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東お多福山から西お多福山へ



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平成19年1月21日(日)  メンバー 私だけ

東お多福山登山口〜東お多福山〜土樋割峠〜蛇谷北山〜石宝殿〜一軒茶屋〜六甲最高峰〜西お多福山〜五助ダム〜住吉台

2万5千分の1地形図「西宮」、「宝塚」を参照すること


三杯目のカレーを求めて六甲詣で

私が六甲山でこれまでに実食したのは「おらが茶屋の独特カレー」、「マヤテラスのKOBE摩耶カリー」だけで、六甲山カレーの全くの初心者だ。しかし何事にも目的を設定しないと気のすまない性格で、これからはカレーに軸足を置いて六甲の山々を歩いていこうと思っている。

三番目のカレーを探して、山渓のガイドブック『登山・ハイキング案内 六甲山』の「六甲の茶屋」のページを見ていると六甲山最高峰の直下、一軒茶屋でカレーを食べられという。さらにWEBで調べてみるとあまり特徴のない極普通のもののようだが、六甲山のカレー全制覇の野望に燃える私としては、どんな困難が待ち受けていようとも行かざるを得ない。

これまでに最高峰へは何度も登り一軒茶屋前も通ったが、いつも魚屋道ばかりでそろそろ新しいルートを開拓しなくてはと地図を眺めると西と東にお多福山があり、最高峰・一軒茶屋を間に挟んだら面白いルートができそうだと気づいた。


東お多福山

8:19
JR芦屋駅から乗車した阪急バス山口営業所行き(芦屋ゲート、東おたふく山登山口、有馬経由)は、ほぼ満席のハイカーを乗せ芦屋川沿いの急な曲がりくねった山道を登って行く。途中「芦屋ゲート」で15名ほどの緑帽子を被った少年少女と引率者が下車し、時刻表通りに到着した「東おたふく山登山口」では私を入れて3人が下車、残りは有馬温泉まで行くのだろう。ここまでの運賃は320円で、ちなみに有馬までなら760円で大阪方面からなら神鉄利用よりも便利そうだ。

東おたふく山登山口バス停の阪急バス

8:25
三脚を出したり、ごそごそと山登りの準備を終えて歩き始める。バス停に「東お多福山周辺ハイキングコース案内図」があるし、車道の分岐点ごとに道標があり、土樋割峠への舗装林道へ迷うことなく進むことができる。

バス停で標高はすでに460mほどと有馬温泉よりも高く、東お多福山に登るならここからに限る。

さあ行くぞ

近日中に名鉄のハイキングがあるのか、赤い逆三角形の旗が要所要所に吊られていて良い目印になっているが、「ハイキング終了後この道標は回収いたします。」とのことで、もうすぐ外されるだろう。

8:35
土樋割峠への舗装林道を行くと、ほどなく小さな砂防ダムがあり、その上流側が東お多福山の東登山口だ。頂上まで1.2kmの案内が下がっている。

ここが東お多福山東登山口

8:40
暑くなるのが目に見えているので、1枚脱いでから再出発。蛇谷の浅い流を渡り山道に入る。蛇谷といっても蛇がウジャウジャいるわけはなく、蛇のように蛇行していることに由来しているのだろうか。

砂防ダムの上流で渡渉する

すぐに深山を歩くような雰囲気の道になるが、芦有道路を爆走するバイクや自動車の騒音が聞こえ、、近くにユートピアアシアなる別荘地が垣間見えている。下の見事なリョウブ林のすぐそばにも別荘が建っている。

リョウブ林を行く

リョウブ林を過ぎるとようやく道は、東お多福山頂上を目指し登り始め、ガイドブックでも紹介されている両側に笹が茂る溝状になった道を登っていく。

胸あたりが地面だったのだろう

9:11
頂上が近づくに従って背後に奥池やその周辺の別荘地、ごろごろ岳、その先には大阪湾の展望が広がり始めるが、今日の天候では遠望は効かない。このあたりで私よりだいぶ年上の男性単独ハイカーに追い越されてしまった。ガイドブックのコースタイムからすると、頂上に着いていてもおかしくない時間なので、これでは誰に抜かされてもおかしくはない。

振り返ると奥池やごろごろ岳が

最後は背丈を越える笹の間の通路を行く。雪があってもおかしくない時期だが霜柱さえなく、こんなに暖冬なのに惑わされて花をつける草木もなく、周辺風景の描写に困る。ザックの中の軽アイゼンとマクロレンズが出番はまだかまだかと待ちわびている。

