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とんがり山、峰相山から太陽公園白鳥城へ

白鳥城がオープンした日の記録はここをクリック



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平成21年2月21日(土)  メンバー 私だけ

石倉〜とんがり山〜峰相山〜白鳥台(白鳥城)



太陽公園の白鳥城(平成21年4月19日オープン予定)

姫路市のシンボル「姫路城」が平成の大修理に伴い素屋根にすっぽりと覆われてしまう。それも平成22年から平成26年までの5年間もの長きに渡るものだ。城の見えない姫路城を訪れようとする観光客などいるわけがないのは、素人の私でも容易に予想できることだ。そして沈滞気味の姫路市の経済状態に、観光客の壊滅的減少が及ぼす影響は莫大なものとなるだろう。

これまで市当局は太陽公園の存在を完璧に無視し続けてきたが(注:出典はなく、あくまでも筆者の感覚)、ここにきて姑息にも太陽公園を利用して何とか観光客の撃滅的減少を回避しようと画策し始めた。昨年行われた姫路菓子博のパンフレットに太陽公園の名前が現れおかしいなと感じたが、ついに姫路市公式HP内の姫路発お城からの手紙 2009年 春 vol.35姫路城大天守保存修理期間中の観光 (姫路城見学など) についてなどで太陽公園が紹介され始めた。

私が最初に太陽公園を訪れたのは今から13年前の平成7年のことだった。平成4年10月に開設されて日が浅い太陽公園は、まだ地元の人達にとっては「なにそれ」に過ぎない存在で、入園者は私一人だけの貸切状態だった(最初に訪れたのが平日だったせいもあるが)。すでに現在とほぼ変わりないインパクトのある施設は出来上がっていて、それときから私は太陽公園フリークになってしまった。

現在の太陽公園は、私を始めいろいろなHPで紹介されたためか、それなりに知名度が上がり大勢の人々が訪れるようになり、嬉しいような少し寂しいような複雑な心境だ。だが、さらに大勢の人々が世界中から押し寄せてくる。

この私の愛して止まない太陽公園が、ドイツのバイエルン州のフュセンの南、オーストリア国境近くに建つノイシュヴァンシュタイン城(1869年着工、1886年未完成のまま工事中止)を実物大に模したものを、近くの東洋大姫路高校野球部グランド前の丘の上に建ててしまったのだ。本家は未完だが太陽公園版は堂々と完成し白鳥城と名付けられ、来月、平成21年4月19日にオープンする。

いよいよ工事用足場が外され、その全容があらわになったと聞き、とんがり山と峰相山を絡めて行ってみた。

山行概念図(2万5千分の1地形図:龍野、姫路北部)


石倉から神岩・とんがり山

8:51
実家に所要がある妻その1が運転する車に便乗して、国道29号線山陽姫路西IC東交差点で降りる。山行概念図を作成中に、この交差点から東側の国道29号線に異変が起こっているのに気が付いた。縮小すると道路が消えてしまうのだ。

調べてみると、「国道2号線太子龍野バイパス太子太田JCT」から「山陽自動車道山陽姫路西IC」と「国道29号線山陽姫路西IC東交差点」を結ぶ「姫路西バイパス」(1993年開通延長2.9km自動車専用道路)が国道29号線になり、この交差点までの国道29号線は県道724号線姫路新宮線に格下げになっていることに、今更ながらようやく気が付いた。

現在この「国道29号線山陽姫路西IC東交差点」付近から国道29号線の北側で行われている道路工事は、姫路西バイパスの続きの「姫路北バイパス」のもので、峰相山大池に高架をかけ、とんがり山の南に「石倉トンネル」を通して、とりあえず1.5km先の現国道29号線までの先行工事を行っている。最終的には追分峠とその先の急勾配区間を越した林田町六九谷までをバイパスする全長6.2kmを全体事業費約250億円をかけて結ばれる。確かにこの区間は国道としては線形が悪く勾配も急で渋滞がよく発生し事故も多く、また集落の間を行くので騒音問題も抱えている。

左:国道29号線、中:石倉への旧道、右:ガーデン石倉

もっと先で車を降りてもよかったのだが、この道路工事の様子が以前から気になっていた。交差点の北で「姫路の軽井沢 ガーデン石倉」導入路と国道に挟まれた石倉集落へと下る旧道に入る。

