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六甲山カレー21皿目は前ケ辻の喫茶銀胡
(油コブシを登り・アイスロードを下る)



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平成22年10月23日(土)  メンバー 一人法師

六甲ケーブル下駅〜油コブシ〜六甲ケーブル山上駅〜銀胡〜アイスロード〜六甲ケーブル下駅



六甲山カレー巡礼第二十一番札所は前ケ辻の喫茶銀胡

 唐櫃から登ってきたシュラインロード(唐櫃道)が、アイスロード(前ケ辻道)と名を変え六甲ケーブル下駅のある土橋へと下り始めるその地点は、裏六甲ドライブウェイ(唐櫃〜前ケ辻、昭和3年・1928年開通)と表六甲ドライブウェイ(阪急六甲〜土橋〜前ケ辻、昭和4年・1929年開通)の接続点でもあった。

 その由緒ある六甲山上交通の要たる前ケ辻に、一昨年(平成20年・2009年)の11月に、喫茶銀胡が産声を上げた。その小さな声が私の住む姫路まで届くのに2年ほどかかり、同時に私の天命「六甲山カレー巡礼」とも合致することを知った。

 こうして私の六甲山カレー巡礼第二十一番札所「喫茶銀胡」を巡る山旅が、六甲ケーブル下駅から油コブシ・寒天山道を経由し六甲ケーブル山上駅へと登り、銀胡で美味しいカレーを頂き、アイスロードでケーブル下駅へ戻る、エスケープルートとして六甲ケーブル・阪急バスを備えた山行計画が立案され実行された。



なんというか幸先の悪い、
彼らにとっては、途方もない不幸な出来事から始まってしまった。

 JR六甲道駅にやって来た神戸市バス六甲ケーブル下駅行きはすでに座席が埋まり、神大国際文化学部やケーブル下駅へと向かうハイカーなど多くの乗客により満員になり、積み残しが出るくらいだった。

 神大国際文化学部前停留所で半数ほどの乗客が降り、私も降車口前の最前列に座ることができた。舗装補修工事のため1車線が閉鎖された道は込んでいたが、まあまあ順調にケーブル下駅を目指し走っていた。

 新土橋を渡り六甲有料道路へ向かう道と、ケーブル下駅への道が側道として分かれる地点でその不幸は起こっていた。側道下り口に3台の車とバイクが止まり、一人の青年が道を塞ぐように横たわっていた。どのような経緯かは分からないが、楽しかった思い出がかすかに残るだけのはずだった楽しいドライブとツーリングが、その結節点を境に人生を変えてしまう悪夢に変わるとは。毎日沢山起こっている交通事故の一つに過ぎないだろうが、当事者でもないが、私は大きなショックを受けた。

 バスは側道を通ることができずに、その場で乗客を降ろした。事故現場の横を通り過ぎるときに横たわるライダーの青年を見たが、顔色は青白く目をつぶっていた。元気になることを願いつつ通り過ぎることしか、私にはできなかった。

10:30
 気を取り直し、今日も元気に、一歩一歩を慎重に無事故で家まで帰るぞと、準備を整え山登り開始。

 バスでやって来たほとんどのハイカーは、なぜか自分の足では登ろうとせずに、切符売り場に長い行列をつくっている。でも、ここから油コブシや天望山を経て六甲山上へと登れることを知る人は、私を含めてかなりの通というか好事家というか、あまり一般的ではないな。

99%のハイカーはケーブルで山上へ
わずかの偏屈ハイカーは油コブシへ

10:33
 ケーブル下駅に背を向けバス通りへと引き返すと、六甲山トンネルからの道と合流する手前に、北側へ登る道が分かれている。「ハイキングコース案内図」が左の石垣に掲げられ、ここが「背山散策路“高羽道”入口」で、「油コブシを経て六甲山上へ3.0km」であることがわかる。

 事故現場はと見ると、まだ救急車はその場に留まり、消防車が1台と、足止めされた市営バスは3台に増えている。なぜかパトカーや警察官の姿がまったく見えないのが訝しいが、登り始めるとすぐにサイレンを鳴らして救急車は走り去っていった。

車がビュービュー走る新土橋から
六甲山トンネルへの道を行けば天望山の登山口があるが
今日は、ここから左に油コブシへと登る

10:40
 一昔前はこの辺も林が広がっていたのだろうが、今は九十九に登る坂道の両側に瀟洒な老人ホームが立ち並んでいる。いつでも後背の山々を逍遥できる環境は、私の老後生活には打ってつけかと思う。

老人ホームの間を九十九に登っていく

10:42
 ここが車道の行き止まりで、異様なスロープは山登りのためのものではなく、建物からの避難のためのもので、高羽道及び油コブシへの登山口は「駐車禁止」看板の裏側にある。

ここが高羽道および油コブシへの登山口だ

10:44
 登山口付近を老人ホーム建設時に削り取ってしまった代償にか、きれいな階段道が整備されているが、こんな歩きやすい(私は階段道が大好きだ)のはここだけで、大体は寂れた少々荒れた山道が六甲山上まで続いている。

