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杣谷(氷瀑のおまけ付き)〜摩耶山〜山寺尾根



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平成18年1月3日(火)  メンバー 私だけ

護国神社バス停〜杣谷(徳川道)〜摩耶山〜山寺尾根〜護国神社バス停

2万5千分の1地形図「神戸主部」を参照すること


神戸市営バスの乗り方を会得

六甲山と仲良しになるためには、登山口までの街中歩きに精通することと、バスなどの公共交通機関を変幻自在自由闊達に乗りこなすことが重要と感じてきた。そのなかで、バスに乗るときの最難間は、前乗りか後乗りか、前払いか後払いかを的確に判断することだ。幸いにも数回の乗車で神戸市営バスは、私の地元姫路市を走るバス(神姫バスと姫路市営バス)と同じ「後乗り前下り、後払い」と分かった。

そして、路線・バス停・料金の三要素もバスに乗る前に解決しなければならない問題だが、これらは神戸市バスのホームページを見れば一目瞭然で、便利な世の中になったものだ。

今回の杣谷(徳川道)登山口の最寄駅は阪急六甲駅だが、バス停なら護国神社前で、歩行時間にして20分も登山口に近い。200円を握り締めて、三宮から2系統阪急六甲行きか、18系統JR六甲道行きに乗れば誰でも護国神社まで容易く行くことができる。なお18系統は摩耶ケーブル下を経由するので、上野道から摩耶山へ登るときにも利用できる。

8:44
2系統の神戸市バスは、私を護国神社前に降ろし阪急六甲へと走り去っていった。ここで降りたハイカーは私だけだった。

8:51
護国神社南側の公園で、公共交通機関乗車モードからハイキングモードへと服装・装備をチェンジし、神社の石鳥居をくぐり抜け登山開始。バス通り出るとハイキング案内図と徳川道の解説板が立っている。

護国神社の鳥居をくぐり出発する

徳川道

幕末の慶応3年につくられた徳川道は 石屋川畔から徳井・平野・高羽・八幡の各村を通ってここに至り 杣谷を遡り 森林公園・鈴蘭台・白川・高塚山を経て明石の大蔵谷へと通じる8里27町9間(約34KM)に 及ぶ西国街道の付替道である 起点から ここまでは村落の中を通る平坦な道だが ここからはいよいよ山路となりコース中の難所と思われる杣谷へと入っていく 当時のこのあたりはすでに山中であり カナディアンアカデミーまでの急坂も山中と考えると納得できる

篠原北町交番の角を山側に曲がり、急な住宅地の間の道を登っていく。ガイドブックのコースタイムが護国神社から登山口のある長峰橋までが30分、逆は20分となっていて、なにかおかしいなと思っていたが、まるで山に登るかのようなそれは急な、もうすぐ摩耶山の頂上に着いてしまうのではないかと思われるほど高度を上げていく。

それはそれは急な道だった

上の写真は少しだけ急さを誇張してみたが、この坂の上にある長峰中学校の生徒は、毎日この道を登って登校しているのだろうか。


長峰橋から杣谷を登る

9:11
コースタイムよりも10分も早く長峰橋に着いた。登山口は昭和16年完成の長峰砂防ダムの左手から始まっている。登山口脇には水場があるが、六甲山の沢水を生のままで飲んだらどうなるかは、推して知るべしだろう。

杣谷の登山口

この湧き水を利用している方へ

湧き水は、まわりの環境の影響を受けやすく、水質が変動することがあります。
あなたの健康を守るために、下記の注意事項を守ってください。

注意事項
この湧き水は飲用に適しません。

神戸市衛生局で実施した年間を通じた水質検査において、この湧き水は水道法の水質基準に適合しませんでした。
水質基準に適合しなかった項目:大腸菌群

問合せ先 神戸市灘保健所衛生課
電話(代)871-5101

(筆者注:大腸菌群が検出されたということは糞便による汚染が考えられる。)

9:20
高さ9mの長峰堰堤を越え、次の杣谷堰堤(昭和31年完成高さ16m)近くに「杣谷砂防堰堤(ダム) 都賀川流域図」の解説板がある。流域図を見ると杣谷峠に辿りつくためには、最初の長峰堰堤を含め7基の砂防ダムを乗り越えなければならない。

