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三回目の鶴觜山(たつの市)はルンルン



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平成18年3月19日(日)  メンバー 私だけ

 鶴觜山  つるはしやま  168m

2万5千分の1地形図「龍野」を参照すること。


山? 鶴山?

「はりま歴史の山ハイキング」(横山晴朗著、神戸新聞総合出版センター刊)の影響が大きいのか、

  鶴  鶴
    YAHOO検索結果   67件   19件
    GOOGL検索結果   48件   18件

とWEBでは『』が優位に立っている。しかし、地形図では『崎』『崎ノ屏風岩』『神岡町東崎』『崎橋』と『』しか見出せなし、JR姫新線の駅名も『東崎』だ。で、この山行記録では、少数意見と地形図が大好きな私は『鶴山』を採用することにする。(ただし、案内板の引用は原文に忠実に)。

また頂上を263.2m四等三角点標石(点名:池ノ内)のピークとしているのがほとんどだが、最高標高地点を頂上とする必然性を認めない私は、眺めがよい觜崎ノ屏風岩上の168m標高点を鶴觜山の頂上としたい。


觜崎磨崖仏

9:05
“新宮町”いや合併したので“たつの市”新宮町の、揖保川に架かる觜崎橋の東詰まで、久方ぶりに妻その1に送ってもらう。昨日の午後からの雨で、揖保川の水量は何時になく多く、堰を越える水音がゴウゴウと響いている。

川岸の岩壁に彫られた「觜崎磨崖仏」に参ってから登り始めることとする。今はコンクリート護岸から間近に拝むことが出来るが、昔は揖保川対岸の拝殿から拝んでいたようだ。どんな風に見えるのかと橋を渡って行って見たら、遠すぎて私の目では磨崖仏がどこにあるのか分からなかった。

觜崎磨崖仏

県指定文化財 嘴崎磨崖仏

指定年月日 昭和44年3月25日
所有者・管理者 新宮町

揖保川東岸の鶴嘴山岸壁に彫られたこの磨崖仏は、舟形光背(ふながたこうはい)をもつ等身大の地蔵(じぞう)立像である。地蔵尊は、蓮華(れんげ)座の上に立ち、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)をもつ。船形光背の向って右側には大きな梵字(ぼんじ)があり、その下に「右志趣者相当藤原□□廻之忌辰也藤原 文和三年(1354)十月廿四日……」の銘があり紀年銘のある磨崖仏として県下最古のものである。この磨崖仏は俗に「いぼ神さん」「いぼ取り地蔵」として古来信仰されており、対岸には拝殿がある。
なお、この磨崖仏より上流へ約15mの岸壁にも4体の地蔵立像が彫られている。

平成2年11月 兵庫県教育委員会

うーん、兵庫県教育委員会は「嘴崎・鶴嘴山」派か。困ったな。


古宮天満神社から登り始める

古宮天満神社への石段

9:29
磨崖仏の裏側に古宮天満神社への石鳥居・石段があり、登ると小振りな御社が祀られている。鶴觜山へは、境内に入って直ぐの石灯籠の揖保川よりの岩場に、黄色い幅広の黄色ビニールテープが木に巻きつけられていて、そこから登り始める。

磨崖仏の真上あたりか、岩場の上からは揖保川に架かるJR姫新線の橋が見える。ベージュと朱色に塗られた気動車が通るとさらに良い写真になるのだが、昼間は1時間に上下合わせて2本しか走ってなく、撮るのは難しい。

揖保川に架かる姫新線の橋
正面は鶴觜山

全く必要性を感じない幅広の黄色ビニールテープのマーキングが木々に巻きつけられている。分かり難い箇所も分岐もないのだが、263.2m四等三角点標石があるピークまで、至る所に付けられている。この山に登るようなかなりの偏執狂のハイカーにも、ガイドブックにそそのかされて来てしまった一般ハイカーにとっても必要性が全く感じられないものだ。見た目は柔らかそうなビニールテープだが、巻かれた木にとって成長に伴って食い込んでくる恐ろしいくびきとなることを、巻き付けた人は想像できないのだろうか。

