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姫路市安富町三坂の「のの字な林道」



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平成20年9月23日(火)  メンバー 私だけ

姫路駅前バス停〜狭戸バス停〜のの字な林道〜狭戸バス停〜姫路駅前バス停

行き:赤点線、帰り:青点線(2万5千分の1地形図:安志)


どんな道なのかな?

上の地図の赤点線の終わりで道が変な事になっている。谷間を行く道が、なぜかトンネルを抜けると、ぐるりとのの字を描き、トンネルの上を通りさらに谷奥へと続いているのだ。この周辺の山々はよく登ったが、地図を見るたびにこの道はどんな風なのかと思いをめぐらしてきた。

おそらく、大きな段差のある谷に林道をどうしても通したい訳があり、谷幅の関係から九十九にすることもできずに、こんな風にしたのだと思う。でも、これだけ特徴のある道なのに、いくらウェブを丹念に調べても何も出てこないのが不思議だった。

今回、のの字を調べるついでに、北西の当田山(493.8m)へのルートでもあればと訪ねてみたが、結果は地図の赤点線が示すように、のの字を抜けることは、秋によく起こることのため叶わなかった。

のの字な道

のの字はどこに在るかというと、姫路から鳥取へと抜ける国道29号線は中国自動車と併走する部分があり、その手前南側に安富町狭戸があり、そこから東へ2kmほど三坂川沿いを行くと安富町三坂の集落がある。そして三坂集落から北へ谷沿いの林道を進むと問題ののの字が待ち受けている。

ところで2年前に姫路市と合併した旧安富町・旧夢前町・旧香寺町の地名には「安富町」・「夢前町」・「香寺町」と付くが、旧姫路市の地名には「姫路市」とは絶対につけない。まあ付けたら「姫路市姫路市本町」みたいになり変にはなるが、なんか合併というよりは姫路市に吸収されてしまったみたいな感じがする。


今回もバスを利用

9:06
姫路駅前8時25分発の山崎行きの神姫バスは、ほぼ定刻に狭戸バス停に到着。料金は870円で、往復では1,740円と趣味の山歩きには気軽に利用できる金額ではない。

両側を山並みに挟まれた、林田川沿いの沖積平野に農村風景が広がり、その中を国道29号線が延びている。

狭戸バス停から走り去る山崎行きの神姫バス
この垢抜けないカラーリングがなぜか好きだ

9:09
バス停から目的地の安富町三坂へは、東に2kmほど三坂川沿いに県道80号線を進む。この狭戸の三叉路は二桁国道と二桁県道の重要な交差点なのに信号機などなく、県道側に「止まれ」の表示があるのみだ。交差点には「備前焼 安富窯」の大きな案内板が、三坂の方角を指し示している。

右を見て左を見て、安全確認をしっかりして国道を渡り、続いて林田川にかかる橋を渡る。その橋の名前は「永久橋」という。思うに、かつての林田川はたびたび氾濫を繰り返し、そのたびに架けられていた木橋は流出し、村人たちは孤立を余儀なくされた。そこで流されないコンクリート橋の名前を永久橋と名付けたのだろう。

狭戸の三叉路
南北は国道29号線、東へ永久橋を渡り県道80号線

9:20
左手には山が迫り、右手は稲刈りが終わった田畑の先にはかつての姫路市最高峰「葛城山」山塊がそびえている。都心でのオフィスワークに明け暮れる生活から解放されて、のんびりとした風景の中を歩くと心が癒される。

この県道が地道だったのはいつごろまでだろうか
もっともっとすがすがしい風景が広がっていたことだろう

9:27
右手を流れていた三坂川が左手へ変わる。ここの橋の名はそのままの「三坂橋」で、袂から右手の狭い道の先に安富窯備前焼の窯元がある。実は近くにある養鶏場からの香りが漂い、ゆっくりと写真など撮っている状況ではなく、足早に立ち去りたい。

この橋の左手の道から三坂集落へ入ってもよいが、道迷い防止のため真っ直ぐに進む。

ここは三坂橋

9:36
三辻の祠にお地蔵さんと、木彫りのフクロウが二羽祀られている。集落の守り神としてお地蔵さんを祀るのは分かるが、フクロウを祀る習慣は昔からあったのだろうか。こういう土俗的信仰は、昔からのものをそのまま変えることなく後世に伝えてもらいたい、と思う。

この三辻から三坂集落に入る

9:37
三辻のお地蔵さんの横は三坂集会所で、脇を流れる三坂川の岸に石碑が建っている。昭和24年9月の水害の石碑だ。碑文にある杣谷とはこれから行こうとしている谷の名前なのだろう。

三坂昭和24年の水害碑

三坂 昭和24年の水害

昭和24年(1949年)9月19日午後6時頃から9時までに250粍を越えると思われる豪雷雨があり、杣谷池の崩壊、山地の洞抜け百余か所、河川の氾濫と堤防決壊、田畑流失、埋没数町歩に達した。この為災害救助法の適用を受け、その復旧に数年を要した。

