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第一回、八丈岩山(姫路市172.9m)に
登山口はいくつあるのだろう



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平成20年4月20日(日)  メンバー 私だけ

西新在家登山口〜新在家本町登山口〜1北新在家登山口〜2北新在家登山口〜
3北新在家登山口〜1田寺東登山口〜2田寺東登山口

特別付録
いい加減な八丈岩山ハイキングマップ
今のところ東側だけ


久しぶりに八丈岩山へ登る

国宝にして世界遺産の姫路城から北西に1.5kmほど離れた、八丈岩山に登るハイカーはいない。標高は172.9m(住宅地が迫る山麓で標高50mはあり、実質的には120mほど登るだけで頂上に達する)と低く、登山・ハイキングの対象とはならず、麓に住む人達の散歩コースとなっている山だ。八丈岩山という山名から、険しい岩山と誤解する人もいるかもしれないが、ごく普通の里山で、頂上近くにある八畳ほどの露岩から付けられたのかもしれない。

今回は、たくさんあるという登山口・登山道の全てを解明することにより、八丈岩山の全ての登山道を一気に歩き通すルートを見出すことが目的だ。でもこれを読んで、八丈岩山に登ろうかという酔狂なハイカーは現れるはずもなく、完璧に自己満足のための公開する必要性のない山行記録であるのは間違いない。

10:25
低山なので、近所なので油断したのか、いきなり出遅れてしまった。でも天気はよく、八丈岩山に登るにはもったいないような日和だ。

最初の西新在家登山口へは、あの登山用品店の前の道を北に進み、突き当たったバス通りを右折し次の信号機のある交差点を左折し、そして北へ八丈岩山へ突き当たるまで緩い坂道を登っていく。

北に聳える八丈岩山


西新在家登山口

10:38
車道が山に突き当たり、東へ曲がる地点の電柱に「西新在家三丁目17」の表示があり、登山口には「八丈岩山登山口」の木製標柱が立っている。公設の道標は数箇所の登山口にあるこの標柱だけで、登山道が複雑につながる山中には全くなかった。

西新在家登山口

10:43
市街地の中に浮かんだ孤島のような存在の八丈岩山だが、緑は濃く一歩踏み込むだけで、もうそこは自然に取り囲まれた別天地だ。林自体の手入れをする人などとうの昔にいなくなり、自然の営みに任せきった山はまさに自然と呼ぶに相応しく、見通しの利かない下草生えまくりの暗い林だ。

税金を投入して、下草を刈り、常緑樹を伐採し、落葉樹を植樹した、明るく見目麗しく「これが里山だ」という風景を醸し出すのも悪くないが、こんな混沌とした林も好きだ。

住宅地から一気に緑が渦巻く世界へ

10:49
コバノミツバツツジの盛りは過ぎて、ヤマツツジは赤い蕾をつけているだけで、モチツツジに至っては蕾もふくらんでいない。南斜面はツツジの端境期で、少し寂しい。

外の風景がちょっとだけ見えた

11:02
10分で登れるという八丈岩山だが、すでに20分が経過しているのに頂上はまだ遠い。そのうえ、私を頂上へ行かせまいとするかのように道は二手に分かれた。全登山道を確認するため分岐点は右に入ることに決めているので、頂上は無常にも離れていく。分岐点は出現順にアルファベットを振ることにして、ここを分岐点Aと呼ぶ。

分岐点A
←西新在家  ↓B  頂上→

11:04
直ぐにT字路に突き当たった。ここを分岐点Bとし、右側へ下る。頂上に登る前に下山してしまうみたいだ。

分岐点B
↓E  ↑C  A→

コケで緑色に染まった滑りやすい道があったりと油断のならない部分もあるが、篤志家がこつこつとステップを切っているので、なんとか尻餅を突くこともなく下ることができる。

11:12
どの道もそれなりの通行量があり、そして下草も刈られているようで、枝葉を掻き分けて進むような場面はなかった。

快調に下山中

11:14
そのまま真っ直ぐに下ると思いきや、コンクリートブロック溝が現れ進路を左に振る。溝は雨水を集めて溜池に導くために造られたのだろうか。本当の目的は分からないが、とりあえず水平道で歩きやすい。

謎の溝脇を進む

11:17
T字路の分岐点Cに突き当たった。刈り払いされた草木が積み上げられていて、人知れず道の整備を続けている人がいる証だが、もう少し目に付かないところに置いてくれたらと思う私は困ったもんだ。

分岐点C
↑新在家本町  ↓D  B→


新在家本町登山口

11:20
「八丈岩山登山口」の標柱が立つ新在家本町登山口に下山。住宅地から草の生えかかった舗装道を登った奥まったところで、横には石垣が組まれ、谷の奥には砂防ダムが見える。

