太子町の北山と、一等三角点がある城山
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平成26年10月11日(土) メンバー 私だけ
神姫バス北山バス停〜太子メモリアルパーク〜北山138m〜城山249.9m〜桜井の清水〜神姫バス北山バス停
北山へバスで行くには
兵庫県揖保郡太子町の、一等三角点がある城山249.9mは11年前に一度登っているが、新たなルートが開かれたようで、隣の未踏の北山138mも合わせて登ってきた。今回の登山ルートは◆ TAJI&HM の 兵庫の山めぐり <中播磨編>城山250.1m 北山138m 2009年1月を参考にさせて頂き、京見山部分を除きその足跡を一歩とも外すことなく、完璧にトレースしたものである。
神姫バス姫路駅(北口)バスターミナル発の『北山口』行きのバスが存在するが、それに乗っても太子町の北山へは行くことができず、姫路市内の横関近くの北山口バス停へ連れていかれてしまう。但し、その北山口行きは、平日は18時台から、土・日・祝日なら19時台からしかないので、間違うのは私ぐらいかな。
太子町の北山へ行くには、姫路駅(北口)北5番乗り場からの『龍野』行きに乗り、青山ゴルフ場近くの山田峠(笹峠)を越えて、山陽自動車道を潜り抜けた先の、山陽新幹線が並走し始める『北山』バス停で降りるのがベストだ。
北山の登山口は太子メモリアルパーク
7:49
姫路駅(北口)を7時25分に出発した、神姫バス龍野行きは定刻から4分ほど遅れ北山(太子町)バス停に到着した。途中乗降があり10名を超えることもあった乗客は、北山バス停では5人ほどに減っていた。なお運賃は姫路駅(北口)からなら380円。
バス停の周辺には民家も商店も何もなく、北側は北山、南側は山陽新幹線に挟まれている。
7:57
バス停から西へ進むと、すぐに太子メモリアルパーク・きたやま公園へ北側に入る道がある。その道の右側はひな壇のような墓園、左手は誰もやってきそうもない寂れた児童公園と溜池になっている。
人目の届かない、夜など誰もやってこない墓園で車内で不埒な行いに至る方々がいたのか、夜間の車の進入が禁止されている。逆にその時間内なら自由に車を停めることができて、北山登山のベース基地にできる。だが「立入禁止区域に立入ること」が禁止されていて、それを守ると北山に登ることができない。
太子メモリアルパーク(墓園)
きたやま公園の来園者の皆様へ登園を利用するときは次のことをお守りください。
- 園内への自動車での進入は、風紀、防犯上の理由により、次の時間内となっています。時間外は、園内通路の車止めを閉鎖いたします。
ただし、車止めから徒歩での来園はできます。
夏季(6・7・8月)…午前7時〜午後7時
冬季(11・12・1・2月)…午前8時〜午後5時
その他(3・4・5・9・10月)…午前8時〜午後6時- 園内で、次の行為は禁止されています。
- 立入禁止区域に立入ること。
- 園内の施設を損傷し、又は汚損すること。
- 樹木を伐採し、又は植物を採取すること。
- ごみ投棄その他不衛生な行為をすること。
- 花火、たき火その他危険のおそれのある行為をすること。
- 営業、募金その他これらに類する行為をすること。
- 展示会、集会その他これらに類する行為をすること。
- 広告類を掲示し、又は散布すること。
- その他、他人に迷惑を与える行為をすること。
その他、ご不明な点は下記までお問い合わせください。
太子町 生活環境課 環境衛生係 TEL77-1010(内線161・162)
今は亡き飼い主の墓参に訪れる犬までも、入ることが禁止されているわけではないんだろうな。
墓園につき、これより全域
犬の散歩 厳禁!