工事のため山を削った高い載り面に設けられた鉄階段が眺めがよさそうで気になるが、工事中は近づくことも出来そうもない。攻めるなら送電線鉄塔の立つ裏側しかないだろうな、などと夢想しながら下っていく。

9:01
峰相山大池の東側を通る破線道や、近道の実線道もあるが、やはり峰相山に登るなら「峯相山寺趾登山口指道標 彳是是北二十二丁 大正十三年一月建之」と刻まれた石柱の立つ稲荷大明神に敬意を示さなければならない。

姫路から神姫バスの山崎行きを石倉バス停で降りても、自家用車で来てもここは必ず通るところだ。

稲荷大明神石段の右の道に入る

9:09
峰相山大池では姫路北バイパス高架の橋脚を立てる工事が急ピッチで進行中だが、石倉トンネルはまだ手付かずだ。これでは全区間供用予定の平成20年台半ばの計画は達成するのは困難だ。

道路工事が行われている峰相山大池

峰相山大池の北の石倉生産森林生産施設に「峯相山登山記帳所」があり、道路工事の現場事務所に大半のスペースを取られてしまったが、ハイカーも駐車できる数台分のスペースがある。

さらに奥の「自然・農業・林業体験施設 姫路市 石倉峯相の里」には約40台が駐車可能な無料駐車が完備されていてる。

9:17
暑くなりそうなので、記帳所前でジャケットを脱ぐ。

峯相山登山記帳所

9:21
さらに車道は奥へと続いているが、記帳所から数分で「石倉峰相山寺連景図」があり、かつては微細な谷の名前が書き込まれていたが、消してしまったか読めなくなっている。この看板のすぐ先が神岩・とんがり山の登山口だ。

石倉峰相山寺連景図

9:23
「ようこそようこそ峰相の里へ」と案内があり、柔らかさときめの細かさが持ち味で、京阪神の料亭や高級料理店の料理人が「器量の山城、味の太市」と絶賛する「太市の筍」で有名な竹林の中の道に入る。

とんがり山登山口はこの奥です

火気厳禁
峯相山登山口

(神岩・大黒岩コース)
神戸森林事務署
石倉生産森林組合



長かった前振りが終わり、ようやくとんがり山へ登り始める

9:27
表通りからすぐのところに案内板があり、登山口は簡単に見つかった。その真新しい案内板の裏を見ると「H.19.2 S.O. j.M」と書き込まれ、2年に立てられたものだ。

とんがり山は何度も登ったことがあるが、南側から登るのは初めてで、少しワクワクしてきた。

神岩・とんがり山登山口

←峯相山登山口
神岩・トンガリ山・尾根コース

9:29
この道を開いた人は曲がったことが大嫌いな性格なのか、あるいは猪突猛進タイプなのか、とにかく定規で引いたような真っ直ぐな道が尾根へと登っている。

雑木林の中の真っ直ぐな道

9:32
さすがに尾根が近づいてきて急になると真っ直ぐさは薄れはするが、九十九な道にして楽に登れるようにしようなどという甘っちょろい思いやりなど微塵もなく、あるのは急な登りと固定ロープだけだ。

トラロープが延々と張られた急な道を登る

9:42
振り返ると東側尾根越しに白鳥城が垣間見える。姫路の低山を登っているはずなのに、ドイツの山を登っているかのような錯覚に陥る、まことにシュールな風景だ。

一人で深夜バスに乗って行った東京ディズニーランドのあっけらかんと明るいだけのシンデレラ城は、ついにここまで来たかという感動をもたらしてくれたが、ここから見える白鳥城は判断停止というか思考停止というか、ありえない光景に絶句するのみ。

白鳥城が東尾根の先に見えている

9:50
20分ほどかけて尾根に登りついた。前回に来たとき南側は草木に塞がれていたが、石倉トンネルの調査のためかしっかりした道が通されていた。

北側の神岩・とんがり山への道も、冬場のせいもあるかもしれないが、年々よくなっているような気がする。

尾根から北へ神岩を目指す

9:54
コシダの茂る明るい尾根道は広く明確で雰囲気もよく、歩くだけで楽しくなってくる。反対方向からは何度も歩いたことがあるが、この景色を眺めながら歩くのは初めてで、新鮮味もありさらに楽しくなってきた。