杣谷砂防堰堤(ダム)

六甲山系は、武庫川右岸の山麓から六甲山、摩耶山、再度山などの山並みを連ねて、東西に約30km南北に10kmの地域で、大部分は花崗岩で形成され風化が進んで崩壊されやすい状況となっている。
昭和13年7月5日に発生した阪神大水害は、神戸市の市街地一帯を土石流で埋めた。
当時の災害の凄さは、市内の各地に巨大な転石などで建立された水害記念碑、慰霊碑によって語り継がれている。
この災害の復興対策として、直轄砂防事業が実施されることになり、現在までに都賀川流域では34基の砂防ダムが建設された。
この杣谷堰堤は、杣谷川と摩耶東谷との合流点に建設されたダムで、昭和31年3月に完成している。
このダムの特徴は中央の水通し部分に幅2m、深さ3mのスリットを設けて、土砂調節機能をより効果的に発揮させることで、砂防ダムの効果を最大限利用できる構造となっている。
ダムの表面を花崗岩の割石で仕上げ、スリット部分から水が流れ落ちるようすは人口滝となって、周囲の風景に溶け込み、四季を通じてハイカーの憩いの場として親しまれている。

砂防ダムの機能

砂防ダムに土砂がたまると河床勾配が緩くなり河幅が広くなることによって次のような効果が生まれます。
(1)扞止《かんし》効果
○不安定な河床の土砂を堆積された土砂により河床浸食が防止される。
○河幅が広くなると水深が小さくなり侵食の範囲も少なくなり、また崩壊する規模も小さくなる等で侵食が軽減される。
(2)砂防ダムの調節効果
○大洪水時に流出してきた有害土砂を貯める。
○砂防ダム満砂後でも、洪水時にはある勾配で貯める。
 (勾配が緩くなり、土石流の勢いが弱まって貯まる)。
○洪水後小さな出水で徐々に少しづつ土砂を流して勾配が緩くなる。
 (土砂の流出調整機能)
○砂防ダムの土砂の流出調整機能は、繰り返し発揮されます。

国土交通省六甲砂防工事々務所

杣谷堰堤上流側の広場

杣谷堰堤の上流側の河原は広場になっていて、何かいわくがありそうな小屋が山裾に建っている。その小屋のところから、下山に使おうと思っている「山寺尾根」が分かれている。河原の土は長年の炭火によるバーベキューの直火のためか黒く変色し、山の木々がなければ火星か月の表面と言われても信じてしまいそうな風景になっている。

直火禁止になる見本のようなところだ

徳川道の名前から、お殿様が大名籠に乗って行くような風景を想像していたがとんでもない。急な岩ばかりの道がいきなり始まり、この前の黒岩尾根の一番きついところ以上だ。これも砂防ダムが次々と造られたためで、昔の徳川道とは全く違う(想像)きつい砂防ダム越えの道が延々と続く。

杣谷第二砂防ダム(昭和54年完成高さ14m)を越えると、道は緩やかになる。なぜか足元には水道管と思われる鉄パイプが地面から顔を出しているが、六甲山上に水を送っているのだろうか。

しばし平坦な道を行く

9:41
「徳川道」の解説板が立っている。案内図によれば杣谷は徳川道のごく一部で、西は遠く明石の大蔵谷まで続いている。以前、その大蔵谷に住んでいたことがあり、毎日徳川道跡を歩いていたことを今始めて知った。

徳川道

「徳川道」は、幕府の命により兵庫開港の年慶応4年(1868年)に完工した。当時の名称を(西国往還付替道)といい、海沿いの主要幹線である「西国街道」を大きくう廻する道筋であった。(石屋川−杣谷−摩耶山裏−小部−藍那−白川−高塚山−大蔵谷)
居留地での外交人との衝突をさけるために設置されたにもかかわらず、同年、備前藩が外国人と衝突、市街地が外国兵により占拠された、世にいう“神戸事件”である。その後、この道は廃止されたが、大正年代よりハイキングコースとして利用され、「徳川道」と呼称されるようになった。

