山行記録にもどるホームにもどる



書写山四参道(置塩坂・刀出坂・六角坂・西坂)



スポンサード リンク




平成20年6月1日(日)  メンバー 私だけ

書写吹バス停〜置塩坂参道〜刀出坂参道〜六角坂参道〜東坂参道〜書写バス停

書写山六参道マップ(大体こんな感じだと思う)


これまでの書写山に登った記録

書写山は、西国三十三箇所第二十七番札所の書寫山圓教寺があることで名高く、姫路市書写山ロープウェイと山上を走る有料バスで、摩尼殿まではほとんど歩くことなく参拝することが可能だ。

歩いて登れる参道としてロープウェイ西側尾根の東坂参道がよく知られているが、それ以外に5本もあることはあまり知られていない。この6本の参道を一日で登り下りするのは面白く、休むことなく写真を撮ることもなく歩き続けると、私の足でも5時間を切ることができた。累積高度は千メートルを超えるが、どの道もかつては参道として使われていただけに、歩きやすく険しさはない。

刀出坂参道・六角坂参道は駐車場所があり、東坂参道・西坂参道はロープウェイの駐車場を利用できる。置塩坂参道は車を止める場所はなく、鯰尾坂参道は微妙。いずれも近くにバス停があり、公共交通機関活用が書写山六参道歩きの近道だ。

これまでの書写山の山行記録は6件あり、次の播州野歩記の全文検索の「検索」をクリックすると一覧にジャンプできる。

播州野歩記の全文検索

今日、咲いていた花

書写山は花が少ない。植林と照葉樹林ばかりで、東坂参道以外は日当たりが悪く花の咲く草木は少ない。下の写真の中でクリンソウは栽培されているもので、それ以外は参道横に咲いていたものだ。

コウゾリナ

コナスビ

???

クリンソウ

ホナガタツナミソウミ

ニガナ

コガクウツギ

ハンカイソウ

ユキノシタ

モチツツジ

ノイバラ

ネジキ


置塩坂参道

9:32
姫路駅前発前之庄行きの神姫バスを書写吹バス停で下車。姫路駅前からなら25分ほどで、運賃は360円。

「書写吹」バス停

9:36
バス停から少し南に引き返すと「書写吹 書写山登山口」の表示があり、そこが置塩坂参道の登山口だ。歩道もない狭い道だが、姫路中心部と夢前町を結ぶ幹線道路とあってひっきりなしに車が行き来している。

置塩坂参道の登山口

9:38
この参道から次の二十八番札所成相寺へと巡礼者が歩んだ道は「たんごみち」とも呼ばれ、この古道に相応しい道標は石に刻まれたもの意外に考えられない。

でも参道に入るとすぐに足元に、古道の雰囲気とは相容れない小さいが紅白の派手な、道標なのか自分達の宣伝なのか、私には理解しがたいがものが立っている。NPO西国古道ウオーキングサポートと書かれていて、こんなものをそこいら中に立てて回っているのだろうか。私の美学には受け入れることが出来ず、どこから見ても私には汚らしいごみにしか見えない。

西国三十三箇所古道の復活という意義深い活動が、ゴミを巻き散らかすだけに終わってほしくないと切実に願う。でもこのゴミから、西国古道に興味を持つ人が現れるかも知れないし、少しは存在価値があるかも。

この道標、古道には似合わない

9:48
西坂参道以外はどれもだが、尾根を行く置塩坂参道も眺望はない。でも緑は濃く、シダの新芽が真っ直ぐにツンツンと伸びた姿が面白い。

シダの新芽が面白い

9:51
岩にステップを刻んだ少し急な場面もあるが、ほとんどが緩やかな道を行く。そのため道は尾根を外しているので、木々に囲まれ眺望は全くない。

今日は誰にも会わないな

9:56
平成16年10月の台風23号で倒れた木々は全て片付けられている。でも、その台風で途中まで倒れこんだこの木だけは下を通れるためか、崩れた参道を補修しただけでそのまま残されている。根の大半が露出してしまったが、木は枯れることもなく幹から一列に細い枝が生えていて、こういうのを倒木更新と呼ぶ………呼ばないか。倒木上で実生で成長することだったかな。

