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妻その1が乗った思い出の姫路モノレール
35年目の公開



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平成21年11月15日(日)  メンバー 私と妻その1

手柄山中央公園内サンクンガーデン


姫路モノレールの営業期間は7年11ケ月と公共交通機関としてはあまりにも短く、営業距離も1.6kmときわめて短かった。そして今も残されるモノレール高架軌道と共に姫路市の負の遺産と言われてきた。

1966年(昭和41年)5月17日 姫路大博覧会に合せて姫路駅前〜手柄山まで開業
1974年(昭和49年)4月11日 不採算、製造メーカー解散による部品入手困難などのため休止
1979年(昭和54年)1月26日 播磨灘と日本海を結ぶ夢は夢のまま廃止
2009年(平成21年)11月15日 35年の永き眠りから目覚め1日だけの一般公開
2011年(平成23年)4月頃〜 姫路市立水族館再オープンに合わせて公開予定

廃止になれば軌道は完全に撤去し、そして車両は一部を記念に残しあとは処分となるのが普通だが、この姫路モノレール高架軌道の撤去費用は高額になるため、新規建造物と干渉する場合にのみ撤去して来た。そのため軌道は点々と残っている。

日本ロッキード・モノレール社により4両作られた車両は、政治的な確執のためか、あろうことか手柄山駅の車庫に収められたままに35年もの永き眠りについていた。ただ、営業末期の部品取りのため完全な姿の車両は2両だけだったようだ。

それが昨年より休館中の姫路市立水族館を姫路モノレールの旧駅舎にリニューアルオープンするに伴い、モノレール車両も公開することになった。だが、車両はホームではなく車庫に収められたまま、ホームと車庫を結ぶ屋外にあった分岐器は撤去され公園になってしまった。

今日の一般公開は、車庫から2両を外の公園に引き出して、横引き後にホームへと収める作業の途中に行われたもので、すでに1両はホームへと移されている。


実は足が痛い痛い

昨日の姫路の秋祭りの最後を飾る水尾神社の祭礼に参加し、屋台を担がせてもらったのだが、あろうことか足を痛めてしまいまともに歩けない状況に陥ってしまった。幸いにも腫れも傷みもたいしたことなく、自己診断では1週間もすれば完治するはずだ。

姫路モノレールの一日だけの一般公開を楽しみにしていたのだが、そんなわけで潔く諦めた。だが妻その1は子供の頃に姫路モノレールに乗ったことがあり、どうしても私と一緒に見に行きたいと駄々をこねる。しかたなく、いつもザックに入れているテーピングテープで足首を完璧に固定し、妻その1の運転する車で出かけてみた。幸いなことに帰宅後も症状の悪化はなかった。

サンクンガーデン南側の水が流れる階段

10:12
報道によると大勢の人々が押し寄せて、10時開始の予定が45分も早まったという。公開から1時間が経過し、落ち着いた雰囲気の公開現場だが、これまでこんなに大勢の人々を見るのは初めてだ。

左側の車庫側の穴倉から引き出された車両が横引きされ、ホーム側の穴倉へと収めされようとしている状態がよく分かる。だがこの一般公開が終わると、もう車両は二度とお日様の下に姿を現すことはない。

35年ぶりに現われた姫路モノレールの車両

車両正面は大勢の人々で、前に出ることもままならない。私は妻その1ほども姫路モノレールに思い入れがあるわけではなし、今日はモノレールを見に来た人々を観察することにした。

この右側に駆動部が展示していることもあるが
車両正面は大賑わい

表土を取り除いてみたら昔のコンクリートべた基礎が現われたみたいで、1両で18トンもある車両移動のための地盤改良の必要もなく、かなりラッキーな工事現場だ。横引き用のレールは取り除かれ、もうあとはホームへと押し込むだけ。

車両の状態は、換気もされない密閉された車庫の中で日光による塗装の劣化もなく、全アルミニウム合金の錆びにくい材質もあり、ノッチを入れたら今にも走り出しそうな雰囲気。

これは202号車

使用している仮設材はジェコス株式会社のものだが、施行主体は三井住友建設株式会社のようだ。仮設軌道からホームへの移動は、車両先頭の連結器とレール間に取り付けた油圧シリンダー(写真青色のもの)を伸び縮みさせて尺取虫のように送り込むように見える。

車両移動用の油圧シリンダー

素人目だが仮設材の組み方が間違っているような気がしてならない。下から二番目の仮設材と、その上の横向きに案内レールが取り付けられた仮設材の向きが同じになっている。仮設材は井桁に組むと強度が増すが、これでは広島新交通システム橋桁落下事故の教訓がまったく生かされていない。

ルールを無視しているのは、案内レールを取り付ける仮設材のみ「工」ではなく「H」に置かれているためと思われるが、その上の仮設材とは直角に組まれ接合が面てはなく短い線になっていて、普通に組むよりは強度が著しく低下していると思われる。計算上は問題ないのだろうが、素人を不安にさせるな。

組み方が怪しい仮設鋼材


本題に戻そう

妻その1は姫路市近郷の生まれで、幼少のころ家族で姫路大博覧会を訪れ姫路モノレールに乗った思い出があるという。私が北海道から兵庫県に移り住んだのは、姫路モノレールの休止から10年も経た時分で、姫路駅近くにモノレールの千切れた高架が残っているのを見て不可解に思ったぐらいだった。

