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はりま勝原駅から登る京見山(姫路市)



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平成20年10月12日(日)  メンバー 私だけ

JRはりま勝原駅〜京見山〜とんがり山〜才天満神社〜JR英賀保駅

京見山に張り巡らされた山道(実際はもっと多そう)

南北は長いが東西の狭い姫路市の南西に京見山という、標高が216mと森林限界をはるかに下回る山が存在する。

身近なるがゆえにか、周囲の住民から余りにも過度に手厚く愛され過ぎて、絶対にこんな山にしてはいけない見本のような、頂上はなんでもありのパラダイスと化し、次々に開かれた登山口・登山道で山は網の目のように覆われている。毎日登っている人には慣れ親しんだ風景なのだろうが、今の京見山は常軌を逸している。

でも気軽に登れて、展望もよく大好きな山だ。今からでも遅くはないので、全ての人工物を除去し、すがすがしい本来の京見山の姿を復活させて欲しいとせつに願う。


はりま勝原駅は開業したてのJR山陽本線の新駅だ

姫路駅から西へ二駅目のJR山陽本線「はりま勝原駅」は、今年(平成20年)の3月15日に開業したばかりの真新しい駅だ。これまでは交通の便に恵まれなかった京見山だが、なんと頂上から真っ直ぐ南に新駅が開業し、ものすごく便利になってしまった。

9:57
舞い降りた姫路市の市鳥「シラサギ」の姿をイメージする白い膜屋根をかぶった、はりま勝原駅の駅舎だが、私は装飾過多のデザイン至上主義でごてごてし過ぎていると思う。もっとシンプルに機能美に溢れたものが好きだ。

後ろに見えている山が京見山で、駅の表玄関を撮るために南口に出たが、京見山に登るためなら当然ながら北口に出た方がよい。

シラサギが舞い降りた「はりま勝原駅」

10:06
駅の北側に渡り、西へ少しで北へ行く太い道がある。その道で北へと進むと、地形図にも記載されている山裾の大きな建物の前に着いた。

新日本製鉄(株)広畑製鉄所のお客様接待用の施設である京見会館だ。築67年と新しいが、平成12年に姫路市の「都市景観重要建築物等」に指定されたている。でも、私のような市井の人にとっては縁がなさそうなものであるのは間違いない。

京見会館前を道沿いに東へ

10:09
広い京見会館の敷地が途切れ、溝に橋が架けられている。橋の欄干には「登山口 京見山」の案内が括られていて、ここが登山口だとすぐ分かる。なお、周辺は住宅地で車を停められそうなところはなかった。

沢山の目印があり、いやあり過ぎるな。

ここが京見会館登山口


初めて登るルートは興味津々

京見山には数回登ったことがあるが、西端の春日神社登山口から白毛山への縦走コースや、京見山ルートマップから仲間外れにされている北端の青山南登山口からが多く、この京見会館登山口からのコースは初めてだ。なんだかワクワクする。

10:15
尾根筋を真っ直ぐに頂上を目指すのかなと思っていたが、西へ振れていく。少し行くと東へのきれいな分岐道があり、尾根を登るルートかなと思うが定かではない。左側の「山火事予防」の看板のある岩々の道からは、下ってくる人がいたり「登山道→」の道標もあるので、こっちが本道かな。

登り始めて直ぐの分岐は左

10:19
標高があまりない京見山なので、この頂上までの最短ルート?でも、急な登りが続くと頂上を越えて空へと登りかねないためか、至って緩やかな道が続いている。

ササの茂るの中の緩やかな登り

10:19
左側に砂防ダムのある谷を見ながら登っていく。写真のタイムスタンプを見ると前のと同じ時分で、山に登っているんだか何をしているんだか自分でもよく分からない。

