南山(火山)から高坪山へ、葛のバカヤロー
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平成18年9月23日(土) メンバー 私だけ
南山(火山) 166.8m
2万5千分の1地形図「姫路南部」を参照すること。
2年半前の
早春、3月6日に南側の高坪山から北側の南山へ縦走している。南山も高坪山も標高は200mに満たない姫路市南東部に位置する低山で、送電線が通っているおかげで(99%までは)歩きやすい送電線巡視路があり、展望はよいとは言えないが姫路市の隠された名ハイキングコースだ。ただし送電線巡視路の残り1%は歩きにくいというか、歩けないというか、無いというか、それがこの南山・高坪山の情報がウェブにはほとんどない原因なのだろうか。
今回は、JR御着駅南東の南山から南へ高坪山・木庭山・小赤壁・播磨灘を目指し縦走を試みた。まずは縦走中に出会った秋の花々を紹介する。どれもただの野草にしか過ぎないだろうが、派手さはないがどれも可憐な花達だ。
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鉄工団地から南山へ
JR山陽本線の御着駅から東へ行くと、南山と新幹線高架の間に鉄工団地がある。今日は祝日なのでシーンとしていると思いきや、ボツボツと自転車で工場へ向かう工員さんの姿が。
新幹線高架の下を行くと真っ赤な文字の「姫路工業団地」の看板を背負った二階建ての建物が見えてくる。その西側の道を山に向かって進むとすぐに登山口だ。
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7:48
登山口には「御着南山公園」の案内板が下がり、擬木の階段が林の中へと続いている。ハイカー用の駐車場所など、ハイカーが来るわけも無いので用意はされていない。
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登り始めると「御着南山公園案内図」がある。それによると二カ所の展望広場があり、その展望広場を周遊するように遊歩道が巡らされていて、西側にも登り口があるようだ。ただ、思いっきりシンボライズされていて詳細を知ることは出来ない。また、地形図には遊歩道と送電線巡視路の一部が破線道として記載されているだけで、この案内図は遊歩道だけと全体像を知ることは出来ない。
歩く人が少ないことは一目で分かる遊歩道だが、整備は続けられているようで最低限の草刈は行われている。途中、桜並木があるのだが手入れはされていなく雑木の勢力の方が強くなっていて、2年前に来たときとよりも桜の背丈が縮んでいるような気がした。
8:04
数箇所の工場からの始業を告げるサイレンを聞きながら登っていくと、東屋のある最初の展望広場に着いた。周囲の雑木の勢いがすごく、展望のない展望広場だ。ハイカーは訪れないようだが、近所の中学生達は登って来ているようで、東屋に幼い落書きがたくさん書かれている。ここには南山の解説板があるので転載しておく。
火山【ひのやま】
神楽山・桶山・南山ともいう。標高166.8m。山名の由来は宝暦12年(1762)の『播磨鑑』には神功皇后が麻生山で天神地祇を祭った祭、この山に神火をかかげたことから「火山」または「神楽山」と名付けられたという伝説を載せる。頂上尾根部には牛岩と呼ばれる岩があり、この山より牛堂山国分寺に黒牛が現れたという伝説も載せ、国分寺の山号の由来を伝える。火山と麻生山は国分寺の境内だったという。
また火山の名称から天智3年(664)以後設置され、律令(軍防令)にも規定される「烽【ほう】」の置かれた山という説もある。
天正7年(1579)に羽柴秀吉はこの山に布陣して西北にある御着城(城主は小寺政職)を攻めたが一旦敗北し、南東の引入谷(現的形町大鳥)に退いた跡、総攻撃をかけて落城させたという。平成15年2月 姫路市教育委員会
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8:17
二番目の展望広場へ登る途中に高圧送電線鉄塔「鉄工団地線 八」が立っていて、その手前の両側に展望のよい岩場がある。どちらかが解説板にあった「牛岩」のような気がするがよく分からない。
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8:31
訪れる人もない、草生した遊歩道を蜘蛛の巣を払いながら進み、二番目の展望広場に到着。昔は大展望が広がっていたのかもしれないが、今は一番目以上に展望皆無だ。
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この展望広場にも御着南山公園の案内図があるが、肝心な部分の色が抜け鳴門の渦潮かと見まがうようなものになっている。その案内板の左手から南の稜線へと続く送電線巡視路と、西へと下る遊歩道が分かれている。当然、送電線巡視路を進むのだが、西へ下る遊歩道がどこへつながっていいるのか非常に気になっている。
8:37
送電線巡視路に入り数分で、東の三角点方向に分かれる巡視路の入口がある。ピストンになってしまうが南山に敬意を表して、頂上にある三角点標石を拝みに行こう。
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8:44
送電線巡視路の脇に三等三角点標石(点名:南山)があるが、展望皆無で頂上といった雰囲気は全く無い南山の頂上に着いた。こんなところでも登頂記念プレートが1枚だけ下がっている。
JS3UUU 167 南山
ここまでに2本の送電線鉄塔があり、1本目は「姫一火力線 二七」、2本目は「姫路火力東線 二三」、三角点の先には「姫ニ火力線 二五」があり、どれも送電線鉄塔マニアなら鋼管に頬ずりすること間違いなしの惚れ惚れとするような立派なものだ。
