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長峰山(天狗塚)〜摩耶山〜青谷道



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平成18年1月8日(日)  メンバー 私だけ

篠原本町2丁目バス停〜長峰山(天狗塚)〜杣谷峠〜摩耶山〜青谷道〜青谷バス停

2万5千分の1地形図「神戸主部」を参照すること


篠原本町2丁目バス停から

9:24
三宮駅前から乗車した、神戸市バス2系統阪急六甲行きのバスは、終点から二つ前の篠原本町2丁目バス停に着いた。降り立ったのは私だけだった。

次の六甲登山口バス停が登山開始地点にふさわしい名前だが、篠原本町2丁目バス停の方が心持ち長峰山の登山口に近いような気がする(帰宅後調べたところ、36系統『阪神御影〜JR六甲道〜鶴甲団地』の「六甲台南口」が最寄バス停と判明した)。

篠原本町2丁目バス停

六甲川から油コブシを見る
(篠原本町橋から北方向)

バス通りを西へ戻り六甲川に架かる「篠原本町橋」を渡り、北へ六甲川沿いに進み、上流の人道橋が別になった「向橋」のところで左に入る。

9:30
五叉路に出たら、墓地の右手の道に「↑長峰山登山道」の案内柱が立っている。墓地の左手の道には「←山麓リボンの道」の石標があるが、それにけして惑わされててはならない。五叉路を渡ると、いきなり急な伯母野山への町中登山が始まる。急な登り坂でなければ、その道は間違っているので引き返すか、そのまま杣谷を登るか決断しなければならない。

9:50
六甲グランドヒルズ、神戸松蔭女子短期大学、六甲学院高・中などなどを横に見ながら、急坂を登って行くと住宅地の中に石碑が立っている。「神戸八景 伯母野山住宅街」と彫られ「昭和七年八月九日 神戸又新日報社選定」とある。同じような石碑があと七つ神戸市のどこかに立っているのだろうか。それしても、昭和7年にこの高台にまで住宅が建っていたのが驚きだ。

「神戸八景 伯母野山住宅街」石碑

10:03
暑くなってきたので石碑前で1枚脱いで、緩くなってきた道を行くと黒黄に塗られたH型鋼が2本道から生えている。不法投棄防止のためのようで、この奥の空き地の入口にも立てられ、車が進入できないようにしている。

不法投棄防止用H型鋼、もうすぐ登山口だ


バス停から50分歩き、ようやく登山開始

10:11
山裾の松蔭女子学院大学のグランド(草ぼうぼうで使っていないようだ)を横切ると、送電線鉄塔(篠原線 一四)の山側に長峰山の登山口がある。バスを降りてからすでに1時間弱が経っていて、真夏ならここまででギブアップしそうだ。

長峰山登山口

いきなりの急登の先に、水場(水なので喉を潤せるだろうが、どのような副作用があるかは不明))のある砂防ダムの下を横切る。そこに、六甲砂防事務所の解説板が立っている。

六甲山系グリーンベルト整備事業

グリーンベルト整備事業では、「土砂災害の防止」「市街地の山麓への拡大防止」「良好な景観と自然環境の保全」「健全なリクリエーションの場の提供」を事業の目標としています。
具体的な方法としては、苗木の植栽、間伐・枝打ちなど樹木の手入れを行う樹林整備や木造構造物を使った斜面整備などを行っています。

国土交通省近畿地方整備局 六甲砂防事務所

砂防ダムの下を横切る

10:48
しばらく雑多な植物が繁茂する谷沿いを登っていくが、東へと離れ送電線鉄塔(六甲線 九)の立つ尾根に出る。振り返ると市街地と大阪湾が見えている。

谷から東の尾根へ

尾根に立つ送電線鉄塔の下を行く

10:53
尾根を登って行くと、西側の木々が落葉樹を残して伐採され下草も短く刈り込まれている。これが解説板にあった「六甲山系グリーンベルト整備事業」なるものの成果なのだろう。ここまでの谷・尾根の雑然としたとりとめもない常緑樹主体の雑木林に比べたら、見通しも景観もよく望ましい林になっている。登り始めてすぐに若者5人組に追い越されてしまったが、ここで景色に見ほれてる彼らを抜き返してやった。

手入れされ見通しのよい林

西側だけ手入れされた尾根を行く

11:23
雪がわずかに残る緩やかになった尾根道を行くと、5人の高年登山者に追いついてしまった。私よりも遅いとはたいしたものだ。そして、三つ目のピークが長峰山(天狗塚)の頂上だった。

狭い天狗塚の岩場の上に、後から5人の若者達も来て大賑わいになってしまった。周囲360度の大展望だが、人が多く風も冷たくのんびり展望を楽しむことが出来なかった。ここには687.7m四等三角点標石(点名:天狗塚)があるが、岩場の中から頭を出す全高63cmの標石の下には30cm角の盤石を埋めてあるのだろうか。ほじくり返して見てみたいが、周囲を保護石ならぬ保護モルタルで固められていて出来そうもない。

四等三角点標石(点名:天狗塚)

西には摩耶山が
南には大阪湾が広がる

11:36
全員が立ち去ってから写真を数枚撮り、私も杣谷峠目指し長峰山を下り始める。天狗塚までの登りは比較的緩やかだったが、杣谷峠へはむちゃくちゃ急な階段道で下り始める。

