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摩耶山周遊、桜谷道とシェール道



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平成20年1月27日(日)  メンバー 私だけ

掬星台〜桜谷道〜シェール道〜シェール槍〜穂高湖〜掬星台

2万5千分の1地形図「神戸首部」を参照したらどうだろうか。


その物語は掬星台から始まった

10:18
始発の摩耶ケーブルに乗り、そして始発の摩耶ロープウェイへと乗り継ぎ、人気のない掬星台に到着。3,000円で1年間乗り放題の「まやビューライン夢散歩友の会」に入会してしまった者が必ず感染してしまう恐ろしい病、摩耶山へ歩いて登れない症が発病してしまったようだ。

あと六甲ケーブルと六甲有馬ロープウェイにも友の会があれば絶対入会するのに、残念ながら存在しない。

今日は掬星台の星の駅から

本日の山行計画は、まだ一度も歩いたことのない桜谷道とシェール道を使い摩耶山上を周遊するという、お気楽な散歩コースだ。当然ながら下山も「まやビューライン夢散歩」を利用するナイスな計画で、山登りは辛いという常識を打ち破る画期的なものだ。

うん、よき眺めじゃ

10:26
ほとんど雪のなかった掬星台から、北側の車道へと下る石階段には雪が付いているが、凍結はしてなく普通に下ることができた。また桜谷道やシェール道にも雪はあったがアイゼンを要するものではなかった。でも、雪上歩行技術が未熟な私のようなものにとっては、凍結した路面ではアイゼンがあるとないとでは天国と地獄ほどの差があるので、今の季節は念のために持っていくことにしている。

10:28
摩耶自然観察園の芝生広場へ下りて桜谷へと入って行くのだが、観察園内の道は入り組んでいるのいで迷わないように注意を要する

摩耶自然観察園から桜谷道へ入る

10:37
しっかりと自然観察園の中で迷い「産湯の井」というところに来てしまった。でもようやく「←徳川道出合 1.3km」の道標があり、遠回りをしたが着実に桜谷道へと近づいているのを実感できた。

ここは摩耶自然観察園の中「産湯の井」

産湯の井

昔、里人が、この水を竹の筒に入れて持ち帰り赤ちゃんの産湯に使ったので、この名があります。
霊峰摩耶の地下をくぐって湧き出る水を神聖なののとして産湯に使うことによって子供達の無病息災と、すこやかな成長を願ったものでしょう。

梵字石

この「産湯の井」も山崩れによって長い間埋まっていました。掘り出された時、井戸の中から出てきたのがこの石です。
彫られている字は「大日如来」をあらわす梵字です。特徴のある彫り方や形から鎌倉時代(約700年前)のものとされています。
井戸を聖なる所とし、魂として字を書いた土器や銅鏡を入れていた古い例があります。
この梵字石も同じような信仰、習俗から祀られていたものと思われます。

10:44
まだ自然観察園から抜け出せないが「桜谷道を経て徳川道・シェール道→」が現れ、もう桜谷道が間近に感じられる。

園内を彷徨うこと18分、そこを曲がれば桜谷道だ


桜谷道

10:49
ようやく自然観察園から抜け出して桜谷道に入った。路面は一部凍結しているが、わざとツルツルの氷の上を歩かなければ問題はなく、標高が下がるに従い雪も少なくなっていくだろうしアイゼンの必要性は全くない。

桜谷道では数人のハイカーに出会ったが、こんな状況の日なのに物好きな人たちがいるものだと感心してしまう。

桜谷道に入ると単独ハイカーが登ってきた

10:56
桜谷にも六甲山名物の砂防堰堤がたくさんある。下の写真は一番上流の堰堤の右岸側を越えた後、左岸側へと渡渉しているところだ。もっと雪が多ければ真っ白になり綺麗だろうが、路面の土は露出していてミヤコザサの上にも雪はなく写真写りの悪い中途半端な雪景色だ。なお水量はチョロチョロだった。

10:58
さっき渡渉したばかりなのに、また渡渉だ。谷を下っているので右岸は右、左岸は左と分かりやすいが、下流から写真を撮ると右岸は左、左岸は右となり私の理解力を越えてしまう。