ちょっと緩やか過ぎるかな

10:24
「←T英〜有 5」の案内板は左の谷を示しているが、踏み跡もない。

写真を撮っていると、後から登ってきた人に追い越され、そして下ってくる人もいる。皆さん手ぶらで近所に住む人たちみたいだ。

その中の一人から「のあるきさんですか」と声を掛けられてしまった。京見山の西の檀特山を拠点とする檀特会の人だった。

あの標識に従ったらどこへ行くのかな

砂防ダムの竣工プレートを見れば谷の名が分かるかと思い水通しまで近寄ってみたが、対岸近くにプレートが付いているのが分かるだけで読み取れない。水通しに下りて、行くも戻るも出来なくなったら困るので諦めた。

10:37
でも、道に戻る足元の落ち葉の中に面白いものを見つけた。そのときはツチグリと思ったが、どうやらシロツチガキのようだ。特に珍しいものではないというが、私は初めてだ。

シロツチガキかな とりあえずこれでもキノコです

10:43
谷沿いの緩やかな道がようやく終わり、尾根に乗った。尾根を下る方向にも切り開きがあるが案内板はなく、登ってきた道方向には「京見山(京見会館東)」と「京見町→」の、ともに自立式の案内がある。

ここから尾根を下る切り開きの先には、頂上にあったパンフレットで知ったのだがWWU時代の高射砲陣地跡がある。高射砲陣地は京見山の頂上に在ったものとばかり思っていたが、違った。何か遺構が残っているのだろうか、次の機会があったら行ってみよう。

谷道から尾根に着いたぞ


尾根道からの展望は良好

10:45
わざわざ桜の木にゴミをぶら下げている。

−表− 口笛を誘いそよ風初桜 槌 未知彦 ここから450mです 京見山歩会
−裏− 平成14年3月22日 京見山歩会 愛山会

おそらく、京見山頂上まで450mだということを伝えたいだろう。そのついでに自慢の一句を披露したかったのだろうが、「とっていいのは写真だけ、残していいのは思い出だけ」のハイカーの信義則に真っ向から切りかかるような、自分だけは、私たちだけは京見山では特別な存在で、何をしても許されると信じているだろう。

私はこういうのはゴミにしか見えない

10:47
見目麗しい雑木林だが、外界が見えるとさらに素晴らしい。

少し外界が見えます

10:49
緩い短い岩場に階段と固定ロープが張られている。確かに岩の表面は滑らかで、雨上がりなどには滑りそうだが、階段はないと思う。ここのために造ったのか、あるいは不用品があったので担いできたのか、こうして山のゴミは増えていく。

階段にトラロープ
少し過保護気味かな

10:52
角のない丸っこい岩場だ。ここまでと比べたら幾分急になり、しばらく続く。濡れたら滑りそうな薄緑色になっているが、人工的なステップも見られる。

ようやく少しだけ急になってきたかな

10:56
岩の露出する中登りが終わるとまた緩やかになり、「七つ岩→」の案内がある分岐道が現われた。七つ岩は京見山頂上真南の尾根上にあるようで、寄り道してみる。

右手から登ってきて「七つ岩」の分岐に入る

11:05
ごろごろと点在する大岩はどう見ても七つ以上あるが、麓から見えるのが七つなのか。その中の「七つ岩」と表示のある大岩に乗ると、南側の播磨灘に家島諸島が、小豆島が浮かぶ景色が素晴らしい。

七つ岩からさらに麓へと下る山道が存在している。京見山には登山口が10以上もあり、沢山の山道もあり、一日で全てを歩くことは出来るのだろうか。

七つ岩
展望が結構いいな

11:11
標準コースタイムは45分ほどとパンフレットにあるが、すでに1時間以上経過している。足元の岩には見事なステップが切り込まれ、1段を3日で仕上げてもこの10段で1月、鏨と槌だけでまるで青の洞門の世界を現世に再現するような仕事だったに違いない。

岩に切られたステップ
まるで青の洞門の登山道バージョンだ

11:14
登山道から左に少し離れて、展望休憩所がある。そこには、登ってくる人のための疲れを癒す心配りの手造りのベンチ、でもこんなのは要らない。おまけにまだ頂上でもないのに記念プレートが2枚、ゴミがゴミを呼ぶとはまさにこのことだ。