昭和62年3月安富町教育委員会



林道へ

9:47
三坂の集落を抜けて、目的の谷へと延びる道への分岐点まで来た。集落では犬を飼っている家が多くてリレー式に吼えられ続けてしまった。でも、村人とは誰にも会わず不振人物扱いされることもなかったが、のの字の道の情報を得ることも出来なかった。

集落を抜けて、小川になった三坂川を渡ると
北の谷への続く林道との三叉路だ

9:48
上の写真から同じ位置で、90度左にを向きを替えると下の写真になる。

舗装道沿いの左下には三坂川のせせらぎが流れ、右手奥には養鶏所らしき建物群、左手奥には最終民家が見え、その間を真っ直ぐに道が貫き谷間へと消えている。

道が少しぐねっていたらもっとよい風景になるのだが

9:51
養鶏場と思われる建物はシーンと静まり返り、もうコケコッコーとなくものもいなく、幸いなことにあの臭いはしなかった。

養鶏所跡から林道ぽっくなる

9:54
養鶏場跡までは普通の舗装で、その奥は地道になるかと思えば舗装された部分もあり、道幅は狭いが強度は十分でどんなに重いトラックでも運行できる。轍跡はあるが、最近は利用された形跡はない。

よい感じの林道だ

9:56
水害の碑にあった杣谷池に相当すると思われる、フェンスで囲まれた真四角なプールみたいな溜池がある。崩壊した杣谷池を修復したものだろうか。

10:00
コンクリート枡の給水施設があったり、かつては谷川の水を飲料水として利用していたのだろうか。

今も水が流れているコンクリート枡

10:02
橋の袂には石仏を祀る祠がある。ここまでの道の障害物は人力で簡単にどかせる落石や倒木だけで、ゲートなどはなく乗用車でも普通に入れる。

橋の袂には祠が

10:04
この橋だが、探し方が悪かったのか名板などは見当たらず、橋名や竣工年は分からない。でも、桁の厚みが半端じゃない。写真のように私の背丈ほどもあり、戦車でも何でも渡れないものはないだろう。

橋の厚さがすごい


のの字な道

10:06
橋を渡り右カーブを抜けると、橋……いやトンネルが見えてきた。ようやく目的の「のの字な道」までやってきた。思えば姫路駅前でバスに乗ってからもうすぐ2時間、長い道のりだった。

のの字な道だ

橋、またはトンネルの上を通る道の脇にも木が生えている。橋の上には木は生えないので、人工的な土盛りだがこれはトンネルと呼んでもよさそうだ。

でも、何か気になるものがぶら下がっている。

全容を現したのの字な道のトンネル

「うわっ、スズメバチの巣だよ」、刺激を与えないようにゆっくりとゆっくりと前進したが、まだ10m以上もあるのに足が進まなくなった。周囲を飛び回っているのはいないが、巣の大きさは直径30cmほどもあり、大きな蜂が数匹巣穴から出入りして歩きまわっている。

これ以上近づけません

でも、すぐに見えるところにあってよかったと思う。気がつかずに通り過ぎて、いきなりスズメバチが飛んできたら、追い払おうと無意識に腕を振り回して、ドツボにはまるのは目に見えている。ほんとうによかった。

ということで、今回の探索はここまで。寒くなったら再訪し、のの字な道の全容と、この林道の全容、そしてどこか山に取り付けるところはないかと解明しなくては。

しかしまん丸な巣だな


帰り道

帰りに、犬の散歩に出かけようとしていた最終民家のご主人と話が出来た。のの字な林道は20年以上前に出来て特に名前はないが、近くに山崎断層の露頭があり新聞にも載ったことがあるという。これはもう一度訪ねなければと思いを深くした。

10:40
帰りはまた犬に吼えられるのが嫌で、県道80号線の峠寄りに出る地図の青点線道を辿ってみた。

「ん、変な停め方をする車だな」と近づいていくと、どこも傷んだ風にには見えなず、ナンバープレートの分類番号がいつの間にか絶滅危惧種になってしまった二桁の我が家の車よりも新しそうな車には「ここに車両を放置しないでください。ただちに移動してください。姫路警察署狭戸駐在所」と張り紙がしてあった。困ったものだ。

私の車よりも新しそうだな

10:48
県道80号線の道端には、私の好きなキノコの一つ、カラカサタケが一つだけ大きな傘を広げていた。バター焼きにすると美味しいという。

カラカサタケ

11:11
もうすぐ国道29号線に出る手前の稲刈りの済んだ田畑では、キツネとカラスが戯れて、いや争っているのかもしれない。うーん姫路は田舎だな。

キツネとヒガンバナ

姫路山崎間のバス便は、必ず1時間に1本はあり、多少料金は高いが不便を感じることはない。また、車で目的地まで行ってしまうと、歩かないと見えないものを見過ごすことになる。



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