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東六甲縦走路
いくらなんでも6時間はかかりすぎ



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平成19年4月8日(日)  メンバー 私だけ

宝殿橋〜東六甲縦走路〜宝塚

2万5千分の1地形図「宝塚」を参照すること。


今日は下山だけ

六甲全山縦走のフィナーレを飾る東六甲縦走路とはいかなるものかと、歩いてきた。楽しかった、そして面白かった。これで分割ではあるが全山縦走路の全てを歩くことができ、更なる飛躍へと準備が整った。

8:31
芦有バスの宝殿橋バス停で下車。JR芦屋駅からの料金は520円。

東六甲縦走路を一番楽に歩くにはどうしたらよいかと、徹夜で熟睡しながら研究したところ、「芦有バスで宝殿橋バス停まで登ってしまえ」とのありがたいお告げを聞くことができた。標高はすでに700mほどもあり、東六甲縦走路入口までは舗装路で150mほど高度を稼ぐだけで、あとは下る一方という極楽コースだ。

宝殿橋バス停は料金所の内側にあり、私を降ろしたバスはUターンし有馬温泉を目指し本線へと戻っていく。料金所の前で平然とUターンするとは、普通の有料道路では見ることのできない光景だ。

本線へと引き返す芦有バス

六甲最高峰方向へは料金所の一番左隅のゲートを抜けて、東六甲ドライブウェイを西へと登る。間違って東に進んでも今日の目的地である宝塚に行けるが、それでは東六甲縦走路を歩いたことにはならないので注意が必要だ。

芦有バスの宝殿橋バス停は
料金所の中にある

天気のよい日はなぜか車道歩きも楽しい。雑木林の中を行く東六甲ドライブウェイは展望はないが、まだ時間が早いせいか交通量は極少なく、緩い登り坂を歩くのは全く苦にならない。

東六甲ドライブウェイを行く


船坂峠はどこだったんだ

8:59
西宮市から芦屋市、そしてまた西宮市になり、石宝殿で有名な白山神社へ登る赤鳥居前を過ぎて3分も歩くと進行方向右手に「明石・神戸・宝塚線 カーブ113 兵庫県西宮土木事務所」の青色の表示板があり、そこが東六甲縦走路の始まりだ。土木事務所のカーブuW識以外にも

という、道標・案内板もあり、ここが東六甲縦走路の始まる東六甲分岐点なのは明確だ。

9:09
山歩きの準備を整え、下山を開始する。WEBで調べると宝塚まで3時間ほどもあれば行けるようで、お昼御飯は蕎麦屋さんで鴨南でも食べながら六甲全山分割縦走の達成を祝い祝杯を上げよう。

東六甲縦走路へ第一歩を踏み出す

東六甲縦走路の歩き始めは私の大好きな、ミヤコザサの茂る雑木林の中を行く道だ。私の本拠地(最近は全く歩いてないな)の播州では鹿がササも含めて下草を食べつくした山が多いが、ここ六甲山には鹿は生息していないのだろうか。これだけ自然が豊富な六甲山に鹿がいないのは不思議だが、鹿がいるところに付き物の「ヒル」がいないのは実にありがたい。

ミヤコザサと雑木林の中を行く

まだ落葉樹は葉をつけていないがもう少しで新緑の季節を迎え、さらに美しい風景となるだろう。

水平道は問題ないのだが、急な道はもちろん、緩やかな斜面を下る道でも驚くほどえぐれている。オーバーユースと元々流失しやすい土壌の相互作用なのだろうか、このまま荒廃が進めばどうなるのか心配だ。現状のえぐれ道部分を閉鎖し、迂回路として徹底的に整備した階段道を造らなければ崩壊を防ぐことはできないだろう。さもなくば東六甲縦走路自体を10年間ぐらい閉鎖するのもよいかもしれない。

えぐれた緩やかに下る道

9:39
このルートには珍しく巨岩が岩塔をなしていて、黒スプレーで「カエル岩」と直書きされている。ゴツゴツした岩で、どこから見たらカエルに見えるのか不思議だが、突端まで登ることができるので私がカエルのポーズをとってみる。「ゲロゲロ」。

カエル岩

緩やかな、こんな調子ではいつになったら宝塚まで下れるのか心配になるような水平道は下草にミヤコザサが茂り、スキップをしそうなほどの気持ちのよい道が続く。六甲全山縦走大会のランナー達はこのようなところは疾風のごとく走り抜けてしまうのが常識なのだろうが、私には理解できない。

