大阪市、バスと地下鉄で五つの山を巡る
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平成19年9月22日(土) メンバー 私だけ
新夕陽ケ丘25m〜天保山4.5m〜昭和山33m〜茶臼山26m〜鶴見新山39m
2万5千分の1地形図「大阪西南部」、「大阪南東部」、「大阪東北部」よりは道路地図の方が役にたつかもしれない。
上町断層により形成された上町台地(大阪城付近から南の天王寺へ抜け、一番高いところは大阪城天守閣跡で標高38m)、そして淀川や大和川から流れ込んだ大量の土砂の堆積と人手による干拓で出来上がった大阪平野。
その上町台地には、大阪城が築かれた「石山」、玉造口の「杉山」、四天王寺西の「天神山」などなどの自然?の山はあるにはあるが、大阪市内の低山巡りの真髄は楽しく登れて、眺望もそれなりに期待できる人工の山を巡ることにあると私は思う。
その1 新夕陽ケ丘
本来なら大阪市内低山巡りをここで終えて大阪湾に沈む夕陽を眺めるのがベストなのだろうが、行程作成の都合でここを最初に持ってきてしまった。場所は大阪湾の埋立地「舞洲(まいしま)」の西側の公園の中にあり標高は25mほど。しだいに暗くなる中お互いに顔を見つめあい………、ロマンチックなデートを楽しみたいカップルには最適なところだ。
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JR野田駅南側の市バスの停留所の名前は、なぜか「地下鉄玉川」となっている。地下鉄千日前線の始発駅名は「野田阪神駅」でバス停名は「野田阪神前」なのだから、ここの地下鉄の駅名は「野田西日本旅客鉄道駅」とし、バス停の名前は「野田西日本旅客鉄道前」とするのが分かりやすいと思うのだが。私はJR野田駅の最寄バス停が「地下鉄玉川」と気づくまでに一日かかってしまった。
「新夕陽ケ丘」がある舞洲への公共交通機関は大阪市営バスしかなく、そして次の山に行くのもバスが最も便利で、路線図や時刻表などは大阪市交通局を見ればよい。山行計画立案のため、縦横無尽に複雑に張り巡らされた蜘蛛の巣のようなバス路線図を最初に見たときはどうなるかと思ったが、一日二日と見ているうちに山々をつなぐバス路線が浮かび上がってきて何とか実行前日までに計画は固まった。
8:05
81系統舞洲スポーツアイランド行きのバスは定刻より2分遅れでやってきて、座席はほぼ埋まっていたが幸いにも座ることができた。大阪市バスは一般的な後乗り前降りだが、全路線200円均一料金のため整理券発行機や乗車時のカード読取器はないので、まごつかないようにしなければならない。
下車時には、つり銭式料金箱(両替のみはできない)に硬貨を入れるか千円札を入れてお釣を受け取る。現金以外に回数券やカードやそしてICカードも利用できるが、今回の山行では地下鉄・ニュートラム・バス全線が利用できる「共通一日乗車券」850円を利用した。バス車内でも買えるが、売り切れの可能性もあるので、事前に地下鉄の駅で購入しておいた方が安心だ。
本日の始発便とあって満員の乗客を乗せたバスはユニバーサルスタジオジャパンの北側を抜け、此花大橋を渡り奇抜なデザインの清掃工場が出迎える舞洲へと入る。
8:36
終点二つ手前の「舞洲中央」で私以外は下りてしまい、終点の「舞洲スポーツアイランド」で降りたのは私だけ。「新夕陽ケ丘」の頂上へ至る登山道は3本あり、バス停の北側から始まるのは「冬至の道」と名付けられている。
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1分もかからずに登りきった白い東屋のある頂上では、標高25mとは思えないほどの眺望が待っていた。どんな展望かは詳しくは述べないし写真も掲載しないが、地形図に山名はなく三角点も標高点もなく名前も「丘」となっているがそれはそれは素晴しく登る価値のある山だ。自然の精気を体内に取り込めるというシェーを執り行う。
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次のバスの時間まで間があるので、頂上西側の「夏至の道」を下り、もう一度登り返してみたりしたが、西側から見た方が優美な緩やかなスロープの「新夕日ケ丘」の山容を愛でることができた。ハイカー・登山者には出会わないのは当然として、誰一人いない静かな山頂だった。
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その2 天保山
本日二番目は大阪市内の山では一番有名な天保山で、日本の中で「国土地理院発行の2万5千分の1の地形図にゴシック斜体で山名が記載されている」という条件で一番低い山だ。
9:05
81系統野田阪神行きのバスは「舞洲スポーツアイランド」バス停を、リゾート気分を満喫できるホテルタイプのロッジ「ロッジ舞洲」の宿泊客5人ほどと私を乗せ定刻に発車。次の目的地の天保山まではバスを乗り換え、そして船に乗ったりと今回の行程中では最も変化に富んだ移動区間だ。