眺め抜群な展望休憩所

11:18
「汗溢れ瀬戸の風見ゆ京見山 槌未知彦 あと200mです 京見山歩会」の開けた中登りだ。

開けた中登り

11:21
今度は「あと150m」のウバメガシの間の中登り。変化があって面白しろいが、急さは中登り止まりで急登・激登は出ないままに頂上に着きそうだ。

林間の少し暗い中登り

11:26
地形図を見れば分かるが、京見山の頂上は皿を伏せたような形で、最後は緩やかな山道となる。

大岩を左に曲がると頂上は間近


京見山頂上風景

11:28
登山口から1時間20分、標準コースタイムから遅れること35分で、誰もいない京見山の頂上に到着。

平たい頂上で、本来は周囲の潅木のため展望は全くないはずだが、木々は情け容赦なく伐り尽くされて南側には眺望が広がっている。

混沌としたカオスの極地の京見山頂上に到着

広い山頂にはベンチから登山記録入れ、展望写真やいろいろな解説文、どれ一つとしてここに在ってはいけないものばかりが散在している。イヤミ氏が驚いたときにするシェーだが、今日は本来の意味と将来の京見山がこれ以上荒廃しないように願いつつ執り行う。シェー。

シェー

頂上のカオスの中に三つだけ気に入ったものがあった。一つは

火の用心
来た時よりも美しく
とってよいのは写真だけ
残してよいのは足跡のみ

足跡を残してよいものかは疑問が残るが、文章が言おうとしていることは正論だ。でも、記録ノート入れと展望写真が結合した掲示板のようなものに貼られているもので、この施設を足跡と呼ぶのは無理だろう。言っていることと行っていることが違うことを言行相反(げんこうそうはん)と言うようだが、まさにその通りだ。

真ん中の地図だけは役に立った

二つ目は木に吊るされた古いもので

京見山愛好者の皆さん!

最近、過度に木を伐採したり、新しい山道をつけたり、自分たちに都合の良いように道を加工するなどがふえました。
利用する人の都合だけではなく、山道の特徴と良さ、自然を保護する観点から、むやみに伐採などしないようにしましょう。また、土地の所有者の了解も必要です。

京見山愛好者有志

でも匿名ではどんなに真っ当で良いことを言おうと、元々聞く耳を持たない常識も持たない人々には届くことはない、と残念ながら今の京見山を見て思う。

三つ目は展望写真の下に付けられた「京見山に咲く山野草」写真の最後にあった一文

山野草は、もって帰っても育ちません。花を見たい時は、開花時期にあわせて山に登ってきてください。

6枚の組み写真自体は素晴らしいものだが、ゴミに違いない。でも言っていることは正しいと思う。でももう一文付け加えたいことがある。「山に植物を持ち込むな」と。

頂上の一部に『花壇』が作られ、そこにはあろうことか外来種の『コスモス』が植えられ、可憐な花が咲いている。山野草を採る事と同じか、それ以上の自然破壊が堂々と行なわれていることに誰一人として気付いていないようで、京見山を愛する人々の自然保護に関する知識の低さ、いや欠落が如実に現われている。

コスモスの咲く花壇

「他の山でも同じことをやっている」という声が聞こえそうだが、だめなものはだめと言うしかない。なお、恒例の登頂記念プレートの公開だが、京見山愛好者の事物に恐れをなしたのか数点しか下がっていなかった。



とんがり山へ

12:17
昼食を終え、次なる目的地「とんがり山」を目指して『白毛山方面 原.才.則直.(泣き坂峠.四ツ塚古墳)』の案内が示す道へと入る。と、前から4人組がやってきて「ハチに注意してね」と嬉しくないご宣託を授かる。