左岸から右岸へと渡渉中かな

11:01
二番目と三番目の砂防ダムはすぐ近くにある。親子ダムなら規模が違うはずだが、同じような大きさなので姉妹ダムかもしれない。かの国の名詞には女性名詞、男性名詞の区別があると聞くが、砂防ダムは土石流から我々を守ってくれる慈悲深い聖母のようなイメージがあり、絶対に女性名詞だと信じている。そして、我々ハイカーを苦しめる性悪女(播州野歩記を愛読されている女性読者の皆様申し訳ありません)でもあり、間違いなく女性名詞だ。

ただしこの谷は広く浅いので、砂防ダムを高巻く感じではない。でも今回は下っているので、登りに使うと感じ方が変わるだろう。

このダムは二番目

11:04
三番目の砂防ダムを過ぎると道には雪が全くない。風の吹き方か日の当たり方の何かの微妙な差によって惹起されるのだろうが、不思議だ。

三番目の砂防ダムの下流側、道に雪がない

11:10
また渡渉をする。これで三回目か。桜谷道と呼ぶくらいなので、道自体は良く整備されていて雪さえなければなんてこともないのだろうが、次は桜の花が咲く頃に訪れたいものだ。でも桜の木があったかどうか記憶に残っていない。

三回目の渡渉

11:14
寒々とした写真が続くが、出発地点の風の吹きぬける菊星台に比べたら温かく寒さは感じない。広く浅い桜谷道は風景の変化が少なく、写真の撮り甲斐がないが、大体がこんな感じのどこといって特徴のない道が続いている。

こんな感じの道が続き、面白みは少ない

11:18
掬星台から徳川道出合までの、桜谷道の標準コースタイムはガイドブックによると20分となっているが、すでに1時間近く歩いている。雪のために少しは歩みが遅くはなっているだろうが、いくらなんでも遅すぎる。数分おきの自分撮りが遅くなる原因だが、このような山行スタイルを続けることに少しづつではあるが疑問が沸いてきた。こんなの山登りじゃないと。

四回目の渡渉をする。トエンティクロスよりも桜谷のほうが渡渉が多そうだな

四回目の渡渉

11:21
さっき撮ってから3分も経っていないがまたパチリ。三脚を伸ばしカメラをセットして、撮って、三脚を縮めてと間違いなく1分はかかっている。こんなことでは何時になったら徳川道出合に着くことやら。

写真は桜谷の右岸をゆるゆると下っていく道だ。標高差300m近くある掬星台から徳川道出合までを、最短距離でつないでいる桜谷はけして緩やかな道ではないが、登ったことがないのでどれくらいなのか分からない。

九十九ではないが、うねうねと下る道

11:25
急に谷が狭まり、流れの方向が右に90度、そして左に90度と変わる。その間に二回渡渉して、結局は右岸を下っていく。

広い桜谷だがここだけは狭い

11:33
徳川道出合が近づくと、谷から少し離れて森の中の道を行く。針葉樹や広葉樹や落葉樹や常緑樹が雑多に生えたとりとめのない森で、統一感がない不思議なところだ。ここに生える全ての木々は人の手によって植えられたものの子孫だと思うが、植林した人の間性の豊かさというかユーモアを感じられる森だ。

もうすぐ徳川道出合かな


シェール道

11:39
いきなり劇急な道を下ると徳川道と桜谷道の出合だった。

出合では新神戸駅から歩き始めトエンティクロスからやってきたのか、数人のハイカーが休憩している。桜谷道から生田川の流れを渡ると森林植物園へと続く徳川道。渡らずに上流へ向かうと杣谷峠へと続く徳川道と、これから歩こうと思っている新穂高の北側を回るシェール道にすぐ分かれる。

シェール道は海産のシェール貝(螺貝)の化石が発見されたことから名づけられ、六甲山塊は海底が隆起してできたことを明確に証明したものとして有名なのは、かの北海道の日高山脈の名前は、太平洋プレートとユーラシアプレートとのせめぎ合いのためくなっている山脈であることに由来しているのと同じで、全て私の妄想の産物だ。25年ほど前に北海道のとあるYHにオフシーズンに泊ったことがある人なら、底部屋で毎夜行われていたミーティングでの、スライドを見ながら私の周辺案内でそんなことを聞いた記憶がある人もいるだろう。私にとっても非常に懐かしい思い出だ。

