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楓池へ水抜きに行こう(たつの市)



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平成26年4月19日(土) メンバー 私だけ

平野バス停〜松尾神社〜楓池コース〜楓池〜善定コース〜松尾神社


楓池の管理は善定集落

 新龍アルプス(新宮町と龍野市にまたがる山域なのでそう呼ばれてきたが、今は市町村合併でともに「たつの市」になったため『たつたつアルプス』となるはずが、いまだに新龍アルプスと呼ばれている)の西側には多くの山池が点在している。そのほとんどは南へ注いでいるが、その姿形からなのだろうか、楓池と呼ばれる山池だけは北の善定・大屋へと注いでいる。

 善定集落がその楓池の管理を担当し、年に一度水抜きに行くという。その昔は沢沿いに楓池まで登っていたが、今は車で南側の菖蒲谷森林公園へと登り、トンボの池から少しだけ歩いて楓池に行くようになったという。

 その荒廃しているだろう善定からのルートを辿り、楓池へ登ろうと思う。そして最近は、妻その1(家族構成を明確にしたくなくこう書いているが、妻その2・3・4・……・800までいるかもしれない)の送り迎え付きの安楽な山行をしていたが、今日は行きだけは公共交通機関を使ってみた。

今回の山行図
GPSロガー GT-730FL-S使用(地図表示はiPad+FieldAccessHD)


公共交通機関で行くたつの市新宮町善定の松尾神社

 姫路発6:54のJR姫新線播磨新宮行きに乗り、終点の播磨新宮を7:28に下車。駅前で待っていた新宮駅発7:37の神姫バスSPring8行きに乗り、二つ目の平野バス停を7:42に下車。料金は410円+170円の580円。

 なお姫新線ではICOCAなどのICカードは一切使えず、もしもICカードで地元の駅から乗車し、姫新線の無人駅(例えば、屏風岩で有名な鶴嘴山の最寄駅の東觜崎駅は無人駅)で下車しようとするならば、運転士さん(姫新線は車掌さんのいないワンマン運転)に申し出て乗車駅からの料金を現金で支払い、そして乗車証明書を書いてもらい(その間に、発車時刻は過ぎ数分の遅延となるが姫新線なら問題なし)その証明書を持ってICカード利用可能駅でICカードの乗車履歴を消さなければならない。今回の下車駅の播磨新宮駅は有人駅なので駅員さんの手を煩わせるだけだが、姫路駅で一旦場外に出て切符を買いなおすのがベストだ。

7:41
 なぜかICカードの使える(Nicopa・PiTaPa・ICOCAのみ)ウエスト神姫バスの平野バス停で下車。バス停は栗栖川岸にあり、周りには何もない。バス停の名前になっている平野集落はこの国道179号線ではなく、山側の旧道沿いにあり、中心部まではあと500mもある。かつて出雲街道と呼ばれた旧道は、バスが通り抜けるのには狭すぎ、結局ここしかバス停を設けられなかったのかと思う。

平野バス停は栗栖川の岸

平野バス停から栗栖川に沿って進むのだが、少し進むと歩道はなくなってしまう。どの車も迷惑そうに大きく避けてくれるので、怖くはないが、国道のくせに道幅が狭い。

7:52
大屋橋で栗栖川を渡り、今度は札楽川沿いに、新宮町大屋集落・善定集落へと進む。

大屋橋を渡り大屋・善定集落へ
橋の先に見えている山は善定山

8:08
 第一村人と遭遇し、「どの山に登るんだ?」と声を掛けられ、これから向かう楓池は修繕のために水抜きされていることを知った。ここは善定の北の谷と南の谷の分かれ目にある善定公民館で、松尾神社・楓池は左の道に入る。

善定公民館で左の道へ入る

 公民館前のY字路には「松尾神社・農村舞台・シリブカガシ林→」の表柱が立てられている。

松尾神社への案内表柱

8:20
 平野バス停から40分ほど歩き、松尾神社前に着いた。神社前には駐車スペースがあり、姫路中心部からここまでなら40分ほどで着くので、自家用車で来た方が楽だ。だが、公共交通機関での山歩きを標榜する播州野歩記としては、譲れない一線だ。