姫路バイパスまで
8:52
稜線を行く送電線巡視路まで引き返し、播磨灘を目指し南へと歩を進める。下手な遊歩道よりも手入れの行き届いた巡視路は歩きやすいが、この時期は蜘蛛の巣が煩わしい。
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8:56
メインロードから西へ20mほど離れて「鉄工団地線 六」が立っている。なぜか胸騒ぎがして行ってみると「閃絡表示器」(送電線鉄塔に落雷があったことを知らせるもの)が動作し風でぶらぶらと揺れていた。碍子のアークホーンについている閃絡表示器の脱落は無いので、鉄塔・送電線間の閃絡は発生しなかったようだ。
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9:24
好展望地の「姫一火力線 二六」、「姫路火力東線 ニニ」送電線鉄塔を過ぎて、いったん下って登り返すと「姫ニ火力線 二四」がメインルートのすぐ東側に立っている。ここもそれなりの展望地で、大気が清んでいるのか明石海峡大橋が鮮明に見える。
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9:39
姫路バイパスのすぐ北側の「姫ニ火力線 二三」に着いた。鉄塔手前に西側へと下る巡視路があり、その巡視路を下りバイパスにかかる陸橋を渡れば、南側へ安全に抜けることが出来る。
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しかし、姫路バイパスの切り通し法面に設置されている鉄階段がどんなものかを間近に調査するのが、今日一番の目的だ。けれども送電線鉄塔から切り通しの間は、雑木の見るからにひどい藪が待ち構えている。
藪に突入してみるとイバラもあり想像していたよりもひどかったが、段々に整地された斜面の藪は次第に歩きやすくなる。ただし、人の歩くところでは無い。
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9:59
短い距離だったが、15分ほどの藪漕ぎで切り通しと藪を隔てるフェンスまでたどり着いた。フェンスは金網のと、有刺鉄線のものとで二重になっている。フェンスは越えられそうもないし、無理やり越える気分ではないが、少し東側に着いてしまったので、中央を目指し溝があるコンクリートの急斜面を登ってみる。
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一番上に着くと、なぜか二重のフェンスには人が通行できる隙間が設けられている。何の気なしに通り抜けると、そこはコンクリートで固められた切り通し法面の上部で、鉄階段がおいでおいでしている。ここに来るまでにフェンスを越えたわけでも無いし、侵入禁止の表示があったわけでも無いし、鉄階段を下るのは法的には全く問題がないように思うし、ここまで来てしまったら鉄階段を下るのが一番安全な選択肢に違いない。
鉄階段最上部に乗ると結構な高度感があるが、しっかりした手摺があるせいかもしれないが怖さは全く感じない。もしかすると私の辞書には高所恐怖症の文字は欠落しているのかも。
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途中踊り場が4箇所あり、全部で140段ほどの鉄階段は最大斜度は80度ほどありそうで、踏み段も上から見ると半分以上オーバーラップしていて階段と言うよりは梯子のように見える。実は姫路バイパスから丸見えのこの階段を下る勇気が無かったりして、フェンス沿いに下りたかもしれず、はたして本当にこの階段で下りたかは私しか知らない。
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10:15
バイパス側道の鉄階段の下に着いた。下の写真も、階段から下りてきたのを装うために撮ったのかも知れない。ただここにも「登ってはいけないよ」の警告表示はない。
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国道250号線まで
姫路バイパスを跨ぐ陸橋の先には法面を南側の稜線へと登る鉄階段があるが、北向き斜面といえども登りの藪漕ぎはしたくないので、別ルートを取る。「凡太郎の山歩き」、「まめのこずい」の記録では正面突破はせずに大きく山を廻り込み大迂回しているが、鉄階段を登る以外にも最短経路は存在する。ただし通行は出来ないが。
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10:25
側道沿いにはフェンスがあり山に入ることができないが、陸橋を渡り西へ下ると廃車解体場手前にうまい具合にバイパスから死角になっていてところがある。
ただしフェンスを越えるという行為は『軽犯罪法第一条三十ニ』の不法侵入に相当するので、絶対してはならない。実行し捕まると『拘留又は科料に処する』の可能性があるので、絶対してはならない。私までも『軽犯罪法第三条』の教唆の罪に問われるので、播州野歩記にそそのかされたなどと口が裂けても絶対に言ってはならない。
11:33
順法精神の塊と言われる私はフェンスを越えることなど出来ないので、1時間ほどかけて大迂回をし、側道フェンスと15mほどの間隔で平行するもう一つのフェンスまでようやくたどり着いた。15mのための1時間の大迂回中は写真を撮ってなく、あまりのあほらしさにどこを通ったのか記憶していない。
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11:41