桜谷と徳川道の出合

11:43
徳川道とは、幕末にアメリカ合衆国との間に結ばれた日米修好通商条約により兵庫港が開港(1860年1月1日)したため、大名の参勤交代と外国人の間にトラブルが起きることを避けるために六甲山中に設けられた西国街道の迂回路で正式名称を西国往還付替道というのは有名な事実だ。

写真の石段の道、100年以上の前の徳川道がそのまま残っているわけはなく、後世に整備し直されたものと思う。

この徳川道を参勤交代の列が通ったことは一度もない

11:45
徳川道を行くとすぐにシェール道との分岐点に着く。ほとんどのハイカーは最短距離で穂高湖・杣谷峠へと行ける徳川道を辿るようでシェール道で出会ったのはほんの数人だけだった。

シェール道への分岐点

11:47
シェール道の始まりはとてもよい道だ。穂高湖などを水源とする生田川源流の川岸近くを行き、真冬の今でも緑濃い風景が広がっているが、新緑の頃に訪れたらさらに素晴らしい世界が待ち受けていること間違いない。

シェール道の始まり

11:52
左岸から右岸へと渡る。しっかりとした飛石が並べられていて、増水時にも問題なく渡れることだろう。

飛石を渡る

11:56
スギの植林地だ。「この辺はスギでも植えとこうかな」と植えた感じで、林業を目的したものではないような気がする。植林の密度が低いため林床まで日が射すようで、ミヤコザサが茂っている。

播州の山々を歩くと度々鹿を見かけるが、六甲山では一度も見たことがない。鹿の食欲は凄まじく全山のササを食べ尽くされた山が播州にはあるが、六甲山で有名なイノシシはササを食べないのだろうか。

スギの植林地の中を行くシェール道

11:59
道端に炭焼窯跡の石組みが残っている。かつての六甲山は薪炭林として過剰に収奪されたため禿山になったと聞くが、その当時は想像もつかないほどの大勢の人が山中で働いていたことだろう。

炭焼窯跡

12:03
森林管理歩道(至・ドライブウェー、マムシ谷)が北から合流してきた。地形図にもガイドブックにも記載されていない道だが、よさそうな歩いてみたくなる小道だ。

合流してきた森林管理歩道

12:08
丸太橋で左岸へと渡るが、橋の上だけは雪が融けずに残っている。融けかけのグズグズ雪なので滑りはしないが、落ちたらそれなりの水量の生田川の身も凍る水が待ち受けているので慎重に渡る。

丸太橋だけ雪が残っている

12:13
また丸太橋で右岸へと渡ると、急な階段道がしばらく続く。何のことはない「八洲嶺第三堰堤」を高巻くための階段道で、どこか展望のよいところに登るわけではない。

砂防ダムの名にある八洲嶺とは、摩耶山の別の呼び名で紀伊、河内、和泉、摂津、播磨、淡路、丹波、但馬の8国が眺められることからつけられたものだ。

橋を渡るときつい階段道が待ち受けている

12:19
「八洲嶺第三堰堤」を越えると、マムシ谷からの道が北から合流してくる。すぐ近くに大きめな砂防ダムが見えるが、マムシ谷はどんなところなのだろうか。マムシが沢山いるのだろうか。

マムシ谷からの道が合流

12:25
今度の渡渉は飛石で、右岸から左岸へと渡る。桜谷道や徳川道に比べて歩く距離は一番長いが、その恩恵として一番緩やかでのんびりとした野歩きを楽しめる。

上流から撮ってます

12:28
落ち葉の積もる道を雪が縁取り、両側にはミヤコザサが茂る雑木林。シェールさんもこの風景の中を歩いたのだろうか。

この好ましいい雰囲気は
1分ほどで終わってしまう

12:31
シェール道最後の渡渉は、木橋で右岸へと渡る。なぜ丸太橋ではなく板張りの木橋なんだろうか。

シェール道は生田川を5回渡る

12:36
「ん、なんじゃこりゃ」いきなりシェール道は、車でも、それもどんな大型車でも通れそうな未舗装だが幅広のみちに飛び出した。

穂高湖へはここを右に曲がるのだが、左へも道は続いている。その道は分岐点に立つ「六甲・摩耶 こもれびの森マップ」では通行不可となっているが、手書きで「通行OK」・「ドライブウエー30分」となっている。