目の前の姫路モノレールの車両は、私が幼少のころ乗った同じく日本ロッキード・モノレール社製造の小田急向ケ丘遊園(昭和2年開園〜平成14年閉園)に存在したモノレール(姫路モノレールと同じ昭和41年に開業〜平成12年休止・廃止)の面影とどことなく似通ったものを感じた。

鉄ちゃんが多いが、昔を懐かしむ人たちも

車両がそのまま残っていること自体が都市伝説となりそうな、35年間の暗闇から引き出された姫路モノレールの一般公開は格好な取材対象となったようで、マスコミ各社を見受けた。下の写真は関西テレビの取材クルーでそのカメラの先には………

関西テレビ取材クルーのカメラの先には

現地リポーターが、いや一緒に行った妻その1です。別にインタビューを受けているわけではありません。でもこんな写真をUPしてよいのかと悩みましたが、妻その1は「いいよ」の一言。

家族まで売る非常な播州野歩記と思われるでしょうが
本人のたっての希望で掲載しました

姫路モノレール手柄山駅の上に建てられた「緑の相談所」前では、休止中の姫路市立水族館スタッフによるアクアキャラバン(移動水族館)が催されていたが、寒空のした寒がりの陸ガメは赤外線灯の下にうずくまり可哀想であった。気象庁のHPによると外気温は13.5度と、人でも肌寒く感じる曇り空だ。

姫路市営水族館によるアクアキャラバンも催されていた

緑の相談所下のかつてのモノレール駅舎のコンコースでは、写真展示や当時のフィルムの上映が行われていた。記念スタンプを求めて列を作り並ぶ人たちに、見るからに鉄ちゃん風のお兄ちゃん達が多いのが目を引いた。おそらく全国各地から姫路を目指し集まって来たのだろう。

旧モノレール駅舎コンコースは大賑わい

色々な興味深いものが展示されていたようではあるが、私の趣味の守備範囲から離れるものばかりで、まともに見ていない。

ただ鉄道車両のパンタグラフには拘りがあり、私的な美学ではPS16型をもってとどめを刺す。現在主流の下枠交差型やZ型、シングルアーム型などもってのほかだ。あれ、姫路モノレールは剛体架線だったはずで、集電装置は地下鉄の集電靴みたいのだったのかな。

寒いお外に出たくない皆様


寒い寒い外へ

10:45
受付と表記された紙が下がっているが、受付というか単なるパンフレット配布所に過ぎないテントが会場に2ケ所用意されていた。だが、5千人の予想に最終的には1万2千人も詰めかけたため、もう一部のパンフレットが品切れになっていた。

35年の間に積もり積もった姫路市民や、全国の鉄ちゃんの見たい見たいの怨念の凄さに、姫路市当局者も姫路モノレールの価値にようやく気づいたことだろう。

手柄山姫路モノレール移動工事現場見学会場の受付

2ケ所の受付には番犬がいた。ただしよく出来た置物の犬なのだが、緑の相談所の守り神なのだろうか。今度行ったら聞いてみよう。

なぜか受付には犬の置物が

平成23年から予定される一般公開では、モノレール車両を上からは見ることはかなわないと思うが、今日は思う存分色々な角度から見下ろすことが出来た。

後に見えている近未来的な建物は、姫路大博覧会のときにロサンゼルスの空港管制塔を模して建てられた「回転展望台」で、以来43年間の永きに渡り回転展望喫茶として1周15分で回り続けている。(営業は10時から18時なので、単純に計算すると、うわっ、もう50万回も回っている)

モノレール車両を上から見下ろす人たち

上から見る車両はすっきりしている。高架を運行し危険防止のため窓は固定式で、夏場は外の熱い空気を取り入れるだけで、クーラーは装備されていなかった。今思うと信じられないが昭和40年代は、超満員の通勤電車にもクーラーはなかった。

上から見た姫路モノレール202号車

10:50
私達が到着したときよりも見物人は大分減っている。もう平成23年の一般公開まで見ることは出来ないが、そのときに姫路市立水族館も一緒に再開するするのが楽しみだ。

名残惜しいが、足の痛みでもう見物どころではなく、会場をあとにする。

10時の現場説明に集中したのかな

1946年(昭和21年) 市バス営業開始
1958年(昭和33年) 書写山ロープウェイ営業開始
1966年(昭和41年) モノレール営業開始

と、栄華を誇った姫路市交通局も

1974年(昭和49年) モノレール営業終了
2006年(平成18年) 書写山ロープウェイを姫路市観光交流推進室に移管(運行業務は神姫バス)
2008年(平成20年) 水道局と統合し姫路市企業局交通事業部に格下げ
2010年(平成22年) すべてのバス路線を神姫バスへ移管し、交通事業部は廃止

と、来年には消滅してしまう。今度は市バス車両を車庫に35年缶詰にするに違いない。

………………

なお、私の痛めた右足は急速に回復しつつあるが(受傷後3日目)、今年一杯の山登りは無理だろう。



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