気分が高揚するよい道だ

緩やかな道はいきなりの急下りになり、その変化を面白く感じる。一カ所だけ、あまりにもえぐれがひどい下りには迂回路が設けられているが、その迂回路もただ切り開かれただけで同じようにえぐれ道にならないかと心配だ。

えぐれた下り道は滑りやすく、条件が悪いときでも全山縦走者を安全に通すために鎖やトラロープが張られている。1日に数千人のハイカー・ランナーが宝塚を目指し歩き走り抜ける六甲全山縦走大会の日は、この東六甲縦走路は悲鳴をあげているに違いない。

鎖の張られたえぐれ道

10:13
「←六甲最高峰 ↑船坂 大平山・宝塚→」と読むことができるが、半分ほど崩れた標柱が立っている。船坂への道はほとんど歩かれはいないようで明確な道ではなく、ここも峠らしい峠には見えず本当に船坂峠かと確信がもてなかったが、帰宅後調べてみると船坂峠だった。

ここが船坂峠だ、と思う


大平山まで

船坂峠を過ぎても(私的にはまだ通り過ぎてなく、いつになったら着くのかと思っていたが)私が思う六甲山のあるべき姿、ミヤコザサと雑木林の道が続く。

後姿もよいが、前からの方がさらに凛々しかな

歩いていも目にとまらないほどの小さなそして地味な、けれども、よく見ると春の息吹を感させる木々の花々を写すため15分ほど費やしている内に、本日の第一ハイカーに出合い、そして第二・第三ハイカーに追い越されてしまった。三脚を立ててまで撮る価値のあるものがあるようには思えないところで、何を撮っているのかと皆不思議に思ったことだろう。

10:50
東六甲縦走路にもセンスのない植林家がいたのか、商品価値の全くないヒョロヒョロの針葉樹の中に道が通っている。手入れも何もなされていない下草がまったく存在しない林は、森の墓場のように思えてならない。

針葉樹林帯に突入

10:56
北側に踏み跡はないが明確な道跡があり、立木に「→八二−…」と鉈目が入れられている。この辺で船坂峠を通り過ぎているのに薄々感じていた。

すぐに終わるかと思ったが、しつこく続く

11:02
今度は南へと明確な踏み跡があり「小坂峠→」の案内板が下がっている。すでに船坂峠を通り過ぎてしまったのは厳然たる事実として認めなければならないが、はたしてどこが峠だったのかは自覚していない。

ようやく針葉樹植林帯を抜けて雑木林に戻ったが、私の愛してやまないミヤコザサの姿は消えうせてしまった。わずかの標高差が植生の変化をもたらしているのだろうが、いわゆる地球温暖化が進むと六甲山域の植生も劇的に変化してしまうのだろうか。

自分の趣味の山歩きのために、地球温暖化の原因になるとされている炭酸ガスを出したくないため、私は公共交通機関の利用を心がけている。が、ほとんどの中高年ハイカーにとっては、地球温暖化など自分が生きているうちは何も起きないだろうし、自分には全く関係がないと楽観視しているか、さもなくば思考停止というか何も考えていないかのどちらかだろう。

針葉樹植林帯を抜けた

11:14
マイクロウェーブ中継鉄塔が見えてきて、いきなり舗装道路に出た。この舗装道路は無線中継施設の点検道路で、標柱は六甲全山縦走路はこの道を右に下るよう指示している。

大平山の中継鉄塔だ

初めてここまで来たので大平山頂上に寄り道をしていくことにする。別に私はピークハンターとは自覚していないが、客観的にみるとそう見えるかもしれない。

大平山頂上へは点検道路を横切り、モルタルが吹き付けられた低い擁壁の上に続く踏み跡を辿ればよさそうだ。

大平山への登り口

過去の東六甲縦走路はこのようなものだったのかと思わせる、幅は幾分狭いが明確な道が点検道路に沿って延びている。そして案内はないが途中から頂上へと続く分岐がある。

かつての東六甲縦走路はこんな感じだったのか

11:21
681.2m三等三角点標石(点名:西山)がある大平山頂上は木立に囲まれ展望は皆無で、中継鉄塔が間近に見えるだけで登る価値のない頂上だ。こんなところにも登る人がいるようで、5枚の登頂記念プレートが下がっている。いづれ劣らぬ自己顕示欲の権化が残したものだろうが、私から見たら山中に残すことが許されない不愉快なゴミにしか見えない。