この道もシェール道なのだろうか

12:37
この広い道は何のために通されたのだろう。この周辺に造られた砂防ダムへの資材搬入路なのだろうか。

この道幅で穂高湖まで続く


穂高湖・シェール槍そして掬星台

12:49
「穂高砂防ダム」(昭和41年完成、高さ15m、長さ76m)に着いた。ダム脇の広場では10人ほどの男性だけの高年パーティが食事中だ。

この砂防ダムは規模は小さな方だが、下部の水抜き穴は閉じられ上部の越流部から流れ落ちるのみで、上流側に水を貯めるという砂防ダムにあるまじき存在だ。今日はほんの少しだけ凍っている。

寒そうな穂高砂防ダム

12:57
堰堤右岸の砂防ダム越え階段道を登っていくと、堰堤の延長線上の最高地点からシェール槍へと登る道が始まる。そこには上から赤・青、白に塗り分けられた柱が立てられている。

ここがシェール槍への登り口
(東側から写す)

13:00
それなりに急な斜面を登っていると、上から「のあるきさん」と声を掛けられた。この1月3日に摩耶ケーブルで出会ったgooブログ「春夏秋冬「六甲山」あっちに感動こっちにも感動」のhinonagoriさんご夫妻ではないか。わずか24日目に再会するとは、驚いてしまった。

ご夫妻は炭ケ谷から獺池・マムシ谷・シェール道と歩いてきて、シェール槍に登りそして下りてきたところで、後ろからつけてきた形の私と出会ったわけで偶然というか、「まやビューライン夢散歩友の会」入会者は必ず掬星台を目指すという法則がなしえたものだろうか。

hinonagoriご夫妻の後姿

ピークが近づいてくると三点確保が必要な岩場が現れる。でも写真のようにルートを考えることなくヒョイヒョイと登れるので楽勝だ。

シェール槍頂上近く

13:10
13分ほどかけて(普通の人なら5分で登れると思う)無人のシェール槍頂上に着いた。ロープを掴み必死に登っているのは実は演出で、雪が凍り付き強風が吹き荒れる日にはこんな風に登るんだろうというやらせ写真で、別にロープに頼る必要は全くない。

ロープにすがり攀じ登るという演出

13:15
六甲山では珍しい360度の大展望は実際に登って見てもらうとして、下山開始。シェール槍はどの季節に来ても素晴らしい展望が得られ、穂高湖まで来たら少し足を伸ばしてみても損は絶対にしない。

13:27
穂高湖東側の周遊路を行く。湖面は凍結し、その上を粉雪が風に吹かれて滑っていく。

今年は風のないときに凍結したようで平らになっているが、噂ではあるが急に寒くなった風の強い日には波の形そのままに凍りつくという。是非とも見てみたいものだ。

凍りついた穂高湖

13:32
穂高湖の桟橋で恒例のシェーを行う。今回は背後にシェール槍を写しこんだダブルシェーと豪華なものだ。湖面の氷を三脚で突っついてみたが割れず、あまり厚くはないが腹ばいならば湖面を滑れそうだ。

背後のピークがシェール槍

14:05
穂高湖から車道を歩き掬星台に移動。遅くなったが吹き晒しのテーブルで昼食にする。気温は風さえなければ0度ほどと温かいのだが、すごく寒い。

今日も常温保存可能なおでんと、セブンイレブンの「あじほぐし身ごはん」で作ったおでん雑炊だ。寒さには強いガソリンストーブで加熱するが風に負けてしまいなかなか温まらない。風除けを考慮しなければと以前から思っていたが、真剣に考えなくては。

冬のハイキングの友オプティマス123Rと
おでん雑炊セット

どうにかこうにか温くなったおでん雑炊だが、食べてるそばから冷えてくる。おいしいのだが最後は冷雑炊になってしまった。

私の定番ハイキングお昼ごはん
播州野歩記風おでん雑炊

食後の散歩に掬星台をうろうろすると展望台の鉄柵に南京鍵が3個掛けられている。ビーナスブリッジから登るビーナステラス(諏訪山展望台)と勘違いしているのだろうか。でも「ここに鍵を掛けたカップルはことごとく破局が訪れますように、ナムナム」とお祈りをしておいたのでもう大丈夫。

でももう私は一生、馬に近づくことはできないな。

展望台の鉄柵に南京錠が
人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ

15:00
掬星台からの下山はもちろんまやビューライン夢散歩。



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