山行記録にもどるホームにもどる



苫編山・籾取山・鬢櫛山 荒川山塊縦走記録



スポンサード リンク




平成20年3月16日(日)  メンバー 私だけ

JR英賀保駅〜山崎山〜苫編山〜籾取山〜鬢櫛山〜市立琴丘高校裏岩山〜今宿バス停

2万5千分の1地形図「姫路南部」「姫路北部」を参照してみたらよいかもしれない。


三回目の荒川山塊縦走

姫路市の南西部、夢前川左岸に南北4kmほどの独立した山塊が存在し、その名前を荒川山塊という。姫路バイパスと山陽新幹線のトンネルが貫いているが、縦走を途切れさす車道はなく、姫路市街地にある山としては長く楽しい縦走を楽しめるところだ。

標高は低く最高標高地点でも200mしかないが、北側に行くほど姫路市街地が一望に見渡せる素晴らしい展望が広がり、おまけに私の大好物の送電線鉄塔が数多く立っているのが嬉しい。

6年前と3年前にも歩いていて今回で3回目となり、少しはバリエーションルートを開拓すればと自分でも思っている。でも年齢を積み重ねると山歩きも保守的になってくるのか、今回も全く同じルートで歩いてみようと思う。


縦走最初のピークは山崎山

JR姫路駅の西隣、英賀保駅の改札口は南側にしかない。そこで英賀保跨線人道橋で北側に渡るわけだが、橋の上から大きな貯水タンクを載せた荒川山塊南端の尾根が、電柱ばかりが目立つ新興住宅地の先に見える。尾根のこちら側斜面には墓地が広がり、その中を登ってもよいのだが、登り始めが人生の終着駅ではあまりにも味気ない。

墓地の反対側に姫路市山崎浄水場(地形図の長方形の池)があり、そこから貯水タンク(地形図の黒丸印)へと登る点検用階段道が存在している。

9:35
英賀保駅から15分ほど歩き、貯水タンクのある尾根の反対側に回りこむと、浄水場東側の袋小路道路の終点近くから擬木の階段道が始まっていて、「山火事防止 飾磨消防署」の丸看板が立っている。なおこの袋小路入口には車止めがあり、車両は進入できない。

荒川山塊縦走路の始まり

9:41
急斜面に九十九に付けられた階段道を登り切ると、たぶん白鷺だと思うが、絵の描かれた「姫路市水道局山崎配水池」で、ここまで登ってきた人を労うかのようにベンチが置かれている。

なお墓地からも階段道が登ってきていて、どうしても最短距離ではないと気のすまない性格の人は墓石の間を登ればよい。

山崎配水池に到着

9:43
標高はまだ50mほどしかないが、西を見ると夢前川の向うには京見山から無線中継所の立つ白毛山が、南は、ウーン残念ながら春霞か黄砂かで霞んでいてすぐ近くの播磨灘も見えない。

西に広がる京見山

9:55
貯水タンクをぐるりと回り込み、そして登っていくとヒサカキの花が咲いていた。登り始めてすぐにあの匂いが、いやあの独特の臭いがたち込めていたので、ヒサカキの花が咲いているのは分かっていたが、一番最初に見つけた花がこれだったので少しだけがっかり。

ヒサカキの雄花

10:03
一登で86m標高点表示がある「山崎山」のはずだが、ピーク近くに「城之台 昭和57年8月建之 竹柏俳句会」と刻まれた石碑が立てられている。はるか昔には砦か見張り台でもあったのかも知れないが、今は藪に囲まれて眺望は無い。

「城之台」石碑


苫編山(とまみやま)へ

10:07
この縦走コースは「はりま歴史の山ハイキング」でも紹介されていて、掲載されている写真からは、眺望が素晴らしい開けた尾根を行くかのように見えるが、実際は下の写真のような常緑樹のなかの小道を行くシーンがほとんどだ。でも、そのおかげか展望の岩場の印象が強く残り、三年も経つともう一度登ってみたくなる山だ。

こんな小道を行くのが大部分だ

10:27
緩やかに登り、そして緩やかに下っていく。姫路バイパスの騒音や犬の吠える声などの生活音が常に聞こえていて、深山を歩いている気分にはとてもなれない。

でも、なんかおかしい。すでに姫路バイパスの夢前トンネルの真上まで来てしまっているのに、地形図にも記載されている送電線の鉄塔が現れないのだ。そういえば、2年前の夏、京見山の山裾に立つ送電線鉄塔が大雨による土砂崩れのため倒壊しそうになり撤去されたが、その系統の送電線・鉄塔の全てが撤去されてしまったのかもしれない。途中に小さな送電線鉄塔なら建てられるぐらいの草地があったのがそうだったのか。

