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平成14年新春登山は八丈岩山、男山
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平成14年1月2日(水) メンバー 私だけ
八丈岩山 |
はちじょうがんざん |
172.9m |
男山 |
おとこやま |
57.1m |
八丈岩山へ
10:31
家を出発。
名古山トンネルの北の信号を北進し、突き当りの信号を右折、次の信号を左に曲がり住宅地の中の緩やかな坂道を登っていく。天気は曇り、雪がちらつく、気温は5度。
10:52
西新在家の登山口に到着。登り始める
西新在家3丁目16にある八丈岩山登山口
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荒れた登山道
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どんなに低い山でも山登りには違いなく、急な登り坂である。途中、下山中の人一人に会う。
11:05
頂上に到着。13分かかった。
頂上には三角点の標石があり、横に祠があった。岩座は頂上から少し南にあり、姫路の市街地が一望のもとに見下ろせる。
八丈岩山の頂上にて
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台座に乗った小さな祠
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晴れ間が来るのを待ち写真を撮る。周りは木に囲まれているためそれほど寒くない。気温は5度
11:57
下山開始。
12:04
下山。7分かかった。
男山へ
次の目的地、男山に向かう。短大の前を通り、右に曲がり男山の北側に行く。
12:24
男山の北側石段に到着。
男山北側石段
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12:30
92段の階段を登り、男山頂上に到着。
頂上には三角点の標石があり、一段高い所が配水施設に成っている。気温は同じ5度だが風を遮るものが無いため非常に寒く感じた。
男の人一人が上がってきた。
敷石に囲まれた姫路市三角点
(1級基準点「都市基準点」標石?)
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配水設備の上、後は姫路城
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南に見える景福寺山
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北西の八丈岩山
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男山
この男山(標高57.5m)は、『播磨国風土記』(713年・奈良時代)に記されている説話の中で、姫路の14の丘の物語にでてくる「筥丘(はこおか)」だとされています。
その昔、大汝命はその子火明命があまりに乱暴者なので、因達神山(現在の八丈岩山)におきざりにして船を出したところ、火明命は大いに怒り、風波を起こし船を難破させました。その時、積荷の蚕子の流れ着いた所が日女道丘(ひめじおか、姫路城のある現在の地名の由来になっている)、箱の着いた所が筥丘………と名づけられたということです。
また、男山は『播磨鑑』(1762年・江戸時代)に記されている「飾磨のかち染」の伝説にも関係があり、今の自衛隊姫路駐屯地内にあった長者屋敷から難をのがれて旅の男が逃げてきた山を男山、いっしょの女が逃げてきた山を姫山と名づけられたといいます。
男山の南中腹には、鎌倉から室町の動乱の時代1346年に姫山に初めて城を築いたといわれる赤松貞範がその鎮守として創建し、歴代の城主が信仰したといわれる「男山八幡神社」、江戸時代1617年に城主となった本多忠政の子忠刻の妻千姫が建立したといわれる「男山千姫天満宮」、南麓には「水尾神社」があります。
「姫路市水道局案内看板」より
12:43
下山開始。今度は南側から下山する。
南側石段
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12:45
194段の階段を下り、下山
12:51
家に帰着。
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