新在家本町登山口

11:30
家に帰るわけにもいかないし、下ってきた道を登り返し分岐点Cを直進する。

二度目の分岐点C
←B  ↑D  新在家本町↓

11:32
行き止まりかなと思えるコンクリートの段差があったが、手作りの角材を組んだ梯子が置かれている。登ってみると、そこは砂防ダムだった。

コンクリートの段差を登る

11:34
砂防ダムの水通しにも木製梯子とアルミ脚立が置かれていて難なく通過できた。ダム上流側の平地には立ち木を使ってブルーシートが掛けられていて、野外生活者の生活拠点になっているような感じがする。でも、家財もゴミも少なく生活感に乏しく、今は利用されていないと思う。

砂防ダムの天辺を渡る

11:39
新たに切り開かれた道なのか、はたまたもともとあった道が砂防ダム建設により遮断されたのか、砂防ダムの先は急なアドヴェンチャーなルートとなっている。

八丈岩山がこんなに面白いとは

11:46
またT字路に突き当たった。今度も進まなければいけない右手は下山方向で、なかなか八丈岩山頂上へは登ることは叶わない。ここを分岐点Dとする。

分岐点D
↑1北新在家  ↓頂上  C→

この分岐点には次のような、薄合板にプラベニヤを張った案内板が下がっている。歩いた人でないと理解できず、設置方法に多大な問題があり、見た目に美的感覚が微塵も感じられず、ゴミというより他に言いようのないものだ。でも、手作り感あふれる素朴な案内板は、作り手の八丈岩山に対する深い愛情を感じ取ることができ微笑ましいが、ゴミはゴミだとしか言いようがない。

分岐点Dにあった道案内

11:50
分岐点を右にとって東へ下っていくと、正面に88m標高点がある卍印が記された山が見えてきた。その山の名前は金山、あるいは八代山、芝崎山、東光寺山などと呼ばれているようだ。

東に見えるは88m標高点の山

11:56
八丈岩山では、斜面に対して真っ直ぐに付けられた道がほとんどだが、ここを切り開いた人は楽をして登りたいと思ったのか、距離が長くなり開くのに多くの労力を要する九十九な道にしている。

珍しく九十九な道だ

11:59
もう直ぐ登山口なのか、斜面に人工地盤を築いた駐車場が見えてきた。

展望台のような駐車場だ


1北新在家登山口

12:03
車道からは絶対に見えない「八丈岩山登山口」標柱から駐車場の脇を下ると、階段があり道路に下りることができた。

ここが北新在家二丁目の「藤和ライブタウン新在家」への進入路終点近くにある「1北新在家登山口」だ。なお北新在家には三つの登山口があったので、時計回りにbPから3と勝手につけているだけで、世間一般には通用しない。

1北新在家登山口

12:18
1北新在家登山口から分岐点Dを過ぎ、さらなる分岐が現れないことを祈りつつ、今日初めて八丈岩山頂上を目指しコバノミツバツツジが彩る緩やかな小道を行く。もう少し早い時期なら、ピンク色のトンネルになっていたのではないかと思うと残念だ。でも真夏や真冬、そして蜘蛛の巣だらけの秋よりは、何倍も快適だ。

でも、顔の周りを終始うるさく飛び回る小虫が煩わしい季節になってきた。

もう少し早かったらピンクのトンネルだったろうな

「◎この先 通行できません。」との案内板がある脇道に入り、その通りに30mほどで行き止まりになっているのを確認してみる。疑り深いというか、自分の目で確かめてみないとすまない性格というか、自分で決めた分岐があったら右ルールに逆らえずに時間を浪費してしまった。

12:26
珍しく見通しがよく、「あれが八丈岩山の頂上か、もう少しだな」と勘違いしていたことは、内緒にしておきたい。

「おっ、もう直ぐ頂上か」

12:32
また分岐点だ。でもこれは六甲山で経験を積んだ「緩い道と急な道」の分かれ道と瞬時に判断し、緩そうな「左」側を選んだ。常に自分で決めたルールに従うばかりが能ではない。

緩い道と急な道の分岐点
←D  ↓頂上(急) 頂上(緩)→

12:37
時間が少々かかったのは、途中で綺麗に咲いていたヤマツツジの写真に撮っていからだが、「あれ、なかなか合流しないな。本当は分岐点だったのかな」と思うころ、ようやく急な道が合流してきた。

前から大きな犬を連れたお父さんとお子様二人が現れ、何も言わずにお父さんと犬は緩い道、お子様二人は急な道に別れていく。すると「滑るー」と子供の声が聞こえてきて、私の判断が全面的に正しかったことが分かった。