登り口だけはよく整備された階段道だ

10:46
 階段道を登りきると立っている送電線鉄塔は「篠原線 八」だ。極平凡な2回線耐張型の送電線鉄塔だが、携帯基地局のアンテナが共架されている。送電線からの低周波、基地局アンテナからの高周波で体が癒されるような気がするのは、私だけだろうな。

携帯基地局アンテナが共架された送電線鉄塔
「篠原線 八」

10:50
 送電線鉄塔「篠原線 八」と「篠原線 九」の間は、木々が伐られ明るい。薪炭林の雰囲気を漂わせる里山の復元は各地で精力的に行われているが、ここでは「六甲山グリーンベルト整備事業」として、民間ボランティア活動を取り込み森林の整備を行っているが、どのような森林を目指しているのか私には理解できない。ただ木々を伐りまくり、明るい林にするだけでよいのだろうか。こんなことを六甲全山に広げていく積りなのだろうか。

木々が伐り払われ明るい「六甲山グリーンベルト整備事業」地

 不自然さの言い訳をするようにしか私には見えない「看板」が立てられているが、自己顕示欲のためのものとしか思われず、こんなものはゴミだ。

「六甲山系グリーンベルト整備事業」看板 その1

六甲山系グリーンベルト整備事業

 六甲山系グリーンベルト整備事業では、土砂災害防止の観点から「様々な高さの木や下草がバランスよく生え、いろいろな樹齢、樹種により構成された森林」を目標樹林として整備を進めています。
 この場所では、市民団体や企業による、森づくり活動を実施しています。

目標とする森

土砂災害に強い森
 高木・亜高木・低木・草本などの階層をもつ複層林は日差しや風雨から表土を守り、雨水を涵養します。土中深く張り出した根は、大雨や地震による土砂崩れを防ぎます。

生き物豊かな森
 人手が入り管理された明るい落葉広葉樹の複層林は、多くの低木や下草が茂り、つくり出される多様な環境には、様々な生き物が集まります。

森の世話人

団体名:ブナを植える会
 「森の世話人」とは、「六甲山系グリーンベルトの森づくり実施要領」に基づき、国土交通省六甲砂防事務所に森づくり活動を認められた団体です。

国土交通省近畿地方整備局 六甲砂防事務所

 近くにこんなのもある。六甲山カレーを食べたいがために登り、あまつさえ喜々としてその山行を報告する自己顕示欲だけは太陽系最高峰オリンポス山よりも高いが、山の知識はミジンコの涙程もない私にも、醜悪な登頂記念プレートに負けず劣らずのゴミと分かる。

「六甲山系グリーンベルト整備事業」看板 その2

六甲山系グリーンベルト整備事業
(HAT-Jの森づくり)

 グリーンベルト整備事業では、土砂災害に対する安全性を高めるだけでなく、緑豊かな生活環境の創出を目指しています。このため整備にあたっては植生の根の力をできるだけ生かし、土木構造物の導入は必要最小限に抑えながら、健全な樹林帯を保全・育成します。

森林整備とは、災害に強い樹林を造る。自然豊かな森をつくることです。

 ニセアカシアを他の樹種に変換して、様々な高さの木や下草が、バランスよく生育している樹林を目標としています。

協力: HAT-J関西(HAT-J代表田部井淳子)
鶴甲の森づくりグループ
ブナを植える会

10:54
 登山道に沿って行われているグリーンベルト整備事業は、見た目を最重要視しているようで、この林相が本来の六甲山のものなのかは疑問だし、本当に砂防に役立つのか、ボランティア団体や協賛企業による一大自己顕示欲発揚の場としか感じられなかった。

ここもグリーンベルト整備事業地だ

 なんか看板のコンクール会場に紛れ込んだ感じがする。「自然に帰るからミカンの皮は捨ててもかまわない」派のほうが、まだ良識があるように思えてしまう。

「六甲山系グリーンベルト整備事業」看板 その3

六甲山系グリーンベルト整備事業

 グリーンベルト整備事業では、土砂災害に対する安全性を高めるだけでなく、緑豊かな生活環境の創出を目指しています。このため整備にあたっては植生の根の力をできるだけ生かし、土木構造物の導入は必要最小限に抑えながら、健全な樹林帯を保全・育成します。

国土交通省 六甲砂防事務所

鶴甲の森づくり

国際ソロプチミスト神戸
40周年記念植樹
2009年11月29日

鶴甲の森づくり参加団体 ブナを植える会
鶴甲の森づくりグループ
関西スーパーマーケット
国際ソロプチミスト神戸

 この鶴甲の森づくりは、滑ヨ西スーパーマーケット様 砂防ボランティア助成の環境活動助成を受けて実施しています。

プレート製作:神戸市立科学技術高等学校 機械工学科




ようやく山登りらしくなってきた高羽道

10:57
 ほぼ平坦だったグリーンベルト事業整備地を過ぎると、少しだけ急になりようやく山歩き感が増してきた。六甲山ではマイナーなルートかもしれないが、山上までに20人ぐらいのハイカーとすれ違い追い越され、道幅は広く蜘蛛の巣が顔にペッチリなんてことはない。