12:19
京見山頂上から北へ進む道は、当然にして下りだ。蜂の巣に注意し頭上の梢を探りながら、足元にも注意を払わなければならず、そして写真も撮らなくてはならず忙しい。

下り始めはこんな感じ

12:22
3分ぐらいではあまり状況は変わらない。でも変わらないことを記録するためには写真を撮らなくてはならない。ここまででハチの姿は見かけなかったので、気にしないことにした。

どんどん下る

12:24
鈍らな稜線には木々が茂り、その間を行く道は歩きやすいが草木以外何も見えない。

これぐらいの幅の道がいいな

12:30
草が一面に茂った道?の「←則直方面」分岐を過ぎて、ここは「才(ジュクジュク道)」分岐点だ。しっかりした道に見えるが、もう少し歩きたくなる名前を付ければよいと思う。ジュクジュクな道では歩きたくないな。

右は才へと下る分岐点(ジュクジュク道)

12:36
地形図で破線道で表現されている、南北から同規模のよい道が登ってくる「泣き坂峠」だ。北へは「原」、南へは「才」へと下る。京見山周辺には原や才、そして丁の一文字地名があるが、丁は「よろ」と読むので、地元の人と話しをするときは注意が必要だ。

泣き坂峠

秀吉の中国攻めの足掛りとする播磨平定は天正2年(1574)から天正8年(1580)の長きに渡った。
英賀城(京見山頂から見て夢前川の河口より少し川上周辺。城主三木通秋)が落城したのもこの年代である。
女、子供、落武者が悔い泣きながらこの山中を越え北の原村方面へ落ち延びていったという悲しい伝説がある。こゝはいつしか泣き坂峠と言われるようになった。

姫路歴史山の会

泣き坂峠 以前よりも広くなったな

12:39
南向き斜面は日当たりがよいから草木の生育がよいかと思うのだが、ここ京見山は地味が悪く乾燥気味で木々の育ちが悪い。表土が薄く覆うだけ、その下には岩山が隠されているのだろう。

もし山火事があったら、あの桶居山のように風景が一変し、回復には長い時間がかかることだろう。

明るい登り 夏は暑いぞ

12:43
見通しはよいのだが、周辺の山々しか見えない。でも祭り太鼓の音が風に運ばれて聞こえてくる。今、姫路は有名な灘のけんか祭りをはじめ秋祭りの真っ最中で、週末ごとに各地区で賑やかに執り行われている。そして姫路の秋祭りのフィナーレを飾るのは、今年は11月15日に行われる我が町、水尾神社の祭礼だ。

さらに続くぞ明るい登り

12:46
泣き坂峠からのそれなりの登りをこなすと、残るのは水平道と極緩やかな登り下りだけだ。

ようやく登りきったか

12:49
行く手に白毛山のNTT無線中継鉄塔が見えてきた。今日は行かないが、白毛山へはぐるっと反時計回りに回り込むので近いようで遠い。

白毛山のアンテナ鉄塔が見えてきた

12:55
四ツ塚古墳の案内に誘われ道を少しだけ外れて行ってみた。奈良県明日香村の石舞台古墳のような豪壮なものを想像して行くとちょっとがっかりするが、この辺の古墳はこれぐらいの規模のものが多い。

横穴式石室古墳

この周辺には古墳が4基あり四ツ塚古墳と呼ばれている。
6世紀から7世紀の古墳で室が片側に広くなった片袖式とストレート式と2種類がある。いずれも古代人の力強さが、ひしひしと伝わってくる古墳である。

古墳を大切にしよう 京見山愛好会

四塚2号墳
古墳の上に乗ってはいけません

13:03
前日までは快晴の天気予報で、抜けるような秋空のもとで心も晴れ渡るようなハイキングを想定してきたのだが、実際はうす曇のぱっとしない空模様だった。でも、ここにきてようやく青空が見えてきた。

