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雷声寺から登る学校林道、
たどり着いた掬星台は大賑わい



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平成19年11月17日(土)  メンバー 私だけ

布引バス停〜雷声寺〜学校林道〜天狗道〜摩耶山掬星台〜山寺尾根〜摩耶ケーブル虹の駅

2万5千分の1地形図「神戸首部」を参照すること。


新神戸駅から雷声寺へ

JR新快速で東に向かいながら「今日はどこに登るべ」とザックに突っ込んできた六甲山ガイドブックを取り出して、表紙を眺める。もう内容は全て暗記しているので本を開く必要もなく、それではなぜ持ってきたかと聞かれると返す言葉はない。

「よし、久しぶりの摩耶山にしよう」、「まだ歩いていないのは、うーん、そうだ学校林道だ」。電車に乗ってから登る山を決めるのは初めてだが、昨日は夜遅くまでかかって二週遅れの山行記録を書き上げ、そのまま寝てしまったので仕方がない。

週末の好天続きとパソコンの障害が引き起こした、こまった問題だがもともと薄い記憶が消える前に書き上げなければ。そんなわけで最近の私の山行記録は「あれ、ここおかしいな」と感じるところが多々あることと思う。そんなこんなで山行計画を練り上げる時間もなく、週末の好天を呪うだけだ。

8:50
三ノ宮駅から市バスに乗り、新神戸駅南の「布引」バス停で下車。三ノ宮駅と新神戸駅間は歩くには距離があるし、均一運賃200円ですぐに降りるのはものすごくもったいないが、阪急六甲まで行って仕方がない。今日は仕方がない一日になりそうな予感がして仕方がない。じつは、布引よりもひとつ先の熊内(くもち)6丁目バス停の方が近かったりもするが、新神戸駅から歩き始めないと気がすまない。

9:00
新神戸駅の東で「新砂子橋」を渡り東へ曲がり、「熊内八幡神社」の石鳥居からの石段を登る。この石段を登らなくても車も通れる普通の道はあるが、この辺りから高みへと登れば「旧摩耶道」の取り付きになる「雷声寺」へと自然と導かれる。

熊内八幡神社の石鳥居

9:15
「こんぴら山 雷声寺」の大看板を目印に登っていくと、雷声寺を貫く石段の下に着いた。ハイキング道へは雷声寺境内の中を通らないと行けないが、下山地として使うときもあまり遅くならないようにしたい。

ハイカーの皆様へ
午後5時以降の境内の通行はご遠慮ください
雷声寺・神戸市
雷声寺の石段の始まり


旧摩耶道を学校林道分岐まで

9:23
石段を登り切ったところに不動明王像が祀られていて、その脇が登山口だ。ここから学校林道分岐・行者茶屋跡を経て天上寺跡へと続くのが旧摩耶道で、公設標柱の表示は「旧摩耶道を経て青谷・摩耶山」となっている。

不動明王に見守られ山道に入る

今日もいきなりのギザ登りだ。丸太階段の成れの果てを登り切ると、砂が浮いていて下りに使ったら何回も尻餅を突くこと間違いなしの、おまけに見通しのきかない常緑樹主体の林という私が好まない雰囲気も加算され、楽しかるべきハイキングとしては好ましくない出だしだ。

下りに使うと転びそうだな

9:37
小ピークまで登り切ると、正面にぽっかりと開いた展望窓から苧川谷の崩壊地が見える。地形図によると、これから登る学校林道は苧川谷の東側尾根を回り込み、崩壊地の上辺をかすめて電波反射板の奥で摩耶山へと登る天狗道と合流する。

苧川谷の崩壊地

9:42
展望窓を過ぎて緩やかに下ると、そこは明るい落葉高木の林で、今日も山に登ってよかったなとしみじみと感じるギガント雰囲気のよいところだ。こんな道が天狗道まで続いたら言うことはないが、すぐに期待はマリアナ海峡に沈んだゴムまりのようにぺしゃんこになってしまう。

こういうところを歩きたいのだ

日の差さない北西側斜面には常緑樹が適しているのか、道は昼間なのに薄暗い。カメラの絞り値は上の写真も下のも同じ5.6だが、シャッター速度は上は1/125秒なのに下のは1/4秒で、明るさは30倍以上も違うみたいだ。よしこれからは山行装備に照度計も加えなければと思うが、いつも持ち歩いている温度計も活用できていないのでザックの肥やしになるのは確定的なので、やっぱり止めておこう。

シャッター速度1/4秒でもぶれない歩き方とは?