ここは高羽道だな

10:58
 山道が左右に分かれていて、道標は困ったことに左右ともに「渦森台・油コブシ」となっている。前回来たときは「ゆるやかな道」と「急な道」と書かれていたはずだが、その部分が掻き消されている。たしかその時は左に進んだはずなので今日は右へ行ってみる。

右、左、どちらに進んでも「渦森台・油コブシ」

11:03
けだるいほどのゆるやかな道が続き、こっちが「ゆるやかな道」なんだと納得したが、帰宅後に過去の記録を読んでみると、こっちが「急な道」だった。

 私が最初に登り始めた雪彦山・七種山・明神山などの播州の山々は、壁のような山道が立ち塞がり、岩につかまり木の根をつかみながら手足を総動員しての山登りが当たり前だったので、「ゆるやかな道」も「急な道」も、どちらも「とてもゆるやかな道」としか感じないのかもしれない。

どのへんが「急な道」なのか理解できず
道標を改変した心理が理解できた

11:06
 今度は道が三つに分かれている。左から「鶴甲0.5km」、「鶴甲0.5km」、「六甲ケーブル駅2.0km・渦森台1.0km」となっている。登ってきたからよかったが、下りだと三つのどの道でも鶴甲に下れることになり、どの道を選ぶか大変だ。

左:鶴甲、中:鶴甲、右:六甲ケーブル駅・渦森台、
そして登ってきた道も鶴甲から

11:10
 写真に撮ると急さがうまく表現できないが、まあそれなりの登りではある。標高244.2mの六甲ケーブル下駅と標高737.5mの六甲山上駅の標高差は493.3mもあり、ゆるやかな登りばかりだといつになっても登り着かないので、急な部分もある。

結構急な登りなのだが、
どのようにしたら表現できるのかいまだに分からない

11:12
 送電線鉄塔「神戸港線 四」。登ってきた道は「関西電力管理道」と標示があるだけでどこに下るのか書いてない。左から合流してきた道は「鶴甲・阪急六甲」、これから登るも道は「六甲ケーブル山上駅(油こぶし)・高羽道を経て渦森台」となっている。

 送電線鉄塔が立っているので、ここは尾根のはずだが展望はない。がっかりだ。

送電線鉄塔「神戸港線 四」で
もう一本の鶴甲から道が合流してくる



高羽道から別れ油コブシへ

11:15
 斜面に「背山散策路 高羽道 鶴甲〜渦森台・御影山手コース」の案内板が立っているが、足元が悪く見にくいが、意外と正確で分かりやすかったりもする。標柱は、案内板方向に登る道は「油コブシ・六甲ケーブル上駅」、来た道は「鶴甲団地」、右手への水平道は「渦ケ森団地」となっている。

 案内板と標柱から、ここで鶴甲と渦森台を結ぶ高羽道から別れ、油コブシを経由して、途中から寒天山道が合流してきて六甲ケーブル山上駅へと至ることが理解できる。ここまでにいくつかの分岐や合流道があり、この先にもありそうで結構複雑なルート構成となっている。だが、いずれも明確な道で案内標識もしっかりしているし、どの道に進むか迷うことはあっても、道に迷うことはないな。

ここで渦森台へと続く高羽道に別れを告げ
油コブシへと登る

11:20
 相変わらずの展望のない道が続くが、道自体の雰囲気はよく歩きやすいことと相まって、快調に登っていく。

 下の写真の道が明るくなっているところで、左から「鶴甲・阪急六甲(きつい道)」が合流してきて、登り方向は「六甲ケーブル山上駅(油こぶし)」で、ちなみに私が登ってきた道は「鶴甲・阪急六甲(ゆるい道)」となっている。

快適な登りが続く

11:22
 送電線鉄塔「六甲線 七」。尾根に立つ大きな送電線鉄塔だが、展望はない。

送電線鉄塔「六甲線 七」の中を抜ける

11:27
 「森林管理道」が西方向へ分かれている。六甲山としては細い不明確な道だが、どこへ行くのだろう。

「森林管理道」が分かれている

11:29
 こんな水平道ばかりが続くと、永遠に目的地まで登れそうもないが、大丈夫。写真の道の間には短いが急な登りもあり次第しだいに高度を稼いでいる。

展望は皆無だが、こんな道が大好きだ

11:32
 またまた「六甲山系グリーンベルト整備事業」地だ。植林の中にぽかりと開いた伐採地には広葉樹を植えているようだが、こんなに日当たりがよいと下草が茂り、毎週草引きに登ってこなければならないな。

「六甲山系グリーンベルト整備事業」看板 その4

六甲山系グリーンベルト整備事業

和(なごみ)の森

 和の森では。「森の世話人」大和ハウス工業株式会社が、六甲山系グリーンベルト整備事業の一環として、国土交通省近畿地方整備局六甲砂防事務所と協力しながら、災害に強い森、自然豊かな森を目指した森づくりを行っています。

和(なごみ)の森 森の世話人
大和ハウス工業株式会社

11:35
 緩やかそうに見える丸太階段の道で、確かに緩やかなのだが距離がかなりあり、結構大変。休憩代わりに写真を撮っているうちに、単独おばちゃんハイカー(山ガール)に追い越されてしまった。