まだ神岩もとんがり山頂上も見えない

9:59
尾根道も変わらず、急なところでも直登+固定ロープ。明神山の洗練され熟達の域に達したこれ見よがしの固定ロープの張り方には遠く及ばないが、ロープが自己主張することもなく道の雰囲気に溶け込んだ素朴さに好感が持てる。

急登には固定ロープ

10:02
神岩ととんがり山の頂上だ。国道から見上げるとさらに尖がって見えるが、頂上近くの斜度は45度程もあり、十分に鋭い。

とんがり山手前に神岩が見える

10:05
神岩への登りの途中に解説板が立てられている。つい最近に設置された感じで、この先の尾根に露出した大岩というか、岩盤は「神岩」とばかり思っていたが「亀岩」だったのか。

一昔前このとんがり山は、コムサロン21なるものたちにより山頂の岩などに好き勝手な名前のプレートを付けるなど荒らされまくって、どうなるのか心配した時期があった。それが今度は社団法人姫路青年会議所という誰もが否と言えない大層な肩書きの元に、魔の手を差し伸べてきたようだ。

でも、この解説文はかつて神岩にあったものと同じ内容で、独自の新説・奇説・珍説の類ではないので、一安心。でも私の判断基準からすると、この解説板もゴミだ。神の宿るとんがり山の雰囲気をぶち壊す目障りなゴミにしか過ぎない。「撮っていいのは写真だけ、残していいのは思い出だけ」は全ての個人・団体に共通するものと私は盲信している。

神岩の下にある解説板

亀岩の伝説

この先にある亀岩のくぼみには、年中枯れることなく小水がたまっています。
祟神天皇の時代(前84年)にその亀岩に香稲(かしね)が4本はえ、その稲の種を天皇の命により諸国に耕作しました。
以後、諸国に流布した香稲はこの岩に生えていた4本の香稲の種子であったといわれております。

平成20年7月 社団法人姫路青年会議所

10:09
神岩は下から攀じ登れそうだが、単独ハイカーの私は安全第一に西側を巻いて上から登ることにしている。

神岩西側の自然の巻き道

10:13
神岩からの景色は素晴らしい。空気が澄んでいれば遥か彼方まで見通せるに違いない。でも私の日ごろ悪行・悪言のため神様は霞をもって眺望を妨げている。まあ自業自得で仕方がないな。

神岩から南を望む

さすがに神様も、すぐ近くのとんがり山を私から隠す力はないものとみえて、振り返るととんがり山の尖がった頂上が間近に聳えている。このとんがり山は風早峰とも呼ばれる。私としては風早峰の方が言葉に響き艶があり好きだが、山の姿形から誰が見ても納得できるとんがり山も素朴でよいかなと思う。

間近なとんがり山

神岩には次の写真のように、L金具を付けた板2枚が重石を載せられている。裏返すと社団法人姫路青年会議所の解説板で、稲作の小泉は右側の板の右に見える岩の窪みに溜まった水を指し、清心の三角石は左上部の尖がった円錐状の石を指す。

この解説板を運び上げた姫路青年会議所に方々にも良識をわきまえた人がいたと見え、神岩にアンカーボルトを打ち込こむようなことはしていない。でもこれもゴミだ。

稲作の小泉と清心の三角石の伏せられた解説板

亀岩の不思議伝説 “稲作の小泉”

古来より 小水たたえたり。香稲(かしね)4本出生せり
 これを諸国普及耕作すべし…
  この小水 年中枯れることなく今に至る。
   これぞ亀岩といわれる所以である。

平成20年7月 社団法人姫路青年会議所

亀岩の清心の三角石

人の心が三角石に伝わりさらに神様へ伝わるなり。
 心清き人、軽くなれと願わくは女子供なりとて
  持ち上がるものなり。
   これも亀岩の所以である。

平成20年7月 社団法人姫路青年会議所

10:23
とんがり山の最後の登りは、稀に見る急さだ。でも手掛かり足掛りは十分で固定ロープもあり、不安感はない。

とんがり山最後の登り

10:32
そして、最後の最後の登りも急だが、写真を撮る余裕はあったので、誰にでも登ることができるはずだ。

とんがり山頂上直下の登り

10:35
とんがり山は双耳峰で、登りついた南峰の方がわずかに高いように見える。北峰に埋設してる四等三角点(点名:下伊勢)の256.7mに対して、南峰の山名板には258mとあり1m以上の標高差がある。

