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神呪寺から登る甲山と展望抜群の社家郷山



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平成20年3月29日(土)  メンバー 私だけ

阪急甲陽園駅〜甲山森林公園〜甲山〜社家郷山〜宝塚西高前バス停

2万5千分の1地形図「宝塚」を見ても社家郷山の登山道は記載されていない。


甲山森林公園で野外彫刻を愛でる

8:23
阪急甲陽園駅から23分で甲山森林公園に着いた。途中コンビニに寄り道したにもかかわらす、標準コースタイムの25分を切ったが、地形図の市街地の中に隠されている等高線を読みきれずに緩やかな道とばかりと思っていたのが、標高差はなんと100m近くもあり急坂を織り交ぜた登りばかりでいきなり疲れてしまった。

甲山森林公園の正門

本日の主目的は、ここ甲山森林公園と下山地予定地の宝塚市の逆瀬川ゆずり葉緑地にある野外彫刻を巡ることで、その間に存在する山々をついでに踏破しようというものだ。そんなわけで春めいてきた甲山森林公園内を散策することはなく、シンボルゾーンの彫刻の道へ直行。

8:32
甲山を御神体として祀るかのように見える記念碑広場への道の両側には、昭和48年に開園を記念して行われた「甲山森林公園石彫シンポジューム」で製作された大理石を素材とする14の彫刻が並んでいる。

甲山を借景にした彫刻の道


神呪寺から登る甲山

9:51
文化元年(1804)建立の神呪寺仁王門下に、ようやくたどり着いた。隣同士の森林公園から神呪寺へ行くのに迷う人など絶対にいないと思うが、しっかりと迷ってしまったのだ。

なぜか西へ進むところで東に進むという、単純なるがゆえに陥りやすい間違いだったが、その事実に気がついたのは、翌日にこの記録を編集中のことで、その時はやけに遠いなと感じただけで迷っているなどとはまったく認識していなかった。

仁王門から本殿へと続く石段の道は、なぜか仁王門の先で交通量が多い上に見通しの悪い車道が横切り、分断している。信号もなくビュンビュン飛ばす車の合間をぬっての横断が、甲山への最初のそして最後の危険な核心部だ。

神呪寺仁王門

9:59
本殿すぐ下の展望台からは、大阪梅田のビル群を中心にした大展望が広がり、夜景も素晴らしいという。最高気温が20℃に近い暖かい日が続いたが、今日は天気のせいなのか薄ら寒く寒暖計は10℃を示している。でも空気は霞んでいる。

神呪寺の展望台より

10:08
地形図で神呪寺境内の東から甲山への登山道が始まっているのを見て、あまり確信もなくここまで来たわけだが、展望所近くに登山口があった。

本堂の右に不動堂、納骨堂が建てられていて、白壁の納骨堂の右に「国家平安守護 神功皇后 兜埋蔵之伝説地 甲山」の扁額がかかる朱色の鳥居が、あれ、お寺に鳥居はないな。まあ、その辺を深く追求するのは止めておいて、鳥居の右の今日は閉まっているお茶接待所にも「←甲山登山道」の案内板がある。

神呪寺境内からの甲山登山口

鳥居近くの石碑には甲山の由来について次のように刻まれている。

かぶとやま

人皇14代仲哀天皇の皇后神功皇后が国家平安守護のため山頂に如意宝珠及び兜を埋め後53代淳和天皇の勅願により天長8年10月18日当寺開創大殿落慶、弘法大師左の偈を残し給うと伝ふ

峰有摩尼如意宝
大聖為利諸衆生
普雨一切珍財具
入此地者得豊栄

納骨堂裏手の多宝塔を過ぎると西宮市の案内板があり、それには次のように書かれている

甲山

標高309m、太古に活動した火山で、西宮誕生の生き証人とも母なる山ともいえましょう。遠くはその頂に神が降りたまい、近くは銅戈の出土により祖先の足跡を残す山として、さらには弘法大師のかかわる名刹神呪寺(かんのうじ)のある山として、崇敬を集めています。山頂に展開する360度のワイドな風景は十国展望台であり、夜景の素晴らしさは息をのむばかり、近年山頂で日の出を楽しむ人が年毎に増えています。

10:10
「甲山園路案内図」によれば、北の頂上へ九十九に目指す道と、反時計回りに東側に回りこんでから頂上へ登る道に分かれている。登山路でもハイキング路でもなく『園路』となっているのが怪しいが、素直に北へ九十九な道を登ることにする。