もう数分で頂上だ

9:16
東お多福山頂上に到着。追い越していったハイカーと私だけの、展望も芳しくなく淋しい頂上だ。4分ほど見えない眺望を堪能し、北の土樋割峠への道へ入る。

今日は展望がない東お多福山


土樋割峠から蛇谷北山へ

ミヤコザサが茂る斜面に九十九に付けられた道を下っていき、一旦標高差20m程の小ピークを越えると蛇谷から登ってきた舗装林道に出会い、そこが土割峠だ。東お多福山頂上から普通に下れば10分もかからない。

北向き斜面なのに雪が全くない

9:30
峠正面に蛇谷北山への登り口があるはずだが、今日は「工事中につきまわり道にご協力お願いします。足元に気を付けて、ご通行ください。」の案内板が掲示されている。どんなすごい「まわり道」かと思ったら、工事柵裏側までの10mにも満たない階段道が整備してあり、まわり道はそれだけだった。

次のバス便で来たのか、舗装林道を登ってきてそのまま七曲登り口へと向かうハイカー10人ほど、東お多福山頂上から一緒に下ってきた男性ハイカーも七曲登り口へ下って行き、蛇谷北山に向かうのは私一人。

土樋割峠

地形図には蛇谷北山の名前も破線道も描かれていないが、土樋割峠から石宝殿へ750m標高点、840mほどのピーク(蛇谷北山で芦屋市の最高峰でもある)を通りほぼ忠実に尾根筋を登っていく道がある。出だしは緩やかなミヤコザサと雑木の中を行く道で、明瞭なかつて一度は丸太階段などで整備された道だ。

通る人は少なそうだが
明確な道が続く

ごく一部に、写真のような険しそうに見える部分もあるが、ほとんどはなんていうことのない緩やかな登りだ。

こんなのや

こんなところはほんの少し

大部分はこんな感じの道だ

10:10
途中に公設の道標もあり安心して歩けるかと言うとそうでもない。石宝殿に至るまでに3回の分かれ道があり結局は先で合流するのだが、2回目の分かれ道の片側からしか蛇谷北山の頂上へは行けない。頂上南側は下の写真の分岐点を左に行かねば、頂上を外してしまうことになる。

蛇谷北山の頂上はこの分岐を左へ(西へ)

頂上へ向かう道はミヤコザサが茂り、ザワザワと掻き分けながら登っていく。このあたりで中年男性単独ハイカーとすれ違ったが、挨拶を返してこない人だった。メインルートで大勢の人と行き交う時はめんどくさいときもあるが、こんな誰も通らない淋しいところで出会って、無言で去られてしまうと少し悲しくなる。

頂上へのミヤコザザザワザワ道

10:14
さらにササが濃くなると「←土樋割峠を経て東お多福山へ 石宝殿最高峰へ→」の公設看板があり、左手への踏み後方向へ私設っぽい「北山山頂止り 標高836m→」の案内がある。そこから山頂方向へ10mほども入ると行き止まりの直径2mばかりの平地がある。

「蛇谷北山 芦屋最高峰 836m」の標柱が立ち、かろうじて東お多福山方向だけが見通せるが、展望はあまりよくない。登頂記念プレートはないかと見回したが1枚も下がっていない。

芦屋市最高峰 蛇谷北山


石宝殿から一軒茶屋でカレーライス

頂上から北へミヤコザサの中を下る薄い踏み跡があり、どこかで本道に続いているのは間違いないだろうが、ここは冒険は止めて来た道を戻る。

なお、蛇谷北山の北側の、頂上へ行ける道と巻き道との分岐点にはブリキ製の道案内が、「ドビ 石」と「ワリ 宝殿」と二つに泣き別れになりながらも、けなげに枝から下がり自分の役割を何とか果そうとしている。この道案内がある分岐を右に(西側)に入ると頂上へ行くことができる。

蛇谷北山の北側の分岐点には
この案内板がある

蛇谷北山頂上は一応独立したピークなので一旦下り、石宝殿を目指し緩々と登っていく。

蛇谷北山から下り

石宝殿へと緩やかな道を登る

10:29
蛇谷北山から20分ほどで「白山姫観音」に出迎えられ石宝殿下の広場に到着。登りついたところには「蛇谷北山へ→」の案内板が松の木の根元に立て掛けられている。

白山姫観音のお出迎え

ラジカセで音楽を流しながら「六甲山石宝殿 白山の宮社務所」の雨どいを直している宮司さん?に挨拶し、「石宝殿」へと参る。質素な拝殿から続く石段の上に、木製の扉をはめ込まれた屋根や壁は総石造りの祠が祀られている。石段を登って間近に見たいが、神域のため近づくことは出来ない。

