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神姫バスツアーズ
大歩危峡川下りと祖谷のかずら橋



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平成26年11月16日(月) メンバー 私と妻その1

JR姫路駅南バスターミナル〜新祖谷温泉ホテルかずら橋(昼食)〜ボンネットバス〜祖谷のかずら橋〜大歩危峡まんなか〜大歩危峡観光遊覧船〜JR姫路駅南バスターミナル


神姫バスツアーズ 大歩危峡川下りと祖谷かずら橋

 神姫バスツアーズが主催する「大歩危峡川下りと祖谷かずら橋」に参加してきたので、その概略をここに記録する。

 姫路から、徳島県三好市の祖谷のかずら橋と大歩危峡の川下りを楽しむもので、料金は11月16日(日)JR姫路駅南バスターミナル出発は10,480円(大人一人、昼食代・かずら橋渡代・大歩危峡観光遊覧船乗船代込み)だった。出発地・日程の異なるものもあったが、そのほとんどが最小催行人員28名に至らなかったようで、取り止めになった。

7:05
 集合時刻7:10、出発時刻7:20だが、少し早目にやってきた神姫観光バス(主催は神姫バスツアーズで、運行は神姫観光バス)に乗り込む。

 姫路駅を毎日利用するが、週末早朝の南バスターミナルが観光バスでごった返しているなどとは思いもしなかった。次々とやって来ては、乗客を乗せて各地へ走り去っていく。

神姫観光バスに乗り込む

 乗客は35名で、女性がその3/5ほどを占めていた。使用車両は平成18年登録の三菱ふそうトラック・バスPJ-MS86JPエアロ(ハイデッカー)。もう一つの乗車地、たつの市のツアー専用駐車場で残りの乗客を乗せ、山陽自動車道から瀬戸中央自動車道へと進む。

9:35
 本州四国連絡橋児島・坂出ルートの橋々を渡り四国香川県坂出市へ入る。(神戸付近からの出発の場合は、明石海峡大橋・淡路島・大鳴門橋経由となる)

 ツアーアテンダント嬢による時々の観光案内と、女性8人グループによる一時も途切れることのない他愛のない会話が続き、車中はかしましい。

本州四国連絡橋児島・坂出ルートの橋々を渡り四国へ

11:40
 高松自動車道を経由して徳島自動車道の井川池田ICで下道に、それから吉野川沿いの国道32号線を南下し、大歩危橋を渡り東へ県道45号線で祖谷トンネルを抜け、吉野川の支流の祖谷川沿いの県道32号線を南下し、姫路を出てから4時間と少しで、祖谷のかずら橋から1q程手前の新祖谷温泉ホテルかずら橋に到着。ここで昼食をとった後に、かずら橋まではホテルかずら橋所有のボンネットバスで移動する。

新祖谷温泉ホテルかずら(昼食後に撮影)

 ホテルの前に止まっている緑色・ベージュ色・青色の三色に塗り分けられたボンネットバスは、四国交通による定期観光コースのもので、ここでお昼ご飯を食べているようだ。

 四国交通によるボンネットバスを用いた西祖谷定期観光コースは、平成26年は3月15日から11月30日まで(5・8・10・11月は毎日、3・4・6・7・9月は土日祝日のみ)運行し、阿波池田BT(10:40)〜JR阿波池田駅〜各乗車場所〜小便岩(小便小僧)〜郷土料理の昼食〜かずら橋〜平家屋敷〜道の駅大歩危〜大歩危峽船下り〜JR阿波池田駅〜阿波池田BT(16:25)というコースで、昼食・観光料を含む旅費は大人6,400円・小人6,000円というものだ。

 使用するボンネットバス「秘境の小便子僧号」は、昭和41年式のいすゞBDX30型で、定員は34名。クーラーは装備されているはずもなく、真夏は辛そうというか、お金を払って受ける拷問に等しいのではないだろうか。

四国交通西祖谷定期観光コースのボンネットバス「秘境の小便子僧号」

 ホテルに着いたらすぐに2階の宴会場「京柱」に案内されたが、その前で「でこまわし」と「鮎の塩焼き」が炭火で温められている。

炭火で温められている「でこまわし」と「鮎の塩焼き」

 私たちが一番乗りで、さっそく食べ始める。

ホテル2階の宴会場「京柱」で昼食をとる

 メニューは地元の食材を用いた精進料理のような、鮎以外は動物性たんぱく質のない、低カロリーな健康志向のものだが、量は結構多い。

新祖谷温泉ホテルかずら橋の団体日帰りプラン昼食会席「紫陽花」(2,000円税別)
ビールは別料金(700円税別)で食後にホテルフロントで清算

おしながき 紫陽花

一、珍味 柚子巻き柿
一、小鉢 そばの実なめこ
一、小鉢 山菜盛り合わせ
一、煮物 季節の野菜煮物
一、焼物 でこまわし
一、焼物 鮎の塩焼き
一、刺身 手作りこんにゃく刺身
一、鍋物 そば米雑炊
一、椀物 手打ち祖谷そば
一、御飯
一、香の物
一、果物