こんな丸太階段道もある

11:40
 苦あれば楽ありだが、外界がまったく見えず、今どの辺り歩いているのだろうか。ここまで地図も見ずに登ってきたので、いや一度歩いたことがあるので地図さえも持たずに登ってきたので、ここがどの辺りかまったく分からない。なんとまあ六甲山を舐めきった悪いハイカーの見本だな。

下草はミヤコザサとは違うのは分かるが
ネザサと呼ぶものかな

11:44
 テーブルやベンチや東屋さえもある一大休憩地に到着。草木が茂り眺望を隠そうとしているが、何とか霞んだ神戸の町並みを遠望することができる。

今日の登りでの唯一の展望地

11:48
 展望休憩所の北端から油コブシへの最後の登りが始めるが、道は二手に別れている。左は「六甲ケーブル山上駅1.5km」と標示があるが、右側に関しては何もない。どちらに進んだらよいか迷い、休憩所南入口の案内地図板まで引き返すと、左は油コブシ頂上を巻く道、右は頂上へと直登する道と判明し、右へ進むことに決定。

展望休憩所からは右の道をとる

11:50
 まあそれなりに急な石段の道だが、摩耶山中腹天上寺への石段の方が何倍も急だ。エッチラオッチラ登っていく。

油コブシへの直登道は石段道だ

11:53
 油コブシ頂上(三等三角点625.5m、点名:清水)に着いたが、尾根の肩のようで明確なピークではない。おまけに展望も、私の大好物の登頂記念プレートさえもなく、まったくがっかりな山頂だ。

 山名の油コブシの由来の一つに、昔々六甲山を越えて唐戸へと油を運ぶ行商人が、あまりの悪路に油をこぼしまくりながら登ったので「油こぼし」、それが変化して「油コブシ」になったというが、いくらなんでも山越えをするのにきちんと蓋ができない容器に油を入れる訳はなく、そんなのは嘘だ。

 「アブラコ」(アイナメの北海道での呼び名)+「武士」が正しい由来ではないかと目星を付け、鋭意調査研究中で、ほぼ半分までは屁理屈を思いついたのだが、信憑性を高める物語がいまだに書けていない。

展望も何もない油コブシ頂上

11:56
油コブシ山頂から15mも進むと、展望休憩所から緩やかに登ってくる道と合流し、道標は「左:鶴甲・阪急六甲(油こぶし・きつい道)、右:鶴甲・阪急六甲(油こぶし・ゆるい道)」となっている。でも右へ行くと油こぶし頂上へは登り返さないといけないんだな。

展望休憩所からのゆるい道と合流

11:59
 油コブシを過ぎるともう急な登りはない。

なんかすっきりとした道だな

12:01
油コブシからの道と寒天山道が合流する一帯は「出会いの森」と名付けられ、株式会社新井組により整備されている。

 登山道脇のネザサの刈り込みも彼らの仕業に違いない。私としては背丈を越すササを掻き分けての、いわゆる藪漕ぎが大好物なのだが、六甲山でマダニに食いつかれ治療費を一万円近く払った経験者の私はこんな道も大好きだ。

「六甲山系グリーンベルト整備事業」看板 その5

六甲山系グリーンベルト整備事業

 六甲山系グリーンベルト整備事業では、土砂災害防止の観点から「様々な高さの木や下草がバランスよく生え、いろいろな樹齢、樹種により構成された森林」を目標樹林として整備を進めています。
 この場所では、市民団体や企業による、森づくり活動を実施しています。

目標とする森

土砂災害に強い森
 高木・亜高木・低木・草本などの階層をもつ複層林は日差しや風雨から表土を守り、雨水を涵養します。土中深く張り出した根は、大雨や地震による土砂崩れを防ぎます。

生き物豊かな森
 人手が入り管理された明るい落葉広葉樹の複層林は、多くの低木や下草が茂り、つくり出される多様な環境には、様々な生き物が集まります。

森の世話人

団体名:株式会社 新井組
 「森の世話人」とは、「六甲山系グリーンベルトの森づくり実施要領」に基づき、国土交通省六甲砂防事務所に森づくり活動を認められた団体です。

国土交通省近畿地方整備局 六甲砂防事務所




寒天山道から六甲山上、喫茶銀胡へ

12:01
 渦森台から登ってくる寒天山道と合流。確かに手入れしたくなる暗さで、伐採したアセビ?だけに日が差し込んでいる。

 この写真を撮っているとき本当の山ガールが追い越して言ったのだが、一瞬のことで同じフレームに、さも一緒に楽しく登っているかのような写真を撮ることができなかったのは、返す返すも残念なことだった。

寒天山道と合流、六甲山上は近い

12:03
 GoogleやYahooの検索からこのページにやって来た人は、全ての写真に写り込んでいるいるのは誰なのだろうと、まさか全ての写真が自分撮りとは思うまい。写真を撮るたびに三脚・カメラをセットし、いかにしたら山登りの雰囲気を出せるかと構図に気を配り、臨場感を増すためにその中に自分が入り、20mまで離れても使える赤外線リモコンを使用しての自分撮りなど、自尊心が太陽系最高峰のオリンポス山よりも高い私ぐらいにしかできない御技だ。(顔を出さないのは認めません)