宮司さんがやって来られ、慶長年間(400年ほど前)に麓の人たちが搬上し築いたもので一部にセメントで補修した跡があることや、展望のよい境内からは加賀の白山まで見ることが出来ることなどを教えてもらった。

石宝殿

境内からは大展望が広がるが
今日はさっぱり

10:59
石宝殿から車道へ出て、平成9年3月に開通した長さ87mの「鉢巻山トンネル」に入る。このトンネルは、あの地震のときに北側を巻いていた車道が崩壊し復旧が困難なために通されたものだ。道路には歩道はないが、トンネルの中だけは狭いが歩道があり安全に通り抜けることが出来る。

また、このトンネルの中に西宮市と芦屋市の市境が斜めに通っている。下の写真は両市に跨って立っているように見えるが、実際はほとんどが西宮市側に入っている。

鉢巻山トンネル

鉢巻山トンネルを抜けると六甲全山縦走路が南から北へと斜めに横切っている。トンネル北側のアンテナ塔の立つピークが「後鉢巻山」で、昼飯前にもう一山と登ってみた。

11:07
関西電力六甲無線局とケイ・オプティコム(関西電力100%出資会社)の共架のアンテナ鉄塔が立つピークには「後鉢巻山」と書かれた木板が一枚下がり、石をモルタルで固めたケルンのようなものが二つあり、大きい方には「H.6.4.1 0:25 長谷川芳雄」の名板が、小さな方には「H.14.8.8」と彫られている。

後鉢巻山のアンテナ鉄塔

11:21
後鉢巻山から車道へ下り、車道南側を行く全山縦走路を歩いてみるが、味気ないが車道を歩いた方が楽なのを実感しつつ、六甲最高峰直下の一軒茶屋に到着。いつ覗いても賑わっているが、時間が少しだけ早いせいか客は3人しかいない。

ここで六甲山で三杯目のカレーライスを食する。値段は600円と立地条件の割には高からず安からずだが、味の方も美味しからず不味からずの、レトルトカレー風の味だ。

一軒茶屋のカレーライス
カツカレー    800円
カレーライス    600円
カツ丼    800円
玉子丼    600円
月見うどん    480円
きつねうどん    480円
ホットコーヒー    400円
アイスコーヒー    450円
ホットミルク    400円
アイスミルク    380円
あまざけ    400円
ビール(中)    500円
清酒    400円
ウーロン茶    200円
オレンジジュース    200円
サイダー    200円

無料休憩はお断りします。
ビール酒ジュース等飲物類、インスタント食品等の持込お断りします。



最高峰から西お多福山

11:46
もう少しゆっくりすればいいのに一軒茶屋入店20分後には店を出て、舗装道路を5分ほど登り六甲最高峰に着いた。一軒茶屋のうら寂しさ(店を出るときは10人近くの客がいたが)とは反対に、天気が芳しくないのに、大団体もいないのになぜか大勢のハイカーで大賑わい。最高峰標柱での記念撮影をする人が引きもきらず、私の番がなかなか回ってこないが隙を見つけシェーを執り行う。

六甲山最高峰でシェー

最高峰での写真撮影を済ませ、車道まで下りそのまま「ベルビューアリマロード」を歩いていくことにした。全山縦走路は車道を右から左へ、左から右へと横切りながら緩いアップダウン繰り返しながら続いているようだが、絶対に車道を歩くほうが楽なのは間違いない。歩道はないが、ドライバーもハイカーが歩いていることは承知のことで取り立てて問題はない。

車道を行く

12:16
「西おたふくやま・住吉駅 8.5km」の標柱が立つ、狭い舗装道路の分岐に着いた。入口にはゲートが立ち塞がり車両は入れないが、人はゲートを乗り越えれば、うん普通は脇を通り抜けるのか。

西お多福山へのゲートを越える

12:25
センターラインが引かれてはいるが一車線幅の舗装道路を行くと、建設省近畿地方建設局 六甲目線中継所」のアンテナ鉄塔が見えてきた。アンテナ鉄塔の手前右側に「針葉樹の森へ」という公設道標があり、それには手書きで「西おたふく山←」とも書き込まれている。

「針葉樹の森へ」入ってすぐの「土砂崩壊防止保安林」看板の裏のミヤコザサが茂るあたりが一番高そうだが、麓から見るとは尾根の突端が山頂のように見える西お多福山には、地形上の明確な頂上は存在しないと私は思う。

西お多福山頂上を探してウロウロ

かつてはもっと多くのアンテナ鉄塔が立っていたのか、石垣で囲まれた平地が数箇所にありその一つでは10人ほどのグループが食事中だ。舗装道路の終わった先からはまずまずの展望が得られそうだが、今日は霞んでいる。

西お多福山からの展望??