ここが実質的な甲山登山口かな

これ以上はないと思うほど完璧に整備された階段道が頂上まで続く登山道は、一部に眺望のよいところもあるが、周囲の木々のため視界は閉ざされている。登るのが楽しくないどころか苦痛さえ感じてしまい、私にとっては最悪の詰まらない登山道だが、どんなに詰まらない登りでも初めての山なので、心の中はルンルンワクワクだ。

神呪寺からの登山道

10:22
丸い広場のような甲山頂上に着いた。その頂上広場の中心を東に外れたところに309.2m二等三角点(点名:甲山)が、乱雑に積み上げられたケルンの近くにある。

六甲山は約1億年前(中世代白亜紀)に、地下でマグマがゆっくりと固まってできたた花コウ岩(御影石)が、この100万年ほどの間の地殻変動で隆起し形づくられたものだが、この甲山は約1,300万年前(新第三紀中新世)に火山が噴火してできた山で安山岩から成り立っているという。確かに積まれているケルンは六甲山で見る岩とは違うような気もするが、私にはその違いが明確には分からない。

山頂にはケルンと三角点標石が

二等三角点 甲山

北 緯34度46分29秒7679
東 経135度19分3782
標 高309.21m
設置年明治34年(西暦1901年)

ここに設置されている標石は「三角点」です。
「三角点」は、地球上の正確な位置(緯度・経度)が求められており、地図を作ったり道路や橋を建築するとときの測量に使う大切なものです。
このような三角点は、日本全国の山の頂上など、見晴らしのよい場所にたくさん設置されています。
三角点を大切にしましょう。

平成20年1月1日

国土交通省国土地理院近畿地方測量部
(社)兵庫県測量設計業協会
6月3日は「測量の日」

山頂広場には、西宮市連合婦人会が建てた「平和塔」という、なぜか生垣で囲まれて入口柵には鍵が掛けられていて、中に入ることのできない施設がある。その柵には「309.1m 甲山 JL3VOG」と書かれたアルミ製の登頂記念プレートが下げられていた。

10:38
今は葉を落とし枝越しに周囲を見渡せるが、もうじき視界が閉ざされるだろう山頂広場から、「北山貯水池 甲山自然観察池」と案内板が示す西側へ下る道に入る。

広々とした山頂から西へ下る

10:40
下り始めはそれなりによかったが、急勾配となる中腹は荒れていた。山道の補修に使った土嚢の白い繊維がほつれてちぎれて、荒涼さをさらにアップさせている。

下り始めはよい道だが

10:47
真っ直ぐに付けられた道に雨水が流れるのか、路面は荒れている。神呪寺から登った整備しつくされた道とは雲泥の差があり、その中間ぐらいがよいと思うのだが、安山岩からなるこの甲山はそれを許さないのだろう。

麓が近づくと真っ直ぐな
荒れた道になる

10:49
10分ほどで麓に着いたが、そこには次のような案内板が立っていた。地形図、コンパスはもちろん、フォーストビバーク用装備とか非常食などの十分な準備がないと甲山には登ってはいけないんだ。私はそういった準備は万全で幸いにも遭難することはなかったが、甲山は思いのほかとても危険な山なんだ。

この先、未整備区間につき、
ハイキングや山登り等の
準備が十分でない方たちの
立入を禁じます。

甲山森林公園管理事務所

10:53
西側の甲山自然観察池から見ても、甲山の姿形は変わらず中華鍋を伏せたように見える。

出会ったハイカーは、登りは0、下りは1人、頂上滞在中の15分ほどの間に見かけた人は6人ほどと、あまり人気がない山なのかな。

甲山自然観察池から甲山を見る


次は樫ケ峰だが社家郷山と呼ぶのかも

次なる山は甲山の北西、西宮カントリークラブの向こうに東西に稜線を延ばす「樫ケ峰」だ。でも、ウェブで調べてみると山全体を「社家郷山」(しゃけごうやま)と、457mピークを樫ケ峰と呼ぶようだ。

神呪寺から西へ北山貯水池の北側を行き、甲山墓園の間を通る「甲山大師道」を進む。でも、ただの車道歩きで面白くもないが、始めて歩く道なので少しだけルンルン。

11:16
信号機のある「鷲林寺町」交差点の案内板は、かぶとやま荘→、六甲保養荘→、六甲山・宝塚→、西宮北有料道路→と右ばかり指し示しているが、一枚だ正面の鷲林寺へと続く細い道は「かんのん道」となっている。鷲林寺から西の観音山526mへ登れるようだが、次回の課題として、今日は右へ曲がり社家郷山を目指す。