神戸市

9:45
摩耶砂防ダム(昭和47年完成高さ21.5m)の下を左岸から右岸へと渡る。この摩耶砂防ダムはニ段式で上流側のはさらに高くそびえ、短距離で越えるため道は非常に険しい。

摩耶砂防ダムは二段式

右岸の険しい道を登る

10:06
今度は摩耶第2砂防ダムだ。これも二段式で、ダム直下を右岸から左岸へと渡ると神戸市の注意表示板『ご注意この先、登山道が急ですべりやすいので気をつけて下さい神戸市』が立っている。ダムを造ったとき登山道を付替る費用をけちったのか、作業用の鉄階段をそのまま残し登山道代わりにしている(私の想像)。

摩耶第2砂防ダム

左岸の鉄階段を登る


ダム登りから石段登りに

10:15
堰堤を越えて少し行くと、道の下5mほどのところにバイクが落ちている。行くも戻るも出来ずに、打ち捨てられてしまった様子だ。今の時期、花は咲いてないが近くにヤブムラサキの実を見つけた。

ヤブムラサキの実

10:21
小滝のある平坦地にもバイクが2台置き去りにされている。ここまで乗ってくることが出来たのだから、戻ることも出来ると思うのだ。

置き去りにされたバイクが2台

カスケード(小滝)

この小滝からルートが分かり難いが(私だけかもしれないが)、滝の左手の水が少し流れている階段状のところを登ればよい。

10:28
神戸市の言う危険区間が終わり、ハイキングコース案内図が立っている。ようやく杣谷の半分を過ぎたところのようだ。

ここからは延々と石段の登り道が続き、摩耶第三砂防ダム(昭和61年完成高さ17m)・摩耶第4砂防ダム(昭和62年完成高さ21m)も階段道で越す。新しい第4砂防ダムの上流側にはまだ土砂が貯まっていない。

杣谷峠まで続く階段道が始まる

第4ダムは擬木階段道で越す

10:49
第4ダムを過ぎて2分ほど行くと、「右手の滝が勧進滝です。下までおりられます。」とメモ書きが手摺柵に置いてあり、右下になった杣谷を見るとなんと氷瀑がある。水量は少なく普段は岩を濡らすぐらいで滝とはいえないものと思うが、寒さで凍りつき長いツララが下がり見事な氷瀑となっている。南向きの杣谷で氷瀑を見ることが出来るなどとは思ってもなく、事前調査でもこの氷瀑の情報はなく驚いてしまった。

氷瀑、勧進滝

この後は、杣谷峠までは延々と階段道が続き、見どころはない。ルートは徳川道のままと思うが、モルタルと三角断面の石を使った階段は後世に整備されたもののように思える。

階段道を登る

残り雪が少し

まだまだ続く階段道

この切通しが杣谷峠か

11:17
長い長い階段が終わり、少し下って登り返した先の切通しが杣谷峠だろう。長峰山からの道が合流してきて、奥摩耶ドライブウェイ脇のトイレのある休憩ポイントに到着。ここまでで出会ったハイカーは10人弱。

杣谷峠のトイレ


穂高湖・アゴニー坂・掬星台

アゴニー坂から摩耶山掬星台へ真っ直ぐ行く積もりだったが、ドライブウェイ脇に「穂高湖150m」の案内があり寄り道してみる。穂高湖方向に行く道は徳川道の続きで神戸市の解説板があるが、ここまでにあったものと一部表現が違っている。

徳川道(西国往還付替道)

徳川道は、日本が開国を迎えた江戸時代の末期に、外国人とのトラブルをさけるため、神戸の町をう回して石屋川から杣谷・小部・藍那・白川を経て明石(大蔵谷)に至る間道(バイパス)として幕府により建設されました。
しかし、実際には利用されないまま開国を迎えました。
そして明治時代の末期から、六甲を歩くハイカーたちに利用され、いつしか『徳川道』とよばれるようになりました。