 この松尾神社に初めて訪れたのは三昔前のことになるが、シリブカガシ・モッコク・アラカシ・ヤブツバキ・テイカカズラ・ミツデウラボウシ・ハンミョウ(春〜夏)・ヒメハルゼミ(夏)・ムラサキツバメ(夏)・ツマグロイナゴモドキ(夏〜秋)・ヤマガラ(年中)・ヒヨドリ(年中)・ホオジロ(年中)・エナガ(年中)・シジュウカラ(年中)・ウグイス(年中)・アオバヅク(夏)・アオジ(夏)とこんなにも自然豊かな所とは知らなかった。

松尾神社前の解説板

松尾神社と周辺の自然

 この神社の裏山にはシリブカガシを中心とする県下では珍しい森が残っているので県指定天然記念物になっています。森には貴重種のヒメハルゼミやムラサキツバメも住んでいます。周辺にはキセルガイを食べるヒメボタルもいます。いずれも、大切に保存しましょう。また、境内や周辺では四季おりおりの鳥や昆虫も観察できます。

平成16年3月 新宮町教育委員会

 神社としてはごく普通の構えだが、なぜか神社に付き物の鳥居がないのが腑に落ちない。鳥居がある神社とない神社はその生い立ちそのものが違うのではないかと思う今日この頃だが、自称ニーチェの愛弟子を騙る信仰心皆無の私には永遠に解き明かせない。

松尾神社 拝殿

 松尾神社が松尾神社たる所以は、この農村舞台があるからだ。いまは幅9mの舞台があるだけだが、その昔は人力の廻し舞台(回転する回り舞台とはかなり違う)があり、妻その1によると幼いころ、ここで演劇を見た記憶があるという。

 映画もラジオもテレビもない時代には、娯楽さえ自給自足するしかなかったのだろうか。

松尾神社 農村舞台

町指定文化財

松尾神社の農村舞台

 当農村舞台は明治時代初期の建築と伝えられる一部二階建ての瓦葺寄棟造りの建物で、昔は春秋二回の当社の祭礼の時、歌舞伎芝居が奉納されていました。
 舞台の内部には柱がなく、約75センチの高さに床が張られ、開放された間口は長さ9メートルの丸い丸太の桁で支えられ、奥行は6.9メートルあります。両袖には、それぞれ幅1メートルの小庇がおろされ、右側は上下二段の太夫座、左側は拍子方の下座があり、その前方から花道が架けれるようになっています。舞台上から階下の楽屋へは階段が設けられているほか、天井部には遠見幕の切り落とし設備もあります。この舞台の特色は、木製の台車がついた引き舞台・押し出し舞台・廻し舞台(各二基)をうまく組み合わせ、情景、場面を変化させる仕掛けがあることで、県下では大変珍しい装置です。
 なお、昭和初期には善定村の歌舞伎好きの人たちで「市川直十郎一座」を組み、ここでの奉納以外にも近在の祭りや劇場で上演したそうです。

平成5年3月 新宮町教育委員会

 ドングリの底が凹んでいることからシリブカガシと名付けられた、ブナ科マテバシイ属の林が神社周辺にあるというが、樹木音痴の私にはどの木がシリブカガシかわからない。

松尾神社 シリブカガシ林の解説板

県指定文化財 松尾神社シリブカガシ社叢林

指定年月日 平成5年3月26日
所有者・管理者 松尾神社

 この社叢林は兵庫県下ではまれなシリブカガシが優先する照葉樹林である。
 高木層・亜高木層ともにシリブカガシが優占し、モミ、スギ、コナラが混在している。低木層にもシリブカガシがあり、ヤブツバキ、カナメモチ、ヤブニッケイ、アラカシ、ヒサカキ、コジイなどが見られる。
 シリブカガシは日本では近畿、中国、四国、九州、琉球に分布しており、堅果(ドングリ)は食用になる。かつては薪炭に利用していた。

平成5年11月 兵庫県教育委員会



さあ、楓池へ行こう

8:34
 周囲に民家は全くないが、ここ松尾神社までは幅こそ狭いが舗装道路が続いていた。だがほんのすぐ先に、開きっぱなしのような感じの林道ゲート手前から舗装は途切れる。