  1. JS3UUU 大平山 681
  2. 大平山 681.8m JH3JFF
  3. 大平山 H18.6.17(土) 長谷川博
  4. 大平山681.2m 六甲全山縦走記念
    大阪労山中高年ハイキングクラブ 2005年3月13日
  5. ヤッホー まったけ 2006年10月8日 大平山登頂記念 ひぐらしの会一同
大平山頂上
中継鉄塔が間近に見えるのみ


次の目標は大谷乗越

11:29
大平山頂上から分岐点まで戻り東へ進むと、また中継鉄塔が立っている。中継鉄塔マニアではないが、フェンスに見覚えのある侵入警戒装置が取り付けられていることや、局舎の色で一目で自衛隊関係のものと分かってしまった。このフェンスに突き当ったら左へと進むのが正式なルートだったのだが、右下には点検道路が通っているのが見え下りてしまった。

大平山に立つ自衛隊の中継鉄塔

11:44
すぐ下に見えていた点検道路まで下りるのに15分もかかっているが、別に物の怪に取り付かれた訳ではなく、ただ単に花の写真を撮っていただけだ。

点検道路に下りる

点検道路を下っていくと、眺めの良いところで単独女性ハイカーがお昼ご飯を食べている。いつの間にか東六甲縦走路に入り3時間近くになり、本当なら宝塚で完走の祝杯を上げているはずの時間だが一体どうしたことなのだろう。もう少し進んで、どこかでお昼ご飯にしようと歩みを進める。

11:56
点検道路から地道に下りる短いコンクリ階段があり、「→宝塚 ↓六甲最高峰 六甲全山縦走路」の標柱が立っている。左側ばかり見ていたら間違いなく通り過ぎてしまいそうなところだ。

点検道路から地道に下りる

ミヤコザサは茂っていないが、それでも針葉樹の植林地を行くよりは千倍は楽しい雑木林の中を、ほんとに緩やかな道が伸びている。地形図の破線道は逆「く」の字を描き南へと下っていくが、実際は近畿自然歩道と車道が出会うところへと向かっている。地形図の南へ下る分岐がないかと探しながら歩いたが気が付かなかった。

大谷乗越へと進む道

大谷乗越と呼ぶのだから登って下るものだと思い込んでいたが、それは車道側から見たもので、緩やかでも稜線を行く東六甲縦走路から見たら鞍部になる。で、大谷乗越への最後の下りは恐ろしく急な階段道が待ち受けていた。それも一度整備されてからほったらかしのようで、荒れた急な階段道となっている。一度つまずいたら、踏み外したら車道まで転げ落ちそうで怖い。

大谷乗越への急下り階段道

12:18
大谷乗越の車道を渡り、塩尾寺を目指す。なぜか10人ほどのヘルメットを被る若者を交えた年齢層が広い男女のグループが車道を北側からやってきて、縦走路を塩尾寺へと向かうようだ。一体どこから来たのだろうか。

大谷乗越の車道を渡る


岩原山、譲葉山、岩倉山そして塩尾寺へ

12:24
大谷乗越から一登りし548m標高点か、小広い平地になっている。霞んではいるが木々の間からわずかな眺望を得られ、そこで昼食にする。宝塚で昼食の予定だったが、念のために買っておいたコンビニのおにぎりセットを食する。

わずかな眺望が得られ
ここで昼食をとる

12:46
昼食を終え、山行再開。ここから譲葉山までは、標高500mの等高線に沿うように道が付けられている。従って緩やかどころではなく完全な水平道が延々と続き、六甲全山縦走大会のときに普通に歩いていると、突っ走って行く人から白い目で見られることだろう。

樹木の種類が変わっていくが、同じような感じの道が続く。稜線に道を通していたら適度なアップダウンがあり俄然面白い道になるだろうが、なぜこんな水平な道になったのだろうか。

水平道が続く

木の種類が変わっても
水平道はさらに続く

13:07
「岩原山山頂まで300m 宝塚の最高峰 岩原山分岐」の標柱が立ち、左に鋭角に引き返すような感じで始まる狭い道が、573m標高点へと登っている。当然寄り道する。

普通の登りの先は、極緩やかなアカマツが混じる雑木林の中の踏み後を辿る。マーキングテープは付けられているが、踏み跡は薄く分かれ道もあり平坦なピークでもあり注意が必要だ。地形図を見ると近くに「岩がけ」印があり、迷うと誰も体験したことのない面白い世界に行けるかもしれない。

13:13
石が積まれた中に「岩原山山頂 573m 宝塚の最高峰」の標柱が立っている雑木林に着いた。木々に取り囲まれていて眺望は全くないが、宝塚市民なら一回は登っても損はしないだろう。でも姫路市民の私は丸損した気分だ。