発見次第、園内より退去を命じます。
太子町
8:05
墓園内の階段道を突っ切るのもなんだし、V字型に登る車道を登る。車道の終点は広く車は止め放題だ。そこからは福井大池の先に大きく広がる京見山山塊を望むことができる。
北山へ登るためには石積みブロックの擁壁を越さなくてはならない。最初に目を付けたのは一番奥の簡単に登れそうな所だが、有刺鉄線が邪魔をして登れない。ペンチがあれば簡単に通過できるが、それは正に犯罪だ。
8:16
落石防止ネットの終端と、身長を超す擁壁の一番低い所が一致していて、そこのブロックの色が白っぽくなっている。北山に登る人は皆ここから登っているようで、私もその仲間入りをしよう。うまい具合にブロックのつなぎ目が足がかりになり、落石防止ネットのH形鋼が体を引き上げるのに丁度良い。
だけど、これ、禁じられた「立入禁止区域に立入ること」に限りなく近い行為なのではと心の片隅に思うが、北山に登るためには成さなければならない。
車道終点からの比高85mの北山を登る
8:19
擁壁の端から始まる、南から北山へ登る尾根には「山崎営林署」の標柱が立ち、境界杭が打たれている。
8:22
これがもっと小さな石なら炭焼窯跡といえるが、この大きな岩が半円形に並んでいるのは、自然の造形なのだろうか、人工的なものだろうか、よく分からない。もしかすると天井石が失われた古墳かもしれないな。
8:27
幅広な尾根には踏み跡などないが、下草はなく、行く手を阻む岩壁もなく、とりあえず高みを目指して登ればなんとかなる感じ。そのうえ境界石はあるし、マーキングもあるし、おまけに鹿除けネットを左に見ながら登れば、勝手に北山の頂上へ着けそうだ。
全くもってルートハンティングのルの字の欠片もない、そして一歩も十歩も踏み外しても奈落に落ちる心配のない、お気軽登山だ。
8:32
私の左側に溝状地形がある。他所の尾根でもよく見かけるが、林業関係の人工的なものなのか、はたまた雨水による浸食によるよるものか、いまだに分からない。
8:37
道路終点から登り始めて20分も立たないが、ここが北山の頂上かなと思うところに着いた。足元の石には「八四」と刻まれ、すぐ先にはテレビ共同受信設備のアンテナが見える。
8:41
仮定北山頂上その1の北には、ケーブルが切断されてはいるが、見た目は真新しいテレビ共同受信設備のアンテナがあり、周囲には朽ち果てた廃アンテナと増幅器盤が散在している。
インターネットの光回線を利用した共同受信ならば、枝葉が茂るたびに山に登り伐り払ったり、古くなったアンテナを取り換えたりの保守費用よりも安上がりなんだろうな。
8:48
廃共同受信アンテナの先に、境界石杭に紅白の測量棒が寄り添う、周囲よりはわずかに高そうな、こっちの方が北山の頂上かなと思われるポイントに着いた。帰宅後にGPSロガーの記録を見ると、そこが北山の頂上と確認できたが、山行中は確信が持てなかった。
8:50
これから進む北西方向以外に、北東方向の急斜面にも幅広の切り開きがあり、その途中にも紅白の測量棒が残されているのが見える。地形図に記載のある山陽自動車道へと下る破線道と思われる。でも、地形図では138m標高点の少し南が起点となっているので、北山頂上はもう少し50mほど先になるが、明らかに50m先はここよりも低く、ほぼここが北山の頂上と信じるに至った。「イワシの頭も信心から」とも言うし、「信じる者は救われる」ので、ここが北山の頂上だ。
城山に行こう
8:51
仮定北山の頂上2から北西へ延びる緩やかな尾根には、切り開きが存在する。ダンプカーでも走れそうな、4m程もある幅の広い切り開きで、まるで江戸時代の大名が参勤交代で行き来した往来を彷彿させる。