ようやく青空が少し見えてきた
この辺りが京見山で一番楽しい道かな

13:08
進路が南向きから東向きに変わる平たい標高180m+ピークが「東・見晴台」台で、先客が一人、ベンチで休憩している。どうやって搬上してきたのか、テーブルとベンチは16人が一緒に休憩できそうな大層な代物だが、こんなところに捨ててはいけない粗大ゴミだ。

先客が一人の東・見晴し台

13:20
東・見晴台から東に少し進むと「近道 とんがり山」の案内のある分岐がある。近道にはとんでもなく通過が困難なものもあるが、ここはどうだろうか。でもこの近道も好事家が勝手に通してしまったものだろうか。

とんがり山への近道に入る

13:23
以外にも、とんがり山近道は普通の山道だった。緩やかな斜面をトラバースしゆっくりと下っていく道はまるで昔からあるみたいで、不自然さは少ない。京見山で新道開発を続けて20年、プロ級レベルまで達した人の作品なのかもしれないが、京見山以外の山に触手を向け始めたら大変だ。

近道にしてはよい道だ

13:25
道端にはキキョウの花が一輪だけ咲いていた。

キキョウの花が一輪だけ

13:26
展望のよい一枚岩のスラブもあり、右手にとんがり山を見つつ、さらに緩やかに下っていく。でも、とんがり山頂上は見る方向が悪いのか全然とんがっていない。まるでお皿を伏せたような、京見山にも似た感じの緩々ピークにしか見えない。

スラブもあり面白いぞ
とんがり山頂上は画面右側の外

13:31
遠回りコースに合流。案内板は「←白毛山、とんがり山→、才(鎌田コースあるが悪路注意)(途中展望の良い岩場があります)→」となっている。でもこの案内板、

遠回りコースと合流
でも案内板が

でたっ、立ち木に木ねじ止め。自然を愛する人なら絶対にできない荒業だ。

ここまでにあった案内板は自立式のものが多く、支柱が腐ったものは立ち木に結わえ付けているものもあったが、おおむねまともだった。でもこれは、ひどい、ひどすぎる。

京見山愛好者有志の方々を貶めるための謀略に違いないと信じたいが、いずれにしても実行者には山の神様のばちが当たるぞ。

でたっ、立ち木に木ねじ止め

13:33
とんがり山へのメインロードは何故か広い。こんなに広く下草刈りをしなくてもよいのでは。

道幅がやけに広いな

13:34
両側ともに木々が途切れずに続くが、東側に大岩がありその上からは東側の苫編山塊がよく見える。ここが極悪非道な案内板にあった(途中展望の良い岩場があります)なのだろう。

ここから東側は急斜面が一気に麓まで続くが、山上の平坦地との差はどのような成因から付いたのだろう。

東の苫編山塊がよく見えるぞ

13:38
とんがり山へは一旦下ることになる。山に登るのに下らなくてはならないのが可笑しい。

とんがり山へはいったん下る

13:42
ようやくとんがり山との鞍部に着いたが、どう見ても尖がってない。全然尖がっていない。もしかしてこれから流行る山名詐欺かも、注意しなくては。

この鞍部は十字路になっていて道標は「←才へ(岩場コース)、↓白毛山、才→」となっていて、右も左も才へ下るが、ここは岩場コースから下りたいな。

意外と丸いとんがり山

13:46
最終目的地のとんがり山頂上に到達。展望の良い岩場の下は、どう見てもモルタルで固められているように見える。それまではグラグラ岩だったかも知れないが、その方がいつ落ちるかとスリルがあり面白かっただろうに、残念なことだ。

大岩に立ち何を思うnoarukiよ

京見山頂上の例に漏れず、こことんがり山頂上も粗大ゴミの集積場と化している。設置した人はハイカーのためだけを思い、心底からの親切心で行ってきたのだろうが、客観的に見ると山にゴミを捨てているに過ぎない。

