0 スプリングエフェメラル、セリバオウレンを探しに広峰山へ




山行記録にもどるホームにもどる



スプリングエフェメラル、
セリバオウレンを探しに広峰山へ



スポンサード リンク




平成20年3月2日(日)  メンバー 私だけ

広峰バス停〜フユイチゴ谷〜弥高山〜四郎新道?〜木馬道〜そうめん滝キャンプ場

2万5千分の1地形図「姫路北部」を参照しても、残念ながら歩いた道は記載されていない。


広峰山にセリバオオレン(芹葉黄連)が咲いているという

ある筋から、いま広峰山でセリバオオレンが咲いているという情報を得た。播州野歩記ならぬ六甲野歩記と化した我がHPの読者の皆様にとって『広峰山』なる山名を聞くのは始めてという人が多いと思う。

私の住む姫路市は北は広峰山、東は市川、西方へは西国街道が延び、南には播磨灘が開けていて四神相応の風水都市として繁栄を築いてきた。その北方を守る玄武たる広峰山は、平坦な地形が広がっていて、明確にここが広峰山のピークだというものはない。その辺りから『広峰』の地名が起こったものと思われる。

地形図にも地名としての広峰山は記載されているが、山名としての広峰山はない。一番高いところでも400mもなく山登りというよりは、まさに野歩きと呼ぶにふさわしい山並みが広がっている。広峰・広峯・広嶺・廣嶺など色々と表記されるが、ここでは広峰とする。

肝心のセリバオウレンは広峰山のとあるところで可憐に咲いていた。踏み荒らされることが危惧されるため、正確な場所を記すことはしない。また山行時間から40分間の写真撮影時間を除いている。

セリバオウレン

葉っぱがセリに似ているところから名付けられたセリバオウレンの花は小さく、直径1cmほど、背丈も低く10cmもなく、足元に咲いていても気づかずに通り過ぎてしまいそうだ。白い花弁のように見えるのは萼片で、キンポウゲ科の多年草だ。雄しべだけをもつ雄花と、雌しべと雄しべを持つ両性花があり、どちらかというと真っ白な雄花の方が可憐さでは勝っているように感じる。


3年ぶりの広峰山、そして下フユイチゴ谷

8:48
姫路駅前から乗車した広峰行きの神姫バスは、途中で姫路競馬場にお金を捨てに行く人たちを降ろして乗客は二人だけとなり、そのまま終点の「広峰」バス停に着いた。このまま車道を行ってくれたら広峰神社近くまで登れるのだが、残念ながらそうはうまくいかない。

広峰バス停から転回地へと走り去る神姫バス

広峰バス停がどこにあるかは、姫路市民でも知っている人はほとんどいないだろう。地形図を見ると、山陽自動車道が姫路市街を避けるように広峰山の南裾を連続するトンネルで抜けていて、広峰山トンネルと増位山トンネルの間、300mほどの明かり区間の南側に広峰バス停がある。

広峰山への登山道は沢山あるが、今日はフユイチゴ谷と名付けられた可愛らしい名前の谷を登ることにした。

広峰バス停から車道を北に進み、山陽自動車道の下を潜り抜け、谷の奥へ奥へと進むと下フユイチゴ谷の入口にたどり着いた。間違って車道を道なりに進むとハイランドビラ姫路から広峰神社の駐車場へと登ってしまうが、その方が展望がよくて幸せになれるかも。なぜなら今日の私の行程では展望を望むことは叶わないからだ。

8:55
北に進み車道の最奥まで行くと橋があり、車道は南へと折り返していく。その橋の右岸側が下フユイチゴ谷の取り付きとなるが、案内板の類は全くない。今日は付近に車が見当たらないので、奥には誰もいないような気がするがどうだろうか。