9:09
野田阪神行きバスを、まだ舞洲からも出ない「此花大橋西詰」で下車。道路のはす向かいに一目では清掃工場と思えない建物があるが、残念ながら逆光でよい写真は撮れなかった。
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9:14
5分ほどの待ち時間の後、定刻通に着いた56系統ユニバーサルスタジオジャパン行きのバスに乗る。
9:19
此花大橋を渡りユニバーサルスタジオジャパンの西側「桜島三丁目東」バス停で下車し、天保山大橋の下流の天保山渡船場へと歩みを進める。道の角々に分かりやすい案内板があり迷うことなく行けるが、渡船の運行間隔は30分おきで11分後に対岸の天保山側を出航しすぐに折り返すので、自然と急ぎ足になってしまう。
9:25
予想よりも早く天保山渡船場に到着。待合には自転車・歩きそれぞれ5人ほどが待っている。
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9:33
9時30分出航の渡船は3分ほどで、こちら岸に到着。自転車に乗った若い外人たちが次から次へと降りてくる。40人ほどもいたろうか。外人向けの自転車で大阪を巡るツアーがあるのだろうか。乗客が降り、そして乗り終えるとすぐに出航。なおこの大阪市公営渡船は道路と同じ扱いなので乗船は無料。このほかに七つの渡船場があるのでそれを巡るのも面白いかもしれない。
9:37
安治川を斜めに約400mほど、わずか2分で天保山側に到着し忙しい慌しい船旅だった。防波堤を時計回りに天保山公園に入る。
公園内の一番高いところはただの見晴台なので、石造りの尖塔を目指していくと天保山の頂上へと間違えずに辿り着ける。でもその前に西村捨三翁のブロンズ像に寄り道していく。
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西村捨三翁顕彰碑
翁は天保14年7月江州彦根に生る。明治30年10月大阪市民多年の念願たる築港事業を創めるの当り聘せられて初代築港事務所長に就任す。その任にあること5年有余よく創業の困難を克服し今日の大阪港の基を築く。ここに開港90年の佳日を迎え翁由縁の地にこの銅像を再建しその偉業を顕彰す。
昭和32年10月 西村捨三翁顕彰委員会
尖塔を目指し石段を登ると、天保山への登山のはずが下り石段になってしまう。歴史の古い山にありがちだが、最高標高地点と山名が示す地点が一致しないのは珍しくもないが、いくらなんでもこれはあんまりだ。日本一の低山というから少しは盛り上がっているのかと信じてここまで来たが、ただの平場ではないか。
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9:48
天保山の頂上に到着し、標高4.5mの二等三角点標石(点名:天保山)にタッチする。この場所に江戸時代には20m程の高さの天保山と呼ばれた山があった歴史的事実から、ここを天保山とすることには異議は全くないが、なんだかなー。
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二等三角点 天保山(てんぽうざん)
北緯 34度39分29秒
東経 135度25分58秒
標高 4.53m
設置年 明治44年(西暦1911年)ここに設置されている標石は「三角点」です。
「三角点」は、地球上の位置(緯度・経度・標高)が高い精度で求められており、地図作りや地震調査研究をはじめ、いろいろな測量の基準となる重要なものです。
三角点を大切にしましょう。平成14年6月1日
国土交通省国土地理院近畿地方測量部
(社)大阪府測量設計業協会6月3日は「測量の日」
地元の人か、はたまた公園に居ついている人なのか数人の人影が見えるが、これで日本の最高峰と最低峰を制覇したことだし、シェーを執り行う。なんか年をとったせいか恥ずかしさというものを感じることがなくなってきているのが恥ずかしい今日この頃だ。
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その3 昭和山
続いて三番目は大正区の千島公園内に聳える「昭和山」で、地形図にも標高とゴシック斜体で山名が記載されている。地下鉄工事の土砂をダンプカー57万台分も盛り上げて造られた標高33mの人工の山で、天宝山の昭和版ともいえる。
10:18
市営地下鉄大阪港駅北側の「地下鉄大阪港」バス停から94系統「ドーム前千代崎」行きに乗車する。数名の乗客を乗せたバスは埋立地の島々を抜け、なみはや大橋を渡り目的地へと進んでいく。
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10:38
昭和山の東側となる「千島公園前」バス停で下車。公園の正門、すなわち昭和山への正面登山道入口は反対側なので、公園周辺道路ぐるっと回り込む。
10:50