誰が付けたか目障りなマーキングが続く

9:35
ハイキングコースは墓地の中を行く。今日はお彼岸の入りで、墓参りしている人がちらほらといる中を、小さくなり遠慮しながら通り抜ける。

墓地を通り抜ける

9:40
幅広の黄色ビニールテープに見覚えがあり、あの人の仕業かなと感じていたが、とうとうというか予想通り播州の山々の至る所で見かけるあのラミネートの案内板が現われた。

ようこそ鶴嘴山へ
ご安全に・お気をつけて
山頂まで約1.5km・1時間
鶴嘴山愛好会

この山にも進出しているのか

幹に食い込む針金

目障りなだけで不必要な幅広黄色ビニールテープのマーキング・針金が幹に食い込み痛々しいラミネート案内板、どちらも山の雰囲気をぶち壊していることに、どうして設置者は気づかないのだろう。自分のやっていることに多くのハイカーが反感を抱いている事を知らないのだろうか。なんかルンルンではなくボヤキ山行になってきたな。

9:42
獣除けの柵があり、一部が開閉できるようにしてある。掛け金がうまく掛からないようで、紐で2箇所縛っている。

この紐をこうやって、こっちに抜いて

これ、いらないと思うが

柵を通り抜け、まばらな雑木の間を少し行くと、その後は岩場が連続して現われる。始めは緩やかだが屏風岩が近づいてくると次第に急になってくる。登る分にはトラクションもよく効き問題はないが、下るのはちょと怖かった。

初めは緩いが

次第に急になり

10秒でここまで離れられたのが

最後はセルフタイマー限界斜度に

10:03
急な岩場の上の木立には、パウチしているのに文字がにじみ、自分自身がゴミになっている「ようこそ鶴嘴山へ ご安全に・お気をつけて 来た時よりも美しく 鶴嘴山愛好会」が掛かっている。木立を抜けると屏風岩の岩頭が行く手に現われる。以前は二つに折れて放置されていた天然記念物の表示石柱が、つなぎ合わされて立っている。

屏風岩の岩頭が

修復された石柱

天然記念物屏風岩
昭和6年10月□日 文部省□存指定
大阪営林局

(□部分は不明)

岩頭の上には168m標高点標石が据えつけられていて、遮るものはなく眺めはすこぶる良い。揖保川の向こうには鶏籠山から的場山・亀山を横たわっているお釈迦様に見立てた「寝釈迦」を見ることが出来る。車で送ってもらってから1時間も経っているが、寄り道・回り道をしないで普通に登れば15分ほどだろうか。

屏風岩の上から寝釈迦を見る


本日の最高標高地点へ

北方の200m+ピークへは緩やかな眺めの良い岩場の下り、緩やかな樹間の登りで楽しく歩ける。岩場で写真を撮ろうとした時、20mほど先を太い尻尾を後に伸ばした本土キツネが横切った。一瞬キツネが立ち止まり、こちらを向き目が合ったが、直ぐに揖保川側へ下って行ってしまった。20年以上前に北海道で暮らしていたときは、うんざりするほどキタキツネに会ったが、野生の本土キツネを見るのは初めてで、興奮してしまった。3年前の2月に、この山に登ったときはタヌキに出会ったが、今回はキツネと動物に縁のある山だ。

この先の岩場をキツネが横切った

もう直ぐ第二ピーク

10:23
200m+の第二ピーク着いた。結構展望の良いピークで、西側の亀山(きのやま)がよく見える。ベニヤ板に「亀ピーク(標高208m)」と書かれたものが木に括り付けられていて、亀山が良く見えるから亀ピークなのだろうか。そうならば「きのぴーく」と呼ぶのだろうか。これ以外に類似のプレートが下がるピークはなく、謎の命名だ。