9:04
服を一枚脱いだり、ごそごそと山登りの準備をして出発する。

ここが下フユイチゴ谷の取り付きだ

9:06
始めは右岸側を、そして左岸側に渡るが、途中に大きな岩が河原に鎮座している。大岩前の灯明箱にはロウソクは点されていなく、ほっとした。

道は不自然なほど広く、行き止まりには巨大な砂防ダムが出現するのが極普通の風景だが、この谷は違う。

下フユイチゴ谷の守り岩なのか

9:13
廃屋風の建物が見えてきて、その先に滝行場が出現する。斜面を埋め尽くす沢山の石仏、数棟の小屋、そして石鳥居の中に不動滝がある。不動滝は樋滝だが、冷たそうな滝行には適当な落水量だ。100%煩悩から成り立っている私が修行したら、融けて消えてしまうような気がする。

誰もいないと思っていたが、行場入口にロウソクが点されていて小屋の中には誰かがいる。下フユイチゴ谷は下の写真の右手階段を登るので、そそくさと滝行場から離れることにする。

滝行場を通り抜ける

9:20
行場からの濡れて滑りやすい、いや1回滑ってしまった渓流脇の滑らかな岩場を過ぎると、程よい幅の道が続く。雰囲気を害するマーキングなどは全くなく、緩やかに登って行く。

下フユイチゴ谷を行く

9:28
同じような風景の谷を登っている。広峰山にも針葉樹の植林地はあるが、今日の行程はほとんどが雑木林の中を行き、変化のない同じような風景の中を行くが、それを楽しむのが広峰山野歩きの真髄だと私は思う。

下フユイチゴ谷は変化に乏しいが
好ましい楽しい野歩きだ


上フユイチゴ谷

9:34
地形図にある破線道、広峰神社から北東方向へフユイチゴ谷を横断する道との交差点で、破線道側には「←広峰神社0.4km 随願寺1.5km→」の道標が立っている。でも、破線道から来るとここが十字路になっているとは認識しづらいく、フユイチゴ谷へはマーキングも案内も何もない。

ハイキング道との交差点に出た

9:38
ハイキング道を横切ると上フユイチゴ谷となるが、花期が9月〜10月、果期は11月〜1月のフユイチゴなので果実をつまみながらの山歩きはできない。

写真では道があるのかないのかよく分からないが、明確な道が続いている。

上フユイチゴ谷の始まり

谷は広くなり、そして左右に分かれる。右側がフユイチゴ谷の本谷で少々急になってくる。このフユイチゴ谷で出会ったハイカーはいなかったが、手ぶらで犬と一緒に散歩している人にここで会った。おそらく広峰神社の駐車場を起点に散歩しているのだろう。

9:45
細い流れの渓流だが、3段か4段の小滝が連なり変化があって面白いが、その脇を登る道はきつい。

ところで、探し求めているセリバオウレンはどこに咲いているのだろうか。セリバオウレンやセツブンソウ、アズマイチゲなどのスプリングエフェメラルは落葉樹が春になって葉をつける前、林床までとどく弱い日差し中で可憐な花を咲かせると聞くが、ここら辺は常緑樹が多く適していない感じがする。

連続する小滝

9:55
周囲に落葉樹が増えてきた。日当たりもよいし、こんな雰囲気のところにセリバオオレンが咲いているのかもしれないなと、きょろきょろと周辺を見回しながらのんびりと登っていく。

落ち葉の積もる明るい谷を行く

9:59
終始、左岸側を歩いてきたが、ここで右岸側に渡る。行く手には植林があるが、少しの間だけだ。過去にはもっと植林地が広かったようだが、スギやヒノキを引っこ抜いて雑木を大々的に再植林したと山主から話を聞いたことがある。

本流を渡るのはここだけだ

10:04
植林地を抜けると開けた地形となり、339.7m三角点の西側の墓地印へ続く破線道への分かれ道があるように見えるが、目的地への広い道を進む。これまでに何回か歩いたことがあるコースなので、どこへ続いているのか知っているので平気に歩けるが、マーキング皆無・道標皆無・開けた地形で目標物がなく現在位置の確認が困難と、面白い山歩きが楽しめる。

