:20
シュラインロードとアイスロードが向かい合う前ケ辻まで戻る。アイスロードの下り始めはコンクリの階段道で、その先も山手の住宅街を歩いているような雰囲気だ。ただ道端にミヤコザザが茂るのが六甲の山らしいが。何度も曲がり角があるが道標は完璧で迷いようがない。

アイスロードの下り口近く

ピンクのサザンカが咲く最後の別荘と分かれると、一気に山道らしくなる。このアイスロードは過去に遊歩道として整備された時期があるようで、石段や鎖柵が残っている。また数箇所に解説板の鉄枠だけが残っていて、どのような解説文だったのか興味があるが、記録はどこにも残っていないだろう。

アイスロード その1

アイスロード その2

アイスロードの前半は明るく海も見える展望の道を下っていく。日当たりのよいところで、ミツバツツジが一輪だけ戻り咲きしている。雄しべを数えてみると5本なので、ミツバツツジで間違いがないだろう。

ミツバツツジの戻り咲き

13:48
石段の道もあり、それなりに急だったアイスロードは、さらに急な石段の道で谷に下りてしまった。これで、展望のアイスロードも終わりだ。

ガレた谷だが、道はすぐによくなる

谷の右岸を下っていく。所々のモミジはこの道を整備した時に植えられたものだろう。シュラインロードと同じく、このアイスロードもハイカーは少なく、出会ったり追い越された人は全部で5人ほどだった。

アイスロード 谷沿いの道 その1

アイスロード 谷沿いの道 その2

14:01
谷を左岸へと渡ると、水辺にセリに似た花が咲いている。写真に撮り、帰ってから調べてみるとヒカゲミツバのようだ。根っこごと引き抜いて持ち帰れば、正確な名前がわかるのだろうが、そこまで植物に興味があるわけではなし。

水量の少ない流れを渡る

ヒカゲミツバ?

谷を右下に見下ろしながら、行き違いもできないような狭い道が続く。運の悪いことに、その中でも一番狭いところでハイカーに出会ってしまい、少し引き返して離合する。日当たりのよい斜面にはヨメナがたくさん咲いている。(これが本当にヨメナなのか確信がない)

狭い道を行く

ヨメナ?

14:12
木のベンチとテーブルが置かれた休憩所がある。振り返ると意外なほど近くに六甲山上の建物群が見えている。ガイドブックによれば、倍ほど下った自動車道までが40分となっているが、おそらくそれは印刷所の誤植か著者の勘違いに違いない。ここにも解説板の鉄枠だけ残っているが、ここが水呑茶屋跡のような気がする。

平成25年9月23日追記:水呑茶屋はここより400m登ったところにかつて存在し、ここは水呑茶屋跡ではない。

14:16
ここまで辿ってきた前ケ辻谷へ東から真水谷が合流してくるが、その手前に真水茶屋跡がある。小さな小屋を建てたら、大八車はおろか人も通れそうもない狭いところだが、これは唯一現存する案内図付きの解説板がここにあり間違いない。

真水茶屋跡

アイスロード(前ケ辻道)

アイスロードの由来

明治から昭和初期の六甲山上は、厳冬期には気温が零下15度まで下がり池には分厚い氷がはりつめた。
明治7〜8年頃、この氷に目をつけた古部の浅井は三宮に、京都の山田は栄町に、それぞれ日本で初めてと思われる氷屋を開業した。山頂付近の大小30の池の大半は、その当時採氷のために掘られたものである。
凍った氷は大きなのこぎりで厚さ15cm巾90cm角に切り取り、2枚を貼り合わせ厚さ30cmとして氷室に保存された。
これを、春から夏にかけて深夜、大八車に積んで山を降りる。この道筋は土橋から旧全丹ホテル前へ出る険しい前ケ辻道で、氷を運んだことに由来して「アイスロード」と呼ばれた。この山道を運びおろし寒氷として、病人用には1貫匁(3.75kg)明治末の価格で5銭ぐらい、食用としてはコップ1杯1銭ぐらいで売られ、当時としては高価なものだった。
この天然氷も人口製氷が発達すると共に姿を消し、昭和4年春記念碑台そばの黄揚(つげ)池で採氷したのが最後となった。

(出典 灘・神戸市編入50周年記念誌)
神戸市

昭和4年から80年近く経ち、谷は砂防ダムで分断され、大八車が往来していた当時のアイスロードと、今ここまで下ってきた道の全てが同じルートだとはとても思えない。


アイスロードの最後は車道歩き

14:22
平成4年に完成した「真水谷第四砂防ダム」が近づくと、ダムを越すための擬木階段道が現われ、一気に今風の遊歩道になってしまう。

砂防ダムを越えると、下から六甲山トンネルへ登る道路の自動車のエンジンが唸りをあげる騒音が響いてくる。耳をふさげば、けっこう雰囲気のよい山道がまだ続くのだが、残念だ。

紅葉がきれいな山道だが

右下の自動車道からは騒音が

14:35
目の前に道路が現われ車が疾走していて、とてもではないが横断は出来そうもない。道路を造った人は「なんでこんなこんなところにハイキング道があるんだ。ハイカーを通行禁止にするわけにもいかないし、そうだトンネルを通したろ」と考えたのだろうか、車道の下に薄暗いトンネルが設けられている。なおトンネルに名はない。

渡れそうもない道路だ

でもトンネルがあるから大丈夫

14:44
とうとう車道に出てしまった。旧の表六甲ドライブウェイだ。ウェブで調べてみると表裏とも六甲ドライブウェイは人の通行は禁止されていないようで、「シュラインロードとアイスロードを歩く」ならぬ「裏六甲ドライブウェイと表六甲ドライブウェイを歩く」も可能だ。多分詰まらないし、危険で自動車の迷惑になるだけだろうが、一度歩いてみたい。

アイスロードは
旧の表六甲ドライブウェイへ続く

ヘアピンカーブの車道を渡り、少し下るとの信号がある「新六甲大橋下」交差点にでる。信号が青になったら横断歩道を渡り旧道側を下っていくと六甲ケーブル下に出る。

旧道は新六甲大橋の下を行く

通行量はそれほどでもなかった

旧道の右側は渓谷になっていて、「弁天滝」という見事な滝もあるがロケーションが悪いせいか、今までこの滝の名を聞いたことがなかった。

旧道脇の弁天滝

16:05
六甲ケーブル下に下山。神戸市バスでJR六甲道(運賃は200円で後払い)に出て帰途に着く。



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