緩い道と急な道の合流点
←D(急)  ↓頂上 D(緩)→

12:39
道が緩くなると、両側の林に押しつぶされそうな細い道が真っ直ぐに延びている。尾根を歩いているはずなのだが、不思議な風景だ。

山頂から北東に延びる尾根を歩いている


八丈岩山頂上

12:43
西新在家登山口から2時間をかけ、ようやく八丈岩山頂上に到着。コンクリート台に載った小さな祠と172.9m四等三角点(点名:八丈岩山)のある頂上自体は、木立に囲まれて展望はないが、少し離れた岩場からは姫路城方向がよく見える。

八丈岩山頂上に着いた

出てきた道には次のような、分岐点Dにあったのと同じ仕様の案内板が下がっていた。

頂上にあった北東方向の案内板

私がシェーをしている八畳ほどの岩は、太古の昔に海底に積もった放散虫というプランクトンの死骸が固まって出来たチャートというもので、その岩に嵌め込まれた石柱には「高岡神社舊蹟 天長三丙午九月影向」(年号部分は私には読み取れなかった)と刻まれている。その高岡神社は北東の麓に移されて今も存在している。

八丈岩山でシェー

13:27
昼食後、山行を再開する。北側の道を探索する前に、頂上から南側の分岐点A・Bまでを歩いていないので『頂上〜E〜B〜A〜E〜頂上』と歩いてみる。

展望がよいのは頂上近くだけ

13:35
分岐点Eの左側へは「◎ここより新在家本町へ行けます。」の案内が下がっている。一度歩いたA・B間を逆方向に進むため、この分岐点は左に入る。

分岐点E
←B  ↓頂上  A→

13:38
あっという間に分岐点Bに着いた。

分岐点B
←A  ↓C  E↑

13:41
そして直ぐに分岐点Aに着いた。この辺りから変なことをしているなと、自分でも薄々気付いていたが、それなりに面白いし、始めたものは止められない。

分岐点A
←西新在家  →E  ↓B

13:46
二度目の八丈岩山頂上は素通りし、北西へと延びる尾根に向かう。この北西方向だけは案内板がなく、どこに行けるのか楽しみだ。

頂上から北西方向の尾根へ

13:48
広峰の山々が彼方に見え、街中に孤立している山を歩いているのを忘れさすような風景だ。この道はこれまでの中では一番広くて、八丈岩山のメインストリートのようだ。

3年前にも歩いているが記憶がないな

13:50
分岐点Fで道は左右に別れ、これから進む右側の方が狭い。左は水道局の配水池へと続くようだが、この分岐点まで戻ってくることはできそうもなく、一日で八丈岩山の全登山道を歩くという野望は費えてしまった。

分岐点F
←? ↓頂上 G→

分岐点Fに下がっていた道案内

13:56
左から同じような幅の道が合流してきた。分岐点Gだが、この合流してきた道の源を調査する時間はなかった。

分岐点G
↑F  ↓H  ?↑

13:59
写真だけを見ると、深い山の中を歩いているような感じがし、実際に歩いていても街中の低山を歩いているような雰囲気ではない。緑が濃くて外界が見えないのも、こんな場面では悪くはない。

爽快な道が少しだけ続く

14:03
送電線鉄塔が近くに見えてきて、本日八番目の分岐点Hだ。案内板によると直進は「田寺東一丁目登山口」、右に入ると「北新在家、新在家峠登山口」とあり、ルール通りに右に曲がる。

分岐点H
↑J  ↓G  I→

14:11
狭いが快適な道が続く。

天気もよく、楽しい野歩きだ

14:12
分岐点I。道案内によると直進は「新在家峠登山口」、右に曲がると「北新在家登山口」で、ここも右に曲がる。

歩きながら頭の中に描き続けてきた八丈岩山のルートマップは、捩れて、交差して、ほつれて、それを無理やり解こうとして完璧に絡まってしまい収拾がつかなくなりつつあり、解くのは家に帰ってからにしよう。混乱の元凶はここまでの登山口の名前に全て「新在家」が付くことだ。

分岐点I
↑3北新在家  ↓H  2北新在家→

14:14
明るかった道が、見るからに暗い林の中に入って行く。

もう直ぐ登山口だが暗そうだ


2北新在家登山口

14:18
2時間ぶりの登山口は、2北新在家登山口(識別のため私が勝手につけた名前)で、近くの電柱の表示は北新在家二丁目19となっている。でも2時間経っても同じ北新在家なのが凄いが、民家の裏の登山口には律儀に「八丈岩山登山口」の標柱が立てられている。