宝塚市の最高峰
岩原山頂上
  1. JS3UUU 573 岩原山
  2. 岩原山 573m H.18.6.17(土)晴 長谷川博 (文太郎を偲ぶ会)
  3. 40周年記念登山 岩原山(標高573m) 西宮勤労者山岳会
  4. 岩原山 358th 154 573m 2006.05.25 akus

いづれもよくお目にかかる個人か山岳会のもので、ハイカー全体から見れば極一部の彼らが登頂記念プレートを残すという悪癖をやめたら、山がきれいになるのだが。いずれの方も自己顕示欲の権化で、人の言うことなど聞く耳を持っていない人ばかりなのだろう。

4番目の登頂記念プレートはCDを再利用したもので、意味の分からない数字が書き込まれていて、名前も暗号じみているがWEBを調べると、すぐに当の本人のHPに行きあたった。わざわざ自宅から持ってきたゴミを山に残すのはやめて欲しいと切実に思う。

岩原山から縦走路に戻り、さらに水平道を行く。北側斜面に変わり少し薄暗い雑木林になるが、歩きやすい、いや走りやすい道が続く。

北側斜面は少し暗い雑木林

南側斜面が急な谷間へ続く道に変わると譲葉山頂上はもうすぐだ。

地形図に記載されている514m標高点の譲葉山頂上以外に、もう一つの526mの頂上が西側に存在するようだ。一つの山に頂上が何個あっても私は不思議に思わないが、世の中には「一つの山には一つの頂上」に固守する唯一頂上教の信者や、「最高標高地点=頂上」という頂上主義に陥っている人も見受けられる。

南向き斜面に変わり、譲葉山頂上が近い

稜線を横切り下り坂に変わる地点の右側の林に、白テープが二巻きされた木があり明確な踏み跡(人によってはただの笹藪にしか見えないだろうが)が付いている。踏み跡を辿ると、マーキングが過剰なぐらいに随所に付けられている。

13:39
1分もかからずに譲葉山の頂上で、ここも展望皆無な登るだけ損なピークだ。

譲葉山の頂上
  1. JS3UUU 514 譲葉山
  2. 514m 譲葉山 JL3VOG
  3. 譲葉山 358th 671 514m 2006.05.25 akus

二番目の登頂記念プレートも方々の山で見かけるもので、平然とこのようなゴミを残していく人たちの精神構造はどのようなものだか覗いてみたい。

13:46
縦走路に戻り少し進むと、道標が賑やかに立っている。こんなに沢山の道標があったら余計紛らわしく、思わず地形図を出してしまった。どうやらここから南へ下ると、行者山との間を抜けて人の住む「ゆずり葉台」へと下れるが、塩尾寺までとは距離は同じくらいでエスケープルートとはなり得ない。

  1. ←塩尾寺・宝塚
  2. 山陽自然歩道 大平山をへて六甲山最高峰へ→
  3. ←山陽自然歩道 塩尾寺をへて宝塚へ
  4. 火の用心 ↑26 ↓25
  5. ←六甲全山縦走路
  6. 大平山をへて六甲最高峰に至る→
  7. ←塩尾寺・宝塚 ↓ゆずり葉台 六甲最高峰→
    近畿自然歩道 34 六甲全山縦走路
ゆずり葉台への分岐地点

13:53
頭上を高圧送電線が横切るところでは、南側に大展望が広がっている。今日は霞んでいて遠望は全くで、丸い形をした甲山がようやく見えるぐらいだが、澄んだ日には遥かかなたまで見えるに違いない。

ここまで抜きつ抜かれるの激しいデッドヒートを繰り広げてきたパーティが休憩していて、ようやく追いつくことができた。お父さんと小学校高学年と低学年の女の子の3人パーティなのだが、女の子二人も銀マットを括り付けた30リットルのザックを背負い、おそらく六甲全山縦走路を一晩泊まりで歩いて来たのだろう。

しかし、宝殿橋からのインチキ縦走の私と変わらない速さなのが信じられないが、もしかすると私は小学生よりも歩みが遅いのだろうか。

送電線の下は大展望地
霞んでいるのは甲山

縦走路近くに送電線鉄塔が立っているので寄り道をする。芦屋の風吹岩へと続く「新神戸線 二五」二回線懸垂型鉄塔だ。灰色に塗られた鋼管組の極普通のとりたてて特徴のないものだ。