西側が開けた頂上だが、景色は相変わらず霞んでいて、北の方では雪が降っているかもしれない。

とんがり山南峰 258m

10:38
とんがり山北峰は三角点標石があるだけで、周囲を木々に囲まれている。南峰にも三角点標石と似た石柱が埋められているが、単なる境界杭だ。

三角点標石のあるとんがり山北峰 246.7m


峰相山への尾根歩き

とんがり山から峰相山までは緩やかに登り下る4つのピークを越えていくわけだが、前半はシダと落葉樹の同じような道が続き、大黒岩から北側はシダは減少しササがほんの少しと常緑樹が次第に増える広い尾根となる。大黒岩の好展望地のほかは、枝葉越しに外界が垣間見られる程度で、インパクトの少ない平々凡々とした尾根だ。

10:41
でも、とんがり山北峰から歩き始めたら、右手に白鳥城の姿がが見えてきた。2kmほど離れているので肉眼では感動するほども見えないが、望遠レンズ越しだと奥行88.8m・幅26.8m・高さ45.0m(尖塔の天辺まで)の白鳥城の全容があらわとなった。

2km先に白鳥城が見える

10:46
落葉樹主体の雑木林の中のコシダの茂る道という、私のツボにぴったりとはまる山道だ。これでもう少し眺めがよくて、邪魔なマーキングがなければ言うことがないのだが、そうは世間は甘くない。

私の大好きなコシダの道

10:50
4分歩いたらシダ分が減ってしまったが、落ち葉の積もる道も楽しい。下の写真にもし私が写っていなければ、ただのなんでもない林にしか見えない。そこに私が入ることによって、明確な道が浮かび上がるのが不思議だ。「いや、そうは見えないな」という声が聞こえてきそうだが、間違いなく私は、はっきりとした道を歩いていた、ような気がする。

明確な道を歩く私

10:54
さらに4分歩いたら、尾根の左端を行く道だ。あまり変化はないが、右側はシダが茂り、左の西向き斜面には生えていない。そしてここには青紐のマーキングが付けられている。

4分毎に写真を撮るとなかなか進めない

10:58
もう4分歩くと、振り出しに戻ったような風景だが、後にとんがり山がまだ見えている。別に意識してマーキングを写しこもうとしているわけではなく、枝道もなくマーキングの必要性は全く感じられない尾根道だが、なぜかマーキング密度が高い。

再び私の大好きなコシダの道

11:00
なんかいつになったら峰相山に着くのか心配になるほどのスローぺースだが、今度はもう2分歩くと、何も変化はない。

だが写真を撮らないことには、11時丁度にどのようなところを歩いていたのか分からなくなってしまう。もう一種の偏執狂に近く、そのうち数台のビデオカメラで全周を1秒の漏れもなく記録しながらの山歩きを始めるのではと、危惧されるような症状が現われ始めている。

三度、私のの大好きなコシダの道

11:02
さらに2分後、少し変化が現われた。狭かった尾根が少し広くなり、コシダは姿を消した。以前はササが茂っていたような記憶があるが、鹿が食べつくしてしまった。

木々の間を好きなように歩けるが、ここを通れとマーキングが指示をしている。たかがビニールテープのくせに、人間に対して命令するとは太いやつだが、なぜか唯々諾々と従ってしまう。

尾根が広くなってきた

11:10
国道29号線を追分峠から東へ下ると、正面の尾根に目立つ大岩がある。それがこのとんがり山と峰相山を結ぶ尾根に鎮座する「大黒岩」だ。麓側の大岩は少し高くて展望も遥かによいだろうが、残念ながら私は山側の大岩にしか登ることしかできない。たぶん挑戦すれば簡単に登れそうな気がするが、落ちてしまったら元も子もない。

この大黒岩は尾根道から20mほど離れているが「左大黒岩、峯相山右」の案内があり、間違って通り過ぎることはない。その案内板のところで、ご夫妻に出会った。二人とも手ぶらなのでハイカーというよりは散歩者だが、散歩にしてはこの尾根歩きは重すぎやしないだろうか。