松尾神社からスタート
すぐに林道ゲートがあり、未舗装となる

8:39
 そしてその先は進入禁止!!というのは嘘で、ここは「お墓の善定山」で有名な会社の採掘場の入口。でも善定山株式会社と彫られた大きな石が表札代わりに置かれているが、警告看板はここが建翔株式会社の管理地だと主張している。税金対策か労務対策のために別会社にしているのだろうが、結局同じ会社なのだろうな。

お墓の善定山株式会社の採掘場
採掘は建翔株式会社が行っているようだ

これより先は、当社所有敷地につき無断立入を禁じます。敷地内の物品・果実・キノコ等の採取持出を発見した場合は警察に通報します。
又、敷地内には監視カメラを設置しています。

建翔株式会社

 林道脇にこの採掘場の売り物の、水を吸わない、変色しない・色彩が良く・光沢があり・永年持続するなどの性質を兼ね備えた最高級の石材たる播磨本御影石がごろんと置かれている。ユニック車(今はユニックという言葉は古川ユニック鰍ノより商標登録されているが、かつてトラック搭載型クレーン専業メーカーの潟ニックという会社が千葉県に存在していたが吸収合併されてしまった)で乗りつけたら盗むのは容易いだろうが、これを石材加工会社に持ち込んだらばれる「だろうな」。

 幼いころから夢想家を自負する私は、想像力旺盛で「だろうな」を家訓として床の間の掛け軸にしたいが、残念ながら床の間がない。早く野歩記に入りたいのは山々なのだが、一枚の画像から次々と想像力が膨らみ、切りがない。

林道脇に置かれた売約済みの播磨本御影石の原石

8:47
 「国有林」という表柱が斜めに傾いで立っている。ということは、この道は国有林道、略して国道だ。おそらく4桁か5桁国道なの「だろうな」。

国有林の表柱 ということはこの道は国道?

8:56
 かけがえのない自然林の大木を伐採しても経費ばかりがかかり儲けがなく、その存在理由が乏しくなってきた林野庁が生き残る道はこれしかないと、国民受けを狙うが全く需要がなかったというか、無駄に税金を浪費して誰も知らないスポーツ林なるものを推進し、利用者不在の自己満足の札楽山森林スポーツ林をでっち上げようと、見た目明るい森林にしようと林道脇の木々を伐採している。

 確かに昼なお暗い手入れの行き届いていない、スギヒノキ花粉症の源としてしか認識されていない森林よりは見目麗しいが、こんなのは偽善に過ぎない。民有林を含め意味のない林業行政を推進してきた、未来のない年金行政と同じく、責任の所在が皆無の「国会で青島幸男が決めたのだ!」の世界だ。

札楽山森林スポーツ林整備の一環なのか

9:02
 札楽山林道から楓池へのルートは、越部古道散策マップによれば2本あり、東側は谷に沿って登る「楓池コース(登り50分、下り30分)」で、西側は楓池を通り越してたつの市菖蒲谷森林公園のトンボの池まで行く尾根伝いの「善定コース(迷い易い、登り70分、下り50分)となっている。

 今日は「楓池コース」で登り、「善定コース」で下ろうと計画してきたが、その登り口は徒歩1分も離れてなく、「善定コース」の下山口を先に確認しておく。

 「善定コース」の登り口は、札楽山林道と同じような道幅の林道になっていて、その林道の西側は思いっきりよく伐採されている。札楽山森林スポーツ林の本拠地の予定地なのかなと思う。その分岐地点には地蔵菩薩が祀られている。TAJI&HMの兵庫の山めぐりの「点名・奥善定」編の画像を見ると、植林の中の林道脇に地蔵堂がひっそりと建っているが、いまは背後の山が伐採されてしまい、雰囲気が台無しになっている。

下山予定地の地蔵堂
越部古道散策マップの「善定コース(迷い易い)」の登り口

 地蔵堂の中の地蔵半跏座像は、台座が新品なので新しそうに見えるが、石仏は明治17年9月と100年以上前のものだ。

 祠の左の柱に「半丁下左 ぬまいけ いせきだに」、右の柱に「右 山みち 一丁左 くろぞう さかきむら」と書かれている。その辺は姫路藪山探検の「善定から矢野に抜ける」で考察されていて、実際に歩かれている。

新しそうだが100年以上前の地蔵半跏座像


「楓池コース」で楓池へ

今回の山行図(詳細)
GPSロガー GT-730FL-S使用(地図表示はiPad+FieldAccessHD)

