シェー赤塚不二夫会館訪問記(東京都青梅市)
平成21年11月7日(土) メンバー 私だけ
青梅赤塚不二夫会館
青梅市は東京都の西の端にあり、JR東京駅から青梅駅まで直通特別快速で1時間19分(料金は890円)かかる。周辺の山々は東京都民のハイキングのメッカとして有名であり、私も高校生のとき高水三山ハイキングコースを歩いたことがある。
でもわざわざ兵庫県の国宝であり世界遺産でもある姫路城そばに住む私が、青梅までハイキングに行ったわけではなく、目的はシェーの聖地と私が崇める赤塚不二夫会館を参拝するためだ。
シェーとは、赤塚不二夫氏がギャグ漫画家として不動の地位を得た代表作「おそ松くん」(週間少年サンデーで1962年から連載を始めたが、1967年にライバル誌の週間少年マガジンで天才バカボンの連載を始めたため連載を打ち切られる)に登場するイヤミ卿が、感極まったときに執り行う有り難き御姿のことをいう。シェー。
青梅駅にやっと着いた
12:41
当日になって、新宿駅大改修工事のためJR中央線の快速・特別快速は全て運休し、運行しているのは各駅停車だけという驚愕の事実が判明し驚いたが、新宿で一仕事を片付けて各駅停車を立川駅で乗り継いで、ようやくのことで青梅駅に到着した。
青梅駅周辺では10年ほど前からの地元商店街の手書き映画看板から始まり、青梅を「昭和レトロの青梅宿」とする明確なコンセプトの元に「昭和レトロ商品博物館」、「赤塚不二夫会館」と町おこしが続いた。そしてJR東日本も協賛し、平成17年から青梅駅を「昭和の街 青梅」の玄関口にふさわしい駅づくりを行ってきた。
上意下達を社是とするJR西日本では、古いが味わいのある駅舎を効率性のみを追求して、没個性のどうにもならない駅へと建て替えているのに、JR東日本にはこんな遊び心があるのが羨ましい。駅名表示板がレトロチックになっているのもその一環だ。
ホームの待合室も木造で雰囲気をだしているが、止まっている電車はステンレス車体の最新式でその落差は大きい。茶色の旧型国電とは言わないが、せめて今も大阪環状線を元気に走っている昭和生まれの車両だったらと思うのは私だけだろうか。
昭和33年東映製作の「裸の太陽」の看板を板壁に貼っているのは、駅そば屋さんだ。
その名は「ばそ出ひ想梅青」、いや右から読むと「青梅想ひ出そば」。昭和レトロというが、これでは戦前だな。
古ぼけた食券販売機だがSuica対応の賢いもの。でも私の持つICOCAは反応しない。仕方なく現金で買った食券は「手作り天ぷらそば」400円。東京暮らしの長かった私にとって、メニューに「たぬきうどん」と「たぬきそば」とあるのが懐かしい。だが、関西では「たぬきそば」自体が存在し得ないし、「たぬきうどん」も関西人が注文したら思いもよらない、驚愕すべき代物が現われる。
店内は見た目よりも狭く、5人ほどで一杯になるぐらい。関西で天ぷらそばといえば、海老天と決まっているが、ここは野菜のかき揚げ。そして関西風の薄味に慣れてしまった私にとって、少し戸惑う味だった。
ホームから改札口への地下道の両側に映画看板が並びワクワクしてくるが、実は青梅には映画館はもうない。
でも改札口近くのこれはなんだかなあ。楽しいデザインの看板だが「昭和レトロの青梅宿」と「赤塚不二夫会館」の共通点がいまだによく理解できない。もしかすると、私は赤塚不二夫ギャグ漫画の真髄をいまだに咀嚼できていないのかもしれないが、でも「これでいいのだ!」と言われてもな。
ようやく駅から出た。振り返って見る青梅駅は昭和レトロどころか大正13年に建てられたモダンな建物だ。昭和はレトロなのに大正はモダン、平成は将来どのように呼ばれることになるのだろう。
いざ赤塚不二夫会館へ
「JEANS & WORKSHOP 力屋」、創業80年のカジュアル・お祭り用品店「ちからや」だ。山車や御輿も取り扱っているという。この映画看板が凄いのは、なんと定期的に入れ替えていることだ。他のサイトを見ると「駅馬車」だったり「チザム」だったりする。歩道に立つ街灯も、目一杯昭和レトロを詰め込んだいでたちでだ。