4年間も支え続けた右の木々のほうが偉かったり

10:04
岩を刻んだ磨岩仏、大日さまに着いた。大日さまは大日如来のことなのだろうが、私にはさっぱり分からない。

置塩坂参道の大日さま

石仏の前だけは眺望が開けているが、ぼんやりと播磨灘が見えるだけだ。夢前川沿いの畑では小麦が黄金色に色づき収穫はもうすぐだ。次はソバ畑となり、秋には真っ白な花が一面に広がる景色が楽しめる。

展望がよいのはここだけ

10:15
五輪塔が刻まれた板碑が参道脇に祀られている。高さは私の背丈ほどで、もう一つ参道のお終い近くには一回り小ぶりなものもある。

線刻五輪塔

10:20
全体を一つの石材から作り出した一石五輪塔が、六つほど点々と祀られている。ほかの参道には分割型もあるが、ここは一石型ばかりだ。

一石五輪塔

11:11
普通に登れば40分ぐらいだが、花や石造遺物の写真撮影に手間取り、登山口から1時間半でようやく円教寺境内に到着。

ロープウェイや西坂参道で登ってくると関所のような有人志納金所があり、もっともっと納めたいのに300円しか受け取ってくれない。その点、他の五つの参道にある無人志納金所は納めたいだけ、いくらでも受け取ってくれるのがありがたい。そういう仕組みから西坂参道を登ったことはなく、下りに使うのが書写山参道巡りのマイブームだ。(いくら払っても無人志納金所ではパンフレットがもらえないのが寂しいが)

円教寺境内に着いた
摩尼殿はすぐそこだ


置塩坂参道の守り

磨岩仏の大日さま

線刻五輪塔の板碑

一石五輪塔

同じく一石五輪塔
少し傾いているのがデフォなのか

三つ並んだ一石五輪塔

石仏と並ぶ一石五輪塔

三人いれば寂しくない石仏
詳細は分からない

左 そま かんをん道

線刻五輪塔板碑(小さめ)

左 たんごみち(浮彫付)


書写山の頂上?と円教寺

11:17
姫路城三の丸広場で繰り広げられている勇壮な「ザ祭り屋台イン姫路」に観光客を奪われてしまったのか、今日の円教寺は閑散としている。はづき茶屋の「おでん」とお酒の誘惑を、類稀なき精神力をもって振り切り、摩尼殿への石段を久しぶりに登ってみる。

円教寺摩尼殿

11:24
最近はどの山に登るのにも、脱ぐのも履くのも簡単なモンベルのパームランドジョガー(広告リンクです)という、ローカットのシューズを愛用しているため、簡単に昇殿できるのが嬉しい。

膝痛には軽い靴がよかろうかと思案の結果だが、普通のハイキングには全く問題はないが、岩場のごつごつしたところや、道なき道には少し役不足だった。防水性は全くないが、風通しがよくすぐ乾き、ビブラムソールなのに片足330gと超軽量で膝への負担が少ないのが気に入っている。

紅葉の頃はもっときれいだが
新緑もきれいな摩尼殿

標高371mの書写山最高地点へは、摩尼殿裏の「白山権現(自然探勝路) 近畿自然歩道」に従い登っていく。書写山は数え切れないほど登っているが、平坦な山上の、情緒も展望もない最高標高地点まで行くのは三回目だ。

11:38
遊歩道は滑り止め付の板張りで始まり、快適な道が続いているのではと油断させておいて、その実態は山道そのもの。「おっ、頂上は期待が持てそう」とさらに油断させておいて、その頂上は………。

険しい道を書写山最高標高地点へと登る

11:42
書写山の371m最高標高地点に到着。白山権現の裏手で、展望皆無。こんなところへもやってくるピークハンターが大勢いるようで、たくさんの登頂記念プレートが下がっている。自己顕示欲の赴くまま自から個人情報を晒しているので、ここで大公開する。でも個人が少ないのと、プレートの裏を確認し忘れたの残念だ。