 柚子だけが寂しく乗っていた長皿には、仲居さんが「でこまわし」と「鮎の塩焼き」を配膳してくれた。

でこまわし

 でこまわしとは、徳島県の郷土料理で、サトイモの味噌田楽である。「でこ」とは人形(木偶)を意味する方言で、この「でこ」に似た串焼き芋をくるくると回しながら焼き、食べる様子からこの名前がつけられた。

概要
 三好市祖谷地方の名物品で、人形浄瑠璃の阿波木偶に似ているところから名付けられたと云われている。在来種の芋であるごうしいもや豆腐・こんにゃくを串に刺して下焼きをし、味噌だれをつけて再度焼いて出来上がりとなる。

Wikipediaより

「でこまわし」と「アユの塩焼き」

 これで十分だと思っていたら、さらに「手打ち祖谷そば」もやってきた。

祖谷そば

 祖谷そば(いやそば)は、徳島県三好市祖谷地方を中心に食されている郷土料理の蕎麦。

概要
 祖谷地方で収穫された蕎麦で作られたそばのことで、つなぎは使わず、通常のそばに比べて麺の長さが短いのが特徴。祖谷地方は昼と夜の寒暖の差が激しく、そばの栽培に適しており、良質の蕎麦が取れることで有名。町の特産品となっている。

Wikipediaより

手打ち祖谷そば

 固形燃料で温められていた鍋は「そば米雑炊」で、これも祖谷地方の郷土料理だ。

徳島県 そば米雑炊

ソバを実のまま食べるめずらしい料理
 「そば米雑炊(ぞうすい)」は祖谷(いや)地方の郷土料理です。祖谷地方は高い山に囲まれて米が作れないため、ソバが作られていました。ソバ米とはソバの実を塩ゆでして、からをむき、乾燥させたものです。源平の合戦(げんぺいのかっせん)にやぶれ祖谷地方に逃げてきた平家の落人(へいけのおちうど)たちが、都をしのんで正月料理に作ったのが、「そば米雑炊」のはじまりといわれています。

食材豆知識
 ソバを粉にしないで実のまま食べるのは、全国でもめずらしいそうです。野菜や山菜といっしょに煮て食べるのがふつうでしたが、時には山鳥を入れることもあり、それはとびきりのごちそうでした。「そば米雑炊」は今では徳島県全体で食べられるようになり、プチプチとした歯ざわりが好まれています。

農林水産省日本各地の郷土料理から

そば米雑炊


ここから観光編、祖谷のかずら橋と大歩危峡船下り

12:42
 祖谷のかずら橋へ連れて行ってくれるのはこのバスで、昭和42年式のいすゞBDX30型で、定員は43名。最後に乗り込んだので補助席に座ることになった。

ホテルかずら橋のボンネットバス「1号車」

クラシカルなボンネットバスの運転席

 ここからは動画で観光名所を紹介して行く。かずら橋へ向かう車中にいきなり大音響の「祖谷の粉ひき唄」が流れ、否が応にも雰囲気を盛り上げようとするも、残念ながら音が割れ歌声が聞き取りづらく、その時は歌詞を聞き取ることができなかったのが残念だ。

祖谷のかずら橋へ向かう新祖谷温泉ホテルかずら橋のボンネットバス

祖谷の粉ひき唄(徳島県民謡)

祖谷のかずら橋ゃ 蜘蛛のゆの如く
風も吹かんのに ゆらゆらと
吹かんのに 吹かんのに 風も
風も吹かんのに ゆらゆらと

祖谷のかずら橋ゃ ゆらゆらゆれど
主と手を引きゃ こわくない
手を引きゃ 手を引きゃ 主と
主と 手を引きゃ こわくない

粉引婆さん お年はいくつ
わたしゃ ひき木と うない歳
ひき木と ひき木と わたしゃ
わたしゃ ひき木と うない歳

徳島県三好郡西祖谷(いや)村の民謡

 高知県から流れる吉野川をたどると、大歩危小歩危の奇勝を経て徳島県に入り、ここから一方は愛媛県へ、もう一方が祖谷川となる。更に上流は剣山がそびえており、その麓が、屋島の戦いに敗れた平家の落人が逃れ住んだという日本三大秘境の一つ、三好郡西祖谷村となる。四国の屋根とか阿波のチベットなどと呼ばれている祖谷地方は、傾斜の急な山ばかりで空らしいところはない。現在でこそ道路も通って車やバスが往復し、その渓谷の美しさ、特に秋の格別さを知る人は多いが、自給自足のかつては、粟、稗、とうもろこし等を粉にして常食とするなど、急傾斜地農業に依存するのみであった。
 その粉引き作業は主に、嫁の夜なべ仕事であり、昼間の疲れからくる睡魔に耐えるために唄われたのが、この「祖谷の粉ひき唄」なのである。