200m+ピーク(亀ピーク?)から亀山を見る

10:26
揖保川から離れて、東の広い岩場が見えるピークへと進む。と、また例の案内板が木に括られている。気分よく歩いているのに、これで4枚目だ。「美しい自然を大切に」したいなら、山の中の木にゴミを括りつけるのは如何なものだろう。幅広黄色ビニールテープのマーキングも、必要もないのに至るところに巻きつけられている。

揖保川から離れ次のピークへ

4枚目

10:37
大岩が積み重なる210m+の三番目のピークも南方向の眺めがよく、島々が浮かぶ播磨灘をも見ることが出来る。なお頂上の岩に登ると、眺めを楽しむゆとりがなくなる。

よっこいしょ

4番目のピークへの登りは眺めはないが、気持ちのよいシダと雑木の緩やかな尾根を登っていく。膝丈ほどのシダの間に明確な道が続き、ルンルン気分で登っていくと5枚目の例の物が現われた「ようこそ鶴嘴山へ 山頂まであと少し・がんばれ! 来た時よりも美しく 鶴嘴山愛好会」。いったい全部で何枚縛り付けたのだろう。

こんな雑木とシダの尾根が好きだ

道は明確で迷うことなどない

10:52
263.2m四等三角点ピーク(点名:池ノ内)まで行くと展望がなくなるので、細長いピークの南端から最後の展望をゆっくりと楽しむことにする。ここには例のパウチ案内板はないが、代わりに真っ赤に塗られた「火の用心 2004 H.O.K」が木に括りつけられている。「火の用心」はもちろん大切な事だが、この真っ赤なゴミも山の雰囲気をぶち壊している。H.O.Kとは「広畑・大津・勝原まちづくりの会」を意味しているように聞くが、行った先々でゴミを撒き散らすのも会則で決められているのだろうか。

三角点南の好展望地

あちこちで見るようになった
「火の用心」

10:54
三角点まで行くと、木々が伐られ北方を眺めることが出来るようになっている。ガイドブックで紹介され登ってくる人も増えたのか、ある意味で私の大好物の登頂記念プレートがたくさん下げられている。

木が伐られた三角点ピーク

播州野歩記恒例の登頂記念プレートの大公開をするが、自分だけは特別な人・集団で山にゴミを残す権利があると思い込んでいるのだろうか。個人情報を自ら晒す奇特な人や、自分のホームページ名を入れて宣伝している人もいるが、播州の山々でよく見かける物ばかりだ。しかし2以外は全部「鶴嘴山」派なのが面白い。

  1. ようこそ鶴嘴山へ 登頂おめでとう 美しい自然を大切に 鶴嘴山愛好会
  2. □□□(読み取れず)□□□
    池ノ内(いけのうち) 263.19M
    加古郡播磨町吉田3-3-13 電話35-2353
    '04.3.13(日)快晴 現在10:15
    あついです。完ペキなる整備でルンルンで至ル
    この後町界を北へ北へとたどって
    「北山」をへて林田町中山下へ下ル予定デス。
  3. 鶴嘴山 263m
  4. 鶴嘴山 263m 2006.3.5
    神戸ツキワ登山会.第789回例会登山
  5. 鶴嘴山登頂 2006年1月29日
    揖保川山遊会 中野光法 外22名
  6. 香住の山と海を探す会 鶴嘴山 2005 1/22 人求山行
  7. 鶴嘴山 2006.2.18(土)
    登頂記念 単独
    「たくのわがまま風来記」Taku

登頂記念プレートではないが、鶴嘴山愛好会の7枚目のラミネート案内板が下がっている。

山行注意・お気をつけて
★北に向かう本コースは整備が殆どされていません
眺望も悪く所々「不明朗な箇所や藪こぎ」もあります
できればピストンをお奨めします。
鶴嘴山愛好会