ここが書写山の頂上

11:55
頂上を通り越して下りていくと、トム・クルーズ主演の「ラストサムライ」のロケ地にもなった「常行堂」、「食堂」、「大講堂」からなる三つ堂だ。建物が囲んだ広場に灰色の砂利がまかれていて、印象が変わってしまい変な感じだ。以前は、私が立つ地面が全体に広がっていて、その方が良かったように思う。

円教寺三つ堂

12:02
三つ堂のさらに奥に、奥の院開山堂が建っている。お堂の軒下の四隅に、左甚五郎の作と伝えられる力士が屋根を支えているが、右奥の力士はあまりの重さに逃げ出したというが、本当なのだろうか。

奥の院開山堂


刀出坂参道を下る

12:08
開山堂のすぐ南側から鯰尾坂参道が始まり、その南から刀出坂参道が始まる。鯰坂参道と刀出坂参道の登り口は少々離れていて不便なため、本日二本目の参道は次に登る六角坂参道の登り口に近い刀出坂参道だ。

近畿自然歩道でもある刀出坂参道が他よりも整備されているかというと、そんなことはなく、自然歩道に付き物の解説板がちらほらと立っていたりするだけであまり変わりはない。

刀出坂参道は奥の院南側から始まる

12:11
下り始めは一年中じめじめとした道で、私の防水性ゼロ靴の中に水が浸みてくる。じめじめ区間を抜けると、右に渓流を見ながらの雑木林の谷間を下っていく。

この谷間を下る刀出坂参道には、山に登ったら誰もが求めるだろう展望というものは一切存在しない。どうしても展望がなくては満足出来ない人には薦められないコースで、そういう人には書写山ロープウェイに乗ることを薦める。

最初は暗い雑木林だが

12:16
この参道は終始緩やかに下っていく。周囲はスギとヒノキの植林が延々と続き、花粉飛散の絶頂期に訪れると鼻みずたらたら目はかゆくなり、悲惨な状況に陥るこは経験者が語っているので間違いない。

植林が延々と続く

12:23
5分歩いても周囲の様子は変わらない。

植林が続く

12:27
自然歩道の整備事業で架けられたと思う木橋を渡る。

テーマパークを楽しむことや、ブランドショップでの買い物などかなわなかった昔は、日帰りの物見遊山や寺社巡りが一般庶民の唯一の娯楽だったかも知れない。(いや、今の私も同じだ)この参道を書写山円教寺を目指して登り、そして土産話を携えて下る大勢の人々の姿が見られたことだろう。でも今日は私以外にこの参道を歩くものはいない。

木橋を渡り右岸へ

12:30
手入された様子のない植林地の中を行く道は、あくまでも緩やかに下っていく。でも下りでは緩くても、登りに使うと意外ときつく感じるのが普通なので、油断は出来ない。

路面は荒れているが、真っ直な良い感じの道だ

12:36
どこで流れを渡ったのか、いつの間にか左岸側を歩いている。そしていつの間にか雑木林になっている。でも相変わらす薄暗く、林床まで日の光は届かず、花の咲く草木は見当たらない。

この辺から暗い雑木林の谷が続く

12:38
小滝が連なり渓谷美を醸しだしている。その水は綺麗かというと微妙だ。山上には大勢の参拝者がやってきて、その〜〜の処理は完璧になされてはいると思うが、臭いはしないが味見はしたくない。

こんな小滝もある

12:53
かつての参道の名残なのか、濡れいて滑りやすい石畳や石段が残る道を下ると、また流れを渡る。昔はここにも木橋が架けられていたのだろうが、今は岩を飛び移るようにして渡るアスレチック場になっている。

ここは岩を飛んで渡る感じ

12:57
麓が近づいてくると谷は右下へ離れていき、急な片斜面に谷側に石積して築れた山道が伸びている。刀出坂参道を通すに当たってもっとも難工事だったと思われるところで、道幅は狭い。その石積みはいまだにしっかりしていて崩れているところはない。