手入れはされていないが、まだまだ快適な道を稜線まで登ると、下草が刈られた幅広の送電線巡視路が南北に延びている。北側の「姫ニ火力線 二ニ」が立つ山の名前は「まめのこずい」によると「大鳥山」というらしい。
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11:43
こんな山の中の送電線鉄塔だが、なぜかしっかりした柵が巡らされていて、大鳥山の頂上を踏むことは出来ない。
この大鳥山から、111mピーク(青ノ山)南の標高50mほどの鞍部までは真に快適な巡視路が続いている。行って来いの送電線鉄塔へ行く脇道も、メインルートも同じような雰囲気で、その上直進が行って来いの場合もある。以前はどっちかなと迷うことも出来たが「火の用心」標識に手書きで正解が書き加えられていて詰まらなくなっている。
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12:25
91mピークの南側鞍部は十字路になっていて東西に下れる。ただ、人家が遠そうな東側の方が広く、西側は細い踏み跡なのが不思議だ。ここ以外にも東西に下る道があったが日常的に使われていそうなのは、この十字路だけのような気がする。
13:00
111mピーク(青ノ山)北には人為的な地形がある。西側に削平地が雛壇状に数段築かれていて、昔々はここで人々の営みがあったのだろうか。寺院か山城か何かがあったのだろうか。
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13:03
111mピーク(青ノ山)を過ぎると久々に展望が広がる。メインルートは送電線鉄塔から南東の鞍部へと下っていくが、南西方向の尾根にも踏み跡が延びている。
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13:08
上の写真の送電線鉄塔「姫ニ火力線 一八」も展望がよく、大迂回のせいで遅くなったがお昼ごはんにする。今日はファミリーマートの「鮭のりミックス弁当1」398円で、30分ほど休憩する。
13:47
送電線鉄塔から数分下ると東側の山塊も繋がる鞍部だ。十字路になっていてもよさそうだが、南西の谷の溜池へと下ると思われる道が、背の高い笹藪の中にトンネルのように口を開けている。
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13:56
81mピーク(丸山)北東の送電線鉄塔「姫ニ火力線 一七」が今日最後の展望地となる。
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81mピーク(丸山)の南東に送電線鉄塔「姫ニ火力線 一六」が立っている。以前は国道250線まで送電線巡視路がつながっていたのだが、今は16鉄塔は行って来いの脇道となりメインルートは手前で東側の住宅地へ下ってしまう。
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地権者から送電線巡視路を通すことを拒否されたしまったのか、「火の用心」標識はまだ残されているが、草が茂り道が途切れているところもある。ハイカーは81mピーク(丸山)付近を通ることは避けて、東側の住宅地へ下りる方が賢明だろう。
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14:28
過去に一度通っているので国道250線脇の「関西セルラー電話株式会社 八家通信所」まであまり迷わずに来ることが出来たが、ここからは入るのは止めておいたほうがよい。このように姫路バイパスから国道250号線まで快適な送電線巡視路が通じているのに、入口・出口が通行不能で迂回を強いられるのがこのルートの問題点だ。
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高坪山 葛なんか嫌いだ
さて気持ちを新たにして、次は高坪山だ。セルラーの基地局の向かい南側に切り通し上部へと続く道がある。フェンスに沿ってグングン登り、フェンスがなくなってもグングン登っていくと送電線の真下付近で「火の用心」標識が現われ、ここが巡視路であることが分かる。
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14:43
切り通し最上部から南へ曲がると、広かった道がすぐに狭まり、「火の用心」標識に従った西へ進行方向を転じると足元のクズが煩わしくなってきた。煩わしいぐらいならいいのだが、一気にクズ藪に腰まで浸ってしまった。前方50mほど先に雑木林が見え、そこまで行けば何とかなりそうだ。
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腰までのクズ藪がとうとう肩・首までになってきた。あと30mで抜けられそうだが、このまま行ってはクズの海で溺れかねない。シダ藪や雑木藪ならどんなに酷くても抜ける自信はあるが、この絡み合ったクズ藪はだめだ。撤退。
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別ルートがないかと見回しても、周囲全部がクズに囲まれどう見てもだめだ。クズは秋の七草の一つで、葉っぱに隠されて外から見えないがきれいな花が咲いている。
帰ってから、自分の前回の記録を読み返してみると、『250号線の切り通し近くは草原になっている。草が枯ている冬場は歩けるが、イバラも混じるこの草原を夏場に通過するのは困難だろう』と書いているではないか。今回の高坪山頂上を目前にした撤退は、事前調査不足と記憶力不足からのものだが、低山の手強さを思い知らされてしまった。
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