学校林道分岐までに地形図を見るとギザ登りがあるはずだが、辛かった記憶を消し去って精神の安定をはかる機能が脳にはあるのだろう。どんなに記憶の底をプランクトンをも通さない目の細かい網で掬っても、全部が緩やかなだったような記憶しかない。もしかしたら緩やかな九十九な道だったのかもしれない。

こんな緩やかな道の記憶しか残っていない

10:02
旧摩耶道と学校林道の分岐点に着いた。ここでこのルートで出会った二人のハイカーの内一人目に、写真を撮っているうちに追い越されてしまった。ここには公設標柱が2本と案内地図がある。

↑摩耶山  (これから登る天狗道への道)
→旧摩耶道<もとやまみち>  (今日は行かない行者茶屋跡への道)
↓雷声寺を経て熊内町・布引中学  (ここまで登ってきた道)
↓東山尾根を経て労災病院方面<手書きで悪路荒れています>  (どこに行くのか知らない南へ行く道)
↑学校林道を経て摩耶山上・市ケ原  (天狗道へと登る道)
→旧摩耶道を経て摩耶山上  (行者茶屋跡へ至る道)
↓雷声寺・神仙寺通  (歩いてきた道)

「きゅうまやみち」と思い込んでいたが「もとやまみち」とは知らなかった。3分ほど休憩し、まだ歩いたことのない学校林道へと進む。

分岐を左に学校林道へ入る


学校林道

この林道、いや山道を登ると学校がどこぞにあり、女子高生に出会えるものとばかり信じていたが、間違いだった。学校はどこにもなくチェーンソーを担いだ女子高生も歩いていなかった。

道は良からず悪からずの遊歩道と山道の間の中途半端な感じで、ハイカーの姿も見えずさびしい。六甲山を歩くハイカーは多いが、その99%までは全山縦走路や魚屋道などのメインルートしか通らないのではないかと最近になって感じてきた。私のように手当たり次第に(危険そうなルートには絶対入らないが)歩き回るのは六甲山では異端者扱いされるのかと心配になる。

学校林道を歩く人は少ない

10:12
道脇に送電線鉄塔が立っている。「神戸港線 十九」アングル製2回線耐張型鉄塔だ。

鉄塔を過ぎると両脇の下草が最近刈られてたようで、道は格段に良くなる。この送電線鉄塔から上が送電線の構成要素となる送電線巡視路を兼ねているためで、関西電力の財力に物を言わせての整備が行われている。

送電線巡視路となり
別の道のように見える学校林道

手を伸ばせば届きそうなところを送電線が通り過ぎ、間隔を保つためか樹木の高さが低くなっている。伐採するのではなく定期的に剪定しているのだろうが、大変な作業だ。

10:20
本日2本目の送電線鉄塔「上筒井線 八」鋼管製6回線耐張型鉄塔で、鉄塔に少し登ると展望が得られた。でも、霞んでいて遠望は利かなかった。

送電線鉄塔を少しだけ登っているつもり

「上筒井線 八」送電線鉄塔のすぐ北側が凄いことになっている。3本の鉄塔が寄り添うように立ち、その間を送電線が迷路のように複雑に接続されて、送電線鉄塔マニアにとっては聖地のようなところだ。ただ、こんな山奥なのに3本ともフェンスに取り囲まれていて全てをぶち壊しているのが残念だ。これでは4本の足がつくる結界に入れないではないか。

3本の鉄塔は下の写真の左から「神戸港線 一八」鋼管製4回線線耐張型鉄塔、「上筒井線 七」鋼管製4回線線耐張型鉄塔、「神戸港線 一七」鋼管製6回線線耐張型鉄塔で、通勤電車からも尾根の上で異常に接近した送電線鉄塔群として認識できる。

寄り添うように立つ鉄塔たち

451mピークの送電線鉄塔群から緩坂を下り、緩坂を登り返す。

10:38
苧川谷中腹に立つ鉄塔を目指し送電線巡視路が別れていく。火の用心送電線巡視路標識には「この先行き止まり」と表示があり、ハイカーのことを気遣う送電線巡視路標識は初めて見た。でも、本当に行き止まりなのだろうか。苧谷を横断して稲妻坂まで行けるような気がしてならない

ハイカーにも気遣う送電線巡視路標識

10:44
苧川谷山腹工事の工事現場で、山道は尾根の東側を迂回する。工期は来年の3月までとなっているがもっと延びそうな感じもするが、迂回路は尾根道のすぐ下を通るので影響は少ない。

苧川谷山腹工事による迂回路がある

苧川谷山腹工事

平成7年1月17日に発生した兵庫県南部地震により、大規模な斜面崩壊が生じました、本工事は、土石流の発生を抑制し、元の緑覆い状態に回復させることを目的としています。