片斜面に通された道を下る

13:06
あと一下りで登山口のところで、近畿自然歩道の道標は真っ直ぐに下らずに、左へ遠回りするように指示している。おそらく地権者の協力が得られなかったためだろうが、真っ直ぐ下る参道跡と思われるものがある。いつもは遠回りの道を行くのだが、今日はここを真っ直ぐに下ってみる。

手入れが全くされていない参道跡は荒れ果ててはいるが、ここを通るハイカーも少なからずいる感じだ。

最後は自然歩道を外れて下ってみる

13:12
山裾を段々に切り開き宅地造成はしたが、なぜか家を一軒も建てることなく放置されている刀出栄立町の北東端近くに下り立った。

踏み跡が草生した中に延び、奥に「山火事注意 姫路西消防署」の丸看板があるところだ。
刀出栄立町に下り立つ


刀出坂参道のアクセサリー

右 志ょしy道

祠の中の(二輪足りない)五輪塔

右 志ょしや道

岩陰に石仏が


六角坂参道を登り本日二回目の書写山

13:26
菅生川に架かる樫谷橋を渡ると、西側の小山の上に建築中の怪しい建物が見えてくる。来年春に完成予定の夢とロマンのお城「白鳥城」だ。

隣接する姫路の隠れ名所(今は有名になってしまい残念)石の文化と歴史「太陽公園」と一体となり、さらには10年計画の「ヨーロピアン・バケーション・タウン」が完成した暁には、かの千葉県に存在するテーマパークなど足元にも及ばない、世界中から観光客が押し寄せてくる一大観光地となること間違いない。と、私は信じている。

建築中の夢とロマンのお城「白鳥城」

13:28
でも周辺は点在する集落と水田に囲まれ、近い将来に大観光地になることが約束されていることなど信じられないが、その水田では田植の真っ最中だった。

クボタ乗用4条植田植機「ウエルスター」

13:44
六角北橋を渡り進むと、六角坂参道の入口に真新しい道標が立てられている。

六角 大歳神社→
おなり道→

峰相小学校創立30周年記念 平成20年3月

六角坂参道に関しては一言もふれてないし、「おなり道」とは何なのか、頭の中に疑問符がぐるぐる回り始めてしまう。

六角大歳神社とおなり道の入口と道標にあるが
六角坂参道の入口でもある

13:46
疑問はすぐの分岐に立つ道標と解説版で氷解したが、なんかすっきりとしない。回りくどい表現で、しかもこなれていない解説文は、私の書く文章とどこか似通っていて、なんかいやだ。

←六角 大歳神社
書写山 六角坂→
←おなり道 刀出へ

御幸道(おなりみち)

御幸道とは花山法皇が西暦1002年(長保4年)書写山「円教寺」の開祖「性空上人」の隠居所「通法寺弥勒寺」(所在地夢前町坪)を訪ねたとき通られた道とされています。御幸道は「書写西坂」「床坂」から六角「大年神社」の東あたりを経て万燈山すそを「刀出墓地」へ、山際に見るからに昔の古道を感じさせる轍の跡と見られる痕跡がある自然石の橋があります。

刀出坂と六角坂間のバス通りにはコンビニがあり、いろいろと便利なので、この御幸道を通ることはなさそうだが、「昔の古道を感じさせる轍の跡と見られる痕跡がある自然石の橋」なるものは一度見てみたい。

左 おなり道、直進 六角坂参道

13:52
舗装路から轍の草生した道となると、左手にはフェンスに囲まれた明るいが、なぜか陰気な閉鎖的な農園が現れる。轍の道の右に平行に延びる小路が六角坂参道だ。

林に囲まれた農園を左に見ながら

13:56
車も通れそうな道が少し続くが、よくあるように砂防堰堤までだ。でも六甲山域の谷のように砂防堰堤が途切れることなく続くようなことはなく、たった一つだけで下流の安全を守っている。一つだけで大丈夫かなと少し心配になるが、長い書写山の歴史の中には土砂災害という言葉がないのだろう。