姫路バイパスのトンネルの真上ぐらい

10:29
81m標高点付近か、富士見ケ丘登山口からの道が合流してきた。歩いてきた方向の「至 山崎登山口900M」の案内板だけが残り、3年前にはかろうじて残っていた「至 富士見ケ丘登山口700M」はいくら探しても見つからなかった。

右手から道が合流してきた

10:41
どこへ行く道なのだろうか、明確な道が東側へ下っている。もともと、この縦走路は分かれ道が多いが、来る度に増えている気がする。

この脇道はどこへ行くのかな

10:43
濃い雑木林の先に待ち受けていたのは、見渡すかぎり広がる岩場だった。岩場の先には苫編山頂上の電波反射板が見えていて、つまり、開けた岩場の全容が下の写真に写されているわけで、電波反射板から先はまた雑木林の中の道になる。

苫編山頂上南側に広がる眺望の岩場

10:50
どのような展望が得られるのかは登ってみてのお楽しみだが、相変わらず近くの播磨灘も霞んでいて、出来れば空気の澄んだ冬場に登った方が感動が大きいかと思う。

頂上近くで眺望を楽しむ

10:52
165.8m三等三角点標石(点名:苫編)は電波反射板南側の道端に埋められている。そして本来三角点標石が埋められるべき頂上の一等地は、フェンスに囲まれた反射板が我が物顔に場所を占有していて感じが悪い。眺望を阻害することが少ない送電線鉄塔は大好きだが、ピークに立つ電波反射板は大嫌いだ。

三角点標石は私の足元にある

登頂記念プレートも山名板もなく、始めて登ってきたハイカーにはここが苫編山の頂上だと分かりにくいかもしれない。自己顕示欲の塊の登頂記念プレートは嫌いだが、簡素な山名板があるのはよいかもしれない。なお、フェンスに横長の案内板が1枚下がっていて、縦走路以外に東へ明確な道が下りている。

反射板の左側へ 縦走路 籾取山50分
反射板の右側へ 苫編
登ってきた方向へ 縦走路 富士見ケ丘30分 本徳寺廟所 JR英賀保

「立入禁止 この反射板は電気通信業務用重要通信施設です。立入ったり、投石して損傷すると電波法により罰せられますのでご注意下さい。」と表示者名がない警告板がある。かつては日本テレコムの持ち物だったので今はソフトバンクテレコムが管理しているかもしれないが、光ケーブル全盛の時代に本当に通信に利用しているのか怪しいし、落書きが消されずに残っているのを見ると管理を放棄しているかのようだ。

オメコSEX」 インポ そこわだめよ
ASAMI MASAHIRO ω ありた
あがほのあさみ様じゃ
あかまつ様 あがほのくらはしじゃ


伯母ケ谷(おばけがたに)峠へ

10:57
マイクロウェーブ反射板の北側から、籾取山へと続く縦走路に入る。籾取山までの間には二つのピークがあり、それなりにきつい登り下りが待ち受けている。

次は籾取山だ
でもどれが籾取山なのかな

11:00
苫編山頂上から、これまでにない急な縦走路を下り始めて、いきなりスッテンコロリンと尻餅をついてしまった。落ち葉の下には濡れた滑らかな岩盤が隠されていて、あっという間のことだったが幸いにもダメージはなし。以後は一歩一歩慎重に下るが、滑りやすいところはそこだけだった。

急下りを一歩一歩慎重に

11:09
ようやく緩くなると、次の登りがもう目の前に見えている。下の写真は屈曲部を挟んで撮ったので、ササヤブを歩いているかのように見えるが、実は快適な道が続いている。

あと15mで峠だ

11:11
浅い切り通しのある標高80mほどの最低鞍部、伯母ケ谷峠だ。西側には良い道が下っているが、東側はかなりヤブっぽく峠越えの道としは使われていない。

四方向を指す小さな道標があり、次のように書かれている。でも現在地の伯母ケ谷峠の名前はない。

北 籾取山
南 苫編山
西 伯母ケ谷(山所)
東 荒川(四ツ池)

伯母ケ谷峠


不思議な送電線鉄塔

11:17
視界を遮る木々が少なく展望がよいのは、かつてこの斜面一帯を焼き尽くした山火事があったためだ。でも南側の苫編山がよく見えるものの、それ以外は春霞のためぼんやりと見えるのみ。