200mにも満たない低山で、このような切り開きが成立した要因は何なんだろうか。北山頂上に予想もつかないような建築物、あるいは工作物を造る計画があったのだろうか。いくらなんでも共同受信設備の点検道路ではあるまい。
8:55
防火帯なのか、山主の趣味なのか、広い広い切り開きは100m程も続くが、傾斜が少しきつくなるとお終いになる。
8:57
隣の城山と一体と言っても可笑しくない北山にも、山城跡があるのではと夢想しながら下っていくと、どう見ても自然のもととしか思えないこの石積みも石垣跡に見えてしまう。
9:05
緩やかに下る幅広い尾根には、登り口からの獣除けネットが続いている。
9:07
地形図にも記載されている実線道が北側に見えてきた。このまま破線道を進んで、その登り口を確認するのも興味深いが、実線道に宗旨変えし、聖園に続く道を横切り送電線鉄塔を経由して城山頂上へ至る「TAJI&HM の 兵庫の山めぐり」ルートをとろう。
9:10
森林整備のために通された林道なのだろうが、落ち葉が積もり轍もなく、近年に利用された形跡はない。
林道を城山へと進むと、山側に「もあもあ」が山積みになっている。見た感じは細いツタのぶつ切りの様なものが積まれているのだが、何かわからず「もあもあ」としか言えない。
9:13
重機が2台と、軽のバン、そして可搬式のタンクが置かれていている。重機の一台は「MOROOKA MC-2000型」というもので、「カッター回転中は立入禁止」という注意書きと「草刈・伐採 赤田工業求vという業種・社名から伐採木を「もあもあ」にする機械と思われる。というわけで、ここは林道工事現場ではなく、伐採木を持ち込んで「もあもあ」にする処理場なんだ。
9:14
そんなこんなで重機を観察していると、突然「ピーポーピーポーピーポー」と甲高い警報音がすぐ近くで鳴り響き始めた。人感センサーと防犯カメラと組み合わせた防犯システムが、私を感知したみたいだ。どうやらここは立入禁止エリアの真ん中で、早々に退去しよう。
私の場合は立入禁止エリアと知らずに、奥側から入口側に来てしまったわけで、無罪だ。でも、この山行記録を見てしまった方々は、ここが立入禁止と認識してしまったわけで、破線道から実線道の林道に下りることは出来ず、私の跡を辿るのは有罪だ。
9:21
聖園へと続く舗装林道に出たが、伐採木処理場へと続く林道分岐入り口にも「ピーポーピーポーピーポー」が設置してあり、またもや驚かされた。「関係者以外立入禁止」の警告表示もあり、ここから入るのは有罪だ。
城山を登ろう
9:26
伐採木処理場分岐入口から、舗装林道を左へ行くとすぐに尾根の切通がある。この尾根を登れば城山の頂上へ至るが、切通は登りづらいので右へ進み適当な所から尾根に取付く。
9:29
適当に登っていくと道が現れ、その先には送電線鉄塔「城西鵤線15」が立っている。おそらく舗装林道の尾根の切通から下ると、この送電線巡視路の入口があるのではないだろうか。
9:32
明確な道も踏み跡もないが、下草は全くなくどこでも歩ける尾根には赤や黄色のマーキングが途切れることなく続いている。
9:35
明らかに人の手による石積だ。山中でこのようなごく小規模の石組みを見かけるが、土砂の流出防止が目的とは思えないし、何のために積んだのだろうか。高さ0.5m・幅1.5mの砂防ダムの先駆けなのだろうか
9:38
所々に鹿の糞が落ちていて、この下草の無ささ加減も鹿の食害によるものだ。下草が無いことによる植生への影響はあるのだろうか。
9:42
人工的な地形(削平地)のようにも見えるが、単に広い尾根とも見える。ただ、私の左手に一列に並んだ岩は人為的なものと確信した。
9:44
「山田大山8号墳」と表示がある古墳が、マーキングが示すルートから少し東に外れてある。この8号墳の下にも表示はないがもう一つの古墳が確認できた。