グニョグニョの木はアセビかな

12:05
 寒天山道にはいると、何かこんな緩やかな道で本当に六甲山上に出られるのか、ここを歩くのは三回目なのだが、心配になってくる。

 寒天の作り方だが、テングサを〜〜して水車でつき、そして〜〜してトコロテンを造る。トコロテンを2晩かけて凍結させ〜〜し、日乾しして寒天の出来上がり。その昔は麓に水車があり、山上に運び凍らせて寒天を製造していたのだろう。その中間材料を運び、製品たる寒天を運び降ろした道なので寒天山道と呼ぶようになったのかな。

さらに続く緩やかな寒天山道

12:08
 ギリギリギリと音が聞こえてきた。なにかなと枝葉越しに見ると六甲ケーブル山上駅からの、ケーブルカーを駆動するワイヤーの音だった。

六甲ケーブル山上駅が見えてきた

12:19
 車の音も聞こえてきて、もうすぐ車道に出るかと喜んでいると、なぜか道は山上駅に背を向け東へ東へと離れて行く。最後は使えるのか廃屋なのかよく分からない別荘の間を登り、すでに地形図から消されてしまったが、建前上は運行を休止している六甲有馬ロープウェイ表六甲線の支鉄塔が現われ、ようやく車道に出る。

すぐ上が六甲山上道路だ

12:22
 1981年(昭和56年)5月25日に、昭和天皇が六甲ケーブル山上駅の屋上から神戸の町並みを眺められたいう。そしてその日からその場所は「天覧台」と名を変えた。天覧台まで上がっても今日の霞具合ではたいしたことはなかろうと、下の駐車場から眺めたが、ちょっとがっかりな展望だった。

天覧台下の駐車場から

12:33
 六甲山上までケーブルカーで登って、あまつさえ山上をバスで移動しようとするハイカー???を尻目に、私は自分の足で目的地まで移動する。まあ単なる舗装車道歩きに過ぎないが、これも私の山行だ。

六甲ケーブル山上駅から記念碑台の間
サンライズドライブウェイとも言う

12:39
 山上道路にいくつの信号があるか知らないが、片手で余る数だろう。ここは記念碑台下の信号機のある交差点だ。

 で、なにを記念してるかというと、六甲山開発の祖と言われているイギリス人アーサー・ヘスケス・グレーム氏の、彼の数々の業績を称え1912年(明治45年)に「六甲開祖之碑」が立てられたが、大戦中に敵性外国人を顕彰するのは如何なものかと、1942年(昭和17年)に取り壊されてしまったが、戦後の1955年(昭和30年)に再び顕彰碑が再建され、グルーム氏の銅像も立てられた。

記念碑台下の交差点

12:42
 以前から気になっていたが、記念碑台下の道路沿いに「カフェレストラン セルヴァン」があり、もしかするとあるのではと、エントランス脇のサンプルケースをのぞいて見ると、あった。カレーライス1,000円、ポークカツカレー1,200円が。

 今日の目的は喫茶銀胡のカレーなので、いつの日になるか結局は食べることになるのは100%明白なのだが「セルヴァン」は素通りする。でも、見るからに観光地レストラン風で、なんか入りたくないし、食べたくないな。

今日は食べなかった
カフェレストラン セルヴァンのカレー

12:46
 阪急と阪神の統合により、六甲山上にグループのホテルは2軒も要らないと「六甲オリエンタルホテル」は閉鎖されて、この「六甲山ホテル」が生き延びた。ホテル向かいの「カフェレストラン サウスロード」のカレーはすでに実食済みだが、ホテル本館6階の「スカイレストラン レトワール」に「神戸牛カレー」なるメニューが存在する。レストランにドレスコードは存在しないとHPに明記してあるが、ザックを背負い汗臭い服でホテルへ、レストランへ入る自信はまったくない。どうしたらよいのだろうか。

六甲山ホテルから出てきたふり

12:50
記念碑台から10分もかからずに、本日の目的地「喫茶銀胡」に到着。シュラインロードとアイスロードが車道と交わるところだ。

 定休日は毎週木曜日だが週に一日の不定休もあるといい、明日の日曜日も店は開けないという。ラッキー。

アイスロード下り口の喫茶銀胡に到着

 店内は洒落たインテリアで、ハイカー向けというよりは、ドライブ中のカップル向けであるのは明らかで、窓からの眺めも素晴らしい。

 40分ほどいたが私以外に客はいなく、営業は大丈夫かなと心配になる。店の前を行き交う、いや皆様常識に囚われた方々ばかりでみんな東から西へと進むハイカーは、ちらりとも店を覗こうともせず足早に通り過ぎるのみ。