荒川山塊らしくない眺望の道を登る

11:25
日当たりがよい南向き斜面のためか、コバノミツバツツジがもう咲いている。色鮮やかなピンク色の花を見るとようやく春がやって来たのを実感できた。

コバノミツバツツジ

11:36
今日の行程のほぼ中間地点、伯母ケ谷峠の北側140mほどのピークも十字路になっていて、東西とも明確な道が下っている。東側は小ピークを越えて姫路商業高校へと下っていくようだ。

北 縦走路 籾取山35分
南 縦走路 苫編山20分
西 蒲田20分
東 荒川(姫路高)20分

140mほどのピークは
東西へ下る道があり十字路になっている

11:39
山陽新幹線西庄トンネルの真上の157m標高点ピークへは、緩やかに下りそして緩やかに登っていく。明るく、険しさもなく、これからの人生をどう生きていけばよいかなどと深刻な考え事をしながらでも気楽に歩ける区間だ。

のんびりとゆったりと

11:43
「陸軍省所轄地 第21号」と刻まれた石柱が立っていて、この先にも何本か残っている。陸軍省は1872年に兵部省から分離設置され、1945年に第一復員省に改組されたので、この石柱が立てられたのは136年前から63年前の間に間違いないが、陸軍の山城が築かれた時期があったのだろうか。

「陸軍省所轄地」石柱

11:48
高木はなく木々の密度も低いのだが、尾根は広く見通しは利かない。でも、山陽新幹線が疾走する音が近づいてきたので、157m標高点ピークが近づいてきたのが分かる。

相変わらずの雑木林歩きが続く

11:53
山陽新幹線西庄トンネルの真上の、157m標高点西側に立つ送電線鉄塔(西庄P6 昭和46年3月 JR西日本)に着いた。昭和47年3月の山陽新幹線新大阪〜岡山間開業の一年前に建てられた、JR西日本が所有するもので色々と興味深いものだ。

JR西日本 西庄P6 送電線鉄塔

鉄塔を見上げると天辺に鳥の巣が作られているのはご愛嬌として、送電線が左右に2本づつ張られていて(左右一番上の2本は架空地線で送電線への避雷のためのもの)、電力会社系の送電線が必ず3の倍数(ごく一部の直流送電線は除く)になっているのとは異なる。これは単相交流2万5千ボルトを使用する山陽新幹線へ送電しているためで、非常に稀な形式のものだ。

送電線は2本×2組の4本

それから昇塔用足場ボルトが外されてなく、誰にでも容易に昇れるようになっている。「25,000V高圧 危険 昇ってはいけません」の警告板を付けたり、ねずみ返し(ノンクライム)を、設けていても「電気設備に関する技術基準を定める省令」に違反しているのは間違いなく、私でも容易に昇塔できてしまう。

(架空電線路の支持物の昇塔防止)
第二十四条  架空電線路の支持物には、感電のおそれがないよう、取扱者以外の者が容易に昇塔できないように適切な措置を講じなければならない。

「電気設備に関する技術基準を定める省令」より

省令違反のJR送電線鉄塔
私でも昇れます


籾取山(もみとりやま)

12:01
次の目的地は東側の157m標高点に立つ、同じJR西日本の送電線鉄塔だ。

次の鉄塔へ

ほんの2分ほどで鉄塔(西庄 P5 昭和46年3月 JR西日本)に着いた。ここから籾取山へと北に曲がる縦走路以外に、南東方向の姫路商業高校へ下る道が存在する。4枚の案内板が下がっているが1枚目のが分かりやすい。

北 縦走路 籾取山20分
西 縦走路 苫編山30分
南東 荒川(姫商高)20分

南東 県商北門内 循環器 西庄
西 県商バス停

北 循環器病院

北 高岡 琴丘 方面

12:11
暑苦なってきたので上着を脱ぎ、日差しも強くなってきたのでヘッドバンドから帽子に替えて、縦走路を北に向け出発。

二番目の送電線鉄塔で北へと曲がる

12:14
少し行くと東側に分かれ道があり、その先は展望所になっていた。姫路循環器病センターの先には姫路の市街地が広がり、姫路城も遠望できたがそこまでで、それから先はボーッと霞んでいる。

麓の姫路循環器病センター

12:21
次の峠までは、滑らかな岩が一部露出した滑りやすい急な道を下っていく。この辺の道を手入れしている人も散々転んだのだろう。直登路から外れて、どっかに行きそうな気がするぐらい左右に振りながら下る九十九な迂回路が開かれているし、トラロープも延々と張られている。