五助堰堤から住吉台くるくるバス

12:47
舗装道路終点手前に「←五助 住吉駅」なる標柱があり、そこが住吉道へと続く下山道の始まりだ。

ミヤコザサと葉を落とした雑木林の中を緩やかに下っていく道は、雰囲気は抜群なのだが風景も緩やかな下りかたも変化に乏しく、30分ほど下っても同じ風景の中だ。その間何枚も写真を撮ったがどれを見ても同じようにしか見えない。

ミヤコザサと雑木林

上の写真から25分経過
相変わらずのミヤコザサと雑木林

下山途中の分岐点には「←針葉樹の森 ブナの森→」や「←ブナの森 峠の小経→」という、現地に精通してないとさっぱり分からない道標があるが、親切な人が手書きで書き加えたものの方が役に立つのが可笑しい。

下るに従って巨木が現われたりして眺めに変化は出てくるが、相変わらずの緩やかな下りが続く。

大木が現われ雰囲気が少し変わってきた

13:36
本庄橋跡からの森林管理道と合流。「←西お多福山 ↑本庄橋・最高峰 住吉駅→」の標柱と「←学習の森から西おたふく山」の道標が立っている。西お多福山から「学習の森」を通ってきたはずだがどの辺だったのかは分からない。

本庄橋跡からの道と合流

住吉川に下るまで、あまり嬉しくない変化だが、六甲には珍しいスギの植林地の中を下りていく。あまり人に追い越されなかったが、このあたりからボツボツと追い越していく人が現われ始めた。

スギの植林地が少し

13:48
住吉川上流の住吉道と合流する河原に出た。ここまで登ってきた住吉道は、対岸に渡り住吉谷・本庄橋跡・七曲を経て六甲最高峰へと続いている。それから対岸にも川下へと下る道が見えるが、住吉川左岸道の始まりなのだろうか。よく分からないので、渡渉はせず標柱の示す右岸を下ることにする。

住吉道はここまで登ってきて
対岸へ渡る

ここまでのミヤコザサと雑木林の道と打って変わって、渓流沿いを行く夏なら涼しげなルートだ。

住吉川上流沿いを下る

14:00
それなりに歩きやすかった道に、いきなり川幅の半分ほどを塞ぐ平たい大岩が現われ、その下流域の道は明確でなくなる。対岸の一段高いところを道が通っているようで、一人のハイカーは流を渡りそちらに向かうようだ。

しかしこの右岸側にも「←国鉄住吉駅 住吉道」という古い案内板が残っているので、このまま右岸を続けて下ることにする。

ここからも渡渉すれば左岸道へ行ける

14:05
西側からの支流が合流する付近は、狭い岩の間を行ったり渡渉したり水が浮いた湿地を行ったりで面白いが、水量が多いときはこの右岸道は通れないかもしれない。

右岸道を下り支流を渡る

14:08
「←五助ダム・住吉・御影 →本庄橋跡・一軒茶屋・有馬 (住吉川右岸道) !右への道は熟練者向きコースです。迷いやすく危険です。」なる標柱が立っている。この熟練者向きコースは、五助山を経て凌雲台すぐ東の全縦路へ突き上げる道で、変なほうへ分け入ったりしないかぎり快適に歩ける道だ。

14:13
住吉川を渡渉する。写真の位置で道と川が交差しているが、渡れるような飛石はなく10mほど上流側の一部水面下の飛石伝いに慎重に渡渉した。今日の水量はおそらく少ない方だと思うので、雨の後はジャブジャブと渡らざるをえない。

住吉川を渡渉し左岸へ

14:16
左岸道と合流。写真のように幅広の真っ直ぐ行く左岸道に比べたら、右岸道の幅は半分以下だ。これではほとんどのハイカーは真っ直ぐ左岸道を行くだろうが、水量が少なかったら右岸道のほうが面白いだろう。

住吉川左岸道と合流

住吉道の一部は石畳の道になっている。昔々はこんな道が延々と本庄橋まで続き、魚屋道と合流し有馬まで行っていたのだろうか。

石畳の住吉道

14:25
丸太のベンチがある休憩所を過ぎると、透き通った水を湛えた小さな池がある。溜池にしては小さすぎるが人工のようにも思えるし、自然のもののようにようにも見えるしどちらなのだろうか。この池では手ぶらの散策風の人もいる。