11:27
鷲林寺町交差点から緩やかに登る車道を行き、県立西宮甲山高校の先で西宮北有料道路への高架が西へと別れて行き、少し下った先が「甲寿橋」交差点だ。交差点の手前の歩いて10分もかからない西宮甲山高校前にバス停があり、1時間に1〜2本と多くはないが阪急夙川駅からバスの便がある。

この甲寿橋交差点にも「盤滝口」バス停があるにはあるが、阪急逆瀬川駅より1日3便とものすごく不便で、登山口から少し奥にある「かぶとやま荘」へは阪急夙川駅からのバスの便があるが、午前中は9時台の1便だけと同様に不便だ。でも時間をうまく合わせれば、利用価値があるかもしれない。

交差点の向こうが仁川に架かる甲寿橋

社家郷山の登山口がある「西宮市社家郷山教育キャンプ場」は、交差点を直進し甲寿橋を渡って、さらに100m進むと入口がある。


階段を登るとそこは社家郷山の中だった

11:32
キャンプ場への車路入口の隣に、写真の44段の階段で始まる社家郷山キャンプ場の入口がある。入口横にある案内図はキャンプ場近くだけで、社家郷山全体のハイキングコースは記載されてなく、キャンプ場管理棟でハイキングコースマップをもらった方が賢明かもしれない。でも情報は少しはあった方がよいが、多すぎると山登りの醍醐味が薄れてしまうと思い、あえて貰いに行かなかった。

今回も当然に、ウェブで社家郷山の登山道情報を仕入れてやって来たのだが、わざと斜め読みして情報過多になるのを避けた。しかし、この山行記録を公開することと、なにか矛盾するような気がするな。

社家郷山キャンプ場入口

ハイカーのみなさまへ

社家郷山キャンプ場は、祝日を除く火曜日〜金曜日(夏休み期間をのぞく)が休場となっています。ハイキングをされる方は、北側(山側)の階段からハイキングコースへ通じていますのでご利用下さい。

お願い

石造りの立派な階段を登り切ると、そこは社家郷山の真っ只中だった。キャンプ場へ行く極普通の道があるだけと思ってたが、常緑樹主体の緑濃い森の中に落ち葉の積もる山道が延びていた。心憎い演出に唖然とするも、嬉しくなりこの先が楽しみになってきた。

11:37
山道が三方に分かれている。左から、管理事務所・キャンプ場への道、時計回りに「四季の道」を回る階段道、反時計回りの「四季の道」。入口にあった案内図で、真ん中の階段道が展望台(あずま屋)を経由して稜線に至る最短ルートだと確認してきたので、迷うことなく登り始める。

三又の真ん中を登る

11:40
お気楽なキャンプ場内の散策路だろうと油断し、まだ山登りの心構えができていないのに、いきなり始まる急な登りだ。コース自体はよく整備されていて、急な登りは丸太階段であったりするが、落ち葉が沢山積もり道を覆い隠そうとしている。

いきなり急な四季の道

これから歩くこの山のハイキング道脇の立ち木には「四季の道 周回コース」や「樫ケ峰ルート」などコース名が書かれた木札が、てんこ盛りにくくり付けられている。一枚一枚丁寧に作られた力作で、ほとんど全てのハイカーは好感を持って受け入れるものだろう。

キャンプ場が作り、そして取り付けたものと思うが、この木札を見た子どもたちは「わっ、綺麗なプレートだな。こういうの作り木に吊るしたら楽しいな」と思うに違いない。そして、登った山々の全てに登頂記念プレートなどなどのゴミを残す大人になってしまうのではなかろうか。こんなことを考えぼやくのは、私だけだろうか。

木々に吊るされたゴミ


急な林間ルート

11:45
1周400mの「四季の道」に別れを告げ、「←展望台 あずまや 約290m 西教委」と案内板が示す分岐道へ入る。

四季の道から展望台への分岐点

11:47
そのまま一気に登るのかと思ったが、一旦下った先が「長谷峠」で十字路になっている。道標を見ていると、果たして装備は万全かどうか心配になってきた。キャンプ場が配布するルートマップも、絶対に迷わないというGPSも持っていないし、引き返すべきなのだろうか。

↑林間ルート
キレットルート↓

(これよりハイキング道です。体調、装備は万全ですか?)