トラロープが張られた急な道を下る

12:24
標高90mほどの「小蓑峠」だ。縦走路の通っている峠なので、ここも東西ともに狭いが明確な道が下る十字路になっていて、伯母ケ峠にあったのと同じ形式の道標がある。

北 籾取山
南 苫編山
西 蒲田 JR変電所
東 西庄 循環器病院
ここ 小蓑(コミノ)峠

小蓑峠

12:29
地形図を見ると籾取山への登りは緩そうだ。だが、平均斜度は緩いのだが地形図に載らないくらいに緩急の差は大きく、意外ときついところもある。

以外にきつい籾取山への登り

籾取山の手前の標高150mほどの地点か、琴丘高校南東側の山へ続く分かれ道がある。分岐点にはその方向へ入らないようにと木が横切るように置かれている。

12:41
その分岐道へ少し入ってみると明確な道が続いていて、このまま行こうかなとも思ったが、まだ先の琴丘高校近くに確かめてみたいルートがあるので、ここは3年後ぐらいの再訪時に行ってみようと思う。

琴丘高校南西の山に続く道があった

12:45
電波反射板と送電線鉄塔がセットで現れ、もうすぐ籾取山の頂上だ。ここから電波反射板までは露岩が続き、そのため踏み跡が明確ではなく、下るときには道を失ったのではないかと少し心配するところだ。

鉄塔の先が籾取山頂上

12:50
登ってきた道よりも、フェンスで囲まれた電波反射板から南へJR変電所へ下る道があり、その道の方が広いので間違いやすい。

北 縦走路 鬢櫛山20分 籾取山すぐ
南東 縦走路 苫編山70分
南 蒲田神社20分

電波反射板から苫編山は南東方向だ

12:55
管理者不明の電波反射板と送電線鉄塔(西日本新姫路線 四)のすぐ先が籾取山の頂上だ。

この送電線鉄塔が邪魔だと言う人もいる

12:56
籾取山頂上には200.3m四等三角点標石(点名:籾取)と、三つに折れた小振りな石碑がある。石碑には「明治33年4月11日 伏見宮貞愛親王殿下採蕨之跡」と刻まれている。明治33年というと西暦1900年で、貞愛親王(ふしみのみや さだなるしんのう 1858年伏見宮邦家親王の十三男として生まれ、1923年2月4日薨去 元帥陸軍大将)が41、2歳ごろここで蕨(ワラビ)を摘んだという記念碑だ。

ワラビを摘んだだけで石碑が立てられてしまうわけで、私はこれからここで三度目となる昼食を食べるので、もう少ししたら「のあるき様三回昼食之跡」という石碑が立つことだろう。

なお、この籾取山頂上を鬢櫛山頂上としている資料もあるが、昔の人々は最高標高地点などに執着せず特徴的な地形や事物をさして鬢櫛山と呼んでいたはずで、ここが鬢櫛山頂上とは私は思わない。

籾取山頂上

この籾取山には次の2枚の登頂記念プレートが下がっていたが、ゴミを残していくとは不届きな自己顕示欲者たちだ。



鬢櫛山(びんぐしやま)はどこだ、でも難読地名が多いな

13:18
昼食を終えて次のピークを目指し縦走路の北上を再開する。

13:22
縦走のフィナーレを飾るかのように、しばらくは展望よい岩がちの尾根が続く。でも逆に北から縦走を始めてしまうといきなりフィナーレで、そのあとは見通しのない尾根道歩きが続くことになり、この荒川山塊は南から歩くに限る。

展望の岩がちな尾根が続く

13:26
186m標高点手前の190mほどの平坦なピークは展望がよい。でも何を勘違いしたのか大きめな登頂記念プレートが一枚取り付けられている。この山全体を鬢櫛山と理解して付けているなら、全てのピーク・尾根・谷・山裾も鬢櫛山なので問題ないかもしれないが、ここを通る人の多くがここを鬢櫛山の頂上だと誤解してしまうだろう。

無名ピークのはずだが
神戸ツキワ会が登頂記念プレートを残したところ

13:36
186m標高点のあるピークを通過。今は何のプレート類もないこのピークだが、かつては「つるが峰 186m」、「びんぐし山 186m」、「西へ上蒲田公園」などのプレートが下がっていた時期がある。「はりま歴史の山ハイキング」ではこのピークを鬢櫛山頂上としているが、鬢櫛山頂上はいったいどこにあるのだろうか。