もうすぐフユイチゴ谷は終わりだ

10:08
枯れはてた草原に出た。3年前に来たときは綺麗に草が刈られた不思議なところだったが、手入れしていた人は近頃来ていないようだ。

草原に出た

草原の中には40年ほど前まで現役だった炭焼釜跡が、最近まではゴミの焼却炉として使われてきたのだが、もう二度と火が入ることはない。3年前に会ったあの山主さん、だいぶ高齢だったのでもう山に登ることが出来なくなってしまったのだろうか。

草原の中の炭焼釜跡


339.7m四等三角点があるピークが弥高山の頂上だ

10:13
草原を抜けて一登りで広峰道に出た。地形図では破線道で表示されていて二つ目の墓地印で終わっている道だ。この道は山中にある墓地への参道であるとともに、墓石の運搬車が通れるようにと完璧に整備されている。

墓地の先から香寺町須加院へとさらに道が続いているが、極普通の一般的な登山道になってしまう。そしてこの道を広峰道と呼ぶようだ。

広峰道、手前側が広峰神社
奥が弥高山方向

10:16
広峰道を本の少しだけ北に行くと「弥高山寺跡」と書かれた、ペットボトルを切り開いて作られた不思議な道標が木にくくられている。ここを右に入り弥高山へと行くことにするが、寺跡らしき平場はどこにもないのが不思議だ。

広峰道から弥高山へ

10:23
地形図を見ると弥高山は緩やかそうなピークだが、わざと急なところに真っ直ぐにつけたとしか思われない急坂を登り、平らな弥高山頂上に到着。先客は単独男性ハイカーが一人、あとからカップル一組が登ってきた。いずれも私同様、中高年ハイカーだ。

もともと展望を得ることが難しいピークで、おまけに霞んでいるせいもあり、さっぱりだ。

頂上にはベンチの代わりなのか、太と短い角材が乱雑に並べられている。これだけならまだよいのだが、山の中にあってほしくないものが大量に放置されている。

弥高山頂上から南を見る

秘密基地ごっこでもしていたのだろうか。アンテナが立てられた木組みの小屋が無残な姿を晒している。

この小屋の製作者たちは広峰山に新たなるルートを切り開いたり、広峰山のルート図を作成したりとその功績は確かに認めるが、この無様な粗大ゴミをいまだに放置していることを見れば、本当に山を愛していたのか疑わしい。

秘密基地か隠れ家跡か

それから、石組みの大きな『かまど』がある。作った人は、消火用の水も用意してるし、周囲の木々草木を刈り完全に制御された中での安全な焚き火のつもりだろうが、これも山の中では絶対にしてはならない事だと私は思う。

現在も使われ続けているのか、いす代わりに枯れ木が周りを取り囲みグレードアップしている。色々な山の楽しみ方があるのは理解できるが、このかまどを使い続けている人たちも山を愛していないのは間違いない。愚痴はこれぐらいにしておく。

なんでここにかまどがあるのだろう

10:44
まだお昼には早いがお腹が減ってきたので、コンビニサンドイッチをほおばり北へと雑木林の中を進む。気持のよい小道が続くが、こんな自然に恵まれた広峰山の山を削り谷を埋めて空港を作ろうとしていた、何を考えているのかうかがい知れない組織もあったが、本当に諦めたのか心配だ。

もう春がやってきたみたいな


四郎新道?で木馬道へ

10:48
小道を送電線鉄塔「溝口線一八」から送電線巡視路のプラ階段で西に下り、広峰道に復帰する。

プラ階段で広峰道に下りる

北側の広峰道は南側よりも狭く起伏もあるが、きわめて快適な道が続く。でも、あまりにも快適すぎても詰まらなくも感じる。西側へ「氷室池」の案内板が途中にあるが、3年前と同じで新しいものはない。