暗かった2北新在家登山口

14:27
分岐点Iまで戻り、道案内が「新在家峠登山口」と呼ぶ登山口方向に1分ほど進むと、視界が一気に広がった。足元からの急斜面の先に車道が見えていて、そこが新在家峠のようだ。

すぐ下に新在家峠が

峠への急斜面は、上部は風化の進んだざらついた岩場、下部はしっかりとした岩だが、頂上のチャートとは違うような同じような、私には区別がつかない。岩場の少ない八丈岩山で、岩に親しむことができる珍しい場所だ。

岩場を下り新在家峠へ


3北新在家登山口 or 新在家峠登山口

14:35
最後は石積みの段差に設けられた木の短い梯子を下りる。草生した空き地のような道のようなものから車道は近く、南側には「潟Gキスパート コンピュータソフトウェア」のレストランと見間違うような洒落た社屋が建っている。ここには登山口標柱は立っていなかった。

3北新在家(新在家峠)登山口
車道から少し奥まっている

14:47
分岐点Hまで戻り、直ぐ北側に見える送電鉄塔に着いた。一般的な姿形の4回線耐張型アングル製送電線鉄塔「溝口線 四」で、特に特徴はなさそうだ。

ここの送電線は溝口線

14:51
2本の送電線鉄塔の間に、「◎ここより田寺東一丁目へOKです↑」と西側急斜面に下る細道が付けられている。分岐点は右にのルールなので、このまま直進し、下山後にここへ登る登山口が見つかったら登り返すことにして、今日最後の分岐点Jは通り過ぎる。

分岐点J
←2田寺東  ↑1田寺東  ↓H

14:54
本日2本目の送電線鉄塔は、2回線懸垂型アングル製「姫路支線 三一」で、送電線は複導体なので1本目の単導体のものより電圧が高いのはテスターが無くても分かる。

眺めが良好な2番目の送電線鉄塔

14:57
タフロープが張られていて、今の季節にこんなところが松茸山かと目を疑ってしまった。何かの調査のためのようだが、こんな藪山に貴重なキノコや植物があるはずも無くなんなんだろう。

マツが無いのに春なのに松茸山か

見るからに滑りやすそうな急な道を慎重に下り終えると、尾根の先端は車道に切り取られ高い擁壁になっていて下りられない。「←田寺東一丁目(七草公園上)登山口へ」と案内板は擁壁の上を左手へ行くようにと促しているが、右側にも誰かが草を刈り取ったのか、何とか道路に下りられそうな踏み跡がある。でも切が無くなるので、踏み跡には踏み込まないというルールで歩いてきたので、ここは左に進む。

15:17
いきなり20分も過ぎてしまったのは、そよ風で揺れ続ける花の写真を撮ろうとしたためだが、車道と擁壁とフェンスと樹木で遮られていて、どんどん尾根の先端から離れていく。

あれ、下りられないぞ


1田寺東登山口

15:22
家庭菜園風に利用された中を行くと、ようやく擁壁は低くなり階段もあり道に下りることができた。この階段付近には登山口の案内は何も無いが、ここが「1田寺東登山口」だ。なお付近の住居表示は「田寺東一丁目20-12」となっている。

1田寺東登山口

15:38
2田寺東登山口を車道側から探すも、それらしいものは発見できない。仕方なく、分岐点Jまで戻り下り始める。「ウワーめちゃ急じゃん」と、どこの訛りか分からない言葉を発しながら下る。

これが今日最後の下りだ

15:41
「うぉ、いい眺めじゃん」と言ったのは覚えているが、どの辺がよい眺めだったのかは写真からは判断できず、多分その辺の町並みが見えただけなのかもしれない。

2田寺東登山口上の展望所

15:44
数分おきの自分撮りでさっぱり下れないが、何もしなければ分岐点Jから5分ぐらいだろう。道はよく整備されていて踏み跡以上だが、八丈岩山の平均レベルよりは二段階ぐらいは低いように感じた。

ミツバツツジにピントぴったり


2田寺東登山口

15:49
本日最後の登山口は「2田寺東登山口」で、1からもっと谷の奥に入ったところにあった。当然なにも案内の無い家庭菜園の畦道に相当するところが登山口なのだが、おそらく、ここから入っても登山道を見出すことはできないと思う。登山道から出て、振り返って見たらもう道がどこにあるのか分からない程だったのだから。

2田寺東登山口

これで八丈岩山東側の登山道・登山口の解明はほぼ終わり、西半分の調査は近日中に実施しようと思ってはいる。でも200mもない低山と甘く見て始めてみたものの、こんなにも登山口があるとは予想外で、1,000mの山に登るよりも疲れてしまった。


最後に八丈岩山で咲いていた花を少々

ガマズミ

コバノミツバツツジ

ヤマツツジ

マルバアオダモ

アケビ



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