 お店は妙齢のママが一人で切り盛りしていて、六甲山上ではなく、自宅近くにあったならば入り浸ってしまいそう。

おしゃれな喫茶銀胡店内

 注文したのは『ビーフカレー』。これまでに20皿の六甲山カレーを食べてきたが、五指に入るほどの美味しさ。時間をかけ赤ワインでじっくり煮込まれた大きなビーフは、スプーンを当てると崩れるほどで柔らかく、ルーも極オーソドックス。奇をてらったカレーが多い中、王道を行く万人向けの日本的ビーフカレーを極めた美味しさ。

 インディアレストランの本場インドの味?も好きだが、私はこんなインドには絶対に存在し得ないビーフカレーも大好きだ。

喫茶銀胡のビーフカレー

〜♪ 銀胡Menuu ♪〜
□ドリンク
・珈琲(神戸岡本ナルダン珈琲豆使用、1杯ずつドリップで入れております。)
 ホットブレンド¥400-
  ストロング¥450-
  カフェオレ¥500-
  (エスプレッソW 豆とふわふわ milk 1:1)
  エスプレッソW¥500-
 
 アイスコーヒー¥450-
  カフェオレ¥500-
・紅茶
 ホットストレート、ミルク¥450-
  (たっぷり2杯分のポットサービス)
 
 アイス ¥500-
 
・チャイ(ミルクで煮立てたスパイスたっぷりの紅茶)
 ホット ¥500-
 アイス ¥550-
 
・フレッシュ生ジュース
 バナナ ¥500-
 アップル ¥500-
 オレンジ ¥500-
 
・100%還元ジュース
 オレンジ ¥400-
 アップル ¥400-
 
・柚子茶
 ホット ¥400-
 アイス ¥450-
 
・ミルク
 ホット ¥450-
 アイス ¥450-
 
・ビール(中瓶)¥500-
 
・ノンアルコールビール(缶)¥400-
 
□ランチ
  ランチ多少のお時間をいただきますことをご了承くださいませ。
 
・厚切りふわっとトースト¥300-
 
・日替りスパゲティー¥850-
 
・ビーフカレー(赤ワインでじっくりと煮込んだ自家製スパイシーカレー)
 ¥1,000-
 
・日替りランチ(限定10食)¥950-
  ♪ 食後のドリンクは100円引きです。
 
・自家製ベルギーワッフルとドリンクセット¥650-
 
・チーズケーキとドリンクセット¥600-
  ♪ セットメニューのドリンクは、コーヒー、紅茶、ジュース(100%)の中か
   らお選びくださいませ。
 
・おつまみ
 チョコレート ¥300-
 ナッツ ¥300-
 チーズ ¥500-
 
・アイスクリーム¥400-



下山はアイスロード

13:29
 喫茶銀胡のメニューにビールもあったが、我慢した。なんてって下山路はアイスロードなので、滑り落ちては一大事。

 アイスロードの下り口は喫茶銀胡のすぐ西側。案内がなければ道路下の別荘へ下りる道にしか見えない。

喫茶銀胡のすぐ西側、横断歩道の先がアイスロード下り口だ

13:33
 アイスロードは最初は別荘の中を下りて行くが、的確な案内標識があるので迷うようなことはない。

別荘地の中を案内に従って進む

13:36
 ようやく別荘、企業の保養所を抜けて、いよいよ地道となった。このアイスロードは一時期ハイキングコースとして徹底的に整備されたときがあるようで、ここは石段の道となっている。

 麓側が六甲ケーブル下駅から表六甲ドライブウェイ(旧道側)をかなり歩かなければならないためか、利用するハイカーは少ないが道自体はしっかりしている。

下り始めは石段が残る道

13:39
 前ケ辻谷や真水谷を下り、幾度も渡渉し谷筋近くを下る印象が強いアイスロードだが、今日登ってきた「高羽道〜油コブシ〜寒天山道」の尾根を行くが展望の無いルートよりも何倍も展望がよい。

あの尾根は天望山からケーブル山上駅へ至る一ケ谷西尾根かな

13:45
 昨年の7月から今年の3月まで、アイスロードは山道の崩壊のため長い長い通行止めが続いていた。復旧に半年以上かかるとは、どれほどの規模の山抜けが発生したのかと楽しみにしていたが、実態はたいした規模ではなかったようだ。

 下り始めてすぐの、この通行止めの柵の向うが崩落地点のようだが、草木が茂りまくりこの先に道が続いていたとは思えない状態になっている。

この先が崩落地点のようだ

13:46
 崩落地点を迂回するために急斜面に擬木階段道が造られている。距離的にはほんのわずかなものだ。

 どう見ても半年も工期を要するようなものではなく、三日もあれば終わってしまいそうなものだが、通行人数など知れているアイスロードを存続させる必要があるのかどうかの判断に大半の時間を費やしたのではなかろうか。

見えている範囲が崩落地点迂回工事の全容だ

13:50
前ケ辻谷を塞ぐ大きな砂防ダムが見えてきた。真水谷にも多くの砂防ダムがあり、それらの点検巡視用ルートとしてのアイスロードの重要性も、山道復旧の一因になったのかな。