これだけ急な階段道もめずらいい

より高いところを目指しているので、下った分は登り返さねばならない。その登り返しも猛烈に急な階段道だが、その先は比較的緩やかな登り下りが続く。

杣谷峠近くの道は緩やかだ

11:59
ベンチがあり展望もまずまずの、送電線鉄塔(六甲線 一五)で休憩していた若者・中高年の2グループを追い越す。

わざわざ茶色に塗らなくても
灰色でいいと思うのだが


六甲山上

12:10
奥摩耶ドライブウェイ脇の、トイレのある杣谷峠に到着。雪は5日前よりも幾分少ない。

杣谷峠に着いた

12:22
摩耶山掬星台に行く前に穂高湖に寄り道。だいぶ厚く凍っているようで、大人5人が狭い範囲に集っても割れる様子はない。氷の厚さはどれくらいか分からないが、ウェブで調べてみると10cmの氷では危ないというし、割れて落ちたら助けようがないし、命知らずの五人衆だ。

凍りついた穂高湖

12:55
アゴニー坂の雪も少し減っているようだが、アイゼンを着けるのもめんどくさいし、車道をそのまま進み摩耶山掬星台に到着。自転車で登ってきてアマチュア無線を楽しむ若者一人(いまどきの若者がアマチュア無線とは珍しい)とハイカーが5人ほどと、淋しい掬星台だ。

風が冷たい掬星台


下山は青谷道

13:21
コンビニおにぎり2個の昼食を食べて、無線中継・放送施設のアンテナが立つ手前から南へ摩耶史跡公園へと下る。下り口近くだけはバリバリに凍結しているが、石段の縁に足を置くようにして注意深く下る。こんなところで転んで怪我などしたくないが、わずかな距離なのでアイゼンは着けない。

摩耶史跡公園への下り口

凍結区間はごく一部だ

13:34
摩耶史跡公園通過。頂上から少し下がっただけなのに、風もなく天気も良く、家族が休憩している。よし今度からここでお昼を食べよう。

摩耶史跡公園

急な石段

少し緩やかな石段

旧天上寺の山門

13:45
山門の下で上野道と青谷道に分かれる。まだ歩いていない区間が残っている青谷道を下ることにする。

青谷道は、旧摩耶山天上寺への参道だったので、石段の道が続く。しっかりした部分が多いが、ほとんどの石段が消滅したところもある。残っている石段は鉄アングルで補強されこれ以上の荒廃を防ごうとしている。

石段が残る道

崩壊した石段もある

14:16
水色に塗られた鉄パイプ柵が場違いな滝行場の建物群を過ぎると、行者茶屋跡だ。民家や畑があり、電気も電話も引かれているようだ。

摩耶山行者堂

行者茶屋跡から旧摩耶道が分かれているが、ここから下の青谷道を歩いていないのでこのまま下ることにする。山中にこれだけの建物・施設を維持するためには、自走運搬車の乗り入れられる道が必要になると思うが、ここからは砂防ダム横の急傾斜道は簡易舗装、そのほかも道幅もあり電柱には街灯まで設けられている。

行者茶屋跡から下は、こんな道や

こんな道が続く

左手の15〜20mほど下に青谷の谷底が見える、ほぼ垂直に切れ落ちた渓谷沿いの道を下って行く。砂防ダムがところどころにあるが、それらがなかった時代は、さぞや凄まじい渓谷美だったのだろう。

滝行場と思われる赤い鳥居の成田不動明王から10分も下っていくと、右手に「旧まや道 雷声寺 約2k 学校林道 約1k」の案内があり、岩を刻んだ階段道が登っている。その向かいには珍しいものが下がっている。盗まれないかと心配になるような、今までに見たこともない古い骨董品的な価値がある表示板だ。思わず外してザックの中に押し込もうと手が動きかけたが、なんとか思いとどまることが出来た。

戦前の物だろうか

14:38
今日は営業していない「あけぼの茶屋」前通過。神戸つくばね登山会の山小屋、神戸突破峯会の創立50周年記念の案内板、青谷みどり会の卓球場、お地蔵さんなどなどが狭いところに固まっている。

あけぼの茶屋は閉まっていた

これも本日休業の「茶室 静香亭」、滝行場と思われる「青龍寺」を過ぎると道も良くなり「歩行者多し 最徐行」の交通標識さえ現われた。

この道で車を飛ばすのは無理だろう

14:58
ハイキングコース案内図がある青谷道の登山口に下山。行者茶屋跡から下の青谷道は、雑然とし谷底にもゴミが目だち、私が好きな部類の道ではなかった。

お願い

青谷道登山口

この後は西郷川沿いにバス道まで出て、青谷バス停から三宮行きのバスに乗り帰途に着いた。

この山行記録を書きながら、参考になるものはないかとウェブ巡りをしていると、1月3日に「浮雲流水の記」の白夜の貴公子さんと掬星台で20分差のニアミス、1月8日には「正右衛門ノート」の萬屋さんが長峰山から杣谷峠までは同じコースで私の後を歩かれたことを知り驚いてしまった。



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