日本民謡幸真会から

 ちなみに祖谷のかずら橋からホテルへ戻るときに車中に流れたのは、♪田舎のバスはおんぼろ車 タイヤはつぎだらけ窓はしまらない♪の「田舎のバス」だった。

12:50
 シロクチカズラと木材を使って祖谷川の渓谷に掛けられた祖谷のかずら橋は、長さ45m、幅2m、川面からの高さ14mのつり橋だ。

 つり橋によくある人員制限などはない。『やっぱりイナバ、100人乗っても大丈夫!』ではないが、超満員の一人当たり30pで2列になって進むと、45m÷(0.3m/1人)×2列=300人ぐらいの強度があるのかと思う。シロクチカズラはなんて強いんだと、そんな計算をしながら進むと、かずらの中に見えてはいけないものを見てしまった。

 踏み板(さな木というらしい)の幅が狭い上に隙間の方が広く、遥か下の川面が丸見え。下を見ないと幅の狭いさな木に足を載せるのもおぼつかなく、否が応にも高度感が増し高所恐怖症の方々には、たまらない橋になっている。おまけの一方通行なので、途中から引き返すことは出来ずに、進むしかない。

 ちなみに料金は大人550円・小人350円で、渡れるのは日の出から日没までで、年中無休。

祖谷のかずら橋を怖々渡る観光客

かずら橋

 かずら橋(かずらばし)は、サルナシ(しらくちかずら)などの葛類を使って架けられた原始的な吊り橋。徳島県三好市西祖谷山村善徳にあるものが著名である。さらにその奥地、同市東祖谷菅生にも2橋架けられている。また福井県今立郡池田町にもあり、いずれも人専用の橋である。

歴史
 祖谷のかずら橋の場合、古文書によると、かって7ないし13の橋が存在したとされる。最古のものは、1646年(正保3年)の「阿波国図」にかずら橋が7つ存在したと記録されている。また1657年(明暦3年)「阿波国海陸度之の帳の写」の祖谷紀行には13のかずら橋があったとされる。
 起源はその昔、弘法大師が祖谷に来たとき困っている村民のために架けたとか、あるいは平家の落人がこの地に潜み、追手が迫ってもすぐ切り落とせるように葛を使って架設したとの伝説もあるが定かではない。

概要
 現在の西祖谷山村善徳のかずら橋は長さ45m、幅2m、谷からの高さ14mで日本三奇橋の一つであり、重要有形民俗文化財である。大正時代に一度、ワイヤーを使った吊り橋に架け替えられたが、1928年(昭和3年)、地域振興目的でかずら橋が復活された。ただし安全のためワイヤーは使われており、かずらはワイヤーを包み込む装飾とも言える。
 1970年に国鉄のディスカバー・ジャパンキャンペーンで登場したことで知名度が飛躍的に向上。現在でも年間35万人の観光客が通るため、老朽化が早い事から3年に一度架け替えが行われており、約2週間〜1ヶ月を要する。材料である太いかずらの調達は年々困難になってきており細いかずらを撚り合わせて使用しているという。
 東祖谷菅生のものは奥祖谷二重かずら橋と呼ばれ、男橋と呼ばれる長さ42mのものと女橋20mが並んで架かっている。いずれも人ひとり渡っても揺れ、床面も「さな木」と呼ばれる丸太や割木を荒く編んだだけであり、すき間から川面が望める。そういったこの橋の特徴をよく表す歌として「祖谷の粉ひき節」が知られている。
 2012年10月、徳島県のかずら橋がトリップアドバイザーの企画「バゲットリスト」の「世界の徒歩吊り橋10選」に選ばれた。

アクセス
・土讃線阿波池田駅からバスで約1時間
・大歩危峡からバスで26分
・土讃線大歩危駅から車・バスで約20分
・かずら橋バス停から徒歩3分

Wikipediaから

 かずら橋からホテルまでは、またボンネットバスに揺られて戻り、神姫観光バスに乗り換えて大歩危峡へと戻る。

13:58
 予定より30分ほど早く、大歩危峡観光遊覧船を運航する大歩危峡まんなかに到着。

 平成26年3月18日に国指定天然記念物に指定(指定区域は500m)された大歩危峡は、右岸にJR四国の土讃線、左岸には国道32号線が通っているが、車窓から見るだけでは面白くない。ここは川下りの観光遊覧船に乗り、間近に見るのが楽しい。