こんなことを思うのは私だけだろうが、正しいことと間違っていることを判断するのはそんなにも難しいことなのだろうか。誰でも知っている『とっていいのは写真だけ、残していいのは思い出だけ』に自分の行いを照らして見れば、間違っていることは分かると思うのだが。

とんがり山頂上の惨状
まるで粗大ゴミ集積所だな

そんなとんがり山頂上だが、展望は凄いの一言に尽きる。もっと空気が澄んでいれば、鳴門海峡大橋も四国もその先のハワイもアメリカ大陸も見えそうな気がする。

でも眺めはよいぞ

奇特な自己顕示欲の旺盛な方一名が、登頂記念プレートを下げているので紹介しておく。どうやって取り付けたのか手の届かない位置に取り付けているが、裏返してみると『かじか』氏のものと分かった。



下山口は才天満神社

14:06
下山は岩場コースで才へと下る。この道も篤志家が独力で開いたものと思われるが、実によく出来ている。その出来のよさが、まるで昔からあったもののように感じさせるのが恐ろしい。プロ級の腕前で、新道開設に反対している人はぐうの音もでないだろう。

才への岩場コースの下り始め

14:09
九十九に付けられていたり、どうやって運び込んだのか石段の道さえあり、凄いの一言。ただあまりに安全よりに整備され過ぎていて、冒険心を呼び覚ますような、核心部と呼べるような難所はただの一つもなく、面白さに欠けるのが残念だ。

岩場はどこかいな、でも眺めはいいな

14:13
京見山のそこいら中に咲いているが、マルバハギの写真を撮っておく。

たくさん咲いていたマルバハギ

14:15
「おっ、岩場だ」。でもなんだか緩やかで、単に岩の上を歩いているだけだ。

岩場だが緩やか

14:18
真夏なら、火に炙られたフライパンのようになりとても歩けないが、いまは快適なルートだ。

これが岩場コースの核心部か

14:20
今日一日中聞こえていた祭り太鼓の音がいよいよ大きくなり、見えはしないが掛け声とともに屋台を差し上げて練り合わせているのが分かる。もう掛け声というよりは叫び声で今がクライマックス、もうすぐ祭りが終焉を迎えるのが見えていなくても手に取るように分かる。

祭り太鼓の音がどんどん大きくなってきた

14:23
下に見えるのは夢前中学校で、屋台を練っているのは才天満神社だろうか。

ヨーイヤサーの掛け声が

14:28
丈夫そうでも山腹崩壊にはほとんど役に立たなさそうなフェンスが現われた。写真に写っている道標には「トンガリ山へ ゆるやかコース」と書かれていて、確かに緩やかコースだった。

何のためのフェンスなんだろうか
落石止めかな

14:33
下り立った才天満神社は喧騒の残り香があるばかりで、もう祭りの熱気は感じられない。もう少し早く下りてきたらと、残念だ。

下り立った才天満神社のお祭りは終わっていた

才の天満神社 祭神 英賀姫神・菅原道真

かつてこのあたりは英賀に属していたが、夢前川を境に分村し英賀西村と称し、英賀姫神を勧請して氏神とするとともに菅原道真を合祀したのが当社のおこりだという。狛犬・鳥居など江戸後期の石造品が多い。小判型に整形された力石は明治10年代のものだが、市内の力石を代表する立派な遺品である。
昔、才村には満乗寺という書写山円教寺の別院があり、書写との関係が深かったという(今でも才は「書写の鬼追い」の行事などで特殊な役割を果たしている)。江戸時代には毎年6月1日に書写の僧が来て、社前で大般若経を読むのが慣例となり、「才の般若読み」として有名であった。

才の構(かまえ)…永禄の頃(1560年代)、いまの随応寺付近に才の構があったらしい。領主は赤松晴政の息子で才伊三郎政直(一説には則直)とされている。

姫路市教育委員会、姫路西ライオンズクラブ

明日からは静かな才天満神社

帰りは夢前川を渡った英賀保駅にしたが、はりま勝原駅に戻った方が少し近いかも知れない。



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