神戸市

11:34
凍りついた穂高湖に着いた。どれくらいの厚さか分からないが、氷上でそり遊びをしている家族がいる。

凍りついた穂高湖

11:45
奥摩耶ドライブウェイに戻り、アゴニー坂の入口に着いた。雪がだいぶ残っているが石段の角をが出ていて、どうにかなるかなとそのまま登り始めた。しかし、急になってきて途中でアイゼンを着ける破目に陥ってしまった。

アゴニー坂の登り口

アゴニー坂を登る

12:08
アゴニー坂を登りきると、フェンスで囲まれた「神戸市水道局 摩耶減圧槽」施設があり、そこが摩耶山よりも高い摩耶別山717mの頂上だ。三角点標石はないが、もしあったらどこぞの姫路の山のように柵を乗り越えるピークハンターが続出することだろう。なおこの山頂からは展望は全くない。

摩耶別山頂上

12:23
天上寺横、Hotel de Maya前を通り過ぎ摩耶山掬星台に到着。大晦日の静かさが嘘のように、今日は50人以上のハイカーがいて賑やかな掬星台だ。

大勢のハイカーで賑わう掬星台

展望台からの眺めもよいが、ロープウェイ星の駅付属の展望台の方が高度もあり、掬星台全体も見ることが出来て面白い。掬星台には「摩耶★きらきら小路」という蓄光材が埋め込まれた道があり、夜になると光るそうだが昼間はただの半透明な物質にしか見えない。この道がオープンした時は蓄光材をほじくりだす不埒な輩がいたそうで、今も穴が開いたままのところや、小さな蓄光材を詰め込み補修したところが目立つ。

星の駅付属の展望台から

摩耶★きらきら小路の蓄光石

盗まれた蓄光石跡を補修したところ

摩耶★きらきら小径

ここ摩耶山上からの夜景は日本三大夜景のひとつといわれます。
この広場「掬星台」は、その美しい夜景を星になぞらえ「星が掬える」というところから名づけられました。
摩耶山には、名刹 天上寺があり、お釈迦様の生母摩耶夫人をまつる女人守護のお寺として知られています。そして毎年8月8日から9日に日が変わる刻限に、この寺の観音様に向けて「災いを取り除き、幸せを呼ぶ星が」が天空から降り注ぐと言い伝えられています。
「摩耶★きらきら小路」は、この星にゆかりの深い「掬星台」に天空に横たわる天の川を地上に再現したものです。しあわせへの思いを込めて「摩耶★きらきら小径」を渡れば、必ずその願いが天空に届くことでしょう。そして眼下にひろがる星空(夜景)をお楽しみ下さい。

神戸市森林整備事務所


悲劇そして山寺尾根を下る

13:07
コンビニおにぎりを2個食べて、展望台東側に下り口のある「山寺尾根」から下山しようとしたとき悲劇が起こった。突如吹いた強風のためデジカメもろとも三脚が倒れてしまったのだ。カメラ自体は壊れなかったのだが、以前強く締めすぎて割れていた三脚取付用の雌ネジが、完全に機能を喪失してしまったのだ。(後日サービスセンターに持っていったら、分解しないと部品を取り替えられないので、1万円以上かかるとのこと。三脚に取り付けられないデジカメなんて播州野歩記に使えないので、泣く泣く修理することにした。)

山寺尾根下山口、この後悲劇が

気を取り直して山寺尾根を下り始めると、うまいことに15人ほどの団体が後から下りてきた。そうだこの人たちを勝手にモデルにしてしまおうと、脇にどいて先に行かせた。おかげで、摩耶山の登山道のなかで最も急と言われる山寺尾根の雰囲気が撮れたようだ。

激急な山寺尾根の下り始め

緩いところもある

また急になってきた

中ぐらいに急なところ

14:00
常緑樹ばかりで、尾根道のくせに真冬でも展望がない山寺尾根も、コースから少し外れると大(中かも)展望地がある。三脚の上にカメラを置いて何とか1枚だけ撮ってみる。

山寺尾根の展望地

14:23
薄緑色の「神戸東線 二三」、こげ茶色の「南灘連絡線 六」の関西電力送電線鉄塔側を通り杣谷堰堤上の広場まで下りる。2グループの団体合計40人ほどが休憩している。

14:30
休まずに下り長峰堰堤の登山口に下山し、本日の山行はこれにて終了。



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