これは電話ボックスだが、昭和レトロというよりは誰が見ても妖怪公衆電話にしか見えない。「昭和レトロの青梅宿」のコンセプトが固まるまでに、紆余曲折の試行錯誤の時代が存在したとと想像する。
待ち人がいることから分かるように、これはバス停と判断できる。これは真正昭和レトロだ。
そしてその前に土蔵造り2階建て「青梅赤塚不二夫会館」がある。青梅駅から徒歩5分ほどで、入館料は大人は400円だが、Suicaで購入すると100円引きの300円になる。
その隣は懐かしいパッケージを集めた「昭和レトロ商品博物館」だ。この2館のほかに昭和の街並みをジオラマ作品で再現した「昭和幻燈館」がある。「3館共通券」なら200円引きの700円(Suicaなら650円)になるが、このあとの予定が押してきたため残念ながら本日は赤塚不二夫会館のみの参拝になってしまった。
赤塚不二夫会館は1階だけカメラ撮影OK
12:54
出迎えるのは逆立ちをした銀色の「バカボンのパパ」なのだ。なぜ逆立ちをしているのか私は知らないし興味もないが、わが敬愛するイヤミ卿はその横に書割として突っ立っている。最後まで脇役に徹したイヤミ卿と、いかにバカボンのパパが赤塚不二夫氏を代表するキャラクターだったとしてもその扱いの落差が悲しい。
売店部門を抜けた最初の展示スペースには、楽しそうに掃除する「レレレのおじさん」と、これまた楽しそうにピストルを撃ち放つ「目ン玉つながりのおまわりさん」の、共に天才バカボンの名脇役の二人の像がある。
漫画の原画が展示されている2階は写真撮影不可だが、1階は撮影自由なのだ。
落書きされた板塀には所々節穴がいている。板塀の上を歩いているのは「ウナギイヌ」なのだ。
節穴から覗いてみると、この女の人は誰なんだろう。分かりません。
赤塚不二夫氏が三輪車に乗っている貴重な幼少の頃の写真から、全盛期のフォトギャラリー。
漫画掲載誌のページを切り取り貼りつけたもの。
これは何なのかな。顔、体、足を入れ替えて遊ぶのかな。
かの有名な赤塚不二夫氏の愛猫菊千代(昭和54年生まれ、平成18年没)。「万歳」などをする芸達者な猫で、氏に愛されたという。
赤塚不二夫一周忌、菊千代十三回忌に「もりわじん」氏により作成された猫神様「招菊千代」。赤塚不二夫氏は平成14年に脳内出血で倒れ、無念なことに平成15年に開館した会館へは一度も足を運ばずじまいに、昨年(平成20年8月2日)菊千代の住む世界へと旅立たれた。
楽しい写真撮影コーナー。JR中央線の間引き運転のためか来館者は数えるほどで、いくら待っても誰も通りかからない。仕方なくセルフタイマーで撮ったシェーだが、いつもは大勢のギャラリーの前でも平気でできるのに、誰も見てないと逆に照れてしまう。
昭和27年から昭和57年にかけて東京都豊島区長崎3丁目に存在した木造アパート。多くの漫画家が入居していた時期があり、漫画家の聖地として人気となったが、老朽化のため解体された。そのアパートの名前はトキワ荘という。………誰でも知っている常識かな。
赤塚不二夫氏はどこにいるのかな。
昭和幻燈館には、このような山本高樹氏製作の昭和の街のジオラマがたくさん展示されていて、是非とも見たかったのだが残念だ。もう青梅まで足を伸ばすことは一生涯ないと断言できるが、淡い思い出のある高水三山にはもう一回登りたいな。
魔法のコンパクトを持ち「テクマクマヤコン テクマクマヤコン」と2階へと誘うのは、赤塚不二夫少女マンガのヒロイン「ひみつのアッコちゃん」だ。
バカボン、はじめちゃん、バカボンのママとパパと一緒に2階へ登ると、そこは撮影禁止だったのだ。
赤塚不二夫会館2階は、トキワ荘の一室を再現したり、おそらくアシスタントの方々が描いたきれいな線のたくさんの原画が展示があったり、赤塚不二夫氏の全ての著書が展示されていたり、興味深いビデオを流していたりするが、写真撮影は不可。イヤミ卿像と一緒にシェーをしながらの写真を撮れなかったのが心残りだ。シェー。
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