五助ダム上流の小池

住吉道は最終的には右岸を行くので、川幅も幾分広がってきているしどうやって渡渉するのだろうかと、思い悩みながら下ってきたが木橋が架けられていて一安心。この下流も湿地状のところは同じような木橋がかかっていた。

木橋で右岸へ渡る

14:34
昭和32年完成の「五助堰堤(長さ78m、高さ30m)」の横を下りダムの下に出た。五助ダムがなぜ造られて、今までにどのような功績があったのかを説明する解説板と、住吉道の由来が書かれた表示板が立っている。

五助砂防堰堤(ダム)

六甲山系は、武庫川右岸の山麓から六甲山、摩耶山、再度山などの山並みを連ねて、東西に約30km南北に10kmの地域で、大部分は花崗岩で形成されているが、風化が進んで崩壊しやすい状況となっている。
昭和13年7月5日に発生した阪神大水害は、下流の神戸市、芦屋市。西宮市の市街地一帯を泥海に変え土石流で埋めた。
当時の惨状は、谷崎潤一郎の名作「細雪」にも描写され、また、住吉川の川沿いには、流失した巨大な転石で建立された、水害記念碑によって語り継がれている。
六甲山系の直轄砂防事業は、この阪神大水害を契機に始まり、現在までに住吉川流域では45基の砂防ダムが建設されている。
なかでも、この五助ダムは、六甲山(標高931.3m)を源とする住吉川と、支流五助谷とが合流する位置に、8年7ケ月の長年月をかけて昭和32年3月に完成した、高さ30m、計画貯砂量374千立方mの、六甲山系では最大級の重力式砂防ダムである。
昭和42年7月に発生した豪雨に際して、上流からの流出土砂12万立方mを、一挙に貯留してくい止め砂防ダムの効果を遺憾なく発揮して、下流沿川の災害を未然に防いだのである。
花崗岩の割石を美しく積み上げて、水通しからきれいな水が流おちるようすは、周囲の風景によく溶け込み、四季を通じてハイカーの憩いの場として親しまれている。

建設省六甲砂防工事々務所

住吉道

表六甲と有馬を結ぶ道としては、魚屋道が一般に利用されていたが、明治7年、東京−神戸間に鉄道が開通し、住吉駅が出来てから有馬への道として、この住吉道が脚光を浴びた。しかし、明治40年に阪鶴鉄道(今の国鉄福知山線)が開通してからは三田駅が有馬の表玄関となり、住吉道は衰徴そ、そのうえ昭和13年の大水害でひどく損壊したが、その後、自然歩道として復活し、今日では数多くのハイカーに親しまれている。

昭和60年8月 神戸市

五助砂防堰堤(ダム)

石切道と打越山への道との十字路を過ぎ、住吉道はどんどんよい道になっていくが、今日の楽しかった山行はもうすぐ終わりだ。

もうすぐ住吉道が終わる

14:49
住吉台に出る200m手前で本来の住吉道が左へ分岐しているが、今日は真っ直ぐに進み「住吉台くるくるバス」に乗ることに決めている。

14:54
住吉台の住宅地の中へと、道はそのまま続いていた。標高はまだ250mほどもあり、かつては公共交通機関がなく陸の孤島的なところで、高齢者にとっては外出もままならない不便なところだった。

標高250m以上もある住吉台に出た

平成16年2月21日から3月31日まで実証実験を行い、わずか10ヵ月後の平成17年1月23日に本運行を開始した住吉台くるくるバスは、よくある行政主導のコミュニティバスなどではなく、NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸(CS神戸)が公共交通機関のない住吉台の住民(特に交通弱者の高齢者)のために路線を開設したものだ。

住吉台くるくるバス

このくるくるバスの驚くべきことは、運行ヘッドが曜日にかかわらず朝7時から夜の21時過ぎまで常に15分間隔(12・13時は運転手のお昼休憩のため30分間隔)なところだ。高台にある住吉台の住民は言うに及ばず、住吉道を歩きたいハイカーにとっても至極便利なバス路線だ。(座席定員は15人ほどで、後部には車椅子用リフトがあり、料金は前払いで200円)

JR住吉駅南の国道2号線東行き、神戸市営バス停留場のすぐ後にくるくるバスのバス停があり、終点のエクセル東から住吉道はほんの少しだ。



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