9:08
 地蔵堂から少し戻った地点が「楓池コース」の登り口で「善定・→50分楓池」の案内板が立っている。ここも山道というよりは林道という方が正しいような道幅がある。

地蔵堂手前の越部古道散策マップの「楓池コース」の登り口

9:10
 道幅が広かった原因に突き当たった。昭和56年に築かれた砂防堰堤で、上部の「水通し」と呼ばれる越流部下の丸穴から水が噴き出している。

 地形図では右岸側に破線道があるので、左側斜面を堰堤上へ登ると結構な水量で、ダム池の脇にあるはずの破線道を確認できない。ダム池右岸斜面に突入してみたが、木立が邪魔をしてどうにもならず引き返す。「困ったな、どうにもならないな」と思案するばかりで、その付近の写真を撮ることを忘れてしまった。

すぐに昭和56年度建築の札楽山国有林B谷第1号コンクリート谷止に突き当たる

9:22
 「えい、めんどくさい、尾根に登ってしまえ」と東側の高度差20m程の尾根に登ってみたら、雑木が茂る尾根には明確な切り開きがあり、、普通に歩ける。とりあえず、この切り開きで登れるところまで登ろう。

砂防ダムの右岸側破線道を見出すことが出来ず
尾根まで登ったら切り開きがあった

9:30
 ウンゼンツツジが咲く尾根の切り開きは快適だ。地形図を見ればこの先も比較的緩やかだが、尾根の形は不明確になり、この切り開きもどこまで続いているのか分からない。適当なところで本来の谷沿いの破線道へと下りようと思うが、斜面は急で適当に下りられるレベルではない。

快適な尾根の切り開きを登る

9:36
 なんか、このまま行けるような気がしてきた。行きつく先は楓池ではないだろうが、大成池の近くのおそらく平べったい460m程のピークへと登り詰めることが出来そうな気がしてきた。

このまま楓池まで行ければ新ルートなのだが

9:45
 だが、行く手の尾根形が姿を消して、尾根の切り開きも灌木とシダが茂る急斜面へと消えて行ってしまう。このまま登ってくのはちょっと辛い状況だ。

 けれども幸いなことに、右下からは渓流の音が聞こえてくるし、植林の斜面は緩やかではないが、よくある一歩足を踏み外したら太い幹に次々と激突しつつ、手足をあらぬ方向に曲げながら奈落の底まで落ちていく心配は全くない斜面だ。ちょっと間伐の木々が打ち捨てられ邪魔くさいだけだ。

尾根が不明確になり踏み跡・獣道もなくなり
植林の緩斜面を谷へと下る

9:49
 流れの音が聞こえていたくらいだから近いだろうと思っていた谷底は、意外なほど近く、そのうえに道があった。目を凝らせば轍の跡も残り林道といってもおかしくない幅の道だ。

 でもこの道があの水の溜まった砂防ダムから続いているとは思えず、よっぽど下流側へ引き返して確認しようと思ったが、思い残すことが一つでもあれば、またこの地を訪れるきっかけになるかもしれないと思い、謎は謎のままとして前進する。

谷に下り着くと広い林道があったが、この林道の起点は未確認

9:51
 林道を前進したら、すぐにまた砂防堰堤に突き当たった。銘板の有無さえ確認しなかったので、いつのものか分からないが、最初のと同じ時期のものと思う。こんどは越流部下の丸穴から水は出てないので、ダム池はあってもごく小規模のものだろうし、流れも少ない。

 地形図を確認すると砂防堰堤の印はないが、いつもなら当てにならないGPS(GNS1000+iPad+FieldAccessHD)は衛星を見通しにくい谷筋にいるというのに、現在位置を把握しているみたい。地形図によると破線道はここで左岸へ渡渉している。

またまた砂防ダムが行く手を阻む
(名称等未確認だが1号谷止と同時期のものだろう)
地形図を見るとここから破線道は左岸側に変わっている

9:58
 砂防堰堤下で左岸へと渡渉し、斜面を登り堰堤を越えると、かなり荒廃しているが道跡らしきものが続いている。

砂防ダム左岸側を乗り越え河原に下りることが出来た

10:00
 河原に降り立つとすぐに右岸へ戻る。いまこのルートを辿るのはかなりの好事家のみで、ごくわずかのマーキングが残されているが、道跡がなくなったら対岸を観察しすると続きの道跡と運が良ければマーキングを見つけることが出来るだろう。