大黒岩でシェー

11:19
大黒岩から北は大好きなコシダの姿は完全に消えうせてしまい、大体は下草の少ない雑木林だ。外界はあまり見えないし、単調で平坦な尾根歩きがしばらく続く。

少し詰まらない雰囲気だな

11:22
除草剤をまいたみたいに下草が全くないのは、おそらく鹿さんたちの仕業と思う。いくら冬枯れの風景とはいえササの葉の1枚もないのは寂しく、下草が消滅したことが雑木林になにか悪影響があるのではと心配だ。

明るい雑木林で林床まで光が届くのに
下草が全くない

11:23
1分後、当然ながら周囲の様子にほとんど変化はない。より変化がないのは私の後姿で「もう少しなんか考えろよ」と強く言いたい。

こんなに写真ばかり撮っていつになったら着くのかな

11:27
普通の山なら、頂上が近づくにつれ次第に急さを増す尾根をヒイコラ言いながら登るものだが、この峰相山を南から攻める尾根は緩やかなままだ。常緑樹の割合が増えてきて少し暗くなり、尾根の終わりが近いのを暗示させるぐらいだ。

また下草がなく、落ち葉が満遍なく積もった林床には明確な踏み跡がなくなり、初めて歩くハイカーなら道を失ったのかと心配するかも知れない。

何処が道なのか、はたまた道がないのか
初めてなら少し困りそう

11:30
地形図に破線道で表されている山陽自然歩道に突き当たった。そこには、私の影になってしまったが私設道標が立っていて、左は上伊勢、右は長尾・太陽公園方面だ。平成9年に山陽自然歩道は近畿自然歩道へと発展的解消されたが、この峰相山ルートはなぜ近畿自然歩道には指定されなかった。残された山陽自然歩道の公設標柱は、撤去されることもなく朽ちるにまかされいる。

ここで夫妻の、ザックを背負った正真正銘のハイカーに出会ったが、道標の示すとんがり山方向には明確な道も踏み跡もないので戸惑われていた。

山陽自然歩道に突き当たった

山陽自然歩道
←上伊勢 ↓とんがり山方面 長尾・太陽公園→

11:33
とんがり山尾根道と山陽自然歩道のT字路の右脇部分に木造の祠が三つと石塔があり、そこを「鶏足寺跡」としている山行記録が多いが、そんなことはない。この峰相山全体が鶏足寺跡なのだ

かの法隆寺(創建607年)や飛鳥寺(同588年)に先立ち、日本最古の仏教寺院として581年に峰相山に鶏足寺(けいそくじ)が創建された。そして1,000年近くに渡る鶏足寺の歴史は、1578年に羽柴秀吉の命により全山焼き討ちにあい幕を閉じてしまった。

その全盛時の規模は凄まじく金堂、講堂、法華堂、常行堂、鐘楼、五重塔など、僧坊300余を誇る堂宇が峰相山に建ち並ぶ姿は、東大寺の大仏も裸足で逃げ出すほどのものであった(筆者の想像・妄想)。

鶏足寺跡と一般に言われている所


東尾根コースを歩き白鳥台に下る

11:34
白鳥城を目指し東へと下り始める道だが、山陽自然歩道としての栄光ある過去を持つだけに道幅は広く、歩きやすい。でも、周囲に頂上らしきピークはなく「あれ、峰相山はどこなんだ」と疑問に思うハイカーが多いだろう。

山陽自然歩道を東に進む

11:37
少し行くと自然歩道の道標が立ち「←上伊勢2.2km、↑峰相山頂 標高239.7m、書写山5.0km」と表示されている。道標の峰相山頂が指し示す先は、道から10mほど外れた先の地面の盛り上り。その盛り上がりが峰相山の頂上だという。なんとも盛り上がりに欠ける山登りだ。

ここが峰相山の山頂と皆が言うが本当かな

火気厳禁
峯相山
石倉生産森林組合

11:39
峰相山大池から一番奥まで進むと観音堂があり、そこからの道が右手から登ってきた。そのルートはまだ歩いたことがないが、見た感じ道というほどのものではなく、マーキングを頼りに登ってくる感じだで、当然ながら地形図には記載されていない。。

ここは観音堂への下山口取付だ

下山右下へ
峯相観音堂方面
石倉生産森林組合

11:42
石倉に戻るつもりはないので山陽自然歩道をそのまま打越へ進むが、なんとも広々とした切り開きだ。

かつては両側にササが茂っていた山陽自然歩道

11:44
今度は地形図で破線道として描かれている左への分かれ道が現われた。この分かれ道の下りつく先は、太陽公園の中の展示物として復元された鶏足寺で、以前は入園料を払うことなく入れたが今はどうなっているのだろう。