六角坂参道の始まりは林道ぽい

14:01
左手に渓流を見ながら、緩やかに登っていく。この参道は刀出坂の植林とは違い、終始雑木林の中を行く。

木漏れ日の差す谷道

14:14
この参道に数箇所ある渡渉ポイントの一番目だ。今日の水量は普段より多いほうだが問題なく渡れ、ここから先はより山道らしくなり、急さが増してくる。

SS1/4秒、これ以上では被写体ブレが

14:17
書写山には珍しい古い炭焼窯跡が道端に残り、かつては参道としてよりも杣道としての役割が大きかったのかもしれない。

今度は渓流を右に見ながら

14:38
参道脇には五輪塔が点在するが、どれ一つとして元の姿を保っているものはない。丸い玉(水輪)だけのや、どう見ても自然石にしか見えないものが、それらしく祀られていたりして面白い。

同じような谷道だが
道標・解説板が立ち並ぶ刀出坂よりも
この六角坂参道の方が好きだ

14:44
渓流のすぐ横を行く。私が乗っているのは濡れた平らな岩で、かつて下山中に足を滑らせ転倒したことがある。大事にも小事にも至らなかったが、こんななんでもないところでも集中力を欠かさずに歩くことが難しい。

後に「のあるき滑り」と呼ばれる六角坂の難所である

のあるき滑り岩の先でまた渡渉すると、谷が広がり小広くなっている。石垣も築かれていて、なにか建物が建っていたような雰囲気だ。もしかすると参拝者をもてなす茶屋でもあったのだろうか。

14:56
落ち葉が積もり、岩は苔むしてよい雰囲気だ。渓流の流れる音も耳に優しく、誰にも行き会わずに、一人静かに石塔や花の写真を撮り充実した山歩きだが、二兎ならぬ三兎も追うと時間が足りなくなってきた。そういえばお昼ご飯もまだ食べてないし、どうしよう。

お腹すいてきたな、もうすぐ3時か

14:59
最後から二番目の渡渉ポイント。ここから上は一部ルートが分かりずらい場面もあるが、谷を大きく離れることもなく、右岸沿いに続いているので慎重に踏み跡を捜しトレースしていけばよい。

三回目の渡渉かな

15:34
花撮りに手間取りいきなり30分も経過してしまった。最後の渡渉ポイントで谷を離れて、濡れた急坂を固定ロープの助けを借りて登り切ると、そこは円教寺摩尼殿近くで、無料志納金所がここにもある。

六角坂参道がようやく終わった


六角坂参道のお友達

ほぼ原型をとどめている五輪塔

右しよしや

火輪の上に水輪が
元は別の塔だったのか

空輪と風輪かな
天辺はおまけの自然石

水輪だけ
苔むした石が載せられている


東坂参道は適当に

15:43
下山に使った東坂参道は仁王門から始まるが、円教寺の摩尼殿や三つ堂などの大伽藍と比較したら釣り合いがとれていない、極普通のどこにでもありそうな山門だ。

江戸初期の仁王門

15:51
東坂参道は他の五参道とは違い、現役ばりばりで多くの参拝者が行き来している。西国三十三霊場の観音像などのたくさんの事物があるが、私の趣味とはかけ離れた抹香臭さが漂う雰囲気が好きになれない。

唯一つだけ、有人志納金所とロープウェイ乗り場の間の広場にある石碑だけ紹介しよう。「言葉のいのちは愛である」、書写山の麓で生まれた椎名麟三が晩年に信条としていた言葉で、岡本太郎の書による文学碑だ。偶然にも私が目指すものと一致していることに驚いたが、これは天才でも凡才でも求める答えは同じになるという必然性のなせる業であろう。

言葉のいのちは愛である

15:58
展望が良いのが持ち味の東坂参道だが、ここまでの三参道にエネルギーを使い尽くし、ただ足を下ろし続けるのみ。たくさんある丁石や石仏の写真を撮ることもなく、自分撮りも次の一枚だけ。

東坂参道の岩場の下り



スポンサード リンク



山行記録にもどるホームにもどる本ページのトップ