麓からの比高は160m程もあるが、古墳の材料になりそうな大岩は周辺にたくさんあるし、木々がなければ南向きの日当たりのよい尾根という、祖先の霊を祀るのに適した地点ともいえる。私の墓もこんな所に造ってほしいな。
9:48
古墳を過ぎると広かった尾根は狭まり、踏み跡も収束し山道らしくなってきた。
地形図では、聖園へ登る実線道から分かれた破線道は、山田大山8号墳辺りまで記載されているが、ここから先は空白地帯だ。
9:53
狭まった尾根は再び広くなり、尾根というよりは唯の斜面に戻ってしまった。まあ、マーキングはたくさんあるし高みを目指せば問題なく城山の頂上へと導かれるが、下りに使うとマーキング頼みになりそうな感じ。
9:56
岩がゴロゴロ、その間をマーキングに誘われて登る。
10:02
同じような風景の中を登っていく。相変わらず明確な踏み跡はないが、登っていけばそのうちに頂上に着くのは間違いない。
10:04
傾斜が緩やかになり、30mほど先の木に赤いプレートが掛けられているのが見える。あそこが城山の頂上だな。
10:05
大きな一等三角点標石(点名:大山)が待つ城山頂上に到着。三角点標石には保護石はなく、その一辺は18pで、地上部分はわずかだが、地中深く埋められ標石の高さは82pあり、その重量は90sだという。
登頂記念プレートの類は5枚あり、その内2枚は地面に落ち、1枚は文字が薄れ読み取れず完全にゴミと化している。一等三角点というゆるぎない表示物があるこの頂上には、山名プレートも必要ない。
- 城山 一等三角点
- 山田大山三角点 240m 太子、大津茂 山の会
- 平成26年2月17日 AM11:00 K.Y 姫路市夢前町菅生澗
- JS3UUU 250.1 城山
- 一等三角点 太子城山 <250.1m> 2011.7.7
城山は今年の3月13日の標高改算により、11年前に登った時よりも0.2m低くなり、250mにわずかに届かない249.9mとなった。私も170pまであと4oと迫ったが、追撃ならずに大台を超えるという夢が夢のままに終わったという、涙なきには語れない過去を持つ男だ。城山は一度は大台を超えたのに、気が付いたら大台を割っていたという悲哀には同情を禁じ得ない
そして11年前は、南側にわずかながら展望を見出すことができたが、今は頂上近くの木々の枝葉が茂り全くだ。
下山するぞ
10:16
城山には赤松氏が築いた城があり、楯岩城と呼ばれていたという。この城も例のごとく大正年間に秀吉の中国攻めの際に落城している。その楯岩の由来になったのが、この山頂の東側にある平たい岩だ、というのは嘘だが、岩の多い山だな。
下山は地形図にも記載されている東の聖園方向へと下る破線道を辿ることにする。前回は頂上西側の破線道を往復したので、今回は登り下りとも初見のルートだ。
10:19
平坦な稜線を北東へ進むと、切妻屋根に白漆喰・なまこ壁の土蔵を模した「兵庫県無線中継局」が建っている。誰も見に来ないだろうし、こんな凝った意匠にしなくてもと思ううし、どうせなら山小屋風な、山の風景に溶け込むようなものならばよかったのにと思う。
10:22
無線中継局から先は緩やかな下りになり、擬木の階段道が整備されている。
10:25
今日の行程中の唯一の展望地だ。岩棚の上からは青山の市街地の先に振袖山・舟越山・苫編山が見え、その先の山は八丈岩山だろうか。
でも、この先はどうやって下るのかと、暫し思い悩んでしまったが、岩棚の右にコンクリの階段道がこしらえられているのを見つけた。
10:32
中継局へ送電する電柱と電線があり、それを辿って下りている積もりだったが、いつの間にか北側に逸れてしまった。コースに復帰すべく南寄りに進路を変えると、こんなところに出た。
中継局建設のために工事用モノレールと作業道が通された跡で、ここを地形図の破線道が通っているはずだが、よくわからないな。