↑あずま屋 休憩台  四季の道出合↓
← 社家郷山キャンプ場  長谷→

長谷峠

登り優先! 順序正しく

長谷峠からあずま屋方向へ

11:55
正直に告白すると、登山口からの標高差が200mほどしかない社家郷山などたいしたことないと、完全になめていた。でも、意外と登りがいがあり、西宮市の青少年たちの精神修行を効率よく行うために、辛い山登りをさらに辛いものとするため、わざとハイキング道を急にしたのじゃないかと邪推し始める始末だ。

地形図を見ると、長い尾根の前半は等高線が詰まっているので、急になるのは理解できるが、お腹がすいてくるとろくなことを考えないなと自覚はしていが、でも九十九にするなり何なりの方法があったはずだ。

意外とガイな社家郷山

12:02
でもそこは標高差200m、そんなに急な登りが続くわけがなく、長谷峠から15分で道標にあった展望あずま屋に到着。

こんもりとした甲山を中央にして広がる眺望を、ゆっくりと楽しみたいところだ。でも、ちょうど食事を始めた単独男性ハイカーの邪魔をするのも忍びないので、食べてるその前に遠慮なしに三脚を立てて、そそくさと数枚の自分撮りをしたのみで早々に立ち去った。

展望あずま屋に到着。

12:07
展望あずま屋を過ぎると尾根は狭まり、そして緩くなり、もう私の大好物の急登が現れないのは少し残念だ。私が愛してやまない地形図も「この先は緩やかだよ」とささやくので仕方がないが、もう一度下って登りなおしたいくらいだ。

でも、尾根が緩くなり一安心

12:09
くそ、舌の根も乾かぬうちに、この性悪尾根め、なんとトラロープが張られた急登が現れやがった。でも、そこは片側が少し切れ落ちていて単なる危険防止のためで、すぐに緩やかになった。

トラロープが張られた難所??

12:12
「←西三ツ辻出合 (林間ルート) あずま屋休憩台→」の道標を過ぎると、一気に尾根が広がり緩やかになり、ここは天国かと思うような雰囲気の道になった。思うに、今日の私は単に坂道を登るのが嫌いなだけみたいだ。

稜線が近づくと、私好みの道になってきた

12:25
この林間ルートは名前のようにほとんどが林の中を行き、あずま屋休憩台以外は眺望を得られなかった。でも稜線が間近に迫ると周囲の木々の背は低くなり、裸地を行く道からは周りの景色が楽しめるようになってきた。ただし平坦すぎて、前方近くにあるはずの稜線がどこにあるのか判然としない。

もうすぐ稜線だ

12:27
稜線に到着。次のような道標が立っている。

←小笠峰出合  東三ツ辻出合→
社家郷山キャンプ場↓

西三ツ出合

道標以外に「社家郷境界」と刻まれた境界石柱が立っていて、ここを社家郷山頂上としている山行記録があり、「社家郷山 489m JN3KWD」と書かれた登頂記念プレートも下がっている。でも、ここは公設道標が表示しているように「西三ツ出合」で、社家郷山の頂上ではないと思う。確かにここは稜線上の最高標高地点ではあるが、「最高標高地点=頂上」が成り立たないのが面白い。

西三ツ出合で昼食にする

北西方向の眺望がよく、直線距離で約1km離れた2本のマイクロウェーブ中継鉄塔が立つ大平山が思いのほか近くに見える。ここで昼食にしたが、東から3人の親子、西から1組の夫婦が通り過ぎていった。このあとに樫ケ峰までの間に1人の男性ハイカーに会い、登るときに会った1人を入れると、合計7人にも出会い、意外と人気のある山なんだ。


樫が峰へと展望ルートを行く

12:53
昼食を終え、樫ケ峰ピークを目指し東へと歩み始めと、道脇の木々に「社家郷山展望ルート」や、単純に「展望ルート」と書かれた木札がくくりつけられている。

12:56
稜線を行く道は、「展望ルート」の名に恥じない抜群の眺望を楽しみながらの、爽快な稜線歩きが楽しめるかというと、そんなことはない。木々に囲まれた広い稜線では展望の「て」の字も存在しない。