砂防堰堤を超えると道跡はすぐに右岸へ戻る

10:04
 右岸へと戻ったら、またすぐに左岸へと渡渉する。水量は少なく、また渡渉地点には必ず靴を濡らさずに渡れる安定した飛び石がある。

またまた左岸へ渡る

10:09
 道跡が道になり、そして車も通れるような道になってしまった。流れを右往左往しながら遡上するのが楽しかったのに、ちょっと残念だが仕方ない。

道跡は立派な道に変わってしまった

10:11
 本日三つ目の砂防堰堤を越す。越すといっても画像の通りほんのちょっとしたものだが、このままでは自動車は越せそうもない。

本日三つ目の砂防堰堤

10:16
 堰堤を超えても広い道はさらに続き、このまま楓池まで続いてそう。今でこそ砂防堰堤で分断されているが、この道幅は、古の昔は車が通っていた事を示すのではなかろうか。山上に山池を築くためには、最低でも荷車または馬車が通行可能な道が必要だと思う。

砂防堰堤ではなく、楓池を築くために通した道ではないかと思う

10:20
 途切れた道に腐りかけた丸太が渡してある。最初は木橋が掛かっていたのだろう石組みが残っている。コンクリートやレンガなのどの人工物を全く使わずに、土と石だけで築いたものが、長い年月にわたり崩れることもなく、その姿を今に伝えている。

腐った丸太は渡らなかった

10:23
 雑木林の中の道はよく保存されていたが、この植林の中の道は少々えぐれていた。植林は保水力がなく、大雨が降ったら道が川になってしまうのだろうか。

10:26
 また丸太が渡されているが、その横を渡る。砂防堰堤の上流側は土砂が溜まり平地になっているが、ここは山池の下流側なのに平地になっている。山池造成時、浚渫時の残土を捨てたものだろうか。

また丸太が渡されているが古いな

10:31
 楓池下流の小さ目な山池に到着。堰堤には木々が育ち、水は抜かれ、もう使われていない。

 この山池の名前だが、地形図にも越部古道散策マップにも記載がないが、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービス で調べてみるとたつの市公共測量地図で、文字が不鮮明で読みがたいが、大屋池・大摩池・大鹿池・大磨池・大魔池のどれかだ。

 そして同公共測量地図の同じく読み取りにくいが分かっている文字「大屋」(札楽川が栗栖川と合流する地点)と比較することにより、ボケ方が完全に一致し、この池の名前は「大屋池」であることが判明した。

楓池下流の大屋池は今は使われていない

 この池は使われてなく、将来的にも使うことはないだろうが、堰堤の一部が崩壊していた。現状でも池に流れ込んだ水は、そのまま出ていくので大丈夫かな。

大屋池堰堤は幅5m程崩壊している

10:41
 大屋池から楓池までは100m程しかなく、すぐに堰堤が見えてくる。

ミツバツツジのピンク色の花がきれいだ

10:42
 楓池の堰堤だ。現役の山池で、大屋池みたいに堰堤に樹木は茂ってない。

楓池の堰堤

 地元民の言う通り、残念ながら楓池の水は改修準備のために抜かれていた。満々と水をたたえた楓池を見ることはできなかったが、山池の池端の角度は意外なほど緩やかで、これなら泳いでも岸に上がるのは容易だが、岸から離れるとすぐに足は着かなくなり溺れてしまうな。

改修準備のため水が抜かれた楓池

 堰堤の端には昭和27年に建てられた「楓池改修記念」の石碑がある。

昭和27年4月建之の「楓池改修記念」碑


「善定コース」で札楽山林道へ下山

11:18
 早めのお昼ご飯を食べて、帰路の尾根伝い「善定コース(迷い易い、登り70分、下り50分)へと取り掛かる。越部古道散策マップでは、たつの市菖蒲谷森林公園の「トンボの池」を起終点としているが、地形図では楓池北岸に沿って破線道が描かれ、尾根まで続いているので、それを利用しようと思う。

11:29
 楓池の北岸沿いに進むが、破線道なんてどこにもない。最近の地形図は、以前のものよりも破線道が増えているように感じられる。存在するものを無視した経歴のある国土地理院地形図が、今度は無いものを有るという。どちらにしても困ったものだ。