六甲山に付き物の砂防ダムが見えてきた

13:51
 太い丸太を立て鎖でつないだ遊歩道。丸太は緑のコケに覆われ、鎖もさび付き、いつの頃に整備されたのだろうか。

薄暗さと古い丸太と鎖の柵が不気味さを醸している

13:54
 徐々に下り、とうとう谷底に着いてしまった。

この辺はかなり急で浮石もあり
一歩一歩慎重に下る

13:56
 谷底に下りると、左岸から右岸へと渡る最初の渡渉地点。

 私の住む播州の山々では、鹿の生息数が急増し、それに伴いヒルの生息域と生息密度が急上昇している。こんな雰囲気のところで立ち止まると、すぐにヒルが靴へ這い登り靴下の中に入り込み、おぞましいことになるのだが、幸いにも六甲山にはヒルがいない。でもヒルを介しての感染症はないので、血を少々吸い取られ、その傷跡からの血が止まりにくいだけで実害はそれほどでもない。

 けれども六甲山は猪が多いためなのか、ダニがいる。死には至ることは無いが、厄介な症状を引き起こすライム病の病原体を持つものもいて、食いつかれたらヒルどころの騒ぎではなく、即刻皮膚科へ直行することを勧める。

一番目の渡渉 水量は少なく問題なし

14:00
 谷の右岸を進むと砂防ダムがあった。六甲山を舐めきった私は地形図もコンパスも持たず、まして文明の利器たる全地球測位システムの受信機など持っているはずもなく「ここは何処、私は誰」状態だ。でもアイスロードを下っていることさえ分かっていれば、それ以上のことは知る必要は無く、歩く楽しみさえあればそれだけで私は満足だ。

前ケ辻第二砂防ダム 高さ16m・長さ50m 昭和55年9月

14:04
 六甲山では貴重な針葉樹の植林地だ。そのほとんど全てが植林地の六甲山だが、広葉樹ばかりでは風景に変化が無かろうと、少しだけ針葉樹を植えたものと思う。

スギの植林地だ

14:07
 二回目の渡渉は、前ケ辻谷を右岸から左岸へと渡るものと思う。この流れが右から左なら前ケ辻谷へ注ぐ支流かもしれないが、流れの方向から行って本流と判断した。

二回目の渡渉も水量少なく簡単

14:09
 左岸へ渡ると尾根まで登る勢いで高度を上げていく。足元にアキチョウジの紫色の可憐な花が咲いているが無視して進む。

 アキチョウジ以外にもキク科の花が咲いていたりもするが、写真を撮り始めたら三脚をセットしたり風の止むのを待ったりして1箇所で10分、6箇所も撮ったら1時間が経ってしまう。そんなこんなで最近の山行にはマクロレンズは持ってきていない。

足元にアキチョウジの花が咲いている

 でも、標準のズームレンズでもマクロレンズには劣るが、三脚なしでも手振れ防止が活躍し結構よい写真が撮れたりもするので油断がならない。

 で、撮ってみた。

アキチョウジ

14:14
 ぐんぐん高度が上がり、谷を見下ろすようになってしまった。

 冷凍設備が一般的ではなかったなかった明治・大正時代に六甲山上に掘った池の氷を氷室に貯蔵し、暑い夏の気温の上がるまえの早朝に大八車に載せ駆け下ったというアイスロードと同じルートなのかと歩くたびに思うが、一度誰か再現実験をして欲しい。氷が溶け切る前に麓まで降ろせるのだろうか。

高度が上がり、また砂防ダムが見えてきた

14:23
 展望も何も無いが、休憩用のベンチとテーブルが設けられている。せっかくなので休憩させてもらうが、ベンチ奥の解説板があったと思われる遺構があり、どのような解説文があったのか非常に興味がある。「水呑茶屋跡」に関する記述があったものと思われるが、誰かが書き残していないものだろうか。

唐突に現われた休憩施設 世界平和を祈念しピース

14:25
 「真水茶屋跡」と思われるところ。薄汚れたアイスロードの解説板が立っている。

ここが真水茶屋跡なのかな

アイスロード(前ケ辻道)

アイスロードの由来

 明治から昭和初期の六甲山上では、厳冬期には気温が零下15度まで下がり池には分厚い氷がはりつめた。
 明治7〜8年頃、この氷に目をつけた神戸の浅井は三宮に、京都の山田は栄町に、それぞれ日本で初めてと思われる氷屋を開業した。山頂付近の大小30の池の大半は、その当時採氷のために掘られたものである。
 凍った氷は大きなのこぎりで厚さ15cm幅30cm角に切り取り、2枚を貼り合わせ厚さ30cmとして氷室で保存された。
 これを、春から夏にかけて深夜、大八車に積んで山を降りる。この道筋は土橋から旧全丹ホテル前へ出る険しい前ケ辻道で、氷を運んだことに由来して「アイスロード」と呼ばれた。この山道を運びおろした寒氷として、病人用には1貫目匁(3.75kg)明治末の価格で5銭ぐらい、食用としてはコップ1杯1銭ぐらいで売られ、当時としては高価なものだった。
 この天然氷も人工製氷が発達すると共に姿を消し、昭和4年春記念碑台そばの黄楊(つげ)池で製氷したのが最後となった。