   
 全体計画 工事場所 兵庫県神戸市中央区葺合町
 期間 平成17年〜平成27年
 対策面積 約62,300u

国土交通省近畿地方整備局六甲砂防事務所

今日は工事がお休みなので遠慮しつつそっと中に入ってみた。作業用安全通路からの眺望は素晴らしく、この学校林道で唯一の展望所だった。

ここで今日二番目のハイカーに追い越されたが、いつもこの工事現場を通っているようで迂回路に入ることなく現場内安全通路を平然と通り過ぎていった。順法精神が欠如した困ったハイカーだ。

工事現場からの眺望を楽しむ

新神戸駅から市ケ原・全山縦走路を回るルートと今回の旧摩耶道・学校林道ルートを比べると、歩く距離はほぼ同じようなものだが、平坦な部分は少なく常に緩やかに登っていくので、稲妻坂のような険路はなく摩耶山への登路の中では楽に登れるほうだ。

天狗道合流地点までも緩やかな広い尾根を登っていくので、展望は無いが散歩気分で歩くことが出来る。

もうすぐ天狗道かな


天狗道

11:03
天狗道(全山縦走路)と合流。いきなり10人ほどのパーティに出会う。

学校林道から天狗道に出る

天狗道は旧摩耶道・学校林道と比べると遊歩道のような道だ。この道を最後に通ったのは今年の4月29日の真夜中、ヘッドランプを消しても歩けるような月明かりの差す林の中を、誰にも出会わずに黙々と歩いたことを思い出した。

遊歩道のような天狗道

天狗道出合からの標高差約150mしかない摩耶山山頂まで緩々と登っていけばよいのに、この道は登り下りがそれもギザ級も混じり倍は登らなくてはならない。でもだらだらと登っていくよりも変化があって面白いことは面白いが、体力を消耗する道だ。

変化が楽しい天狗道

11:30
縦走路からちょい外れた天狗道随一の展望所に着いた。コーヒーを点てながら携帯メールにいそしむ先客が、そして縦走路に戻ろうとしたときにガヤガヤと10人ほどのパーティが入ってきた。狭い展望所に次々とハイカーがやってきては、ゆっくりと休息をとることは出来ない。

今日も霞んでいて遠望は全く利かず、点数を付けるとしたら30点ほどだがパーティの皆様は「うわー、すごい」と感嘆の言葉をあげている。ここからは登ってきた学校林道の送電線鉄塔群が立つ尾根がよく見えるので、記念撮影をしておく。

天狗道でシェー


摩耶山上、掬星台

11:48
学校林道出合から45分で摩耶山上に到着。いつもと同じ静かな頂上だ。

摩耶山上の西端鉄塔群

今日は六甲全山縦走大会の日でもないし、掬星台も静かだろうなと行ってみてびっくり。たくさんのテントが張られ、環境省/兵庫県/神戸市/財団法人国立公園協会が主催し六甲山中の各所で行われている「平成19年度自然公園ふれあい全国大会」の中の神戸市建設局公園砂防部森林整備事務所主催の「こうべ森の文化祭in摩耶」なる催し物をしていて、掬星台にこんなに大勢の人がいるのを見るのは初めてだ。

でもなぜか、市民を守るためにたくさんの砂防ダムを造って下さった「国土交通省六甲砂防事務所」様の名が主催者にないのが寂しい。きっとみんなに嫌われているのだ。

こうべ森の文化祭in摩耶

セルフポートレイトを撮っていると(雑踏の感じが出てなく不採用)、播州野歩記の読者から声をかけられた。カメラに背を向けて自分撮りする人など私も生まれてから一度も見たことがなく、その辺から分かったようだが、声をかけてもらってとても嬉しかった。

お昼ごはんを食べて(山行中は小食なので、ほんの3分程度で食べ終わった)、恒例のシェーを執り行うが、いくら回りに人がいても恥ずかしくないのが恥ずかしい。

掬星台でシェー

野外ステージに行くと「博多華丸・大吉さんトークショー」が始まったところだ。テレビというものを見ることを止めて10年以上がたち、彼らは何をする人なのかさっぱり分からないが、おそらく漫談家なのだろうと推測する。

彼らよりもトークショーの相手を務めていた彼女のことは非常に興味があるが、誰なのかはさっぱり分からない。どこかのテレビ放送会社のアナウンサーなのだろうかとも思うが。