まあ、これはこれで趣がある快適な道で、眺望の道よりもこんな雰囲気の道の方が好きなくらいだ。

林の中を行く快適だが
展望のない「展望の道」を行く

12:57
「←東三ツ辻出合  (展望ルート)  西三ツ辻出合→」という道標が立っている。柱は古いのに案内板は新しく作り直されていて、公設の道標などは普通なら倒れても朽ちてもほったらかしが普通なのに、修繕していく姿勢に感心してしった。

12:59
広い稜線から、一気に高度を落として狭い尾根へ乗る地点だ。始めはぐらつく鉄棒を支点として頼りにならない鎖が張ってあり、その下は立ち木を支点としたトラロープが張られている。

30mほどの急降下

13:04
狭まった尾根から周囲をうかがうことが出来るようになったが、「展望の道」とまではいえない中途半端な道になってきた。「←東三ツ辻出合  (ツツジ道乗越)  西三ツ辻出合→」と表示された道標が立っている。

ツツジ道乗越を通過

13:07
「←樫ケ峰  (東三ツ辻出合)  西三ツ辻出合→  キレット展望台↑」の道標があるピークで、登ってきた尾根の一つ東側の尾根へ「キレットルート」と書かれ黄色く塗られた木板が下げられている。キレットルートを少し下りてみようかなとも考えていたが、えらく急な下りで登り返すことを思うと、臨機応変に計画を変更しこのまま樫ケ峰を目指すことにする。

東三ツ辻出合
キレットルートへの下りは予想外に急だった

この東三ツ辻出合の手前で、北側へ下る明確な道が直角に分かれていて、入口左右には赤テープのマーキングが付けられいた。この先の「馬ノ背岩展望台」から見える、踏み跡幅しかないような激痩せ裸尾根へと続いているものと思う。一度は歩いてみたい尾根だが、この山域は私の住む姫路市からは遠く、再訪の機会があるだろうか。

13:12
地形図とそっくりに、稜線が右回りに樫ケ峰へと回り込み始めた。いや、地形図が実際の地形を写しとっている訳だが、地形図を真剣に読みながら歩いていると、実際の地形を歩いているというよりも、地形図の中で身長0.1mmもない小人になって歩いているような錯覚に陥ってしまう。

稜線は樫ケ峰へとグルリと回り込む

13:14
ここに来るために登ってきた「馬ノ背岩展望台」に到着。独立ピークではなく、稜線の途中にあるちょっとした盛り上がりだが、狭い尾根に木々はなくまさしく展望台と呼ぶに相応しいところだ。

特に北西から北東方向の眺望が優れていて、東六甲の荒々しい山肌と緑の木々が織り成す景色が素晴らしい。そして、西と東は塞がっているが、南にはこんもりとした甲山と市街地の先には大阪湾が見えた。

馬ノ背展望岩から

13:23
十分に展望を堪能し、最後の樫ケ峰ピークへと緩やかに下り、そして緩やかに登り返す。途中南側に少し離れて、なぜか「西宮市公共基準点200」と銘板が付けられているが、「骨幹三角点 + 8 西宮市土木局」と刻印され金属票が埋められている。

樫ケ峰はすぐそこだ

13:29
樫ケ峰ピークに到着。天気のせいか常緑樹が多いせいか、薄暗く陰気な感じの眺望のないところだ。その上に東西に長いピークで頂上らしさが感じられない。

樫ケ峰ピークは薄暗い

「社家郷山」と刻まれた石柱があり、ご丁寧に文字が赤色に染められていて、ここが社家郷山の頂上だと主張しているように見える。でも、石柱左横には「境界」、右横には「35」、そして上面には境界線の方向が刻まれている。結局、この石柱も単なる境界見出し票であり、ここを社家郷山の頂上とするものではない。

これは境界見出し票

西教委の公設道標には「樫ケ峰山頂 標高461.1M (甲山より152M高いよ!)」とあるが、地形図の「標石のない標高点」は457mとなっていて、その差4mほどはどうして生じたのか不思議だ。もっと不思議なのは「標石のある標高点」の標石を一度も見たことがないことだが、もしかすると標石は地中深く埋められていて、「標石のない標高点」も地下4mに設定されているのだろうか。

それから、登頂記念プレートという名のハイカーが残していったゴミが3枚が下がっていたが、どれも古いもので文字が読み取れないものもある。

  1. 457 樫ケ峰 '99.8.22 西 弘一
  2. 10周年記念ハイク 1995.11.17 樫ケ峰 457M 川西市清和台ハイキングクラブ
  3. H15.1.24 樫ケ峰 461.1M ※※※※(8文字ほど読み取れず)