楓池北岸の破線道の現状
これが幅員1.5m以下の道ならば、山全体が道になる

11:33
 かなり崩壊しているが炭焼窯跡の石組みだ。

炭焼窯跡の石組み

11:37
 楓池西端まで着いたが、地形図上の破線道は依然存在しない。ここから先は谷が二つに分かれていて、破線道は北東方向の谷に付けられているので、それに従い進む。

楓池西端で北東方向の谷へ入る

11:42
 谷がジメジメしてきて嫌らしいくなってきたので、左側の尾根へ進行方向を変えて登ってみる。

破線道は私の視線の先にあるはずだが
人は通れるが道ではないな

11:45
 谷からあっと言う間に尾根に登りつくと、そこには幅員1.5m以下の破線道が存在していた。この道は関西電力送電線巡視路なので、北方向は間違いなく札楽山林道へ通じているはずだが、反対方向は菖蒲谷森林公園へとつながっているのかは分からない。

尾根には関西電力送電線巡視路が通っていた

11:51
 尾根から15mほど離れて播磨線25送電線鉄塔が立っていた。残念ながら平たい地形と周囲の木々のために外界を見通すことはできない。

播磨線25送電線鉄塔

11:57
 送電線巡視路らしいよい道が続いている。これならば変な尾根に迷い込むことなど心配せずに、何も考えなくても歩くことが出来る。

快適な尾根の送電線巡視路を行く

12:05
 だが380m程のピーク手前に罠が待ち構えていた。下の画像で私の覗き込んでいる倒木の先が正しいルートだ。そこには「火の用心」送電線巡視路標識も立っているのだが、私の進行方向では、赤く塗られた表側は見えず、まんまと左側へ入ってしまった。

 左に入ってしまったが、すぐに周囲の様子が変わり、道もなくなったのに気づき引き返し巡視路標識も見つけたが、倒木の先を覗き込んでも道らしき感じが薄い。でもこの先しか考えられないので進んでみると、正しい道だった。

この倒木の先に送電線巡視路が続いている

12:10
 スサノオノミコトが、ヤマタノオロチを奸計をもって退治した神話時代の話だ。栗栖川を挟んで北の高倉山に巨人の老夫婦が住んでいたという。その二人はダイダラボッチだったとも大鬼だったとも伝えられるが、あまりに昔のこととてはっきりしない。

 何千年も生きてきた老婆は、テレビも映画もUSJもない生活の余りの退屈さに表情も失い、ボケが始まっていた。そんな妻を不憫に思った老爺は、妻を笑わせようと、いきなり両手を下にV字型に突き刺す動作とともに「コマネチ!コマネチ!」と叫び出した。

 時代を数千年先取りしたギャグの由来など知るはずもない老婆は、なぜかツボにはまったようで大笑いし入れ歯を飛ばしてしまった。その入れ歯は栗栖川を飛び越え、さらに善定山、札楽山も飛び越えこの地まで飛んできたという。

 その入れ歯が長い年月で岩となったのが、この「大婆の入歯岩」だという。

ルート上の尾根に鎮座する「大婆の入歯岩」(播州野歩記命名)

12:13
 手前が25、左が27の関西電力送電線巡視路標識で、おそらくテープの下に奥が26の表示があると思う。テープを貼った上に書かれている「←こっちは× 26□B出口」だが、よくあるハイカーが書き足したものではなく鉄塔巡視員が書いたものだ。その証拠は送電線鉄塔の四本の脚にはそれぞれA・B・C・Dと名前が付いていて、「B出口」は、B脚付近から次の巡視路が始まっていること意味している。

 送電システムをこよなく愛する私は、Bだけでピーンときたが、普通のハイカーにはまるで暗号のようだ。

謎の送電線巡視路標識

12:17
 播磨線26送電線鉄塔に着いた。鉄塔結界の中に岩が突き出たりしていて、鉄塔の基礎杭の穴を掘るのは大変だ。

播磨線26送電線鉄塔

 25はさっぱりだったが、この26からは、ほんのちょっとだけだが、北側を垣間見ることが出来た。今日の山行中の最良のビューポイントにして、唯一のビューポイントだ。

 普通ならこの北側から道が麓に下っているはずで、地形図を見ても破線道が北側に延び、その先は尾根伝い、谷沿いの道に分かれている。真剣に探さなかったこともあるが、その破線道を見出すことはできなかった。