13:58
「↑岩倉山反射板を経て猪谷、ゆずり葉台 この先展望良 六甲山系部会」の標柱に誘われ、いくら「展望良」でも今日はだめなのは分かっているが寄り道をする。

フェンスで囲まれた阪急電鉄「岩倉山反射板」を回り込むと、狭いながらも平地があり展望は良さそうだ。そこからゆずり葉台へ下る道も確認できた。

山中ではフェンスに囲まれた送電線鉄塔は稀だが、なぜか反射板にはフェンスが付き物だ。登っても墜落以外の危険性はなく高さも手頃な反射板を、展望台として活用しようとする不届きな者達がいるのを予想しているのだろうか。

岩倉山反射板

縦走路に戻り進みかけたが、岩倉山に登っていないことに気が付いた。地形図によると縦走路のすぐ脇に三角点があるのだが、それらしき案内も踏み跡もない。岩倉山反射板の分岐まで戻り、北側を見ると明確な踏み跡があるではないか。

14:09
登ること30秒、石仏を祀る屋根をかけられた祭壇があり、その前に祭壇の石積みに同化するように488.4m三等三角点標石(点名:小林)が埋められている。

ここまでの東六甲縦走路には抹香臭さは全く感じられなかったが、いきなり山岳宗教地帯に突入してしまった。祀られている石仏は不動明王で、こんな頂上だが登頂記念プレートが三枚下がっている。

  1. 岩倉山 488.9m 宝塚まで4k 伊藤研
  2. YSK 岩倉山 七十七 2004.12.12
  3. 岩倉山 ………(読みとれず)
岩倉山頂上

14:14
縦走路へ復帰する。北側の雑木林の中へ、落葉が積もり踏み跡はないが明確な道が下っていて、標柱によると生瀬への道だ。遊歩道と変わらない東六甲縦走路を5時間も歩き、いい加減飽きていたので危うく引き込まれそうになった。

生瀬への道を行きたかったが
東六甲縦走路という名の遊歩道を行く

14:21
縦走路からわずかにそれて「砂山権現」へ寄り道をする。ここまでの数々の寄り道と、百回近くのセルフポートレート撮りと、合計1時間は費やした花々の撮影をしなければ半分以下の時間で、おそらく標準タイムを上回るペースで歩くことができると自分では思っている。

砂山権現の祠の中には何が祀られているのかと、鍵が外れている石の扉を開けようとしたが、扉はモルタルで固定されていて開けることができなかった。

砂山権現の祠

砂山権現を過ぎると、ようやく本格的な下りになり「段差注意!!」の表示がある。段差といっても道の崩壊を防ぐための土留めで普通に歩く分には何も問題がない。ただし全山縦走大会では真暗闇の中をヘッドランプに頼って歩かねばならず、曲がり角の先に大きな段差があるので気づかずに落ちた人が大勢いることだろう。

砂山権現の名前の通り、花崗岩が風化した崩れやすい斜面で、ここまでにあまりなかった階段というか土留めが連続する、暗闇の中では歩きたくない荒れた道が続く。

塩尾寺へ下る荒れた階段道

六甲山は東へ行くほど崩壊しやすい土壌のようで、下の写真のように背丈よりも深くえぐれている部分もある。道にとって過酷な六甲山縦走大会がなければ、こうまではえぐれなかったと思うが、この写真の部分を修復するだけでもダンプカー数十台分の土砂を投入しなければならないだろう。でもなぜ宝塚市は、こうなるまでにもっと徹底的な整備をしなかったのだろうか。

恐ろしいほどにえぐれた道

14:34
えぐれ道を下り、ようやく塩尾寺に到着。ここからは舗装道路になるが、ゴールの宝塚駅はまだまだ遠い。

塩尾寺に着いた


栄光のゴールへ

道路としてはいささか急な宝塚市内へと下る簡易舗装道路は、谷沿いを下るため展望もなく詰まらない。でもここまでの長かった辛かった六甲全山縦走路歩きから比べたら、天国の雲の上を歩くような気分になるかもしれない。

塩尾寺からは舗装道路下りだ

15:08
塩尾寺からの舗装道路歩きは全て省略し、全山縦走大会の栄光のゴール「湯本台広場公園」に到着。数千人が参加する縦走大会のゴールにしては狭いなと思ったが、いっぺんに全員がゴールするわけはないし、十分な広さなのだろう。

なお舗装道路歩きの途中で、例の親子三人パーティを追い越しことが出来たこと付け加えておく。あちらさんは何も感じなかっただろうが、私は追い越すとき思わず笑みが浮かんでしまった。

栄光のゴールに到着

ここからすぐの宝来橋を渡ると宝塚の駅は近い。


多大な時間を費やして撮った、名前も知らない地味な花々







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