 ちなみに料金は大人1,080円・小人540円で、運行は9時から17時で年中無休。往復約3qで、乗船から下船まで約30分。

大歩危峡まんなか 大歩危峡観光遊覧船

史跡名勝天然記念物:大歩危 詳細解説

 大歩危は、徳島県三好市の一級河川吉野川(よしのがわ)の中流にある。吉野川は、「四国三郎(しこくさぶろう)」の別名で知られる全長194キロメートル、流域面積3、750平方キロメートルの愛媛―高知県境の瓶ヶ森(かめがもり)(標高1,897メートル)にその源を発し、東流しJR土讃線(どさんせん)豊永駅(とよながえき)付近で北に向きを変え四国山地を横切る。その後阿波池田付近で再び東に向きを変え、中央構造線に沿って徳島平野を流れ紀伊水道に注ぐ。その流路は、四国の地質と密接に関連している。
 一般に中央構造線以南の四国の地質構造は東西の走向を持っていることから、四国山地を南北に横切る吉野川上流部では、吉野川の侵食により地質構造の配列が明瞭にみられる。吉野川が峡谷をつくる大歩危付近では、関東から九州まで日本列島を縦断して分布する三波川変成岩が連続的に露出する。三波川変成岩は一般的に「三波石(さんばせき)」と呼ばれ、徳島県では「阿波(あわ)の青石(あおいし)」と呼ばれている。石材としても著名であり、大歩危はその有数の露出地である。
 三波川変成岩は、中生代ジュラ紀から白亜紀にかけての海洋プレートの沈み込みにより陸側に付加されて地下深くに押し込まれた地層が、高い圧力のもとで再結晶したものが地殻変動により上昇して、地表へ現れたものである。 大歩危付近の三波川変成岩は、ドーム状の背斜構造(はいしゃこうぞう)という褶曲構造を示している。今回の指定対象地では、背斜構造の中心部に近い部分に原岩(げんがん)の年代(変成作用前の年代)が新しく変成の程度が弱い砂質片岩(さしつへんがん)や礫質片岩(れきしつへんがん)などが分布し、背斜構造の中心部から離れた部分には泥質(でいしつ)片岩や緑色(りょくしょく)片岩などの変成度の高い古い岩石が分布し、見かけ上新しい岩石と古い岩石の位置関係が逆転している。
 近年の研究によれば、大歩危を含む三波川変成岩の原岩(げんがん)の年代は、見かけ上上位の変成岩がおよそ1.3億年より古く、見かけ上は下位の変成岩がおよそ0.92億年より新しい年代を示すことが報告され、従来、三波川変成岩として一括されていた中に、より新しい変成作用の時期があったことが提案されている。
 この見かけ上の年代の逆転は、次のように理解できる。すなわち、海洋プレートの沈み込みに伴い、次々と新しい地層が低角度の衝上(しょうじょう)断層(だんそう)を境として下位に付加され(底付け)、それが地下深くに押し込まれて、高い圧力により変成岩となる。さらに四国山地を形づくる原動力となる隆起の進行により、見かけ上は上位にあった古い変成岩は浸食され、見かけ上は下位にあった大歩危を構成する新しい変成岩が地表に現れたものと考えられる。
 大歩危付近に見られる砂質片岩は比較的変成度が低く,もともとは水流で運ばれたことを示す堆積構造(斜交層理(しゃこうそうり)やチャネル構造)が見られること、またこの地域としては初めてとなる含礫片岩が発見されるなど、当時の海洋プレートの沈み込みに伴う海溝ないしは海溝斜面(かいこうしゃめん)付近で堆積した陸源堆積物を起源としていることを示唆している。  大歩危の三波川変成岩は、海洋プレートの沈み込みにより付加された地層から構成されるわが国の成り立ち、すなわち付加された地層がより以前の地層の見かけ上、下位に付け加わり、地下深くに押し込まれて高い圧力で変成し、やがて地殻変動により上昇し、より古い地層の浸食により地表に現れる、というプロセスを知る上で、重要な地質現象を示すものとして、極めて重要である。

文化庁 国指定文化財等データベースから

15:20
 神姫観光バスは大歩危峡まんなかを後にして、帰途に就く。

 日帰りバスツアーとしては最長距離と思われる「大歩危峡川下りと祖谷のかずら橋」だが、往復の道路は観光シーズンとしては空いたので時間的に余裕もあり、現地では比較的ゆっくりできた。帰りもスムーズでJR姫路駅南バスターミナルには19時には帰ることができた。



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