ここの左手は太陽公園への下り口だ

←太陽公園 ↑東洋高グランド ↓大黒岩・亀岩・神岩

11:48
曇ってきたせいもあるが常緑樹の多い林は少々薄暗く、石倉から登り始めて峰相山手前までの爽快な尾根歩きで盛り上がってきた高揚感が、次第にしぼんでいくのが分かる。このままの沈んだ気分で今日の山歩きを終わらせたくない。

詰まらなくなってきた山陽自然歩道歩き

11:51
地形図上で破線道が二手に分かれる前の、216mピークから南の尾根へ分岐する道があり、「東尾根コース→東展望台10分→」の私製案内板が木の枝に挟まっている。その案内板は私の陰になっていて見ず、写真に写っている白いのは「峰相山々頂→」で、これも私製のものだ。

眺めがさっぱりの山陽自然歩道を歩いてきて、ここで現われた「展望台」という甘い誘いを振り切ることは誰にもできないだろう。真っ直ぐ進んだら東洋大姫路高校野球部のグランドへか白鳥台の片隅に下りることができるが。ここは未知の展望台へと向かう。

山陽自然歩道から別れ東尾根コースへ

11:54
216mピークから少し下ると古墳があった。墳丘は失われているが、天井石は残り精緻に組まれた玄室が印象的だった。この古墳の名前は「大谷山古墳」という。

この山行記録作成の参考にするため、膨大なHPを検索していると兵庫県立考古博物館に、兵庫県内2万5千ヶ所を越える遺跡の名前と詳細な位置情報を収集した「兵庫県遺跡データベース」を見つけてしまった。(埋蔵文化財保護の手引き/行政地区一覧から遺跡の位置と名前を調べることができる)

古墳の名からその所在する山の名を類推することができて、ここの場合は山陽自然歩道分岐点の216mピークか、南側の190mほどの東展望台ピークが大谷山なんだろうな。

東尾根コースの大谷山古墳

11:57
地形図に載っている山陽自然歩道は広く歩きやすいだけでが詰まらない道だった。この東尾根ルートも道幅は少し広すぎるが、周囲の雰囲気はばっちりで楽しみながら歩けるし、一番よいのはどこへ連れて行かれるのか分からないことだ。車で来ていたら出発地点に戻らなくてはならないが、帰りは公共交通機関(神姫バス)を使う私は、西の石倉に戻っても、東の白鳥台へ下りてもどちらでも問題ない。

雰囲気抜群の東尾根コース

12:00
行く手に東展望台があると思われるピークが現われた。そこから、どのような景色を楽しめるかと思うと足取りも軽くルンルンだだ。ちょうどお昼になったので、お昼ご飯も展望台で食べることにしよう。

あれが展望台ピークかな

12:03
白鳥城の建つ山(岩崎山と呼ぶのかな)と白鳥山(東側の137.4m三角点がある山)方向が開けたピークは、正しく展望台の呼び名にふさわい。よしここを播州野歩記の中では、大谷山展望台と呼ぶことにしよう。

ここから見える白鳥城は、肉眼ではまだ小さく、そして木が伐られた山の地肌が見えていて少々殺風景だ。でももう数年すれば、ドイツの本家に負けず劣らずの眺めとなり、この展望台を目指す観光客で登山道は数珠繋ぎになるに違いない。また本家のビューポイントとして有名な吊橋・マリエン橋からの眺めとの一致から、ここはマリエン展望台と呼ばれるようになり全世界から観光客が津波のごとく押し寄せてくる。

東展望台
大谷山展望台
マリエン展望台から白鳥城を見る

12:03
ドイツの本家の背景は、エルベ川の流れと平坦な地形が広がっているが、ここ白鳥城は書写の山並みを借景としている。麓に赤い屋根のこれまたドイツ風な建物が数棟があり、将来的には夢とロマンとメルヘンのヨーロピアンバケーションタウンになる計画だ。

マウスポインターを写真に載せるとズームアップ

12:46
白鳥城の眺めも堪能したしお昼ご飯も食べたし、残るは下山のみだ。

南に延びる尾根にも道が続いているが、展望台の東側急斜面にロープが垂らされていて、白鳥台2丁目と3丁目間の尾根に乗れるように見える。でも、始めてきたのにバリルートもなんだし、それとこのまま南に下ったら石倉か白鳥台のどちらに下るのか興味があるし、一般ルートの南への尾根で下山する。