今日の大阪市内の最高気温は35.1度と9月下旬なのに猛暑日になったが、頭が大分沸いてきてようやく正常な判断ができるようになってきた。「いい歳をして、こんな暑い日に大阪市内の低山巡りをするとは、私の頭はおかしいのかな」と、そんなことを思いつつも正面に着く頃にはすっかり忘れてしまった。
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「昭和山」石碑の裏、草木が邪魔をして見難いが、山の由来が刻まれた石版がはめ込まれていた。『石碑は前から見るだけではなく裏も横も見よ』という私の生活信条が生きた瞬間だった。
昭和山の由来
天保2年、安治川の川ざらいの土を盛って天宝山を築き出船入船の目標と市民遊覧の地とした。
139年後の今日都市再開発の一環として地下鉄を掘った土を盛ってここに港の見える丘を築き天保山の故事に因み昭和山と命名した。昭和45年11月30日 大阪市
昭和山頂上への登山道は完全舗装のコンクリ道で、頂上が近づくとコンクリ階段道となる。この暑い中近所の人たちなのか散歩したり、あまつさえジョギングをしている人までいる。
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10:54
登山口から4分足らずで誰もいない昭和山山頂に到着。育ちすぎた木々が視界を塞ぎがちだがベイエリアに架かる長大橋(千歳橋・なみはや大橋・港大橋)を見ることができて、まずまずの眺望を楽しむことができる。
昭和山(しょうわざん)
千島新田は、東成郡千林村(現旭区)の岡島嘉平次により、明和5年(1786年)から順次開発されました。地名は千林村の「千」と、姓の岡島の「島」をつなぎ合わせて「千島新田」と命名されました。
大正時代の千島町一帯は、西区から移転してきた木材業者により、関西随一の木材市場となり、木材の集積のため、木津川と尻無川を結ぶ大正運河(延長1,963m・幅45m)が大正12年に完成しました。住之江区の平林貯木場へ移転するまで、この運河を中心に貯木場として利用されていました。
昭和44年9月に発表された「千島計画」は、区のほぼ中央、もと大正運河や貯木場のあった千島町一帯に「港の見える丘」を造るという大規模な計画ででした。この人工の山は地下鉄工事の残土など、約170万立方メートル(ダンプー57万台分)の土砂で造られ、標高33mで「昭和山」と命名されました。
千島公園(11.2ha)の中心に位置するその頂上からは、六甲や二上、葛城、金剛、和泉の山並みとともに港大橋、なみはや大橋、千歳橋、新木津川大橋、千本松大橋などが眺められ、麓には「せせらぎ」も整備され、その恵まれた自然は区民の憩いの場となっています。大阪市
エネルギーをほとんど使い果したので、禁断の荒業「往復シェー」を行い昭和山の精気を分けてもらうことにする。実はこの時近く人がいたのだが何も気にせずに行えるのも、シェーの成せる技だ。よーし、これで次の茶臼山までは大丈夫だ。
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その4 茶臼山
本日四番目の山は天王寺公園内にある「茶臼山」だ。長らく古墳と思われていたが、延暦7年(788年)に和気清麻呂が川の流れを変えるため上町台地を掘った土砂を積み上げたものとも言われるが、私の生まれる前のことなので真相は知らない。この山も地形図に標高とゴシック斜体で山名が載っている。
大正区役所と大正図書館の間の道にも「大正区役所前」バス停があるが、次の目的地となる天王寺公園へと私をいざなう80系統「あべの橋」行きのバスは、大通りの向こう側から出るので注意が必要だ。
11:28
道が込んでいたのか定刻より2分遅れて「あべの橋」行きのバスがやってきた。それでも大都市を走るバスは交通渋滞のためダイヤ通り走ってないと予想していた私にとっては、驚くべき正確さと言える。
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11:50
満員の乗客で、本日5本目のバスで初めて立ったまま、目的地の天王寺公園のすぐ南側の「あべの橋」バス停に到着。ここまでの下町や埋立地の雰囲気とはがらりと変わり、都会の喧騒の中に放り出されドギマギしてしまう。
お昼になりお腹がすいてきたので、公園入口横にあるレストハウスのメニュー見るが予想外に高く、コンビニで弁当でも買おうかと思えども視界の中には見当たらない。よし、我慢しよう。
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天王寺博覧会を契機に有料化(一般150円、中学生以下無料)された園内に入ると、入園者は驚くほど少なく、大阪の公園の名物となっているホームレスの姿は当然ながら全く見受けられない。大阪なのに大阪らしさを全く感じることのできない不思議な空間だ。
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12:19