今日はルンルンで峠へ

平成15年2月と12月の2回この鶴觜山を歩いたことがあるが、三角点ピークから北東の峠までは明確な踏み跡さえなく、コンパスと地形図と数少ないマーキングを頼りに歩いた。しかし3年も経たないのに、今は踏み跡どころか明確な道になっていた。常に5m以内に次のマーキングがありルートハンティングを楽しむことも、真冬でも腰丈のシダが茂る急斜面の藪漕ぎを楽しむことも出来ない、私にとっては詰まらない山になっていた。

11:01
三角点ピークから、たつの市と姫路市の界を北東に下り始める。最初は結構急な下りだが、その先は緩やかなピークを2か所越える見通しの悪い道が続く。

三角点ピークからの急な下りも

直ぐに緩やかになる

幅広赤テープが至る所に

眺めはないが雑木林の中に道が続く

三角点ピークから下り始める頃から強い風が吹き始め、3月の下旬が近いのに、白いものが時折舞う荒れた天気になってきた。曇ったり、晴れたりで忙しい天気だ。

11:22
道は明確で、幅広赤ビニールテープが途切れることなく続き、地形図も何もいらない。そして思いのほか早く180m+の鞍部に着いた。ここから西へのエスケープルートは、踏み跡は無いが赤銀のキラキラテープが付けられていて、いざというときは下りて行けそうだ。

180m+の鞍部
西へエスケープ可能?

エスケープルートへは
キラキラテープが道案内

この鞍部から北の、標高差50mほどの南向き急斜面は、以前は雑木と腰丈ほどのシダが茂る藪だったのだが、今は誰かが道を開いてくれたお蔭で、簡単に登れる何でもない所になっている。写真を撮りながらでも10分程しかかからずルンルンで登ってしまった。

以前はジャングルだった斜面に
道が開かれた

230m+の細長いピーク

最後まで明確な道が通じている

切通しの峠に到着

11:45
地形図で破線道の通る切通しの峠に到着。切通しの南側には祭壇があり、頭がどこかに行ってしまった体だけの石仏が祀られている。

峠に祀られた体だけの石仏


林道を行く

切通しの峠からは林道が三方に延びていて、北東に登る道は、地形図では280mほどの山を反時計回りに巻いているように描かれているが、実際は途中で途切れている。以前に途切れているのは両側から確かめたが、今日は途切れ部分を強行突破する。

11:59
杉植林の中の林道を登っていくと、地形図にも載っている溜池がある。しかし、今は使われていないようで水が抜かれて荒れ果てている。そして、その横で林道は途切れている。

暗い植林は、当然ながら下草も無く、適当に登っていくとあっけなく反対側の道に出てしまった。実は、ここを今回の山行のメインイベントにする積もりだったが、1行で終わってしまった。

暗い植林に突入

5分もかからずに
反対側の道に出る

地形図に載っていない林道もあったが、こんなところまで歩く人はいないだろうし詳細は省略するが、倒木があり車が入った形跡はなかった。こんなコースなどとらずに、峠からは西へガイドブックにも載っている大正池コースで下るのが良いと私も思う。

林道を下る


曽我井城跡経由で下山

12:31
林道は唐突に、2車線完全舗装の車道に出る。出たところには頭だけの石仏が祀られていたのだが、懸命に探したのだがどこにもない。誰かがお持ち帰りをしたのだろうか、返さないと子々孫々百代まで祟られること間違いない。

林道から車道に出た

どこに行ったのか、今はいない

この車道は直ぐに、国民宿舎「志んぐ荘」の奥にある東山公園の裏口に入るのだが、なぜか以前からゲートが閉まっている。ただし人は左を回ると入れるし、かんぬきには鍵が掛かっていないので、車でも入ろうと思えば入れないこともない。

いつも閉まっている東山公園裏口ゲート

これより先立入禁止

現在公園整備工事施工中につききけんですので入らないようにして下さい

新宮町役場

12:44
ゲートを抜けて10分も行くと、駐車場にするつもりなのか広い空き地にたどり着いた。そのまま下っていくと東山公園を通り国民宿舎「志んぐ荘」へ行けるが、その南側の180m標高点ピークにある曽我井城跡へ行ってみることにする。