広峰道を北へ

11:11
「←奥須賀、ADD岳 ↑ソーメン ↓トラロープ、氷室池 →広峰神社」と書かれた、文字がかすれた案内板が立ち木に釘で打ちつけられている。広峰山にある案内板の多くは「須加院」の『加』の字を『賀』と誤っているものがほとんどで、それらは同一人物が取り付けたものと判断しているが、この案内板のように立ち木に釘で打ち付けるということに対して何も感じない、その感性が信じられない。

ここで広峰道から東へ離れ「ソーメン」へと向かうのだが、場所は307m標高点から北東側の鞍部だ。ところで「ソーメン」とは「姫路市立そうめん滝キャンプ場」、あるいは「そうめん滝」を示すものと思われるが、他の表記も知っている人しか理解できない、分かりづらい案内板だ。

東へソーメンを目指し広峰道から離れる

11:22
広い浅い緩やかな谷をしばらく下っていくと、ここにもアルミ鍋と鉄棒が残る石組みかまど跡がある。これまでに弥高山のものを含め広峰山で4箇所のかまど跡を見つけた。何を考えてこんなものを方々に設けたののか私には理解できない。

広い谷に残るかまど跡の横を下る

11:30
谷が狭まり水の流れも現れ、支流が合流するところには丸太の木橋が架けられている。でもきのこが生えた橋を渡る勇気は私にはない。

写真のように明確な、そして広い道が渓流脇に続いていて、かつては多くの杣人たちが薪や炭を担いで通った事だろう。

明確な道ときのこの生えた木橋

11:38
「四郎新道 広峯奥須賀院の街道へ 増広登山会」の案内板が、右手の踏み跡もない雑木林を指し示している。雑木林の中を行くルートは「五郎新道」なので、下の写真を撮った後で、90度方向を変えて下ってきた谷を示すようにしておいた。

この案内板で、下ってきた谷道が「四郎新道」と分かるが、どう見ても昔からあった杣道を再発見しただけで四郎さんが切り開いた新道ではないのは明白だ。

えっ、誰か呼んだ


木馬道でそうめん滝キャンプ場へ

11:48
「木馬道」に出た。なんかものすごいケルンが積まれている。「広峯奥須賀院の街道へ(広峯神社へ近道)増広登山会」の案内板も下がっている。

この「木馬道」は「きんまみち」と読み、丸太を線路状に組んだ上を木馬に載せた材木を搬出した道のことだが、実際にここに存在したのかどうかは知らない。

木馬道の四郎新道分岐点にあるケルン

ほぼ南向きの木馬道は明るい。木々が葉を茂らせる季節がきても明るい谷道で、歩いているだけで楽しくなってくる。

四季を通して明るい木馬道

変化が少なく、路面状態がよくて足元を気遣う必要もなく、心地よい渓流の音を聞きながらのんびりと歩いていると眠くなってきた。枯葉のないところでは自転車のタイヤ跡もありMTBで走りまくるのも面白いだろう。

眠気を誘う道が続く

12:13
終始、左岸側を歩いてきたが、そうめん滝キャンプ場が近づくと右岸へと渡る。石組みの護岸が残り、ここには橋が架けられていたものと思われる。

本流を渡り右岸へ

12:19
姫路市立そうめん滝キャンプ場に到着。まだ営業してなく誰もいない。山奥にあるキャンプ場なのだがここまで入る車道があり、これにて本日の山行は終了とする。砥堀谷川沿いには車道以外にハイキング道も存在するが、あまり面白くない道だ。

そうめん滝キャンプ場

12:38
ふと携帯電話を見るとアンテナが立っている。思わず妻その1に迎えに来てもらうようお願いしてから、車道をぶらぶらと歩いていくと「そうめん滝」だ。

素麺のような細い落水からついた名前ではなく、むかし、むかしお殿様がここで素麺流しを楽しんだことに由来するらしいが、落差は低く滝と呼べるものではないような。

お終いに「そうめん滝」でシェー



スポンサード リンク



山行記録にもどるホームにもどる本ページのトップ