10:36
擬木の階段にするほどの傾斜ではないが、関西電力の送電線巡視路に負けていられないという、無線中継局点検路としての矜持なのかな。
10:39
少しだけ迷ってしまったが、無事に実線道まで下りることができた。地形図とは違い、ここは破線道との十字路となっていて、東の尾根を下る明確な道を見ることができた。そっちの道も興味がるが、本日はもう一つの訪問先があり、予定通りに実線道を下ることにする。
10:47
聖園入口に出てきたが、ここで下りてきた草が生えた道にはチェーンが張られ「この先立入禁止 連絡先:太子町街づくり課 079-277-5992」という警告文が落ちている。なお、ここには「城山 一等三角点→」という案内板もある。
私は知らずに下りてきたので無罪だが、この記録を見てしまい立入禁止と知っていながら登るのはもちろん、下りに使うのも有罪だ。北山もだが城山も、まったくもってハイカーにやさしくないな。
10:56
この画像を見て気が付いたが「秋なんだなあ」。ススキの穂が風に揺らぐ秋になったのだと、いまさらながら気が付いた。
1.5車線幅の舗装林道は所々に離合スペースがあるが、平日だと伐採木処理場への搬入車が行き来しているかもしれないが、土日祝ならまず入ってくる車はないだろう。
11:01
伐採木処理場入口分岐を通過。
11:02
すぐ下に明確な山道の入口があり、「火の用心」表示板があることから関西電力送電線巡視路なのだが、「楯岩城登山口 秀吉コース」という案内が平成15年に近畿中国森林管理局が設置した「土砂流出防備 保安林」標識に打ち付けられている。
私は適当に尾根に取付いたが、ここが正しい登山口なのだ。だが、山城を攻め滅ぼした首謀者の名前をコース名にした、その斬新な感覚が私には理解できない。
11:13
舗装林道をぐんぐん下っていくと、右手に「大開ゴルフ」練習場が見えてきて、旧の山陽道に出た。
その入り口には、ヒマワリをモチーフとした「城山楯岩城址」という案内板もあるが、それよりも「大開ゴルフ」の案内板の方が目立っているな。
11:15
旧山陽道を東へ坂道を登っていくと、道端に「播磨十水之一 桜井乃水」と刻まれた石碑があり竹林の中を覗くと、よくわからない何かがある。
太子町歴史文化遺産
播磨十水之一 桜井乃水
黒岡に ゆききの人も 心あらば
薬ともなれ 桜井の水
赤松広秀
四角なコンクリ井筒?があり、重そうなコンクリ蓋が乘っている。ウンショ、ウンショと重い蓋を少しずらしてみると、水面が見えて清水は枯れていないことが確認できた。だが、飲んでみようというか、この水飲めるのというか、飲んだら確実にお腹を壊しそうだな。
桜井の清水
桜井の清水は、太田黒岡山の北麓にあり、戦国時代に播磨を治めた赤松義村が選んだという「播磨十水」の一つ。
黒岡に行ききの人の心あらば
薬ともなれ 桜井之水
赤松広秀
11:30
旧山陽道から国道179号線へ出ると、目の前を姫路駅(北口)行きのバスが走り去っていった。定刻なら15分ごろ通過するはずだが、遅れていたのかな。もう少し遅れていたのなら、間に合ったのに残念だが、仕方がない。
11:35
バス停としては179号線を西へ行った原西バス停が近いが、次のバスまでは1時間以上あるし、出発点の北山バス停へ戻ってきた。
国道の向こうを頻繁に走り抜ける新幹線を見ながら、ここで1時間10分も次のバスが来るのを待ってもよいが、妻その1に迎えに来てもらうことにした。
同じ山でも間隔を開けて違うルートをとると、はじめて登る山のようで楽しかったが、午前中で登り終えてしまった。京見山も組み合わせて、一日コースを組んでもよかったかな。
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