博多華丸・大吉さん


下山は山寺尾根

12:31

下山は一番楽なロープウェイ・ケーブルカーを使おうと、天狗道を登ったり下ったりしているときは思っていたが、心変わりがして山寺尾根で下ることにする。摩耶山へ登る道の中ではギザ急な道だという噂だが、そんなことはない。一番短いだけに一番楽に登れると常々思っている。「苦しいことはその場限り、楽しい思い出は骨壷まで」と私も言っているではないか。

山寺尾根の下り口は東側展望台脇

下り始めは丸太のギザ下り。いくら急斜面でももっと九十九に道を付けば緩やかになるのに、わざと急な階段道にしたとしか思えない。

山寺尾根の下り始めは丸太階段のギザ下り

丸太階段道が終わってもギザ下りは終わらない。立ち木につかまりながら滑り落ちそうな急な道を下っていくと、モミジの落ち葉が積もっている。見上げると、たくさんのモミジが常緑樹の上で紅葉しているのが枝葉越しにかすかに見える。上から見た綺麗だろうが中からはさっぱりだ。

そして地道のギザ下りはさらに続く


摩耶東谷を垣間見る

12:44
ギザ下りが終わる地点に次のような標柱が立っている。

↑掬星台 0.3km(下ってきた山寺尾根)
↓長峰堰堤2.3km・阪急六甲 5.0km(山寺尾根の続き)
←摩耶史跡公園 0.7km(まだ歩いたことのない西へ行く道)

後から降りてきたパーティに追いつかれたが、年よりは山登り以外の趣味はないのだろうか。まあ元気でなければ出来ないことなので、めでたいことだが。

ここまでやって来て、ようやく無意識の中に埋もれていた本当の目的を自覚し始めた。そうなのだ、この山寺尾根と摩耶史跡公園の間にある「摩耶東谷」を歩きたかったのだ。いきなりは怖いので、この分岐を史跡公園へ行く途中に横切るだろう摩耶東谷を覗き見るのが目的だったのだ。無意識の目的を達成するために大分遠回りをしてしまった。

下から見た史跡公園分岐地点

12:50
10cmも積もっているだろうか、ふかふかの落ち葉のじゅうたんを踏みしめて行くと、水路状堰堤がが直交し上から下まで見える限りに続いている。

落ち葉が積もる道を行くと

水路状堰堤と交差する

「これが摩耶東谷を詰めると現れる水路状堰堤なんだな、でもえらく急だな」。摩耶東谷は途中までは登っているし、これで最後も分かったし、「よし、次は摩耶東谷を登るぞ」。

13:00
連絡路の出口は史跡公園のすぐ上だが、こちら側には標柱は立っていない。でもこの連絡路がなぜ存在するのか分からない。史跡公園を見てから山寺尾根で下山するぐらいしか使い道がなさそうだが、こちら側には標柱がなくどこに通じているのか分からない。

史跡公園のすぐ上に出る


史跡公園から摩耶ケーブル虹の駅

13:04
堂宇の礎石が残るのみの、昭和51年1月に全焼した摩耶山天上寺跡(摩耶史跡公園)。天上寺は摩耶山頂上をはさんで反対側に再建されたが、南側の市街地からいつでも拝める位置にあるのが重要だったのではないかと思う。しかし車が入れる道路はないし、この位置での再建は無理だったのだろう。

摩耶史跡公園

史跡公園からはギザ石段道が山門まで延々と続く。下りるのも怖いぐらいだが、昔の人は麓からここまで登ってきたのだからすごい。すごいといえば、この石段を組んだ石工もまたすごい。重い石をどうやってここまで運び上げたのだろうか。

延々と続く急な石段

13:14
史跡公園は天上寺で唯一焼けなかった山門で終わる。桧皮葺の屋根には草木が生えていて手入れは全くされていない。見た目はまだ大丈夫だが、このままなら先は長くないだろう。

唯一残る天上寺の山門

門の下で青谷道と上野道に分かれるが、摩耶ケーブル虹の駅へと続く東側の上野道へと下る。

13:26
ロープウエイ駅とケーブル駅をつなぐ道ではフリーマーケットの店が軒を並べている。毎月第3土曜日に掬星台で行われているリュックサックマーケットが「こうべ森の文化祭in摩耶」に押し出されてここで開いている様だが、乗り換え客しか通らないここでは商売上がったりのように見える。

虹の駅連絡通路のフリーマーケット

初めて乗る摩耶ケーブルは一両編成のかわいらしい車両「にじあじさい」だ。ここにきて膝に変調をきたした訳ではなく、乗り物に乗るのは子供のころから大好きで、いつかは摩耶ケーブルに乗りたいと願っていたのだ。

摩耶ケーブル「にじあじさい」



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