外界が見られたのはここだけだった

12:23
 『送電用鉄塔の場合、各路線の塔番については発電所側1基目を1とし、順々に番号が振られていく。基本的に発電所側を若番、逆側を老番と呼ぶ。4本ある脚については、真上から若番側を下、老番側を上とした四角形で見た場合、右下から時計回りにA脚、B脚、C脚、D脚となる』(Wikipediaより)。巡視路標識にあった「□B出口」に従いB脚へ行くと、下の立木に赤黄色のテープが巻かれているのを見つけた。

B脚から下山路が始まっていた

12:27
 赤黄色テープに導かれ下っていくと、植林の中の緩い谷形へと導かれていく。特に踏み跡もないが、木に赤テープが巻かれているしこのまま下ればよいのだろう。

 でもこの赤テープ、行き交うハイカーがいるわけはないし、ここまでにマーキングはほとんどなかったし、もしかすると送電線巡視員が付けたのかもししれない。

 そして下の画像の左端に写っている岩だが、思いのほか大きく6畳の部屋程もあり、いつもなら上に乗ったりして戯れたり、名前を付けたりするのだが、送電線巡視員もマーキングを頼りにしているのだなと、なんか感動してしまって、横目に「ワッ、大きいな」と見るだけで通り過ぎてしまった。

私の左の赤テープマーキングは
送電線巡視員または送電線巡視路の整備をしている人が付けたのかも

12:31
 山道らしくなってきて、文字が抜け落ちた送電線巡視路標識が現れた、後書きされた「26」は、私が通ってきた播磨線26送電線鉄塔を意味する。

赤プラ板に印刷された白文字は
日の光にも弱いが、経年変化にも弱い
基板のプラスチック自体も長持ちするものではないし
関西電力以外のよその電力会社も同じようなのを使っているのだろうか

12:37
 水音がかすかに聞こえていた渓流がだいぶ近づいてきた。足元の針葉樹の落ち葉は、広葉樹のと比べて滑ることはない。だが落葉広葉樹林は、冬になればすべての葉を落とし、その養分を土に返すとともに常緑低木や下草に日の光を与え、生物の多様性を保っている。それに比べこの植林の寂しさと言ったら、責任なき林野行政の失敗(世界平均の森林率は30%、日本は森と湖の国フィンランドと同じような70%、なのに木材自給率は30%)にほかならない。

 このか細い木々が、人々の暮らしを見守る住宅の柱となる日がくるのとは、到底思えない。

沢が近づいてきた

12:39
 沢を渡っても道は続く。林業のために通された道のような感じはせず、やはり送電線鉄塔建築の通勤路として開かれたのだろう。

送電線巡視路は沢を跨ぐ

12:43
 植林が続く。さらに続く。詰まらないな。

間伐した木ぐらい運び出せばよいのに

12:48
 道は深くえぐれた流れに分断されている。このままでは道の用をなさないし、かつてはここに橋が架かっていたと思われる。

道を分断した深い溝を渡る
かつてここには橋があったのだろう

12:51
 土橋を渡り、作業道の終点に出た。道の反対側には播磨線27への登り口があり「火の用心27→」の表柱が立っている。

土橋を渡ると作業道の終点だった

12:57
 札楽山林道へつながる作業道は、普通車で入れないないこともないが、大き目の石が落ちていたら車底をこするかもしれない。

 北側の木々は広く伐られているが、なぜか雑木林にまでは至らずに植林を1列だけ残している。

北側が伐採された明るい作業道で札楽山林道へ

13:03
 札楽山林道まで戻ってきた。1周4時間かかったが、普通に歩けば休憩時間込みで3時間ほどだろうか。

札楽山林道の地蔵堂前に戻ってきた

13:30
 松尾神社に着いた。このまま進んでも、たつの市コミュニティバスの善定公民館前を13:36に出る播磨新宮駅行きには間に合わず、そして神姫バスの平野バス停へ行っても16:11発の新宮駅行きしかなく、仕方なく播磨新宮駅まで延々と歩き続けるしかない。

 もう5分でも早ければと悔やまれるところだが、だが大丈夫。妻その1にこの松尾神社までの出迎えを頼んでいるのだ。



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