案内に従い園内を進むと、河底池の向こうにこんもりとした茶臼山が見えてきた。亀がたくさん泳いでいる河底池に架かる赤い欄干の「和気橋」を渡ると茶臼山だ。
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12:21
木々のせいで高く見える茶臼山だが、その実態は低く10段ほどの石段の先の斜面を登るとそこが標高26mの頂上だった。木々に囲まれ展望はないが、これまでの山々になかったものがそこにはあった。
JS3UUU 26m 茶臼山 山ラン
JS3UUUの大塚さんは登頂記念プレートを付けるのは自由だと思っているようだが、あなたのやっていることは山にゴミを残す以上に無様なことだと理解できないのだろうか。今からでも遅くはないからプレートを残した全ての山をもう一度登り回収されることを望む。
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その5 鶴見新山
本日5番目、そして最後にもなる山は1,990年に「国際花と緑の博覧会」が開催され、今は「花博記念公園鶴見緑地」と呼び名が変わった公園の北東部に位置する標高39mの鶴見新山だ。これまでの四山はいずれも土砂で盛り上げたものだったが、この山は違う。ゴミを積み上げて造られた、大阪市内では最も標高が高い山なのだ。
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13:32
天王寺公園から鶴見緑地までの移動は市バスでも可能だが、地下鉄を利用したほうが時間もかからずに賢そうに思え、谷町線と長堀鶴見緑地線を乗継いで「鶴見緑地駅」に到着。
駅を出て、北へかつての中央ゲートを目指すと車道が横切っている。花博が終わってから出来た道だが、なぜか名前は「花博通り」。
横断歩道を渡るとメタセコイア並木道。17年の歳月が経ち巨木となっていて、その間に大きな噴水池があり、9月の下旬でも猛暑日とあって小さな子供は裸で遊んでいる。こんなところで望遠レンズをつけたカメラを出したら即通報されかねないな。
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並木道を行き大池に出ると「レストハウスつるみ」があり、お腹もぺこぺこなのでビーフカレーと生ビールを注文する。冷房の効いたレストランで生ビールをごくごくと飲み生き返った気分だ。
さて、食事を終えたらいよいよ鶴見新山登山だ。家族連れやカップルが楽しそうにしている中を、風車を目印に緩やかな遊歩道を行く。花博当時の植えられたばかりの木々草花の不自然さはなくなり、周辺の雰囲気は良くなっている。
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14:10
盛りを過ぎたサルビアがちょっと寂しさを醸しだしている「風車の丘」に着いた。高そうなカメラとレンズで風景を撮っている人がいたが、三脚を立てて自分撮りをしている私を不思議そうな目で見ていた。ここを登ればもう少しで鶴見新山だ。
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14:16
標高33mの鶴見新山に登頂。遊歩道が丸く円を描く中に草地の盛り上がりがあり、そこが頂上だ。木々のため見通しは悪く全開の展望は得られず、大阪市内の最高峰としてはちょっとがっかり。木製の展望台でも造ればいいのになとも思う。
ここで本日最後のシェーを行う。写真にはぎりぎりで写っていいないが、実は私のすぐ右に散歩で登ってきたのか男性がいて、鶴見新山の精気と一緒にその人の精気も吸い取ってしまったのではないかと心配だ。
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そんなに何度も私を動かして遊んでいると、あなたの精気も吸い取られてしまいます。ご注意下さい。
その6 本当の目的地
今日は大阪市内の五つの超低山を巡ってきたが、それらは私にとっては前座、前奏曲に過ぎず本当の目的は。この鶴見緑地のある地点を訪れることだ。
17年前、まだ若かりし私は「花と緑の博覧会」の三菱未来館のスタッフをしていたのだ。もちろんコンパニオンとしてではない。
上下球形スクリーンの間のガラス床から、全周を4台の映写機が映し出す不思議な世界を覚えている人がいるかもしれない。収容人員500人を詰め込むと上だけしか見えなくなり、あまり良い評判は聞かなかったが、でも朝一番に行われていた数人しかいない試写の、本当に空中に浮いているような浮遊感を味わえたのが素晴しい思い出となっている。
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奇抜さを競うようにパビリオンが建ち並んでいた街のエリアは今は草原となり、どの辺りに三菱未来館があったのかはさっぱりわからない。ここまでさっぱりと消えてしまうと、寂しさもなにも感じない。
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