なお地形図にも記載されている、このピークから西の蒲田へ下る破線道は現在も存在する。

おそらく鬢櫛山頂上を通過

13:41
西の尾根に立つ送電線鉄塔を目指し下りていく。尾根に立つ送電線鉄塔など目障りだと嫌う人が多いようだが、送電線システム愛好者の私には望ましい美しい景色にか見えない。

送電線鉄塔は「西日本新姫路線 三」で、籾取山頂上近くにあった四番鉄塔よりも若い番号で、こちら側の方が電源に近いことを意味している。

尾根に立つ送電線鉄塔
(西日本新姫路線 三)

13:49
送電線鉄塔を過ぎると、細いビニール紐を張って登山道を閉鎖している。別段立入り禁止などの表示はないし、これは一般ハイカー向けではないはずだ。おそらく、麓の琴丘高校クロスカントリー愛好生徒向けの「ここから南へは行っちゃだめよ」バリヤーだと判断して脇を通り抜ける。

このバリヤーの本当の意味は??


琴丘高校裏の岩山

13:55
下山予定地の琴丘高校が大きく見えてきた。

地形図の破線道は高校体育館の裏が終点で、そのあとは校内を通り抜け校門から外に出るのだが、校舎北側に見える岩山に登るのが本日の本当の目的なのだ。でも、岩山手前に見える空き地に、風に吹かれて揺れる表示板が見える。「高校敷地内に入っちゃだめよ」なのだろうか。

琴丘高校裏の岩山

14:01
T字路に突き当たった。左は北を通る車道へそのまま下る道、右は琴丘高校へ下る道で、当然右を選ぶ。

14:04
心配された空き地の表示板は下のようなもので、植えられている苗木を守るために掲示されているみたいだ。

ここは国有林です

国有林にある産物等を無断で持ち帰ったときは、「森林窃盗」により森林法で罰せられます。

森林法
第197条 森林においてその産物(人工を加えてものを含む。)を窃取した者は、森林窃盗とし、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。
第201条@ 森林窃盗の贓物を収受した者は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。
A 森林窃盗の贓物の運搬、寄蔵、故買又は牙保存をした者は、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

兵庫森林管理所

筆者注:条文中の誤字はあえてそのままにしています。

無事に空き地を通過

14:06
茶色に塗られた送電線鉄塔(西飾磨支線 二)の中を通過。当たり前だがJRの鉄塔みたいに足場ボルトは手の届くところには設けてられいない、極真っ当なものだ。

最後の送電線鉄塔の中を行く

14:11
高校体育館に再接近し岩山が近くに見えてきた。校舎側こそ急な岩山だが草付きもあり登れそうだ。

本日の目的はあの岩山に登る事

14:17
草付きの中にごく普通に踏み跡があり、簡単に登れてしい、少しがっかり。でも琴丘高校を眺めるには絶好の場所であるのは間違いない。しかし開けた姫路なのに山奥の学校のようなこんな谷間に作らなくてもよかったろうとは思う。

岩山から見た姫路市立琴丘高等学校

14:19
登ってきた踏み跡を下ろうと思っていたが、北側に境界見出し票の切り開きが真っ直ぐに下っている。調査のための切り開きであって、ハイカーの利便などまったく考えてないものだが、何とか下りられそうだ。

境界見出し票の切り開きを発見

14:22
最初はよかったが、中途から木につかまっても滑り落ちるような、とんでもない急傾斜の切り開きとなり、その上に切り開きは下界まで届いてなく、さらに急斜面のヤブに行く手を阻まれてしまった。もうあと15mもないのに登り返すしかないのか。

快調に下り始めた界だったが

14:31
それでも諦めきれずに周囲を観察すると、右15mほどのところに道状の形が見えるではないか。何とか水平移動していくと何のために通されたのか知らないが、明確な広い道跡が存在していた。

藪の中に道跡を見つけた

14:34
道跡は狭い踏み跡に変わったが、無事に下界に下り立つことが出来た。場所は琴丘高校への進入路から山裾を北に進んだところだが、はっきり言ってハイキング向きの登山口ではない。

無事に下山

姫新線を渡り国道2号線に出ると、姫路駅前行きのバスが信号待ちをしていた。次を待ってもよいのに思わずバス停へ走り出してしまい、どうやら歩き足りなかったようだ。



スポンサード リンク



山行記録にもどるホームにもどる本ページのトップ