下山は西のゆずり葉台へ

13:35
樫ケ峰ピークのすぐ東側で、南へ社家郷山キャンプ場へと下る分岐道があり「樫ケ峰ルート」、「キャンプ場へ→」の案内が下がっているが、西教委の公設道標はない。そのまま東へ下る「宝塚市ゆずり葉台」方向には「西宮ゴルフ場」の案内板がある。

樫ケ峰すぐ東の分岐点を直進

13:37
古いトタン看板があり、この社家郷山は禁猟区ではないことが分かるが、狩猟時期でもハンターが入ることはないと思う。瀬戸内海国立公園に指定されている六甲山は狩猟が基本的にできないはずだが、調べてみると社家郷山はぎりぎりで国立公園から外れていた。

注意

当ゴルフ場内の鳥獣に対し狩猟危険につき禁止します。

西宮警察署 西宮ゴルフ場 西宮

13:40
社家郷山キャンプ場(西教委)が管理しているハイキング道から外れたこの道は、砂が浮きざれていて滑りやすい。どのように作ろうととも評判が悪い階段道だが、土砂の流失による登山道の崩壊を防ぐ効果は絶大で、このような管理者不在の道を歩くとそのありがたみがよく分かる。

また展望の下山道でもあるが、足元に注意力の全てを注がねばならず、眺望を楽しむ余裕はない。

東へ下る荒れた道は展望良好

13:42
最終的には北東方向のゆずり葉台へ下るのだが、なぜか南東方向の甲山が正面に見えてきた。春霞で遠望のきかない1日だったが、この辺が最後の展望地となる。

正面に甲山が

13:47
関西電力送電線巡視路に突き当たった。半分朽ちかけた道標は北側を指して「ゆずりは台」としていているが、樫ケ峰ピーク方向へはこれといったマーキングはなく、足元の石に赤スプレーで↑となっているだけだ。

樫ケ峰ピークへは踏み跡程度だが、送電線巡視路が尾根筋を横切るという地形的に特徴のあるポイントなので、登ってきてここを直進し西宮ゴルフ場へ下りてしまうハイカーはいないだろう。

13:49
送電線巡視路は広く、そして平坦で歩きやすい。送電線鉄塔建築中は作業員の通勤経路でもあったわけで、どんなに険しい狭い尾根でも基準値以下の傾斜にするため、尾根をぶつ切りにしてでも無理やり九十九に道を付けてしまうという少々困った面もあるが、ここはどうなのだろう。

送電線巡視路をゆずり葉台へと下る

13:53
この送電線巡視路を開設した人が地形の改変を嫌ったのか、あるいは単に予算が少なかったのか、私の思う送電線巡視路の基準に満たない道になってきた。つまり急で足場も悪く歩きにくく、普通ならプラ階段が現れるはずなのだが。

荒れた送電線巡視路を下る

13:58
2回線耐張型鋼管製送電線鉄塔「新神戸線 二八」の脇を行く。ハイカーの中には送電線鉄塔を目障りだと毛嫌いする人が多いが、送電線システム愛好者の私にとって、うなぎの蒲焼に山椒、ソバに七味唐辛子、ピザにタバスコ、玉子御飯に醤油のように、山の風景をピリッと引き締めてくれるなくてはならない存在だ。

「新神戸線 二八」送電線鉄塔

14:00
送電線鉄塔から下はプラ階段が始まり、麓まで続いている。

送電線鉄塔から下はプラ階段

14:06
ゆずり葉台の山に挟まれた町並みが見えてきた。この下部の岩がちの激急では、プラ階段の杭がまともに打てなかったのか流出してしまい、がたがたの道になっている。

14:10
逆瀬川にかかる岩倉橋のすぐ下に出た。宝塚から逆瀬川沿いを遡り、(社福)聖隷福祉事業団が運営する介護付有料老人ホーム「宝塚エデンの園」手前の岩倉橋を渡る前のガードレールが途切れているところから、車道を外れて入って行くとすぐに山側へ登る道が見つかるだろう。

下山地は岩倉橋の南詰

逆瀬川下流右岸のゆずり葉緑地で野外彫刻を撮影した後、対岸の宝塚西高校前のバス停から阪急逆瀬川駅行きのバスに乗車する。運行ヘッドは約15分で、料金は均一の210円と比較的交通の便がよいところだ。



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