12:50
尾根の右手はのどかな風景の中に溜池と2棟の建物が見える「石倉峯相の里」、左手には狭い谷間を埋め尽くし、その先端は峠を越えて石倉にこぼれそうな住宅地を見ながら、固定ロープの張られた急な尾根を下る。

展望台南側の急坂を下る

12:56
篤志家か好事家か、それとも山道整備を老後の生きがいにしている住民がいるのか、この東尾根の道は手堅く整備されている。過剰な案内板、花壇、ベンチ、果てしなく続くトラロープ、果てはよしず掛の東屋など山全体をあほらしきパラダイスと化してしまう篤志家や愛好会が多い中、ここは道の整備以外はトラロープが控えめに張られているぐらいで好感が持てる。でも、ここの両側のトラロープとはしご段はいらない。

別になくてもよさそうなはしご段

12:59
次第に高度を下げる尾根を行く道は、まだ西か東かどちらに下るのか分からない。いずれ下界に下りられるものと思うが、行き先の分からない道を少々の不安感とそれを大きく上回る期待感に胸を膨らませ歩くのは楽しい。

住宅地が迫る尾根とは思えない

13:06
文字が消えうせた案内板と、頭を赤く塗られた境界杭がある150mほどの小ピーク。西の石倉方向にはシダの中に微かな凹みが続き、踏み跡の跡の跡ぐらいのものがある。間違いなく石倉の峯相の里へと下ることができるだろうが、確認はしていない。

白鳥台方向というか尾根の南方向へは、シダの間に快適な道が下っている。今日は白鳥城が主目的なのでこちらを選択。

石倉へ下る踏み跡分岐がある150mピーク

13:08
さらに続く尾根の道は、通るハイカーなどいないだろうに広い道が続く。住宅地の中を歩くよりも、この尾根の方が面白く、白鳥台の住人たちの散歩道になっているのかもしれない。

でも少しばかり広すぎはしないだろうか

13:12
白鳥台の家々が近づき、少し急な尾根には固定ロープが張られている。白鳥台は1丁目から3丁目まであり、ここは2丁目山岳会の整備担当区域と思われるが(筆者の想像)、固定ロープの張り方が甘く全体重を安心してかけることはできない。

一度、明神山に登り、固定ロープ張りの真髄・精神を学んだらよいと思う。そして完璧な固定ロープの張り方を学んだ上で、固定ロープが山の雰囲気に与える害悪を明神山の現状を反面教師として学習し、必要最小限のポイントだけにしっかりしたものを張って欲しい。

この固定ロープはいらないと思う

13:17
ついに道は尾根から東に外れて下り始めた。

尾根を外れ白鳥台へ下る

13:20
下り立ったところは白鳥台2丁目8の北西のカーブ。案内板の類はなく赤ブニールテープが巻かれているだけだが、急斜面にはステップが切られ固定ロープも張られていて、一目で登山口と分かる。

白鳥台2丁目の下山地点


南側麓から見た白鳥城

最後は、南側のバス通りから見上げた白鳥城の写真だ。どうやらこの白鳥城は見下ろすよりも、麓から見上げた方が迫力があり、わざわざ近くの山に登って見下ださなくてもよさそうだ。








最後の写真の麓の建物の左側はひかり館、右側はみらい館で、ひかり館のCafe HIKARIKANでは美味しいコーヒー・紅茶を楽しむことができる。またハンバーグランチやカレーライスなどもあるが、量が少なく少々物足りなく感じる人もいるかも。ただし値段は安い。それと特筆すべきメニューはお子様ランチで、なんと嬉しいことに年齢制限なしに誰でも注文できるのだ。

おまけに、ここで月1回、日曜日にコスプレイベントが開催されていることを付け加えておこう。もう遊びのレベルを超えた、本格的なコスプレーヤー達が楽しそうに写真を撮りあっている。コスプレに興味があるが、どのように始めたらよいか一人で悩んでいるなら、一度行ってみたらどうだろうか。

14:11
帰りは白鳥台三丁目バス停から姫路駅前行きに乗ったが、本数は1時間に1・2本、所要時間・料金は30分ほどで440円。



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