(出典 灘 神戸市 編入50周年記念誌)

神戸市

14:27
 「真水茶屋跡」から一下りで三回目の渡渉。この上流には砂防ダムがそびえている。

三回目の渡渉は真水谷かな

14:32
 左岸をしばらく行くと巨大な砂防ダム「真水谷第四砂防ダム」だ。下流側には高い階段道があるが、上流側からは高巻くことは無い。

真水谷第四砂防ダム 高さ22m・長さ89.5m
平成4年2月完成

14:35
 この辺りは砂防ダムや表六甲ドライブウェイの開通に伴い、山道のルートが改変されているのかと感じた。最近の「何とかの森」の重機で斜面を切り崩して通した遊歩道に似通った雰囲気だ。

ここまでのアイスロードとは趣の異なる
地下頃の遊歩道ポイ道だな

14:36
 下から騒音が聞こえてきて、表六甲ドライブウェイの新道を走る車が見える。自動車専用道路のように見えるが、歩行者も自転車も何でもかんでも通行可な一般道で、人・自転車・軽車両の通行が禁止されているのは六甲山の北側へと抜ける六甲山トンネルだけだ。

 あまり歩きたくない道だが六甲山上へ歩いて登れる山岳ルートでもあり、全ての六甲山へ登る道を究めた人は歩いているに違いない。

表六甲ドライブウェイの新道の方だ

14:38
 東側の天望山を通る一ケ谷西尾根ルートから西へ下る道があるが、その到達地点はここかな。

 「119ばんつうほうプレート【な 14-7】神戸市」が付けられた標柱は「←アイスロードを経て六甲山上(前ケ辻・記念碑) アイスロードを経て六甲ケーブル下駅→」と標示され、裏側の踏み跡のようでもあるが明確な道方向には手書きの文字で「ケーブル上駅→」と書かれている。

ここから一ケ谷西尾根へ登れるのかも

14:41
 騒音とともに間近に表六甲ドライブウェイが見えて山歩きの雰囲気が台無しになるが、そのお蔭か道はすこぶるよく、疲れた足には歩きやすい。

本来のアイスロードはどの辺を通っていたのかな

14:43
 道幅広く快適な道だが、少々薄暗いな。

広い道だが何かが出そうな薄暗さだ

14:45
 昭和19年まで存在した「六甲登山ロープウェイ」の痕跡が、支柱四隅の鉄筋コンクリート土台跡としてかろうじて残っている。

 リブが施された異形鉄筋は昭和35年ごろから使われ始めそれ以前は丸鋼が用いられていた。昭和6年に竣工し営業を開始した六甲登山ロープウェイでは丸鋼が使われていたはずで、破壊された基礎から出ているのは丸鋼で時代的に一致する。

丸鋼が使われた六甲登山ロープウェイの支柱基礎跡

14:47
 四回目の渡渉は、下流側が三面コンクリート張りの水路になっている。

四回目の渡渉地点

14:50
 アイスロード名物の表六甲ドライブウェイをくぐる暗渠状トンネルだ。歩行者通行可の車道を横切ってもまったく無問題で、手軽に横断歩道で済まそうと思えば住んだものを、わざわざ暗渠をハイカーが通れるようにしたのは、そこに暗渠を設けなければ水が溜まってしまいそうな地形だっただけなのかも。

表六甲ドライブウェイの下をくぐる

14:53
 暗渠トンネルの中には照明設備もあるのだが、保守の手抜きなのか、はたまた夜間しか点灯しないのかひどく暗く、グレーチングを施されはいるが結構急なトンネル内を下るのは躓きそうで恐い。

暗渠トンネルの中は暗いぞ

14:59
 左手の林の中に六甲登山ロープウェイの山麓駅跡の廃墟を見て、真水谷にかかる橋を渡ると楽しかったアイスロードの終点は近い。

この橋を渡すと
もうすぐ表六甲ドライブウェイに出る

15:00
 とうとうアイスロードの終点に着いてしまった。左へ車道左側を進んでもよいが、交通量も少ないので通過車両に注意しながら車道を横断してもよい。

表六甲ドライブウェイ(旧道)に出てしまった

15:04
 表六甲ドライブウェイの旧道と新道が交差するところには信号があり、横断歩道もある。左へ新道を下るのもまったくもって法規的には問題ないが、通行量は多く路側帯も極狭いので推奨しない。横断歩道を渡って真すぐに、路側帯もある程度あり交通量も少ない旧道を下るのが一般的だ。

 ハイカーには関係が無いが、表六甲ドライブウェイ旧道の六甲山トンネル出入り口近くの分岐点から、この信号まで二輪車は土曜・日曜・祝日のみ通行禁止になっている。山上側で「二輪車は入っちゃだめよ」と指導すればすむものを、この山麓側の通行禁止終了点で二輪車を捕まえている。幾台もの二輪車ライダーが捕まっていたが、犯罪を未然に防ぐのが警察本来のありかたと思うがいかがなものだろう。

15:15
 表六甲ドライブウェイ旧道を下り、六甲ケーブル下駅に到着。満員のバスを見送り、次のに乗りJR六甲駅へ帰る。



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