曽我井城跡へは広場の南側から林に入り広い緩やかな尾根を西へ進めばよい。ただし、道も切り開きも踏み跡もない部分もあり、あるのは雑木とササとシダの藪だけなのでお勧めできないルートだ。以前に今日とは反対のコースで歩いたことがあるので、何とかなるだろう。

曽我井城跡へは広場南側から行く

初めは植林の中を低木を右に左に避けて、また、そこいら中にある鹿の糞を踏まないよう登っていく。赤い境界プラ杭が点々と続き、「西町」と刻まれた 石杭も立っている。

曽我井城跡への登り始め

12:57
緩やか雑木の広い尾根には切り開きがありルンルンで歩いていけるが、尾根一面の背の高いササの茂みにぶつかる。右手にかわす事が出来そうだが、あえて中央突破を試みる。ビニールテープのマーキングなど全く無いが、赤プラ杭だけはササ藪の中にも続いている。

ルンルンで雑木林を行く

ササ藪中央突破

ササ藪の中に「北新町」、藪から出ると「新町」の石杭が立っている。かつてはこの山は新宮町の各集落で管理していた名残なのだろうか。ササ藪を抜けると後は膝丈から腰丈のシダ藪だが、緩やかな登り下りで獣道もありルンルンで進む。南側にそれないように尾根の北端を進むと、一度だけコースミスをしたが直ぐに気づき事なきを得た。

膝丈のシダ藪

腰丈のシダ藪、これ以上はひどくならない

13;21
曽我井城跡に着くまでに1箇所だけ狭い岩場の展望地があり、歩いてきた山々や揖保川の流れ、鶏籠山から的場山を見ることが出来た。今日の山は花が全く咲いていなかったが、アセビの木が数本まとまり花を付けていた。

唯一の展望地

アセビの花しか咲いていなかった

13:34
180m標高点に位置する曽我井城跡に到着。広いとは言いがたい平らなピークには「曽我井城」標柱と石杭が立っているだけだ。3年前にここに来たときは下草がきれいに刈られ、遊歩道も結構きれいに整備されていたのだが、誰も訪れないのか自然に帰ろうとしている。そこで困ったのが、踏み跡などなく、ここからどの方向に下りたらよいのか分からないことだ。

曽我井城跡

13:39
過去の記憶を呼び覚まし西の揖保川方向へ下って行くと、テレビの共同受信用アンテナが立っている。そこから北へ朽ちようとしている細い雑木で造られた階段道があり、トラロープが地面に延びている。

曽我井城跡から西に下ると
共同受信用のテレビアンテナが立つ

そこから北の志んぐ荘へ
階段道とトラロープで下る

13:50
テレビアンテナが立ちベンチが置かれた展望所に着いたが、3年前よりも木々が伸びている。アンテナは志んぐ荘のものなのかまだ使われている様子だ。

展望は今ひとつになったアンテナ展望台

ここからはよく整備された道が麓まで続いている。しかし、九十九な下りのコーナー部分の倒木が放置されていて、道が分かり難い箇所が1カ所あった。

基本的にはよい道が続くが

倒木が何箇所もそのまま放置されている

14:06
志んぐ荘から小川を挟んだ南側に下山。「曽我井城」案内柱が立ているが登山口には紐が張られ、なにやら掲示された跡が残っている。おそらく「倒木のため立入禁止」とかだったのだろう。

志んぐ荘の南に下山

志んぐ荘からJR姫新線の播磨新宮駅へは、揖保川に架かる吊橋(東山公園橋:全長159m、水面高さ約9m)を渡るのが近道だ。

吊橋をわたり播磨新宮駅へ

中央以外は9m下の川面が見える
グレーチング

JR姫新線は姫路駅から播磨新宮駅までは1時間に1本あるが、佐用・上月方面になると2時間に1本しかないローカル線で、イコカなどのカード類は使えず現金だけしか通用しないのも要注意だ。



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